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滝沢賢治の経歴と川浜高校赴任までの経緯
経歴と現在
滝沢賢治のラグビー人生は栄光に満ちている。教師を目指して東都体育大学に入学した彼は、2年生の秋には早くもレギュラーポジションを獲得。以後、卒業まで一度もその地位を譲らなかった。さらに卒業後、日本代表チームの一員として選ばれた彼は、以後7年に渡って優に10ヶ国を越える外国チームとの対戦を経験してきた。そして、その7年の間に賢治は妻をめとり父となった。
賢治がラガーマンとして頂点を極めたのは、秩父宮ラグビー場におけるイングランド対全日本の最終戦である。とき1971年9月28日。歴史に残る名勝負と言われたこの試合は、前半イングランドが挙げた2ペナルティゴールの6点以外は全く得点が動かず、一進一退の必死の攻防が繰り返されていた。そして後半33分。日本は待望のペナルティキックのチャンスを得たのだ。
「日本に初めて訪れたチャンスです。キッカーはフランカー滝沢賢治。滝沢は祈るようなポーズでボールをセットしております。場所は左中間。距離は約40メートルもありましょうか。最高の精神力を要求される時間を迎えました。(賢治が精神統一しボールを蹴った。ボールはゴールポストを越えた)ゴール成功!滝沢やりました。40メートルのロングキックに見事成功!日本代表に勝利のチャンスが生まれました。」(テレビ中継の実況アナ)
日本にも遂に真のゴールキッカーが誕生したと驚喜せしめた一瞬である。そして、「世界のラグビー界にオールジャパンに賢治あり」と知らしめた一瞬でもあった。だが、その時賢治の体は酷使の結果、すでに限界点に達していたのだ。左大腿筋肉断裂、右足しっ関節弛緩(ちかん)ズタズタの身体(からだ)であった。2年後賢治はサクラのジャージに別れを告げ、「現役時代自分の守るサイドは一度も抜かれたことがない」という誇りを胸に。

賢治が教師を志したのは、南郷中学校時代の恩師「藤山洋一」の影響である。
「賢治お前それでもキャプテンか!!誰もエラーをしようと思うてする奴はおらん。三振しようと思うてボックスに入る奴もおらん。みんな一生懸命なんや。その気持ちも解からんで、自分ひとりが偉そうな顔をしてそれで済むと思うてるのか。野球は9人でやるもんや。おまえひとりでやるもんやない。人の心を思いやると言うこと、それが愛と言うもんや。相手を信じ、待ち、許してやること。解ったか賢治。」
この教師への敬愛の念が、やがて賢治自身を教職志望へと駆り立てるのである。高校時代からラグビーを始めた賢治が、早・慶・明といったラグビーの名門校を避けて、東都体育大学を選んだのもそのためである。大学卒業後、幾多の社会人チームからの誘いを断り、川浜市の教育委員会に職を求めたのも、「いつかは教育の現場に立ちたい」という希望を失わなかったからである。だが時が経ち、妻子への責任を持つ身となった今、賢治の心は途もすれば安定した平穏な暮らしへと傾きつつあった。

