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銀の森 《前編》
By 夢魔々
白魚のような指とはこういう指をいうのだろう。
たとえが魚類というだけで鳥肌が立つほど怯えきってしまう。
哀は口角だけを少し上げて笑いながら、大きな瞳を細めてうっとりと、まだ新しい皮膚から血の色が透けて見える傷につうっ…と指を走らせた。
「我ながら見事なステッチだわ。
傷もきれい……今日、抜糸するわよ。」
工藤家のリビングのソファに横になったまま快斗は、灰原<B・J>哀の手元を恐る恐る覗き込んだ。
「………痛い?」
哀は口元から笑いを消さずに抜糸の用意をしていく。
ガラスのテーブルの上の金属トレイの医療器具から小さめのはさみを取り上げた。
「さぁ。」
「麻酔とか…ないの?」
「馬鹿ね、麻酔の方が痛いわよ。」
「でもさ……。」
「いい加減、覚悟なさい。
抜糸は外科医の特権よ、黒羽君。
あたしのいちばん楽しい時間を邪魔しないでちょうだい。」
往生際の悪い患者を慈悲のひとかけらのない氷の一瞥で黙らせると、無上の喜びをもたらす作業をじっくり時間をかけておこなった。
「ひっ………あっ…い―――――――っ!!!!!」
縫い目の数だけ快斗の悲鳴が工藤邸に響いた。
「………わざとだろ、灰原。」
最新の糸と彼女の腕ならそんなに痛いはずはない。
書斎にいた新一は読んでいた本を閉じると三秒間だけ快斗に同情して椅子から立ち上がった。
軽くノックをしてリビングのドアを開けると快斗はお腹に大きな絆創膏を貼ってもらって いるところだった。
涙に潤んだ目で新一に助けを求めているのが判ったが、笑いをかみ殺しながら気付かないふりをした。
「ぼちぼち普通の生活に戻っていいけど、まだ体力も筋力も落ちてるから、せいぜいリハビリに励むのね。
あ、そうそう治療代はバーキンに負けといてあげるわ、工藤君、黒羽君?」
―――――このくらい痛い目見れば、もう、大怪我はしてこないでしょう?
「……快斗、折半な………。」
「……助かる。」
確かに怪我も懐も痛い教訓だった。
二人は哀の手を煩わせるような迂闊な真似だけはすまいと固く心に誓った。
「ところで黒羽君、お母様にはちゃんと連絡してあるの?」
「ん〜、電話は入れといた。」
「あまり心配かけちゃだめよ。」
「……………わかってる。」
以前、ただ一人の肉親を理不尽な事件で突然失った哀の真剣な眼差しに、快斗はすぐに言葉を返せなかった。
母は既に最愛の人を亡くしている。
夫の真実も息子の真実もすべて受け止めて、温かく包み込んできた強い女性。
でも、母の真実は………。
しばらくの沈黙の後、快斗は努めて明るくこれからのことを切り出した。
「と言うわけでさ〜、新一〜。
しばらくここに置いてくんない?」
新一はコーヒーとホットミルクのカップをテーブルに置いて、怪訝そうに快斗を見た。
「どうして俺がそこまで面倒見なくちゃなんねえわけ?」
ほっそりした体型の新一よりひとまわり細くなってしまった腕を情けなさそうに眺めて、同情を誘うように快斗は淋しげに溜息を吐いた。
そして常人なら決して見捨てておけない可愛いネコ系の仕草でうるうると見上げる。
「この姿じゃ帰れないよ………ちょうど春休みだしさ。
ねv友達じゃん?」
「友達?誰が?」
この世の誰にも真似できない絶妙のタイミングと口調。
この瞬間の言ったほうと言われたほうの表情は哀の心のアルバムに永久保存されることになった。
哀れな迷いネコを奈落の底まで蹴落とした新一は、コーヒーを満たしたマグカップを片手にリビングのドアノブに手を掛けてふと立ち止まった。
