龍と初めて会った時のことは、今でもハッキリと思い出せる。
「お前が、俺の弟になんの? よろしくな」
何の屈託も拘りもなくそう言って、クシャリと相好を崩したアイツの笑顔に、俺は言葉を返せなかった。
―――一目惚れ、だった。
会わせたい人がいる、と父親に言われた時、俺は、ああ、来たか、と思っただけだった。
少し前から付き合っている人がいるらしいのはなんとなく気付いていたから、驚きはない。
俺も、もう母親恋しいって年でもないから別に嬉しいとも思わなかったけれど、かといって父親を取られるのが嫌だと思うでもなく、まあ、好きにすれば、というくらいの気持ちだった。
父親の人生は父親のもんだし、変に俺に気を遣ってくれなくても、自立するまで養ってもらえれば、それ以上俺に言うことはない。
ただ驚いたのは、再婚を考えているというその相手が、父親よりも年上で、更には俺より一つ上の連れ子までいるという事実だった。
俺の口から言うのもなんだが、父親は、結婚相手としてかなりいい条件を揃えていると思う。
俺というコブがついているのを差し引いても、望めばもっと若い女を引っ掛けられるだろう。
何を好き好んで、子連れの年増女なんかを…というのが正直なところだった。
とはいえ、結婚するのは俺ではなく父親なワケで、父親が彼女と一緒になりたいと思っているのなら、俺が口出しすべきことでもないし、俺はそれを口にはしなかった。
そして、言わなくてよかったと俺は心底思う。
そんなくだらない理由で龍と家族になる機会を自分からブチ壊しにするなど、考えただけでもゾッとする。
まあ、あの父親がそんな俺の一言ぐらいで自分の意志を翻すとは、考えにくいことではあるが……。
そうしてセッティングされた両家合同の夕食会の席で、俺はまず早苗さんを紹介された。
彼女に実際に会っての俺の感想は、まあ、なるほどね…というものだった。
言葉にはしにくいのだが、なんというか…ひどく魅力的な人だったと言っておこう。
父親が年甲斐もなくデレデレと鼻の下を伸ばしているのを、咎める気にもならなかった。
が、対して龍はといえば…、その第一印象はハッキリ言って芳しいものではなかった。
アイツは、部活があるとか言って、大事な初顔合わせの席に一人、大幅に遅刻してきたのだ。
これでは、俺でなくともムッとするというものだろう。
早苗さんがひどく恐縮そうにするものだから表には出さなかったが、内心では、兄になるのだというその男をどういびってやろうかと、俺は手ぐすね引いて待ち構えていた。
だって、この夕食会は2週間も前から予定されてたものなんだぞ? それに遅刻してくるなんてどういう了見かと思うじゃないか。
ましてや、親の再婚で家族になろうという人間との、初めての面談だというのに。
この時点で、俺の龍への評価は遠慮会釈なく「最低」というものだった。
だったの、だが。
それも、龍が姿を現して実際に口を聞くまでの、僅かな時間のことだった。
やって来て、まずは母親である早苗さんと二言三言言葉を交わし、それから俺の父親と視線を合わせた。
「初めまして、高沢さん。龍也です。今日は遅れてしまってすみませんでした」
悪びれたところのない、かといって開き直ったわけでもなく、潔い笑顔は印象的だった。
「こちらこそ、今日は呼び立ててしまって済まなかったね」
言いながら、席を勧める。
それに礼を言って椅子につくなり、あっさりと龍は言った。
「母から話は伺ってます。俺の方に異存はありませんので、どうか母をよろしくお願いします」
段取りも何もない、直情径行の垣間見えるような言に、父親が目を白黒させる。
そうしている間に龍は、次には俺へと向き直った。
実を言えば俺も、少し、その大胆さに度肝を抜かれていた。
そんな俺に龍はいきなり全開の笑みを見せたのだ。
ドクンと心臓が高鳴った。
よろしくな―――
そう、言われても咄嗟に返事もできなかった。
この時は、それが何故かなど思い至らず、ただその曇りない笑みを食い入らんばかりに見詰めていた。
ほどなくして父親と早苗さんの再婚は現実のものとなり、俺と龍とは兄弟になった。
家では使っていなかった部屋を空けて龍の部屋も用意され、親子を受け入れる準備は万端だったというのに、龍は一人暮しをすると言って皆を驚かせた。
