5丁目 コンビニ

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miyaji3




僕は歩いていた。
真っ暗な中を街頭だけがぽつぽつと夜道を照らしている。
僕は自分の口から吐き出される息が夜の中で白く浮かび上がるのを眺めながら、きっと今はとても寒いんだな、と思った。
自分が今、何処にいて何をしようとしているのか分からない。
分からないけれど僕の足は忙しなく動く。
きっと僕の足はその行き先を知っているんだろう。
霞みのかかったような状態でまともな思考を取り戻せずにいても、やがては目的の場所へと着く。
だからこのまま傍観していればいい。
わざわざ流れに逆らうようなことをしなくても、僕は上手くやれているはずだ。
もう慣れている。
僕は大抵いつもこんな風なのだから・・・・。

狭い道を抜けると少し広めの通りに出た。
遠目に二股に分かれる道の角にだけ煌々と灯りが点いているのが見える。
少しオレンジがかった光が、そこだけを違う空間のように際立たせていた。
近づくにつれ僕はその灯りが家のそばにある揚げ物屋の看板だということに気付く。
店の前に差し掛かると、丁度店じまいの為に外へ出て来たらしいおばさんが僕に話しかけて来た。

「あら貴則君こんばんは。随分遅いねぇ、こんな時間まで部活かい?」

「どうもこんばんは。部活です。今日は・・・ちょっと練習が長くて・・・」

「そうなの、大変だねぇ。そうだ、貴則君お腹空いてるでしょ?残り物だけどさ、今帰りに食べて行きなよ。ほらっ」

おばさんはそう言うと小さな紙袋にコロッケを入れて僕に差し出して来た。

「でも・・・悪いです。売り物なのに・・・・」

「もう閉めるんだから売り物じゃないのよ。残ってもウチの者は飽きちゃってて店のもんなんて食べやしないしさ」

おばさんは笑いながら僕にその包みを持たせた。

「でも学校の帰りに食べながら帰ったらマズイかねぇ。まあ、真っ暗なんだし誰も気付きゃしないわよね?」

手の中でカサリと音がして、薄い紙袋越しに中のコロッケの温かさが伝わってくる。

「ありがとうございます。じゃあ遠慮無くいただきます」

「ふふ・・・いいんだよう、おばさん貴則君のファンなんだから。気をつけて帰りなね!」

手を振るおばさんに礼をし、『さようなら』と別れの挨拶をして僕はそこから立ち去った。

歩きながら貰った包みを開けると、とても良い匂いが立ち上って来る。
小学生だった頃はよくこのコロッケを食べた。
揚げ物屋の斜め向かいにある文房具店は近所の子供の溜まり場で、みんな文房具屋の前に置いてあるゲーム機で遊んだり隣の駐車場で遊んだりしていた。
小学生の頃の僕は誘われるままその輪の中に入って、夕方までの時間をそこで過ごすことが多かった。
その時、他のみんなと一緒にここのコロッケを食べていたのだ。
僕はそれを思い出しながらおばさんのくれたコロッケをかじってみる。
一口食べると『美味しい』と『懐かしい』という言葉が頭に浮かんで来た。
僕は急に空腹感を感じて道端にしゃがみ込み、堰を切ったようにそれをガツガツと食べた。
食べ終わると『美味しい』や『懐かしい』って気持ちがどんどんぼんやりとしてきて、どんなものだったか感じられなくなっているのに気が付いた。
僕は手に残った紙袋をしばらく見つめてぎゅっと握った。
それは目の前でクシャっと音を立てながら潰れる。
両手でもって何度かそれを潰す。
握るたびにクシャックシャッっと音がする。
最後には小さな紙のボールみたいになって音が出なくなった。
僕はそれをポケットに仕舞ってまた暗い道を歩き出した。



家に帰る 家に帰る 家に帰る 



僕は繰り返し忘れないよう頭の中で何度も確認しながら夜の道を歩いた。
今歩いているこの道を僕は毎日通っている。
学校へ行く時。家に帰る時。
毎日、朝夕、同じ道を歩いている。
なのになぜ僕は自分が何処に居るのか分からなくなってしまうんだろう。



家に帰る 家に 帰る 家 に 帰る いえ に かえる



反芻しているとそれはだんだんと意味を成さない音の羅列に変わっていく。



イエ に カエる い エ ニ カ え ル イ エ・・・



そしてもう僕は何を覚えていようとしたのか忘れてしまって諦める。
放って置いても足はひとりでにこの道を行き来して、学校と家とを往復する。
足だけじゃない、手も口もなにもかも全部が、まるでもう一人違う自分がいるみたいに勝手に動く。
それを僕はただ傍観するだけ。
自分のことのはずなのに、走る電車の窓から流れる景色を眺めてるみたいだ。
僕が理解していなくても日々はつつがなく流れていく。