「……朝食はトーストにカリカリベーコンとふわふわスクランブルエッグ、フルーツ添え。
昼は何でもいいけど、夜は一汁三菜、和食が基本な。
俺、他人が作った料理の場合、インスタントは不可だから。
魚料理だけは駅前のデパ地下の総菜で我慢してやるよ。
リビングの掃除は一日置き、他は週一。
書斎と俺の部屋の机の上は触らない。
洗濯物には全部アイロンかけること。
―――――質問は?」
「……………よろしくお願いします。」
「じゃあ、今日から頼むな。
―――そうだ、今日から俺のベットに引っ越してくるなら、布団干して片付けておけよ。」
寛大なご主人様は事務的な口調で振り向きもせずに言いつけると、器用に後ろ足でドアを閉めて出ていった。
このときの新一がどんな表情をしていたかは、目ざとい哀にも読めなかった。
「さすがだわ………工藤新一。
けっこう愛されてるんじゃない、黒羽君?」
唯一の観客は、シニカルに笑いながら天国と地獄を行ったり来たりしている快斗に声をかけた。
「そう見える?」
「―――あなた、まだ傷がくっついたばかりなんだから、急に激しい運動はだめよ。
ピッて裂けるわよ、ピッて……縫い直しって痛いわよ〜。
わかってるわよねぇ?」
情けない表情でソファに懐いてしまった病み上がりの患者にしっかり釘を差すと美味しそうにコーヒーを啜った。
―――――この二人にはだけは一生勝てる気がしねえ……。
こんなにひどい目眩がするのは、怪我や貧血のせいばかりじゃないはずだ。
* * *
ハウスキーパー快斗の朝は早い。
宵っ張りで朝寝坊の新一が起きてくる午前10時までに掃除と洗濯を済ませると、コーヒーメーカーをセットした。
「やべ、牛乳きれてんじゃん。
………1丁目のパン屋のバケット焼き上がる時間だったよな。」
買い物は宅配で済ませていたが、毎日の家事で大分体力が戻って来たように思えたので、久しぶりに近くのパン屋まで出かけることにした。
新一のタンスから拝借した赤いポロシャツに白いパーカーを羽織ると新一のスニーカーを履いた。
「お、どっから見ても新一じゃん。
ウエストは今はオレの方が細いけどね。」
焼きたてバケットと牧場直送のジャージー牛乳をゲットした快斗は、春の陽気に誘われるまま児童公園のベンチで小休止していた。
ぽかぽかと降り注ぐ日射しに少し肌寒い風が気持ちいい。
「新一〜!」
春の日射しにも負けないくらい明るいメゾソプラノがトロンとしていた快斗の耳に届いた。
「えっ………あ?オレ?」
以前写真を見せられたことがある、毛利蘭という娘だった。
新一の幼馴染みの少女は、彼を新一だと疑いもしないで一気にまくし立てた。
太陽のような明るさと容赦のない無邪気さで快斗を圧倒した。
この少女の存在だけが快斗に不安と焦燥をかき立てることができた。
いやでも自分が闇の眷属であると思い知らされるから。
「もう、インフルエンザで休んだまま春休み突入なんて。
一人暮らしだからって不摂生してちゃだめじゃない。
ちゃんと食べてる?顔色悪いわよ。
ほら、レモンパイ、好きな物なら食欲も出るでしょう?
あ、これ頼まれてた本、今持っていこうと思ってたの。
ここで会えて良かったわ。
今日からお父さん出張でお母さんの所に泊まりに行くのよ。
何かあったらケータイに電話してね。
じゃあ、お母さん待ってるから。
新学期にはちゃんと来るのよ。」
「うん…。」
快斗は頷くのが精一杯だった。
どのくらいの時間ぼんやりしていたのか、膝の上の袋の温かさで我に返った。
紙袋に一滴、ポタッとしずくが落ちた。
「あれ…雨かな………?
