名前:聖臘(SEIROU)
生年月日:昭和44年3月15日(魚座)
血液型:B型
身長:174B 体重56L
家族構成:父 、母(永眠)、妹2人
趣味:独りでボーッとしてるか何かに没頭してるか
好きな場所:あまり人のいない景色の綺麗な所
現活動状況:BLEEDING ROSES(活動停止中)
過去の活動:HEAD WASHER、BEATRICE、JUDITH、NEUROTIC DOLL
過去参加したセッション:GENE'S MATE、L.P.C、鬼童、O.F.F etc...
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SELF-CHRONOLOGY

1969〜1980
子供の頃は情緒不安定な子供でした。まるで薬でラリっているかのような感じだったんではないでしょうか?

1981〜1983
この頃からやたらと真面目で正義感の強い子供になってきました。
かなり性格もおとなしい子になっていたと思います。人にあまり口答えもできないような。
(しかし、妹達に云わせれば「過剰に神経質でとても気難しい人」という印象だったそうです。)

1982年頃に極度な人間不信に陥り、外に出るのが一切嫌で登校拒否を続けていました。
その時にひたすら自問自答を繰り返し、今への自分の基盤を作る切っ掛けが用意されたと思われます。
同時に、現実逃避への道具としてこの頃から絵を描く事ばかりに熱中するようになりました。

1984〜1986
高校入学の後別な形での失望に遭遇します。
と同時にそれまでのおとなしい自分に嫌気がさし、奇矯な行動にでるようになってしまいました。
それまで自己否定しかできない子供だったのですが、この頃から自分のナルシズムと出逢い、それの虜になります。
そしてそれらにより力を得ていたという感じでした。
その結果様々な変な思想にかぶれて芸術至上や革命なんて言葉ばかり使っていたような気がします。
やがて学校側と校則等でぶつかり、奇矯な行動はさらにエスカレートします。
あげくの果てには一般的学業の一切放棄、放課後直前の登校の連続などを行う。
結果、学校側と生徒の多くを敵にまわし、放校処分に近いかたちで自主退学。
この頃の自分は結局、抽象的な自分の世界と論理武装だけが武器だったような気がします。

1986〜1988
大検でも受けようかと思いながらも結局自己を吐き出す場を求め様々な表現法を求め始めます。
この頃すでに絵を描く事には疑問を感じ、一切描けなくなってました。
1988年にとある劇団に参加。最初裏方をやりたかったのですが、団長の強引な勧めで役者をやるはめに。
しかし、それを切っ掛けに舞台に立つ魅力を知る。
尚、大駱駝艦の八重樫玲子さんとはこの劇団で一緒でした。
他にもク・ナウカ等に参加していた三宅重信さんともここで出逢いました。

1989
この年にBEATRICEの母体が完成。
夏にはCRAZY S.K.B(恐悪狂人団)率いるHEAD WASHERに参加。
本格的に音楽(ノイズ)方面での活動を始める事になります。

1990〜1993
1990年に入りBEATRICE本格的に活動開始。しかし、1991年にはBEATRICE、HEAD WASHER共に解散。
秋にはBEATRICEのメンバーとJUDITHを結成。
しかし、翌年にはメンバー総入れ替えとなり、サウンドも以前と比べだいぶポップになる。
尚、この期間は様々なセッションにも参加。
1993年夏にJUDITH一度解散。だが秋には打ち込みの形態で復活。SEIROU本来のカラーが明確に出始める。

1994〜1995
1994年春にJUDITH活動停止。
私のソロとしてBLEEDING ROSESをフォーム。秋には武蔵野美術大学の芸祭で最初の舞台を行う。
内容は大駱駝艦の女性メンバーや三宅重信さんの参加によるパフォーマンスと私のサウンドと声のコラボゼーション。1995年に入りバンド形態として活動。

1996〜1998
1996年の後半から精神的に不安定となる。1997年には極度なノイローゼ状態。
結果、1998年2月のGIGを最後に一切の活動を停止。

1999〜2000
BLEEDING ROSES名義でのレコーディングを開始。何度も座礁しながら2000年に諦めに近い形で終了。
6月には正式な活動停止GIGを行う。同時に1st VIDEOもリリース。
その後は音楽方面の活動はおろか、関わりすらも一切放棄。

2001〜
2001年末に活動再開を考える。そして今それの準備をいろいろと考えています。

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