こっちに移ると学校がずいぶん遠くなってしまうし、かといって高校を変わりたくはない、というのがその理由だ。
父は最初渋ったものの、早苗さんに説得されて、諒承した。
俺はといえば…かなり、ショックだった。
と、いうか、そのことにショックを受けた自分が、驚きだった。
どうやら自分が、龍と共に暮らせることを心待ちにしていたらしいと自覚して、俺はうろたえた。
なんで……。
そんな気持ちでいっぱいだった。
そしていよいよ、少しの間だけでも、と父親が希望して龍が高沢家に留まった数日も過ぎ、明日出て行く、という日。
龍が俺を部屋に訪ねてきた。
「ちょっと、いいか?」
龍は言った。
俺は躊躇った。
龍への自分の気持ちが掴めず、気後れがした。
「…ちょっとだけだから」
そんな俺の逡巡を看破して、苦笑混じりに食い下がる。
俺は渋々彼を自室に招じ入れた。
「どうぞ」
「サンキュ」
何でもないことなのに、龍はニコッと笑って礼を口にする。
出会った時から、そうだった。
龍は笑顔を惜しまない。
それは、俺のような人間にとっては信じられないことだった。
「何の、ご用でしょうか」
あからさまに硬いと知れる声で、俺は尋ねた。
龍は困ったように眉尻を下げ、言った。
「それ、止めろよ」
「え?」
「テイネイゴ」
咄嗟に沈黙してしまった俺に、ニヤッと笑う。
「俺らもう兄弟になったんだからさ。年だって1才しか違わないんだし。ンな、畏まられるとなんかこそばゆい」
そう言ってヒョイと肩を竦めて見せた。
なおも俺が沈黙していると、んー、と唸って頭を掻いた。
「えーとさ。俺、明日この家を出るんだけど」
黙ったまま、俺は頷く。
ますます、居心地悪そうに苦笑して、龍は真顔になった。
「…あのさ。いきなり、家族だ兄弟だって言われて、気に食わないかもしれないけどさ。受け入れる努力だけでもしてみてもらえないかな…? 俺が言ってもしょうがないんだけど、お袋、悪い人間じゃないしさ。お前とも、いい家族になりたいと思ってる。ホントは俺もここにいて、ちゃんと家族になっていった方がよかったとは思うんだけど、そういうわけにもいかないしさ…。だから、お前にお袋のこと、頼みたい。ダメかな…?」
俺は、当惑した。
「別に…気に食わないとか、思ってないけど…」
とりあえず丁寧語ではなくなったことに一瞬ものすごく嬉しそうなカオをして、それから首を傾げた。
「そっか?」
頷くと、う〜ん、と唸る。
「…そっか。うん、なんか、お前がなかなか俺に打ち解けないような気がしててさ」
ドキリ、とした。
確かに、俺は龍の前で、態度が硬かったかもしれない。
だけどそれは、気に食わないとか、そういうんではなくて……。
そうじゃ、なくて―――
「俺の気のせいか。んじゃあ、お袋のこと、頼んでもいいか?」
そう言って、また、人懐こく笑う。
それに見惚れると同時に、胸の奥でチリと疼くものを感じる。
それが、嫉妬という感情だと気が付くのに、時間はそうかからなかった。
この笑顔を、他の誰にも向けて欲しくない。
この眼に、俺以外の誰も写して欲しくない。
彼が、欲しい―――
気付くと同時に、想いは急速に育って、俺は、口にしていた。
「いいよ…。アンタが、俺のものになってくれるのなら、ね…」
この時俺は、うっすらと笑っていたと思う。
龍は目を丸くした。
「へっ!?」
思いっきり、わけが分からない、といったカオでポカンと間抜け面を晒した龍に、俺は人の悪い笑みを向けた。
「どっちでもいいぜ、俺は。アンタ次第だ」
「…って、待てよ。お前のものになるって、何……」
何かゴネている龍に構わず、グイ、と引き寄せて唇を触れさせた。
龍がギョッと目を、零れ落ちんばかりに見開く。
「な、に……」
「キスの時には目ぐらい瞑れよ。気の効かないヤツ…」
ククッと笑ってやれば、一瞬の間を置いて、カアアッと耳まで真っ赤になった。
「お、おおおおま、なにっ、考えてっ…」
ろれつが回っていない。
―――可愛い。
思い、俺はほくそ笑んだ。
この時には既に、もう迷いはなかった。
俺は、龍が、欲しいのだ。
「分かんないかなあ? キスしたことくらい、あるんだろ?」
細めた目で、上目遣いに見上げれば、龍はたじろぐように一歩、後退った。
