相変わらず酒臭い男の腕の中をすり抜けると
女は慎重に、かつ、素早く自室へと向かう。
男は泥酔も一役買ってか、女のぬくもりが失われたことに未だ気付かずにいる。
したり顔の女はいそいそと準備を始める。
普段は開かれることのない引出しに新鮮な空気を送り込むと
桜貝を纏ったようなリップスティックが、狭い空間をコロコロと転がり
出番が近いことを告げる。
鏡の前で小1時間−
あの日習った通りにしてみたけれど、なかなかあの日のようにはならない。
女は軽い溜息をつくと、ファンデーションと口紅だけを
薄く纏うことに決めた。
香は春色のフローラルなものをやや強めに。
すれ違った人が一瞬の間をおいて振り返るくらいのものをさりげなく。
濃いめのブルージーンズはいつもの彼女だが、
トップスのシャツはパステルカラーでより女を強調した。
「そんな格好でどこにいくんだ?」と、男が言うかもしれない。
そんなわずかな嫉妬への期待と交錯するようかのように
「有り得ない」と告げる日常。
男は起きるだろうか。
今日の自分を見て少しは焦燥感にかられるだろうか。
日常からは垣間見えない男の真意を試すかのようなスリル
日常を翻すかもしれないスリル
女は軽快なステップとともに
春風に浮き出す街へと出かける。
−さぁ 恋する準備をはじめよう