………冷めないうちに帰らなくちゃ………。」
パーカーのフードを目深にかぶると、立ち上がりとぼとぼと家路についた。
晴れ渡った青い空には綿菓子のような雲が二、三浮いているだけだった。
ひどく疲れた足取りで家に辿り着くと、ダイニングキッチンから人の気配がした。
新一が起きてきたのだろう。
袖口で顔をゴシゴシ拭いて、大きく息を吸い込むと気合いを入れて快斗は笑顔を作った。
「ただいま。」
「ああ、………快斗!その服!」
手にしたコーヒーカップを乱暴にキッチンカウンターに置いた新一が快斗に詰め寄った。
殺気さえ感じる鋭い視線が赤いポロシャツに注がれている。
「え?タンスの中から借りたんだけど……?」
らしくない剣幕に快斗が固まっていると、新一の手がポロシャツの胸元を掴んだ。
強張って顔色さえ変えている新一の顔から目が離せない快斗は、新一の手が震えているのに気が付かなかった。
「脱げ!これ以外ならどれ着てもいいから。」
「……?」
訳もわからずポカンとしている快斗に、ハッと我に返った新一はあわてて自分の動揺を取り繕うとした。
「え……と、それ蘭から貰ったやつだから……。」
一瞬、双方の視線が絡み合い、どちらからともなく顔を逸らした。
新一の目には恐れ、快斗の目には痛みが隠れていたことをお互い読みとれていなかった。
「ごめん……新一の大事な物だったんだ。
着替えて来る。
………これ、冷めないうちに食べて。」
「快斗?」
荷物を渡す快斗の顔が真っ青で泣きそうに歪んでいる。
あわてて呼び止めたが、快斗は振り切って二階に駆け上がって行ってしまった。
新一はバケットと牛乳の他にもう一つの包みを見て「しまった。」と思った。
蘭に貸してくれるように頼んでいた本とまだ温かいレモンパイ。
「違う……そうじゃない………!」
荷物を無造作に投げ出すと後を追って二階への階段を上がった。
自分の部屋の扉をそっと開く。
乱暴に脱ぎ捨てられたパーカーが床に、きちんと畳まれた赤いポロシャツが机の上に、半袖の白いTシャツのままの快斗がドアを背を向けてベットに転がっていた。
「快斗。」
低く名を呼んだ。
答えない。
そっと癖の強い髪に手を置いた。
瞬間、ビクッと身を震わせたが、彼は枕に顔を埋めたままで応えない。
新一はそのままベットの端に腰を下ろすと、繊細な指で快斗の髪を優しく梳いた。
それでもまだ頑なに顔を伏せたままだった。
快斗は胸の奥のややもすると吹き出しそうな、どろどろとした感情と闘っていた。
―――――あの手の顔は苦手………前はその程度だったのに。
今は、この優しい手を知ってからは、その明るい笑顔が心を抉る。
その無邪気な言葉が心を引き裂く。
その清らかさがオレがどんなに汚れているかを思い知らせる。
光が強いほど影は濃く、闇は深くなるって知ってる?
お願い、もう少しでいいから、この手をオレのものだと思わせておいて……。
やっと見つけた同じ魂を持つ彼の隣に立つことを許して……。
………そう遠くない未来オレは闇に還るから、その時まででいいから………。
懐かしい女性に良く似たあなたに嫉妬させないで……………。
「見ないで、一人にして。
オレ、今すごく嫌な顔してる……ポロシャツは後で洗濯して置くから。」
「馬鹿……そんなんじゃねえよ。
………赤い服があの日のお前の事を連想させて……。
あの日、白い服が真っ赤に染まってて……。
お前を永遠に失うんじゃないかって………心臓止まりそうだった。
……悪かった、蘭は関係ない。」
「……オレ、このまま新一の側にいていいの?」
鼻にかかった湿った声が震えている。
新一は上体を倒して快斗の肩を上から包み込むように抱きしめた。
そして、そっと快斗の耳元に口を寄せ低い声で囁いた。
「ばーろー、言わなきゃわかんねえ?