赴任までの経緯
現役引退後、賢治は川浜市教育委員会に勤務する傍ら、各地のラグビー教室で少年たちを指導していた。その教室の指導を見ていた、川浜市立川浜高等学校の校長山城晋平は、賢治を川浜高校への誘致すべく川浜市教育委員会へ執念に出向く。一方、東北製鉄のナガイ氏からもラグビー部の監督として勧誘を受けていた。賢治は教師になる未練はあるものの、ワースト校の川浜高校へ行く意志はないと山城校長に告げる。そんな折り県内で校内暴力事件が起きる。山城校長は賢治に「素直な子がいつの間にか歪んでしまった。このまま放っておいても良いものだろうか?連中のほんのちょっとした気持ちを切り替えてやることが出来たら、またちゃんと戻ってくるんだよ」と聞かされた。
これを聞いて突然賢治の脳裏に、函館での合宿練習中の記憶が甦った。「賢治は激しい練習の中、水欲しさにあそこまで行ったら倒れてやろうと思った。倒れれば水がもらえるのだ」しかし、賢治の耳元で異様な息づかいが聞こえた。「上級生も下級生もレギュラーも二軍、三軍もみんなが苦悶の表情でのたうっていた。苦しいのは俺ひとりじゃない。みんなが苦しいんだ」と。
家に帰り案の定、節子に川浜高校への赴任を反対される。賢治は「出逢いなんだよ」運命的とも言える節子との出逢いも、賢治の思いを強くさせていた。賢治は言う「俺は人生の節目節目でいつも素晴らしい人との出逢いに恵まれた。中学時代の恩師の藤山先生、体育大の糸井監督(戸沢佑介)、オールジャパンの大北監督(近藤洋介)、そして君だ。もしあの時俺があのお寺に行かなかったら。お前たちがあのお寺で合宿していなかったら。恐らく俺たちは出逢うことはなかった。山城校長との出逢いも大切にしたい。山城校長は俺に期待を掛けてくれた。その期待に応えるためにも。俺ひとりが行ったところで川浜高校が模範的な優良校になるとは考えていない。だが俺にだって何人かの生徒は立ち直させることが出来る。それだけでも意義のあることだと思う。行かなきゃゼロなんだよ。何にも生まれてこないんだ」と説得する。
心配な節子は川浜高校の様子を見に行った。そして節子の見ている目の前で、校舎の2階から野田先生(大石吾郎)が突き落とされる校内暴力事件が起きた。学校で起きた問題は学校で解決する主義の山城校長は、解決を警察に委ねざるを得なかった今回の不祥事の責任をとるため辞職を決意する。賢治は「辞めると言うことは子供たちを見放すということです。ボールを持って突進してくる相手に、タックルもせず逃げ出すのと一緒です。私がお手伝いします。滝沢がお手伝い致します」と誓う。山城校長は「滝沢君、来てくれるんだね。本当に川浜に来てくれるんだね。ありがとう」
節子は「そう、とうとう決めてしまったのね。あなた、川浜高校がどんなに酷いところか・・・。そう、だから行くことにしたのね。(うなずく賢治)」
賢治「すまん」節子「バカねぇ。何も謝ること無いのに」 そして赴任当日。賢治は持ち忘れた発令通知書(神奈川県川浜市立高等学校体育教諭に補する)を節子から受け取った。節子は「あなた、私とゆかりのことは心配しないで」と言い熱き抱擁をする。
賢治は力強く川浜高校へ向かって歩き出した。しかし、賢治の心にわずかな不安とためらいが残っていた。自分に一体どれ程のことが出来るのだろうか?生徒たちはどんな態度で、私を迎えてくれるのだろうか?が、彼を迎える学園は荒廃のただ中にあった。神聖とも言えるラグビーのポールまでもが、へし折られていようとは・・・。神ならぬ身の知る由もなかった。

賢治と節子の馴れ初め(運命的な出逢い)

賢治が東都体育大学2年のとき函館にキャンプを張った。そして何気なく立ち寄った寺院で節子たちが合宿しているのを見ていた。
賢治がのどを癒そうと井戸水を頬ばっているところへ、節子がバケツを持って井戸水を汲みに来た。まさに最初の出逢いである。
(劇場台詞)
賢治「どうぞ」
節子「(ちょっと警戒しながら)失礼しま〜す」
賢治「練習大変みたいですね。えらくないっすか? あっ、いや、辛いかって意味なんです」
節子「(賢治が手伝って井戸水を汲み上げてやると)あっ、いいです」
賢治「何もあそこまでやることないと思うんですよね」
節子「でも好きでやっていることですから」
賢治「はっ?」
節子「(笑顔で)私たち誰に強制されてやってるわけでもありません。自分で希望したことですから。限界まで挑戦するのは当然だと思います」
賢治「はっ」
節子「失礼します」
賢治「失礼します」

滝沢ゆかり
賢治と節子の愛娘。賢治が行き詰まったときに、ゆかりの行動から学び得ることもしばしばある。

大木大助
昭和38年7月14日生まれ 川浜市大北町在住。川浜一の"ワル"と言われていた男。でも本当は優しい心の持ち主である。
イソップとは中学時代からの親友。また、名村一族を、父親を殺したと逆恨みし、仇扱いをする。
卒業後は、東北製鉄で臨時工として働くが、仕事が評価され正社員になる。

山崎加代
川浜高校ラグビー部初代女子マネージャー。父が蒸発し、病弱の母と妹、弟と4人暮らし。生計は加代が幾多のバイトをし
成り立っている。卒業と同時に、父の仕事の都合で和歌山に帰ることになったが、交通事故に遭いこの世を去る。
享年18歳。合掌・・・。

山城晋平
川浜市立川浜高等学校、学校長。日夜荒廃した学校を更生させるために働く。情が厚く頼れる紳士である。のち定年。
工事現場の交通整理員として働く。

藤山洋一
賢治の中学時代の恩師で野球部監督。「愛とは、相手を信じ、待ち、許してやること」を信念に持っている。
賢治は、幾度となくこの言葉を思い返しては、苦難を乗り越えた。

大北達之助
オールジャパン元監督。勇気の源は、使命感であり、仲間への連帯感である。信は力なり。One for All. All for One.

