ただひととき 翼休めに 舞い降りた

  夢の鳥に 心魅かれているだけか……






かなうなら夢のまゝで



 事故で頭を強く打った、と聞いた。比較的新しい、ここ二年ほどの記憶を失っている、と。
 ここ二年ほどの記憶――――……怪盗キッドのこと、追いかけていた僕のこと……。
 面会謝絶の札が取れたと聞いて、見舞いに行った僕の目に映ったものは、色とりどりの花に囲まれ、 看護婦や他の入院患者、その見舞い客たちを前に、簡単なものではあるが確かなテクニックで、 華麗なマジックを披露して見せている彼……その、華やかで和気あいあいとした雰囲気に、僕は一瞬、 中へ入ることを躊躇した。
 が、目ざとく僕を見つけた彼が、ちょっと不思議そうな顔をして――――「お見舞いの方?」と、 遠慮がちに訊ねる。微笑んで、「クラスメートの白馬探です」と言うと、あっ、とすまなそうな顔をした。
「悪ィ、ゴメンな〜。最近のこと、みんな忘れちまってるもんだから……」
苦笑いして、再び謝る。
「君のせいではないでしょう。事故は、向こうが一方的に悪かったと聞いています」
「まあ、それはそうなんだけどよ」
中に入り、「チョコレートが好きと青子さんに伺ったので」と、ケーキを差し出すと、 心底嬉しそうな顔で笑う。
「具合はどうですか?」
「平気平気。ちょっと奇妙な感じはしてるけど、それだけ」
「それは良かった。マジックの腕も、相変わらずのようで」
「頭打った以外は大したことなかったからな〜」
そんな、当たり障りのない会話が続く。
 不意に、何やら可笑しそうに笑い出すので理由を訊ねると、
「おまえみたいなのがオレの交友関係にいたっての、何か不思議」
そんなことを言う。思わず僕まで可笑しくなった。
「どうして、そんな風に思うんです?」
好奇心を抑えられずに聞くと、彼はまた笑った。
「言葉遣い堅苦しいし、何故何故って理屈っぽくて、手品なんかやろうものなら、 楽しむより先に片っ端から種明かししそうだし……それに、おまえのオレを見る目って、 何か友達に対するものって感じないから」
「……」
「クラスメートだったんだよな?それでもわざわざ、こんな風に見舞いに来てくれたってことは、 それなりに交流はあったんだよな?どんな感じだったんだ? 出来れば教えてくれると、嬉しいんだけど……」
ホントに悪いんだけどさ、と、申し訳なさそうに言う。
 毛色の変わった「友人」――――そこに、思い出すきっかけを見出そうとしたのだろうか…… しばしためらい、結局僕は、本当のことを話す決心がつかなかった。
 よく浮かべる社交的な笑みを浮かべ、怪盗キッドのことを省いて説明する。
「僕が、一方的に君にアプローチしていたんですよ。……ああ、そんな変な顔しないで下さい。 別に特別な意味で、じゃありません。友人になりたかった、というのとも違いますが。 君に興味を持っていたことは確かです」
「何ソレ……」
明らかにげんなりした様子に、僕は咽喉の奥で笑った。
「そう、ですね……ライバル、というのが、適切だったかもしれません」
何だ、納得、と言わんばかりの彼に苦笑し、
「君が、僕のことを認めていてくれれば、の話ですが」
と、わずかに低くなった声で付け加えると、少しきょとんとした顔をした。
「ライバルって……マジックの?」
問いに即座に首を振りかけ――――しばし考えてから、「少々違いますが、似たようなものです」と、 にっこり笑いかけた。彼は考え込むような顔をしたものの、今考えても答えは出ないと思ったか、 問いかけるような眼差しを向けてくる。
 彼を怪盗キッドとして追っていた時には考えられないその眼差しに、何故か、胸がざわめいた。 そんな自分の心に戸惑いつつ、僕は一つの提案を持ちかける。 この際ですから、一から友人関係を築いてみませんか、と。
 彼のことをもっと良く知りたいと願うその気持ちが、探偵としてのものなのか、 極めて僕個人としてのものなのか、既にこの時、僕には分からなくなっていた。 が、不審げながらも頷いてくれた彼に、僕はホッとし、嬉しい、という感情に満たされていた……。