この俺が嫌な奴と一緒に暮らせるほど心が広いと思うか?
お前さぁ、まだ本調子じゃねえんだよ。
だから、つまんねえことうだうだ考えちまうんだよ。
快斗、お前が言ったんだぜ。
ここが……俺が、お前の帰りたかった場所なんだろ。
俺が許してるんだから、いつまでも居ればいい。
わかったら、そろそろ浮上しろ。」
「うん…。」
快斗にはその言葉だけで充分だった。
新一は黙って抱きしめたまま快斗が落ち着くのを待った。
しばらくしてようやく照れ笑いの快斗が顔を上げた。
二人は起きあがってベットに並んで座った。
新一はティッシュボックスを快斗に手渡しながら、昨夜遅くまで調べていたことを切り出した。
「お前がひたすら惰眠を貪ってた間、少し調べといてやったぜ。
蘭が寄越した本は、あのルビーのことが書いてあるんで貸して貰ったんだ。
………ルビー、本当の持ち主に返しに行くんだろ?」
「新……?!」
「呆けてねえで、さっさと鼻かめって。
まずは朝…いや、もう昼か…飯食って調査開始するぞ。」
* * *
「世界最大級のルビー『ブラッディ・ヴァランタイン』
中世の頃、かの有名な吸血鬼伝説のある国でヴァランタイン伯爵夫人が、その美貌を保つために夜毎、愛用のグラスを処女の生き血とワインで満たし、この大粒のルビーを沈めて飲み干していたためこの名が付いたと言われている。
その後、幾つかの国の王侯貴族の間を転々としその持ち主は全て非業の死を遂げている。
最後に東欧某国の修道院に納められたが、第二次世界大戦中ドイツ軍の略奪に合い、大戦後、所在不明になる。
大戦末期、日本軍の手に渡り終戦後、中国政府の所有になったという噂もあるが定かではない。
現在、所在不明。」
書斎のパソコンを操作しながら新一は、椅子の後ろから覗き込んでいる快斗を振り返った。
「…で、死の商人ルビア・コーポレーションが所有してるのを突き止めた怪盗KID盗み出したってわけだな。」
「うん、まあ…。」
「呪われた宝石ってのも結構あるけど、かなりやばくねえ?
人どころか国まで滅ぼして、流された血の結晶がこれだぜ。」
「この子は悪くないよ!」
今まで大人しく資料に目を通していた快斗が急に声を荒立てた。
ある事情から宝石に高い関心を持っているが、ここまで感情移入するのは珍しい。
「………快斗?」
「あ、いや…ごめん、変なこと言った。
でも、このルビーはただの宝石で、持ち主の元に帰りたがってるだけなんだよ。
今までいろいろな宝石を見てきたから、何となくわかるんだ。」
「それはそうだけど、俺はやっぱりこいつに同情はできないね。
助けてやった快斗の血まで欲しがるなんて、俺は許せねえっての!
出所は調べてやっから、そんな縁起でもねえもん、さっさと返してこい。」
「し、新一……?」
「なんだよ?
