第九話:交叉

女は男の視線に言葉を失い、同時に怒りの感情をも失った。
身動き一つ取れない。
その緊張した空気を打破したのはやはり依頼人の女だった。
「・・香さん・・・ごめんなさい、ちょっといいかしら。」
「え?・・・ええ。」
女は依頼人の女の言葉を機に我を取り戻すと、床に置いたトレーを再び手に取りコーヒーをテーブルの上へと運んだ。
男とは瞳を交えることはない。
コーヒーを静かに置くと女は依頼人の女に誘われるがままリビングを後にした。
男はその後姿を見送ると何かにとり憑かれたかのように素早い手つきでタバコに火を点け、吸い込み、
大きく煙を吐いた。溜息が混じっていた。


自室につき女を部屋の中へと招きいれると、依頼人の女は後ろ手に扉を閉めた。
「香さん、さっきの話だけど・・・いいかしら?」
心なしか依頼人の女の口調はやや攻撃的であった。
「ええ。」
女は負けじと強めの語調で返答した。
「嘘ではないかしら?ってことだけど、どうしてそう思ったの?」
「率直に言わせて貰うわね。あなた僚に会うのが目的だったんじゃないの?僚となんていうか・・その、
 そういう関係にあるヒトなんじゃない?」
女の言葉に依頼人の女はクスクスと笑い出した。
「何が・・・何が可笑しいの?」
「ごめんなさい。さすがねって言いたいところだけどちょっとずれてるわ。私の質問からも、事実からも。」
依頼人の女の言動に女は怒りと恥ずかしさで口をつぐんだ。
「私の目的は冴羽僚その人よ。」
「やっぱり、じゃあ、」
「待って。残念だけど会ったのはこれが初めてよ。」
「え・・?」
「言ったでしょ、探している人がいるって。それが冴羽僚なのよ。嘘ではないでしょう?」
「嘘・・・ではないけど・・。でもあなたが探している相手は結婚を考えている恋人だって・・。」
「これからそうなる予定なのよ。私もこんなまどろっこしいのは本分じゃないけど。こんな依頼みたいな形じゃなきゃ
 近寄れないでしょ?」
「あなた・・・僚の事殺しに・・・?」
「まさか!!私がそんな血生臭い女に見えて?」
依頼人の女は再びクスクスと笑った。女もまさかとは思いつつ発した言葉だっただけにバカにされているという思いが更に強まった。
「じゃ、じゃあ何が目的?僚に会ってどうするつもりなの?」
「あら、野暮ね。女が男と会うのに理由がいるの?会いたいという思いに理由なんてないわ。
 しいて言うなら恋しいからかしら?」
「恋しい?見ず知らずの人間に??」
女は軽い頭痛を覚えた。依頼人の女の思考回路を推し量ることは女にとって困難を極めた。


その頃リビングでは男が電話を受けていた。相手は警視庁の雌豹冴子だった。
「僚?夜遅くに悪いわね。」
「フンッ、いつものことじゃねーか。何の用だ?」
「あらご挨拶ね。今日はあなたに用があるわけじゃなくてよ。香さんいる?」
「香?さぁね。今お取り込み中みたいよ。」
「電話に出られないの?しょうがないわね。じゃ、伝えて頂戴。明日そっちにいくから自宅にいてって。」
「・・・わかった。」
「何?僚けんかでもしたの?香さんと。」
「別にそんなんじゃねーよ。用が済んだんなら切るぞ!!」
「あら男のヒステリーはみっともなくてよ。あ、一応僚も明日香さんと一緒にいて頂戴ね。」
「なんだよ、一応って。」
「一応は一応よ。」
警視庁の雌豹は用件を述べるとさっさと電話を切った。男はガチャンと一際大きな音を立てて受話器をおいた。


「ま、そういう訳だから香さん。勿論協力してくれるわよね?」
「ちょ、ちょっと話が全然わからないわよ。僚が好きだから僚に近づく為に嘘の依頼をしたっていうの?
 冗談じゃないわ。こっちはそんなお遊びに付き合っていられるほど・・・。」
「暇じゃないわけないわよね?久々の依頼だって、冴羽さんも言ってたし。」
依頼人の女の発言に女は言葉もなかった。
「そんなお遊びにつきあって高額のボディーガード料貰えるんだからいいじゃない。」
「そういう問題じゃ、」
「それに、私本当に狙われてるみたいだし。」
あっけらかんと次から次へと言葉を発する依頼人の女を前に、女は呆れを通り越してどっと疲れを感じた。
「香さんにはキスマークつけてくれるような彼がいるわけだし、私と冴羽さんがくっつけば煩い保護者がいなくなって
 好都合でしょ?」
「好都合って。勘違いしないで私に彼氏なんて。」
「あれ?この前の話は嘘だったの?でもその首にあるのはキスマーク・・・よね?」
「これは違うのよ。ミックが・・・。」
「ミックがどうしたって?」
その時ノックもなしに男が部屋に入ってきた。
「僚、ノックしてっていつも言って・・。」
「冴羽さんいつから聞いてらしたんですか?」
「んー、煩い保護者がどうのってところからかな。」
「きゃーっ、やだ!!聞いてたんですか?」
依頼人の女はあからさまに顔を赤らめてみせた。女は嫌な汗が背中を伝うのを感じていた。
「香、今冴子から電話があったぞ。明日ここに来るから家に居ろってさ。」
男の口調は実に事務的であった。
「わかった・・。」
女は男の見据えるような瞳に拘束されたまま、身動ぎ一つとれなかった。蜘蛛の巣に捕獲された蝶のように。
「美香ちゃんお風呂沸いてるよ〜。背中流してあげようか〜?」
「やだ、冴羽さんたら。」
男は依頼人の女に鼻の下を伸ばし道化ながら声をかけ、依頼人の女はそれに笑って応えた。
「じゃ、お言葉に甘えて、お風呂頂きますね。」
依頼人の女は手早く用意するとバスルームへと向かった。男はその後ろ姿を見送った。
「僚・・・、あの・・。」
男は片手を挙げるとゆっくりとそのまま歩き去っていった。
女には何故かその歩みを制止する事ができなかった。

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