 それから三週間後、彼を誘ってこの別荘に遊びに来て以来、買い物等で街へ出る他は、 二人きりの生活が続いている。
 初めは長くて二、三日の滞在のつもりだった。僕は家事一切などまともにやったことがなく、彼としても、 特に親しいという訳でもなかったなかった者と長く二人で居るなど、 気詰まりでしかなかろうと思っていたからだ。ただ、この高原の地の景観の美しさと沢山の動物たち―――― 特に鳥たちは、気に入ってくれるだろと考えた故の、申し出だった。
 予想通り、彼は喜んでくれた。そして、予想以上に気に入ってくれたらしい。しばらく居たそうな気配に、 僕はここに長居することに決めた。彼の母親には事情を話して許可を貰い、荷物を取り寄せて……。 ちょうど夏休みに重なったことも幸いした。多少の不自由はあったが、共同生活はまずまずのものだった。
 街への買出しなどは、十八になって速攻で免許を取っていた快斗が車を運転し、二人で出かけた。 家事はほぼ分担と交代制。ただ食事だけは、快斗が作る。 いわく、おまえの作ったものは食えた代物じゃない、と。事実なので、反論の一言もなかった。
 そして、日がな一日何をしているのかと言えば、家事に費やす時間以外は、彼は近くの野山の散策やら、 バードウォッチングやら、マジックの練習やら…… 僕は僕で、彼について外に出たりマジックの練習を眺める他は、読書三昧の日々。 あとは二人で話し込んだり、彼の、忘れている部分の勉強を見るのも日課にはなっていたが、 もとより頭の良い彼のこと、早々に元のレベルにまで戻っていた。 二人とも、受験生として褒められた勉強ぶりではなかったが――――。
 静かな空間で、二人きりの時間が流れる。心地よい、だが不思議な気分でもあった。 彼が記憶を失わなければ、まずこんな時間は持てなかったに違いない、と……。
「探!」
と、彼が呼ぶ。何時の間にか、ファーストネームで呼び合うようになっていた。これもまた、 以前だったら考えられなかったであろう光景……。
「ケーキ作ったんだ。食べないか?」
笑いかけてくる、その満面の笑み。もし――――もしも、自分が探偵でなかったら、 彼が怪盗キッドでなかったら、初めからこのような関係が築けたのだろうか……?
「いいですね」
僕も微笑んで、紅茶を淹れるべくキッチンへと向かう。 と、快斗が鼻歌混じりでテーブルのセッティングを始めるのが、横目に見えた。
――――何なのだろう?この暮らしは……
僕は未だ真実を告げる勇気を持てず、それを察しているのか、彼も何も聞いてはこない。 友人、とは言い切れないものの、では何かと問われれば返答に困る、今の二人の関係……。 まるで――――まるでこれでは、恋人同士のようではないかと思いかけ、自分の思考に愕然とする。
「――――どうした?」
呆然と手を止めたまま、微かに頬を上気させていた僕を、不思議そうに彼が覗き込んできた。
「なっ、何でもありません」
「?変な奴」
軽く小首を傾げ、冷蔵庫を開けると、見るからに嬉しそうな顔でホールケーキやら果物やらを運んでいく。 彼に続くようにしてティーセットを運び、テーブルにつくと、いただきますの挨拶もそこそこに、 彼はケーキを頬張り始めた。
「うん、上出来、上出来v――――ん、何?何かついてる?」
「いえ。何時見ても、気持ちの良い食べっぷりだな、と」
「そうか?普通だと思うけど」
普通、の基準がどの程度を指すのかは知らないが、実際、彼の食べっぷりは見事だと思う。 よく食べる、ということもあるが、それよりも何よりも、快斗は実に美味しそうにものを食べる。 表情が豊か、なのだろうか、微笑ましいというか、見ている方まで幸せになってしまうような顔で食べる。 自分が料理人だったらこたえられないだろう、などと思いつつ、ケーキを手に取った。
「――――美味しいです」
忌憚ない感想が、口から漏れる。だろ?と彼は、嬉しそうに笑った。 にこっと、本当に、見惚れてしまいそうな屈託のない笑み。