…で、問題は中世以前の来歴だよな………おい。」
快斗は後ろから腕を回して新一の肩口に顔を埋めた。
こんなにもこの人が愛おしい。
いくらでも紡ぎ出される憎まれ口さえ快斗には甘い愛の言葉だった。
「首に懐くなっての。
キーボードが打てねえって………快斗?」
「………少しだけ、こうして居させて。」
「………少しだけだぞ。」
「うん………。」
「………………こら!調子こいて首にキスマーク付けてんじゃねえよ!」
「へへへ♪」
規則正しい生活、バランスのとれた食事、適度な運動、そしていちばん側に居たい人の側に居られる幸せ。
回復期に入った元が健康な男の子の回復は早い。
* * *
・・・また、あの夢だ
薄紫の霧の中を血溜まりに足を取られながらも歩いて行く
あの少女に会うために
血の鎖に囚われた美しい少女
血の呪縛から解き放してあげる力がオレには無い
穢れなき涙を拭うにもオレの手は汚れすぎている
オレに出来ることは夜毎ここに来て
君の哀しみをただ見つめるだけ
オレに気付いて
オレを見て
オレはここにいる
せめて君の哀しみを知ることが出来たら
深い湖のような蒼い瞳はオレを見ない
微笑みを忘れた唇はか細い嗚咽を漏らすばかり
時折小さい唇が紡ぐ声なき言葉
オレは必死に唇を読む
『帰りたい・・・銀の森へ・・・』
* * *
目覚まし時計は、まだ夜明けにはほど遠い時間を指していた。
このところ毎晩、この時間になると隣に眠る快斗のうなされる声で起こされる。
悪い夢でも見ているのだろうか。
まあ、あんな目に遭ってそう日が経っていないし、仕方ないかな…と思う。
少し身体を揺さぶってやれば治まるはずだった。
「おい、快斗……。」
「………ん…、うう……ん。」
「……おい。」
快斗の額に身体にじっとりと脂汗が滲んで、苦しそうに呼吸も浅い。
無意識に手が撃たれた傷をパジャマの上から掻きむしっている。
新一は体を起こすと両手で快斗の両腕を掴んで引きはがした。
治ったとはいえ、まだ新しい傷を自分で壊さないように。
「快斗、快斗!
起きろ、目を覚ませ!」
「………は!……あ、………新…一?」
「気が付いたか?
どうした?傷が痛むのか?」
「……ううん。」
「うなされてたぞ。
怖い夢でも見たのか?」
「……ううん。」
「落ち着いたみてえだな。」
強く押さえつけていた両手を離すと元に戻って、横から快斗を抱き寄せた。
まだ半覚醒の快斗は、優しく抱かれる感触に身を委ねながら、何かとても大切なことを思い出そうとしていた。
このところひどく眠りが浅くて、朝起きるとすごく疲れた感じがした。
新一は夢にうなされているみたいだと教えてくれたが、自分では全然覚えがない。
「……何か、思い出さなきゃいけないのに、覚えてないんだ。」
「いいから、もう一回寝ろ。
明日は寝坊していいから、ぐっすり眠れ。」
「うん。」
目を閉じると新一の温もりと鼓動が心地良く感じられた。
ほうっと溜息と共にもう一度眠りに落ちようとした瞬間、血にまみれた少女のイメージがフラッシュバックのように脳裏に甦ってきた。
唇が動いて紡いだ言葉。
『………銀の森………』
快斗は跳ね起きると新一の腕を振り解いてベットから転がり出た。
驚いた新一がつられて起きあがった。
「新一、パソコン借りる。
あと、蘭ちゃんの本どこだっけ?」
「え……、パソコンの横に置き放しだったけど………快斗?」
「本当の持ち主がわかったんだ。」
言うが早いか、快斗は部屋を飛び出していった。
新一は事態がよく飲み込めずにいたが、ゆっくり起きるとガウンを羽織った。
春とはいえ夜明け前の冷え込みは馬鹿にならない。
カーデガンを手に快斗の後を追って部屋を出ていった。
* * *
―――――ここはどこ?わたしは誰?
でっかいカバの妖精と新一が目の前を軽やかなステップで通り過ぎていく。
いえ、大丈夫です……う…わああああ!
でかい鼻面を押しつけてはぐはぐしてくれなくてもオレは元気だってば!
ムーミンママ!