だがその分、オレも歩を進めたから、距離は変化しない。
「セックスは? したこと、ない…?」
「はあっ!?」
及び腰で、仰け反るような姿勢になった龍は、引きつった頬で素っ頓狂な声をあげた。
「アンタを抱きたい。抱かせてよ…」
誘うように、揺れる眼差しを送り込むと、硬直した。
隙ありと見て、再度唇を奪った。
最初は軽く、重ねるだけ。だが、龍が未だ自失状態から立ち直れていないと見るや、俺は唇をこじ開けて一気に口付けを深くした。
「む…んー、んーっ!!」
無遠慮に侵入し、中をかき回す感触に、ようやく我に返って龍がじたばたと暴れ始める。
色気がないと嘆息しつつ、それでも俺は放す気にはなれなかった。
思う存分唇を味わい、舌を吸い上げてから、やっとキスを止めた時には、うまく息継ぎのできなかったらしい龍は酸欠状態で、ゼェゼェと息を荒くしていた。
俺は吹き出す。
龍が、あんまり可愛くて。
それで龍は、ムッと不機嫌なカオをした。
「笑ってんじゃねーよ。お前一体、どういうつもりだ!?」
「さっき言ったじゃん。俺は、アンタが抱きたい。抱かせてくれたら、アンタの言うこと、聞いてやるよ…」
ギョッとしたように、ヒクヒクと唇を蠢かせる。
「お前、気は確かか…? 俺が女に見えるようじゃ、相当ヤバイぞ…?」
顔を引きつらせていながら、どこか真剣に心配するような龍に、俺はもう一度吹き出さずにはいられなかった。
「アンタが女に見えてるわけじゃないから、ご心配なく」
「なら…」
「いいんだよ、男でも。俺はただ、アンタを抱きたいと思ってるだけ…」
言いながら、ふぅっと流し目をくれてやると、凍り付いたようにピタッと動きが止まる。
「…なぁ。抱かせてよ、オニイサン」
けど、からかうように告げたのが悪かったのか、ムカッと目許に険を含ませて、手を上げた。
意外と、というか、見た目通り、というか、単純で短気な性格らしい。
……扱いやすくて、いい。
繰り出された拳を躱すのでなく、逆に取って捻じり上げた。
龍は目を見開いて驚きを示した。
自分よりも幾分体格の小さい俺に、簡単に押さえ込まれたことが信じられなかったのだろう。
クス…と笑う。
「びっくりした? ゴメンね、小さい時から護身術仕込まれてるから、俺」
多少ガタイが劣ろうと、素人一人手玉に取るぐらい、わけはない。
そうして片手を捻ったまま、長身をベッドへと押し倒した。
「い…たっ!」
自分の背中に、腕を敷く形になって龍が悲鳴をあげる。
余程痛かったのか、目尻に涙さえ浮かべていた。
「我慢してよ。手、放したら逃げるだろ?」
のしかかって更に押さえ込みながら、俺は耳に囁きかけた。
少し潤んだ目で、怯えたように見上げられると、背筋にゾクゾクと快感が走った。
「大丈夫だって。大人しくしててくれれば、そんなにヒドイことはしないから…」
あやすように、もしくは、より、恐怖を煽るように、真正面からその視線を捕らえて、微笑む。
「ヒドイこと…って……」
掠れ気味の声音が応じる。
当人は意識していないのだろうが、また、その故に、それは途方もない艶を醸し出すものだった。
躰の熱が、下腹部に次第に溜まってゆくのが分かる。
「…大人しくしといてよ。俺だって、流血プレイなんて、趣味じゃない…」
言いながら、無造作に羽織られたシャツの下の素肌に手を這わせた。
途端、ビクッと組み敷いた肢体の震えが伝わる。
―――驚いた。
「感じるの?」
思わず訊くと、真っ赤と真っ青の入り混じった顔色をして、激しく身を捩った。
言葉はなくとも、それが何より雄弁な答えだった。
「へえ…。そうなんだ…」
とんでもなく感じやすい肌をしているのだということが知れて、抵抗を封じ込めつつ、下唇を舐めた。
思いっきり、乱れさせてやりたい。
こんな、愛撫とも呼べないような接触にさえ感じてしまうのなら、全身を隈なく撫でてやれば、一体どうなってしまうというのだろう。口付けて、証を刻み込んだならば、どんな風に鳴くのだろう。
思っただけで、目も眩むような陶酔感を覚える。
そうすると、今度は試してみたくてたまらなくなって、欲望の赴くままにはだけた胸元に口付けを落とした。
「やっ…」
予想したよりも、更に強い反応をして、龍は自由な片手を俺の頭部にかけて突っ張った。なんとか、どかそうとして。