――――君のような人が、何故怪盗など……?
知れば知るほど、思う。
 「月下の奇術師」などと、怪盗キッドといえば月、のイメージがつきまとう。だが黒羽快斗という人間は、 どう見ても「月」のイメージではなかった。彼の人の持つ凛とした冷涼な気配を、 黒羽快斗からは全く感じられない。彼の気配は、もっと活き活きとして暖かく、鮮烈で、 眩いばかりの光のような……――――言うなれば「太陽」。
 そう思って、可笑しくなった。月は太陽の光が反射したもの。 彼が太陽であれば、「キッド」を生み出すことも造作なかろう、と。 そんな、理論的でない思考をしてしまう自分に、ますます可笑しくなる。
「何だよ、急に含み笑いなんかしやがって?不気味な奴だな」
さも気持ち悪そうに、彼が言う。
「いえ、少し面白いことを思いつきましてね」
「……何?」
「大したことではありません。そんなことを考えた自分が、可笑しかっただけですよ」
「あ、そう」
聞き出すことを諦めた顔で、彼は器用に果物を剥き始める。優雅な手つきだ。 整った形をしている指が、まるで流れるかのように動く――――……。
「なぁ、探」
「――――はい?」
「おまえ、気がつくといつもオレの顔見てるよな。何で?」
一瞬、何を言われたのか分からなかった。全く自覚していなかった行為。
 彼と二人でいるのだから、彼ばかり目に入るのはある意味当然のことと思っていた。 自らの目が追っていたのだとは、つゆほども思わず。
「そう、でしたか?」
かろうじて問うと、神妙な顔をして頷く。
「初めは……何か観察でもしているみたいだったから、放っておいたんだけど……」
「観察、ですか」
「うん。初め――――見舞いに来てくれた時、言ったろ。友達に対する目つきじゃないって。 ライバルって聞いて納得したんだよ、だったら無理もないかって。相手に負けたくないとか思ったら、 相手のことよく知ろうとして観察するだろ。気持ちのいい目つきって訳じゃないけど、 不躾にやってこなきゃまあ、どうってこともないし……」
「――――すみません」
自覚がなかっただけに、不快な思いをさせてしまったかと素直に謝る。が、彼の問題にしているのは、 そこではなかったらしい。それは別にいいんだけど、と、半ば上の空で返すと、 躊躇うように何度か口を開いては閉じ……、を繰り返した後、 思い切ったように真っ直ぐに僕の視線を捉えた。深い、漆黒の瞳――――ドキリとする。
「最近のおまえのオレを見る目って、何か前より変!」
唖然とする。あまりにはっきりとしたものの言いようだ……。剥き終えた果実をほら、と寄越しながら、 自分も口にしつつ、彼は肩を竦めて言う。
「おまえさ、見た限りじゃ分かんなかったんだけど、体調でも崩してんのか? すごいボケーっとした目でオレのこと見てるぜ。……ボケーっと、ってのともちょっと違うか…… でも何つうか、意図して見てるって感じじゃねぇんだもん。何かそういうのって、居心地悪いっていうか、 こそばゆいっていうか、得体が知れないっていうか……ゴメンな、こんなこと言って。でも前の方が、 まだ目的が分かってた分だけ気にする必要がなかったんだけど、最近、数日前くらいからかな、 なーんかホントにボーっとした目でオレのこと見てるから……熱でもあるのかと思いきやそうでもないし、 特に身体の調子が悪いってんでもなさそうだし――――あ、でも、もしかして具合悪かった? オレが気づかなかっただけ?」
居心地が悪い――――そのせいか、いつも以上におしゃべりな彼に捲くし立てられ、 口を挟む余地のなかった僕も、ここへ来てようやく口を開くチャンスを得る。
「そんなことはありませんよ。僕の身体は至って順調です」
「……そう?」
「ええ。ですが、そうですか。僕はそんな目で、君を見ていましたか」
何処か感心したような呟きに、彼がげっそりとした顔をする。
「やっぱり自覚なかったのかよ」
「はい。全くありませんでした」
がっくり、といった様子に微笑んで、僕は顎に手を当てる。考える時の癖だった。