真っ昼間、KIDの扮装のままここでこうして居たとしても、決して誰も違和感を感じることはないだろう…………そう、ここは平和なムーミン谷。
「ムーミン谷の白い怪盗」―――――っていうか、はまりすぎで笑えねぇ〜。
快斗と新一はゴールデンウィークを利用して、北欧の森と湖の国フィンランドに来ていた。
新一の情報収集と快斗の夢のお告げ(?)で「ブラッディ・ヴァランタイン」と呼ばれるルビーが帰りたがっている場所がこの国にあるとわかった。
キーワードは『銀の森』。
旅は新一の父親が段取ってくれた。
この年、一人息子の誕生日に日本に帰れない埋め合わせを新一が最大限に利用した結果だった。
首都ヘルシンキの三つ星クラスのホテルと通訳兼ガイドを用意してくれた。
東京から約十時間、ヘルシンキ・バンター空港で出迎えてくれた現地ガイドは、二人とほぼ同年代の女の子だった。
「カイト、楽しくないですか? ヤパニ(日本人)必ず、ここに来たいと言います。
だから、一番先に案内しました。」
風に揺れる長い金髪に深い湖のような青い瞳の少女は、人懐っこい笑顔で尋ねた。
フィンランド人は他の北欧人に比べるとやや小柄で親しみやすい印象を受ける。
他のヨーロッパ系民族とは民族系統が違い、元がウラル山脈辺りのアジア系の民族がルーツだからかもしれない。
こぢんまりしたきれいなバンター空港に着いた二人は、ホテルに荷物を預ける間もなく、鉄道で小一時間のトゥルクからバスに乗って連れてこられたのが、ナーンタリという港町にあるムーミンワールドの島だった。
「違くて……そのう、ちょっと時差ボケなんです、ウコンネミさん。」
「サアラと呼んでください、カイト。
ここムーミンワールドは日本との協力で開園しました。
ムーミンは日本でもとても愛されているんですね。」
「何度もアニメになってるし………。」
「オー!日本のアニメ、こちらでも大変人気です。
ポケモン、ピカチュウ……わたし、村のお祭りでセーラームーンやりました!
―――――月に代わって〜お仕置きよ♪」
そう言うとサアラはビシッとセーラームーンの決めポーズを決めた。
ノリの良さにはついていけないところもあるけど、快斗はくるくる変わる表情が愛らしいサアラにどこか懐かしさを感じた。
「そ、そう……。
あの、サアラ…前にどこかであったことない?」
「こら!何、ガイドさんナンパしてんだよ。
そんなセリフ、今どき田舎のナンパ兄ちゃんだって使わねえっての。」
新一の容赦のない蹴りが快斗の向こう脛に入った。
不機嫌そうに形のいい眉が吊り上がっている。
「いって〜。」
サアラは二人が仲の良い兄弟と思っているので、楽しそうに笑ったまま新一に目を向けた。
「シンイチ、捜し物はありましたか?」
「ええ、おかげさまで。
結構たくさん種類があって迷ったけど。」
ムーミン谷郵便局で買ったムーミン切手と絵はがきを見せた。
絵はがきの一枚は投函するばかりに癖のある字が書かれてある。
「………新一って、そんな趣味あったんだ。」
「俺じゃあねえよ。
必ずムーミン谷の郵便局からはがきを寄越せって言われたんだよ。
旅行のスポンサーに。」
「ああ、有希子さん可愛いモノ好きだもんね。」
「いや、親父だ。
作家としてひとつの理想の姿がムーミンパパだそうだ。」
パイプをくわえてワープロを打つ工藤優作の姿と羽ペンを原稿用紙に走らせるムーミンパパの姿が、以外と違和感なく重なって瞼に浮かぶ。
―――――じゃあ、新一がムーミントロール………ぷぷぷっ。