だけどそれには、大した力がこもっていない。俺を押し退けるには、到底及ばない。
チラリと目をやれば、涙こそ流していないものの、表情は完全に泣き顔で、それを見ただけで俺は躰が熱く疼くのを感じた。
泣き顔は、より男をそそり、抵抗は、より男を煽るのだと、分かってはいないのだろうな…。
もう、俺は、止まれなかった。
「や…だっ、イヤだ……っ」
躰は素直なのに、龍の意志は呆れるほどに強情で、どれほど高めてやっても、快楽に身を委ねるということをしない。
口付ければピクッと震え、手の平で撫で上げればウットリするほどの鳴き声を洩らすくせ、少しでも手を休めれば、途端に嫌だの止めろだのと可愛げのないことを言う。
「いい加減にしろよな…。身体は、嫌がってないんだぜ?」
吐息を吹きこんで、すいっと龍の花心を撫でる。
ビクンと、全身で快感を表しておきながら、やはりすぐにゆるゆると頭を振った。
舌打ちを洩らして、俺は蕩けた龍の秘孔に指を突き入れた。
「や、ソコは…っ。やだ、マサミ、あ…っ」
さすがの龍も、前立腺の刺激にだけは抗えないらしく、探り出したポイントを突く度、ドピュッ、ドピュッと前から精を吐き出した。
「あ…ああぁぁーー……っ」
甲高い悲鳴をあげて、震える手がシーツを強く握り締める。
顔は涙と涎とでグショグショ、体は汗と放った精液、それに俺の唾液も混じってひどい有り様だ。
けれども、そんな姿でも彼の艶は少しも損なわれず、いや寧ろ、汚されて更に際立つようでさえあった。
男の体は、快感を隠せない不便なものだ。
始まりは合意でなくとも、最後には陥落させることは不可能ではないと思っていた。
ましてや、これほどの感じやすい躰だ。
それなのに龍は、頑として俺を拒んだ。
どれほど泣かせてやっても、自分からは決して欲しがらなかった。
ついに根負けしたのは俺の方だ。
足元から根こそぎ攫っていかれるような痴態を間近で見せ付けられ続けて、よくもここまで我慢したものだと、思う。
「ったく…」
分かったよ、俺の負けだよ、認めてやるよ…。
心中に呟いて、先程からずっと、限界を訴えて反り返っているモノを龍の内部に打ち込んだ。
「ひぃああぁぁぁっっ」
「っ」
慣れない感触に驚いたように、内壁がギュウッときつく収縮する。
だが、構わず俺は突き上げた。
散々、嬲り続けていたから、キツいとは言っても耐えられないほどではない。それは俺にとってだけでなく、龍にとっても言えることだ。
大きさに悲鳴をあげながらも、龍のソコはその分だけ拡がって、俺を根元まで呑みこんでゆく。
「あ、あ…」
喘ぐような呼吸を繰り返す。
「…どう?」
「ひっ」
耳元で声を響かせると、息を呑んで背を撓らせた。
「気持ちいい?」
「んっ」
俺の動きにつれて、零れるような嬌声が聞かれる。
「ああぁっ!!」
突如鋭く発された、叫ぶような喘ぎに目を眇めて、俺はその時カスった場所を、今度は狙って突き上げる。
「あ、あぁっ」
「ここか…」
そこが、龍のイイ所なのだと感付いて、俺は幾度となくそこを抉った。
「あぅっ、あ、ひ…っあ、ああぁぁぁーーーっ」
最後に長く、尾を引く悲鳴を残して不意に龍の体はグッタリと弛緩した。
「…おい?」
軽く頬をはたくが、完全に意識がない。
少し笑って、俺もそのままゆっくりと龍の上に身を伏せた。
結構なハード・セックスに俺の方も疲れてはいたが、それ以上に、これまで一度も感じたことのないような、深い充足感があった。
体でなく、心が欲した行為は、こんなにも違うものなのか、と思った。
惜しむらくは、最後まで一方通行だった、気持ち……。
だが、決して、このままでは、おかない。
それは、改めて確認する必要もないほど、はっきりとした意志だった。
龍が、欲しい…。
他の誰にも、抱いたことのない強い執着。
心も、体も、流す涙の一雫さえも自分のものにしてしまいたい。
それは、充足感と裏腹の、渇望感。
胸を、焦がす。
「…厄介なのに、掴まっちまったな……」
呟きを、落とす。誰にともなく。
だが、それも、巡り合わせ。
どうせ逃れられぬものなら、とことん追い求めてみるのもいい。
「覚悟しとけよ…」
囁いて。
そっと、俺は目を閉じた。
END