水原 亮
昭和34年12月11日生まれ 川浜市永井町在住。父信一を炭坑落盤事故で亡くす。母良子(新橋耐子)は接客業。
川浜乱世会とつながり、ワルが染みついている。賢治とのタイマン格闘の末更生し無事卒業。今はトラックドライバー。

内田玄治
鞄燗c土木建設社長。川浜市市議会議員。自称ラグビー部後援会長。陽気でざっくばらんな性格。息子思い。

内田 勝
玄治の長男。水原らに誘われるままワルをしていたが、賢治の必死の努力で更生した。「花」の書き順がメチャクチャだった。
挫折しそうな弟の練習相手になるなど弟思いである。

内田治男
玄治の次男。ラグビーは兄の影響で始めた。しかし、勇気が欠落している。1回目の全国大会に出場するが、役割を果たせず。
だが、兄の胸を借りてタックルの恐怖を克服した。頑張り屋さん。

富田圭子
港南女学院3年。第5話で3年2学期終了と同時に大阪の学校に転校。
所属:馬術部。第9話からは、なぜかバレーボール部。転校して馬術部が無くなったのか。それにしても急な変わり様である。
好きな果物:レモン(ラグビーのボールに似ているから好き)
自殺をする決意をしたが、ラグビーの試合を見て思い留まる。そこで森田と知り合い現在も交際中。
父親は富田義道で大財閥。しかし本当の父親は名村謙三である。

富田義道
大財閥で圭子の育ての父親。圭子を何度と無く連れ戻そうとするが、ことごとく失敗する。最後はヤクザまで使って連れ戻す執念。
義道は圭子のほんとうの父親では無いが故に、執拗に圭子を溺愛する

下田大三郎
川浜高校正門前の中華料理店「新楽」の経営者。昔は関東一の"ワル"と恐れられた。麺も人も伸ばす達人!
偉大な人物で人情味のあるラグビー部の世話役だった。第23話で刺殺され昭和53年11月5日没。合掌・・・・・。

下田夕子
大三郎の妻。大阪出身で口やかましい。そのわりに涙もろく出来の悪い弟光男を可愛がる。不慮の事故で夫を亡くす不幸を背負う。

森田光男
大三郎の義弟。テストで山勘がハズレ落第した。学校を辞めようとしたが賢治とラグビーがもう1年続けられると思い留まった。
高校卒業後、川浜ホテルで見習いコックとして働く。

奥寺 浩
イソップ物語に出てくる痩せたキリギリスから、このニックネームがついた。昭和56年10月4日脳腫瘍のため16歳で死亡。無念・・・。

名村謙三
日本屈指の大財閥名村グループの総帥。大木の父親が死んだことを、自分の責任と痛切に感じる血の流れた紳士である。

名村 直
謙三の三男。自由気ままに黒騎士というロックバンドでボーカルをしている。圭子とは兄弟である。

三好夏子
圭子の生みの母。謙三との隠し子だが一人で育てる。しかし、ヤクザに殺されてしまう。圭子はその後、富田に預けられる。

木村康信
川浜市中央4-6、東亜日報川浜支局社会部の記者。川浜市育ち。賢治の体罰を記事にしようとしたが、自ら止めた。

勝又欽吾
神奈川県立相模第一高等学校ラグビー部監督。賢治とはライバル意識を持ちながらも、隔たり無く川浜高校と付き合う。
真のラガーマンの精神の持ち主でもある。
部員の不祥事で監督を辞任し、故郷の青森のリンゴ園を手伝うことに。

江川恭司
城南工業大学付属高校ラグビー部監督。現役時代は全く無名の選手であった。だが、城南工大高の監督として赴任するや、
その卓越した指導力によって、同校ラグビー部をたちまち全国有数の強豪チームに仕立て上げた


岩佐邦靖
山城の後任学校長。学生の本分は学業にあり精神で、生徒たちを罰しクラブ活動をことごとく停止にする。
しかし、次第にラグビー部を理解を示すようになる。

川浜高等学校
神奈川県川浜市中央1−22 ←同じ1丁目なのに、教育委員会とは区画番地が違う?

川浜市教育委員会
神奈川県川浜市中央1−1−5 TEL(042)63−2111大代表 ←この電話番号はつながりませんよ。(当然だ)

平山 誠
城南工大高のフルバック曽根に強いライバル意識を持つ。第22話でキャプテンに選出されるが、
一流選手になりたいためそれを拒否する。後、信頼されるキャプテンに生まれ変わる。技は超高校級。

矢木純平
相撲部から転部。
オールポジションをこなせる控えの2年生である。母親に勝って貰ったスパイクを大事に手入れして使っている。

マーク・ジョンソン
川浜高校ラグビー部コーチ。ラグビーはエンジョイしてやることを唱える。賢治に協力し川浜高校ラグビー部を日本一へと導く。

西村明子・杉本清美
二代目川浜高校ラグビー部女子マネージャー。亡き加代の後をしっかりと守り抜く。
西村明子(坂上亜樹)は坂上二郎の実娘。













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