やがて僕は古びたアパートの前に着いた。
一階の一番奥の部屋の前に立つ。
中は明かりが点いていてテレビの音が外まで聞こえている。
ドアノブに手をかけ、僕はその金属の冷たさを少しだけ感じた。

「ただいま」

僕はいつものようにその部屋に入った。
このドアをくぐるといつも反射的に僕の口からは『ただいま』って言葉がでる。
奥の方からゴソゴソと音がして、キッチンと奥の部屋との間にある戸が開くと、小さな妹を抱いた母親が不機嫌そうな顔を覗かせた。

「遅かったじゃない」

「ごめんなさい。部活が長引いて・・・・」

「だから部活なんてやめろって言ったのに!バスケットなんてあんなものっ!家で勉強してたほうがよっぽど役に立つわよ!」

「ごめん。ごめんなさいお母さん。もう遅くならないように気をつけるから・・・」

「あんたが帰ってこなきゃ出かけられないの分かってるんでしょう?お店、秀人さん一人じゃ大変なんだから!忙しいって何回も電話かかってきたし、困るのよ!ずっと待ってたんだから!」

「もうしないから・・・ちゃんと約束の時間までに帰ってくるから・・・だから・・・・・・ごめんなさい」

「・・・・もういいわ。あんたには何言っても無駄ね・・・。今日はもうあたしが優美に夜ご飯食べさせたし、お風呂にも入れたわよ。あたし急いでお店に行くから、ちゃんと寝かしつけといてちょうだい」

母はそう言うと抱いていた妹の優美を僕に手渡した。

「ゆーみちゃ〜ん ママはお仕事に行って来ますからね〜。お兄ちゃんといいこにしてるんですよ〜」

とても優しい声を出して、母はチュッチュッと音を立て優美のほっぺにキスをした。
置いて行かれるのを悟ったのか、玄関に向かう母の姿を見て優美がぐずり出す。
僕の腕の中から必死で身を乗り出し、母のあとを懸命に追おうとする。
母は靴を履きながら僕達の方を見た。

「ゆーちゃんごめんね〜ママすぐ帰ってくるからね〜」

優しい顔でニッコリと笑う。

「あ・・・お母さん」

「なによ」

「あの、お義父さんに・・・ごめんなさいって言っておいて・・・」

「・・・うるさいわね。自分で言えばいいでしょ。ホントに悪いと思ってるんなら部活なんて辞めなさい。謝るだけなら誰にだってできるのよ」

「あ・・・でも・・・」

「あの人がはっきり言わないからっていい気になるんじゃないわよ?秀人さんは優しいから、言いたくても血の繋がらないあんたには遠慮して言えないだけなんだからね!」

「・・・ごめんなさい」

母にあんなに言われても、僕の口からはやはり謝罪の言葉しか出なかった。

「まったく、あんたは謝ればいいと思ってるのね。あんたのそーゆーとこがイヤなのよ。いいわ、秀人さんにはあたしから言っとくから。 そうだ貴則、明日ゴミの日だから忘れずにゴミまとめて、朝出していきなさいよ」

バタンとドアが閉まると、火が点いたように優美が泣き出した。


わあ〜〜〜ん わああ〜〜〜ん


部屋の中が悲しげな泣き声で一杯になる。
こんなに小さな赤ん坊なのに、優美には『悲しい』とか『寂しい』って感情があるんだと思うと不思議な気がした。

「優・・・優美。泣かないで」

体を揺すりながら背中を叩いて宥める。
でも一向に泣き止まない。
僕は優美の泣き声が嫌いだ。
この泣き声を聞いていると頭が痛くなってくる。
赤ん坊だから泣くのは仕方ないと分かっているのに・・・・。

「優美・・・泣いたらいけないんだよ。泣いてもお母さんは帰ってこないよ」

あやしながら一生懸命に僕は小さな赤ん坊の優美に向かってつぶやいていた。

「泣いたらダメなんだ。優美・・・泣き止んでよ・・・・。怖いことが起きるよ?泣くのは悪い子なんだよ?優美はいいこでしょ?泣いちゃダメなんだよ・・・・泣かないで・・・・」

一切を拒否するように体を反り返らせる優美の泣き声は、激しさを増してまるで叫び声のようになっていく。
僕はその声に包まれながら、立ち尽くしてずっと優実を抱きしめていた。



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