「灰原なんか、土産物リストまで作って寄越したぜ。
あいつの地下室、いたる所に可愛いキャラクターグッズが転がってるんだぞ。」
「マジ?」
何か世にも恐ろしい事をさらりと聞いたような気がする。
新一が絵はがきを投函すると、サアラの案内で島の自然を生かしたムーミン谷を散策してから、町中のムーミンショップでお隣さんやそれぞれの幼馴染みにお土産を買いこんだ。
また、バスでトゥルクに戻るとヘルシンキ行きの電車の時間まで夕食を取ることにした。
トゥルクは元首都だった都市で、日本で言えば京都のような旧市街地は趣がある。
サアラが連れて行ってくれたピザの店では直径30cmのミックスピザが出てきた。
クリスピータイプの生地にたっぷりのチーズ、これでもかと散りばめられたトッピング。
「「うまい!」」
思わず二人の声がハモった。
「よかったぁ♪
わたし、ムーミンワールドの帰りには、必ずここで夕食にします。
前にガイドしたヤパニ、国に帰ってからピザ食べられなくなったって言ってました。
私たちの国に何度でも来て欲しいから、ここに連れて来ます。」
得意げに話すサアラに快斗が感心したように尋ねた。
「サアラは日本語がとても上手だね。」
「はい、わたしたちスオミ(フィンランド人)、ヤパニ(日本人)大好きです。
昔、ロシアが日本に負けた時(日露戦争)その混乱で私たちは独立できたと曾お祖父さんが言ってました。
知ってますか?ヨーロッパで一番日本に近いんですよ。
我が国の隣はロシア、その隣は日本です。
わたし、いつか日本で勉強したいです。
学校でも日本語のクラスにいます。
ガイドの仕事、日本語の勉強になるし、いつか日本に行くために貯金になります。」
明るく夢を語るサアラを快斗は眩しげに見つめていた。
空港で初めてあったときから、ずっと前から知っているような気がしてならなかった。
帰りの電車でサアラに明日の観光の希望を聞かれた二人は、この旅の表向きの目的を話した。
「―――――ただの観光ではないんですね。
わかりました、何かお手伝い出来ることがありますか?
わたし、明日までいろいろ調べてきます。
それがガイドの仕事です。」
「実は『銀の森』を探しているんです。
この国のどこかというのはわかったんですが……。」
「あの………それだけですか?」
「すみません、雲を掴むような話ですよね。
地名でも伝承でもいいんです。
博物館とか大学とかの学術機関にアクセスできるといいんですが。」
「わたし『銀の森』知ってます。」
サアラがあっさり答えた。
「「え!」」
「わたしの故郷の村のあるところ、昔『銀の森』といいました。
お二人の言っている『銀の森』がそこかどうかはわかりません。
でも、村のグニンラおばあさんが昔話いっぱい知っています。
明日、行ってみますか?」
拍子抜けするほど呆気ない展開に二人は、言葉もなく大きく頷いた。
サアラは相変わらずニコニコと笑っていた。
* * *
バスルームから出てきた快斗は、ホテルの窓から山のない地平線に沈む太陽を眺めた。
この国では西日が長い時間入る西向きの部屋が良い部屋らしい。
「きれいな夕焼け〜、夜の9時が夕方と言えればねぇ。」
「首都は北極圏じゃねえから、白夜はないけどな。
ビール飲むか?」
「サアラちゃんが差し入れてくれたやつ〜?
とーごーへーはちろー提督の顔描いてあるビール……飲む〜♪」
嬉しそうに答える快斗をじろりと睨むと、新一は缶ビールを開けて一口含んで、口移しで快斗の口に流し込んだ。
「………ん、ぐ?