「そう、ですか……いつも君のことを、ねぇ」
「ああ」
少々投げやりに短く答えて、胡散臭げな表情で僕を見ている。彼の寄越した果物を一口、二口食べながら、 僕はしばし思考の海に浸っていた。
「――――この感情は……」
「あ?」
「まるで、恋……ですね」
もったいぶった――――訳ではないが、挙句に伝えた言葉に、彼は今度こそ固まった。
 張りついた表情が可笑しく、くすくすと笑う僕を、我に返った彼が、いかにも気色悪そうに見やる。
「――――変態」
「何ですか。酷い言いぐさですね」
「こんなところに二人っきりで居るから、そんな変な気になっちまったんだろうよ。そうだ! 明日街に行こうぜ。ちょうど買い出しもあるし、どうせだから、ついでにどっか遊びに行くか?」
「あの街には、大した娯楽施設なんてありませんよ。君も知っているでしょう?」
「少し遠出すりゃいいだろ。さあて、そうと決まれば支度だ、支度!」
言い置いて早速、冷蔵庫や雑貨の棚のチェックやら何やらを始めてしまった彼を、僕はただ呆然と見つめる。
 ――――何故、と。そんな言葉ばかりが、頭の中を渦巻いていた。
 何故、そんなことを言いつつも、君はここに居てくれる……?
 この場所を気に入ったのは彼だったが、今の暮らしを喜んでいるのは、むしろ僕の方だったろう。 彼との時間は思いの他楽しく、向けられる笑顔が嬉しく――――失いたくない、と、本気で思っていた。 彼が何者でもいいような気がした。記憶なんて、どうでもいいような気すらした。
 彼自身はどうだったのだろう?、と……ふと、思い至って不安になる。
「――――ねぇ、快斗」
呼びかけると、手を休めないまま「何?」と返事を返す。
「君は、僕のことどう思ってるんですか……?」
快斗の手が、止まった。振り向くと、目が合う。ゆっくりとした動作で彼は僕の目の前にやってくると、 向かいの、先ほどの位置に座る。僕の目を見つめ、彼は驚くほどやさしい目で笑った。
「面白い奴だと思ってるよ。それと、意外に相性は悪くないらしい。 おまえと居ると、余計な気ィ使わなくていいから楽だしな」
本気で驚く。そんな僕の表情に、彼はますます笑みを深くした。
「おまえ、頭の回転速いから。一言えば十悟るし、多少言葉省いても理解するし。 ま、ところどころ、すこーっんと抜けているのは、それはそれで楽しいしな」
「――――抜けてますか、僕?」
心外、といわんばかりに眉を寄せると、彼は声を上げて笑った。
「抜けてる抜けてる。時々基本的なトコが抜け落ちてる、って気がする」
「例えば?」
「おいおい、ムキになるなよ?半分は褒め言葉なんだから、ありがたく受け取っとけ。 別に嫌味で言ってんじゃないんだから」
「それは、聞いていれば分かりますけれど……」
快斗がニッと笑う。少し悪戯っぽい、魅力的な微笑み。
「じゃあ聞くけどさ、オレとおまえって、元はどういう関係だったんだ?」
「――――記憶、戻ったんですか?」
驚いて訊ねると、違う違うと、手と首を振る。しばし考え、苦笑した。
「そう、ですね……君とこのような時間を持っているというのは、とても不思議です。 でも、良かったと思ってますよ。もし君があんな事故に遭わなければ――――」
「こんな風に馴れ合うことは、決してなかった関係。だろ?」
「――――……」
彼は少し照れくさそうに笑った。
「おまえの様子見てりゃあ、な。戸惑ってる様子がありありと感じられるんだもんよ。でも嫌がってはいない。 そういうのって、何かくすぐったくってさ」
「……」
「ホントに、オレたちどういう関係だったんだよ?おまえが聞かれたくないみたいだったから、 オレも今まで黙ってたんだけど……。おまえ、探偵だろ?それと関係あるのか?」
「――――!」
「そうか……オレ、何やったんだ?」
瞠目する。ライバル、観察者、馴れ合うことのない関係――――そこから結論を導き出したのか…… そして僕の目から表情を読んでいく様子は、見事としか言いようがなかった。
