第十二話:天才

男がリビングに行くと、依頼人の女がソファに腰を下ろしていた。
男の姿を視界の端にとらえると、依頼人の女は立ち上がった。
「冴羽さん・・・、かおりさん・・は・・?」
「今眠ったところだ、心配ない。さっきはすまなかった、怒鳴っちまって・・・。」
「いえ、気が回らなかった私がいけないんです・・・。あの・・・。」
「もう遅い。きみも寝たほうがいい。」
男の背中は依頼人の女が取り付く島も与えない。
男はリビングに置いてあった雑誌を取り上げると、部屋を出て行こうとした。
「あ、あの、冴羽さん。」
「・・何だい?」
依頼人の女の言葉に男は振り返った。
「・・・どうして、何故、香さんなの?」
「美香ちゃん?」
「どうして?何故あたしじゃなくて香さんなの?学力も、知識も、社会的地位も経済力だってあるわ!
 どんな家政婦よりも家事だってこなせるし、料理だってプロに習ったわ。今までの付き合った男性は
 口を揃えてあたしを誉めたわ。あなただってあたしを美人だって言ってたじゃない、誉めたじゃない!
 なのにどうして!!」
依頼人の女は感情の押し寄せるに任せて、男に言葉の数々を叩きつけた。
「お、落ち着いて・・美香ちゃん。座ろうか。」
男は諭すように依頼人の女をソファに座らせた。
「美香ちゃん。俺は香を家政婦としてここに置いてるわけじゃない。」
「パートナーだって言いたいんでしょ?聞き飽きたわ。パートナーって言えば聞こえがいいかもしれないけど、
 やってることは家政婦と大差ないわ。それぐらいあたしにだってできる、ううん、むしろあたしの方が上手い
と思う。必要なら銃の扱いだってすぐ覚えるわ!!」
依頼人の女の勢いは衰えるどころか、男と目線を同じにしたことによって拍車がかかっていった。
「落ち着いて、ね、美香ちゃん。あんま、大きな声出すと香がおきちゃうからさ・・。」
「・・・何故、思わせぶりな言動をしたの?」
依頼人の女は最後の言葉をその口から零すと、はらはらと泣き始めた。
「・・・すまない。だが、君に言ったことは偽りじゃあない。君は魅力的だし、女性としては申し分ないくらいだ。」
「じゃあ、何故!」
「君に理解して貰えるかどうかわからないが、"パートナー"という言葉は特別な意味を持ってる。俺達にとって。」
「・・・特別?そんなの、あたしだって軽い気持ちでここでこうしている訳じゃないわ!!」
男は食ってかかる依頼人の女をフッと鼻で笑った。
瞬間依頼人の女は怒りと羞恥でその美しい顔を紅潮させた。
そして男が一端足元に落とした視線を依頼人の女に戻した瞬間、依頼人の女はその威圧感と恐怖に紅潮させた顔を瞬時にひきつらせた。
「この世界で俺のそばで生きていくって事は、常にあの時のような危険に晒されるって事だ。わかるね?」
依頼人の女は自身が不意に狙撃された瞬間を思い起こし、湧き上がるような恐怖心に言葉を失った。
「本来なら、気でも触れてしまうところだ。それでもあいつは、やめようとはしなかった。
 思い切りがいいというか、無鉄砲というか。ま、あいつの才能のひとつだ。」
「そ、そんなの・・・慣れれば問題ないわよ。」
「そうかな?」
男は素早く胸元から愛銃を引き抜くと、依頼人の女の胸元にピタリとつけた。
依頼人の女は瞬時に凍りついた。恐怖に恐れおののき、全身を細かく震わせ絶句した。
大きな瞳はより大きく見開かれ、あてがわれた銃にくぎ付けになっている。
「ほら、ね。」
「じょ、冗談にもほどがあるわ・・。」
依頼人の女は震える唇で、やっとのこと言葉を紡ぎだした。
「君は今、撃たれる事に恐怖した。」
「そ、それは、銃を向けられるのに慣れていないし、暴発するとも限らないし・・・。」
「いや、君は俺を信じていないから、恐怖したんだ。俺が暴発させるような事はありえないし、
 ましてや女性を撃つ事など決してない。」
男の言葉に依頼人の女は次の言葉を失った。
「香は、俺に銃を突きつけられたとしても、笑って流すか・・・受入れる。」
「受入れる?・・ハッ!そんな・・。」
「バカだと思うだろ?そんなヤツなんだよあいつは。」
「・・・強いのね。香さんて。」
「ああ。天才だよ。」
「あなたのパートナーとして?」
男は視線を落とし、笑いをかみ殺すと立ち上がりひとつ伸びをした。
「ほんとにもう遅いから休んだほうがいい。あしたは客がくるんでね。」
「お客様?」
「そう。だからね、早く。」
「そうやってあたしを追いやった後、香さんを起こす気なんでしょ。」
依頼人の女はそう言って、からかうようにして笑顔を送った。
男はわざとらしく一つ咳をした。
「あー、依頼は果たすから。」
「え?」
「ボディガードのさ。」
「追い出さないんですか?私を。もしかしてまだ・・。」
依頼人の女の真意に男が気付いていないのではないかと、依頼人の女は疑問符をなげかけた。
「一発目の狙撃は君が依頼したものだろうが、二発目以降は君の伺い知れないところで起きたものだろ?」
「なんだ。わかってたんだ・・・。」
「君の反応が明らかに違ったのでね。今度は女優指南でも受けたほうがよさそうだ。」
男はそういうと依頼人の女に先ほどとは別人のような柔らかな笑みを向けると、リビングを後にした。

女は大きな溜息を一つその空間に残すと、一言吐露した。
「完敗。」
依頼人の女はゆっくり立ち上がると、リビングの照明を落とした。

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