何すんだよ〜、温くてまじいじゃん。」
「そ、俺からのキス、まずいんだ。
ほら、サ・ア・ラちゃんに貰ったビール、残さず飲めよ。」
残りのビールをぐいっと押しつけると、それはそれは美しい顔に氷の微笑を貼り付けたままバスルームへ向かった。
「ちょ……っ、新一〜〜〜。」
何がそんなに新一を不機嫌にしているのか、やっと気付いて快斗が後を追った鼻先で無情にもバスルームのドアが閉まった。
せっかくの二人の海外旅行なのに、自分の鈍感さで今夜は淋しい独り寝の夜になりそうな雰囲気に快斗は、深く落ち込んでビールを飲み干した。
こんなに苦いビールは初めてだ。
しおしおと自分のベットに潜り込むと布団を頭から被った。
しばらくしてバスルームのドアが開いて新一が出てきた。
少し機嫌が直ったのか調子はずれの鼻歌が聞こえる。
いきなり布団がめくられて冷たい空気が入ってきた。
「はい、そっち詰めて詰めて。」
「………?」
「…んだよ、寒いだろ、隙間作んなよ。」
快斗の身体を押しのけるようにしてベットの真ん中に陣取った侵入者は、快斗に冷たい足をくっつけてきた。
「はあ〜、ぬっくい。」
「って、新一、風呂入って来たばっかでどうしてこんなに身体冷えてんだよ?」
「シャワーの温度調節おかしかったから。」
「オレん時はなんともなかったぞ。
言ってくれれば、フロントに文句言ってやるのに。」
「めんどい。」
新一は右側を下に横向きになると、左腕を快斗の腰に左足を快斗の左足に絡めてきた。
そう言えば大怪我以来、全身で語り合うコミュニケーションは、ずっとお休みだった。
―――――さっきのヤキモチ(?)はもしかして、遠回しなお誘い?
オレ、しばらくぶりで勘が鈍ったか?
都合良く考えちゃうよ〜、オレ。
旅先の開放感と体調が回復して気力も充実の快斗は、いつになく積極的な新一に淡い期待を込めて出方を待った。
が、新一は気持ちよさそうにそのまま眠りの体勢に入ってしまった。
「ちょ…っと〜、新一〜?」
―――――やっぱり、ただの嫌がらせだったか?
「……ったく、うっせーな。」
「あの…オレって何なのさ?」
「俺専用の抱き枕、目覚まし機能付き。」
「………はい?。」
「……ん〜、湯たんぽ…他にも何か機能あったか?」
クスクス笑いが形のいい唇から漏れて、腰に回していた手がパジャマを掻き分けて脇腹を這い上がってきた。
快斗の左足に巻き付いた足がさらに強く絡み付く。
顔だけ新一の方に向けて聞いてみる。
「試してみる?」
挑発するような強気な視線が絡んできた。
―――――これは、OKってことだね♪
快斗は身体ごと新一の方を向いた。
「ふふん。」
「あっ、鼻で笑ったね……襲うよ。」
素早く体を起こして新一の身体に覆い被さった。
放っておくといくらでも零れてくる悪態を甘い吐息に変えるべく、新一の唇を自分の唇で塞いだ。
「………返り討ちだな。」
まだまだ余裕を見せる新一は、その口付けに応えながら自分より少しだけ逞しい背中に腕を回してぐいっと抱き寄せると、快斗の耳元に囁いた。
あまり甘くない会話を交わしながら、北欧の短い夜に二人は溶け合っていった。
to be contiued
BGM/HAPPY DAYS?/GARNET CROW
「Spring snow storm」の続編になります。
長くなっちゃって前後編に分けました。
いよいよサアラちゃん登場でーす。
北欧の短いけど生命力溢れる夏のイメージの女の子です。
とっても不幸な快斗君にかなり素直じゃない愛を降り注ぐ新一君。
ラヴラヴで甘甘なシーンは……これが私の精一杯、お許しを〜。
次はいよいよ『銀の森』へ旅します。
つ・づ・きっv続き〜〜vv
女の子萌えの私はサアラちゃんが大好きです。
しかしいいなあフィンランド。行きたくなりました。
ああ、いけない。銀の森だ。
ついキャラモノに目が行ってしまった・・・哀ちゃんのようだ(笑)
かっこいい新一!!!とかわいい快斗がとても魅力的vv
また続きよろしくですv(とおねだりしてみる)
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