「母さんと寺井ちゃん……ってオレの親父の付き人だった人だけど、 それと紅子が何か知ってるみたいな気はするんだ。でも話してくれないんだよな。おまえは……」
――――知っているんだろ?おまえも、話してくれないのか?
訴える、瞳。眩暈がした。僕は、彼に本当のことを告げるべきなのか……?
 見つめ合い、結局僕はまたもや決心がつかず、目を伏せる。彼の、落胆する気配がした。
「――――僕は……君のことを、それほどよく知っている訳ではありません」
「……」
「クラスメートであるという他に、確かに君は、別の顔も持っていました。 でも、何故君がそんなことをするのか、僕には分かりませんでした」
「もう一つの顔って、何だ?」
「……」
「犯罪絡み、なんだな」
「……」
「――――そうか……忘れちまってるから何とも言いようがねぇんだけど、何でオレそんなこと……」
「それは、僕の方が聞きたいです」
「探……」
妙にキッパリとした口調になってしまった僕を、快斗が少し驚いた顔で見つめる。
「君と暮らしてみて良く分かりました。前から薄々気づいてはいたことですが、彼……の行動は、 何らかの理由を持っている。僕はそれが知りたかったんです」
「……記憶が戻れば、それも解明されるよな」
「――――いいんです」
「探」
「記憶が戻ったところで、君が僕にそれを話すとは思えない。それに僕は……」
――――この暮らしを、今壊したくはない……
不意に、思い知らされる己の欲求。
 そうだ。僕は彼に、このまま記憶を取り戻さないことすら、望んでいる……。 怪盗キッドを付け狙っていた怪しい影、母親や付き人だった男の沈黙。 キッドのことは、思い出さない方がいいのではないか、と――――。
「……しょうがねぇな」
ため息をつくような声に、ハッと顔を上げる。と、困ったような顔で彼が微笑んでいた。
「誰も彼も、オレに記憶が戻ってこない方がいいとでも言いたそうな勢いだ。寺井ちゃんなんか、 『覚えていなければ、それはそれで宜しいのです』なんて開き直ったもんな。 母さんと紅子は知らぬ存ぜぬだし、おまえはおまえで肝心なとこになると黙りこくっちまう。 そんな風にされると、余計に気になるってのは、常識だぜ?」
茶目っ気たっぷりに言ってはいるが、苛立っているのは感じられる……。胸が苦しくなった。 彼にはいつでも笑っていてほしい……笑顔の方が余程似合うのに、と、そんなことをぼんやりと思いながら、 そっと、彼の手を取った。突然の行為に、彼がびくりとするのが見て取れる。
「綺麗な手ですね」
「おっ、おいおいおい〜〜っ」
引きつった声。
「マジシャンの手、というのは……皆、こんな感じなのでしょうか?」
「知らねぇよっ!綺麗で言ったらおまえだって同じようなもんだろ!?苦労知らずの坊ちゃん育ちの手だ」
「違いますよ、全然」
「いっ、いいから離せって!」
振り払うようにして、僕の手を振りほどく。 掴まれていた手をもう一方の手でさすりながら、彼は何とも言えない表情をしていた。
「おまえさぁ、そういう台詞は、言う相手を間違ってるだろ」
「正直な感想を述べたまでですが?」
「――――だから変な奴だっていうんだよ、おまえは」
心底あきれたように苦笑する。そんな彼を見つめながら、沸き上がって、抑えきれない想い……。
「快斗」
「ん?」
「好きです」
「――――……」
「快斗?」
動かない彼をじっと見つめていると、快斗がギンッと僕を睨みつけてきた。
「だからおまえはっっ!!どうしてそういう台詞を平気で言えるんだ!? 面と向かってそんな台詞吐いて、恥ずかしくないのか!?」
頬を染めてたてつく彼。キッドの時の君には敵いませんよ、と内心可笑しく思いながら微笑むと、 僕の微笑にますます逆上したらしい彼は、バンッと勢いよく立ち上がり、 さっさと先程の作業の続きへと入っていく。
 ――――好きです、か……
 自然に、口から滑り出た言葉だった。この"想い"は――――何?

 小気味良いほどテキパキと動く彼の肢体。
 草木の中を気持ち良さそうに歩く姿。
 動物たちに向ける、愛おしげな笑顔。
 椅子に座ったまま、うとうととする、あどけない寝顔。
 ……そして何より、自分に向けられる屈託のない笑み、光を反射して輝く黒い瞳。

 失いたくない、と思う。
 夢のような世界……穏やかで、心地よくて――――覚めなければ、どんなにか幸せな夢……。

 ――――怪盗キッド
 彼は目的をもって行動していた。そしてその目的は、まだ達成されてはいない筈……。 快斗が記憶を取り戻せば、彼はきっと、必ずキッドの衣装を身に纏う。これは確信。
 そしてまた、キッドを取り戻せば、こんな時間は二度とやってこない――――それでも。 だからと言ってこのまま隠し通すことが出来るだろうか?
 否。どんなに望んでも、彼はこの場には留まらない。いつか飛び去って行く――――鳥……。
――――快斗……
狂おしい想いに、翻弄されそうになる。 この想いが何なのか、僕は未だに名前をつけられない……。
「快斗……」
触れた、掌……少々骨っぽい、長くて、繊細な指だった。いくつもの魔法を生み出す、指先――――。
「快斗?」
振り返って見つめると、目に映るしなやかな体躯。女性に変装しても違和感を感じさせない細い身体。 あれだけの荒業をやるだけあって、見た目に反ししっかりとした筋肉をつけてはいたが。
 この細身の身体に、溢れんばかりのエネルギーを秘め、闇夜を駆け抜けて行ったのか……。
――――何故、盗む?
早い時にはその日中に返すような代物を、予告状まで出して、警察を引きずりまわして。
 何かを探しているだけならば、こっそり盗み出して確認し、違ったら元に戻しておく、 くらいの芸当だって、出来るだろうに。派手な振る舞いは何故?
 そして気になるのは、彼を密かに付け狙っている輩……。
「快斗……」
不意に後ろから抱きつかれて、彼が硬直するのが分かる。 首筋にそっと顔を埋めて、何故か、理由も分からず祈るような気持ちになる。
「快斗……」
小さく呼ぶと、彼が身じろいだ。それをぎゅっと抱き寄せて、僕はしばらく、彼の匂いに浸っていた。
「おーい」
「……」
「探ちゃん?一体何やってんだよ、おまえは」
「君の匂いを……」
「気色悪いからヤメロって!!」
逃れようとする彼を離さず、僕はその体温を感じている……。
「おまえ……今日、変!いつも変だったけど、いつにも増して変!!」
咽喉でくつくつと笑うと、気持ち悪そうに再び身じろぐ。
「ねぇ、快斗、一緒に眠りません?」
「テーソーの危機を感じるから、ヤだ」
「冗談は止して下さい。僕だってそんな気はありませんよ」
「どうだか」
叩き合う軽口がおさまると、沈黙がおりる。決して不快ではないが、確かに、こそばゆいような感覚がした。
「快斗」
「ん?」
「愛してます」
「――――もぉ……好きにしろ……」
「ええ」
あきれたような口ぶりを心地よく感じながら、僕は彼を抱きしめ続ける。
 今、彼は紛れもなくここにいるのだと、実感出来る感覚が、嬉しかった……。



 あれから十数日、月日は何事もなく過ぎ去る。
 僕は凝りもせずに彼を目で追っていたが、彼はもう何も言わなかった。誘えば、一緒に寝てくれもする。
 思えば奇妙な共同生活だった。
 キス一つする訳でもなく、いわんや身体を重ねるようなこともなく―――― なのに思い出せば、濃密な情事でも繰り返していたかのような錯覚に捕えられる。

 「白馬って変態」
 当時のことをそんな風に言えば、彼は決まって即座にそんな返答を返したが。
 彼自身もまんざら異なった感覚でないのは、その目を見れば分かることだった。


 彼が記憶を取り戻したのは、事件が起こって後、約三ヶ月後。 あの暮らしが終わった日から、一ヶ月ほど後のことだった。
 彼は再び僕のことを「白馬」と呼び、怪盗キッドであることは相変わらず認めていない。 しらじらしい、と言っても何処吹く風、だ。



 夢、のようだったと、やはり思う。
 無防備な快斗の表情を独占出来ていた日々。
 数少ない"写真"という証がなければ、本当に夢か現実か分からなくなるほど……。

 夜の闇を駆ける翼を再び広げた彼を、僕は追い続けている。
 いつか……いつか――――、と。
 そんな、焦がれる思いで、追い続ける……。


END

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