Fox & Mathematics
     〜べんきょう、しよう〜

  分数のお話


「なんでこうなっちまったんだ……」
つぶやいた俺の言葉は、無情に雑踏にかき消される。
今日の授業は二限目から。朝に強くない俺としては楽な時間割だ。
「量子力学教えるって……並大抵じゃないぞ」
階段を上がり、目的の教室へと向かう。
授業を終えた人が出てきたり、教室が空くのを待っていたり。そんなこんなで休み時間の廊下は結構混みあっている。
そんな中を通り抜け、階段から一番遠い比較的小さな部屋に入る。
適当な席に荷物を置くと、どっかりと腰をおろした。
ファイルからルーズリーフを取り出すと、もう準備はできた。
「とりあえず、だ……どこから教えりゃいいんだ?」
そのルーズリーフの端に、教えるべきことをメモしていく。
「四則演算……は問題ないと仮定して、多分小数の概念は大丈夫だろう」
そういやあいつ、何歳なんだ……?
「とすれば最初は……分数か? やれやれ、小学校高学年レベルからかよ……」
とはいえ、応用編みたいな感じで教えればいいか。基本からだったら諦めてもらおう。
「そっから関数の概念教えて、連立方程式、図形は……この際いいや。必要になったら教えよう。三角は……必須だよな……」
気が遠くなるような授業予定をメモしていると、前から声を掛けられた。
「よう、都。なにぶつぶつ言ってるんだ?」
「あ、ああ……米崎か」
同じ学科の米崎だった。
「何書いてんだ? んー……家庭教師のバイトでもすんの?」
前の席に座り、俺のメモに目を通す米崎。
「まあ、そんなとこ」
「おいおい、俺らもう3年だぜ? 来年の今ごろは院試でひいこらってわかってんのか?」
院試ねえ……そろそろ勉強した方がいいんだろうけど、いまいち実感が沸かないな。
「わかってるけどさ……」
「数学だけか。三角、ベクトル、複素数……高校生2年? ……にしては連立方程式っておかしいよな。行列でも使わせるわけ?」
「まあ、そんなとこ」
行列な……便利だから早めに教えてた方がいいんだろうけど、あいつの学力がいまいちわからんからなあ。
「ふーん、理系か。じゃあ微積も指数対数の微分とか部分積分とかやるんだ……結構長期戦なんだな」
「不本意ながらな」
米崎の言うとおりだった。長期戦は避けられない。というか、普通にやれば4年ぐらいかかるんだよなあ。
「生徒の子って、女の子?」
「……なんで?」
米崎から返されたメモを受け取る。
「いや、ほらやっぱ気になるじゃん」
なぜか興味津々の米崎。
お前が気にしても仕方ないだろ……
「……まあ、一応女の子だけどさ」
「そうかそうか。おめでとう」
なぜか嬉しそうな米崎。
お前が教えるわけじゃないだろう……
改めて自分の作成したメモに目を落とす。
微分、積分、偏微分、重積分……あたりまででいいとして、あとは物理も教えなきゃいけないんだよな。
「なあ、高2に量子力学教えられると思うか?」
「は? 量子? 高2に?」
突然の質問に、呆れた表情の米崎。
「お前ね……量子って今俺達が習ってるところだぜ? そんなの教えられるわけねーじゃん」
「だよな……」
そうなんだよな……今進行形で習ってる俺が教えられるわけないよな。
「何? その子が教えて欲しいって言ってきたのか?」
「まあ、そんなとこ」
まさかこっちがメインだとは、米崎も思ってないだろうな……
「うーん……初期量子論ぐらいは高校でやる範囲だろうけど」
残念ながら、あちらから教科書を指定されてしまったからな。俺たちの使っている奴を。
「概念教えるのがだるいよな」
「そうだな……すべての物は波でしたなんて言ってもなあ。普通は受け入れられないよな」
確率と波……なんて言われてもなあ。
いきなりだと「はあ?」だろうな。
前の扉から、先生が入ってきた。
「まあそれも、土台の数学ができるようになってからだがな」
「まあな」
思わず苦笑い。長い道のりを思い、再度ため息をつく。
簡単な挨拶を終えると、先生は黒板に向かった。
俺たちも話すのをやめ、授業に集中することにした。

集中していれば、時間はあっという間に過ぎる。ただし、集中は1時間半も続かない。
1時間も過ぎれば、集中は切れる。集中が切れれば、時計が気になりだす。そうなったら授業の終わりは遠い。時間の進みはぐっと遅くなり、いまいち身の入らない時間帯を迎えてしまう。
そんな風に一回の授業時間にも、喜びと悲しみがつまっているわけだ。
1年2年でかなり頑張ったため、今の3年では1日2つの授業を受ければそれで終わる。これは楽に見えるかもしれないが、見えるだけだ。
実際は授業内容がどんどん難しくなってくるので、楽なことなんて一つもない。
今日一日の授業が終わっても、明日の授業のことを考えなきゃならない。
それからもう一つ。あの稲穂のこともある。
「ああ、そうだ」
数学教えるのなら、ノート買っておいたほうがいいな。
帰り際生協に寄ると、俺は大学ノートを一冊買って帰った。

さて、今日は分数だ……
一見簡単そうだが、実は奥が深かったりする。
小学校での習い方はいくつに分けた何個分というのが、分母と分子になる……というものだ。つまり、4つに分けたうちの一つ分なら、

とかなんとか教えられる。
これはまあ、1を4で割ったものに等しい。式で表せば、

高校や大学になってくると、「かける」や「わる」の「×」や「÷」は次第に使わなくなってくる。
かけるの文字「×」は省略されるか「・」で表されるし、割るときは分数の形になっているからだ。
つまり、5×2や10÷3は、

こんな形で登場することになる。ちなみに小学校のときは、

なんて表したりするが、これは使わない。というよりは、使ってはいけない。
上の表し方は、10/3は3と1/3だと主張できるけど、「×」の省略に慣れてしまった方々にとっては、

と計算されてしまうのだ。
だからそのまま10/3で放っておかなければならない。
「わかったか、稲穂」
さっきから返事のない稲穂に聞いてみると、
「知ってた」
と即答された。
「なに……」
「あたしだってそのくらいは知ってたよ」
過小評価されたのが悔しかったのか、稲穂がふくれっ面になる。
「分数なんてどうでもいいから、早くハカるコリキガク教えてよ」
力学しか合ってないじゃないか……リョウシと読め。リョウシと。
「だから無理だっつってんだろ。今は黙って分数やれ!」
「知ってるって言ってるでしょ!」
「ほう分かった。じゃあちょっとばかしレベル上げてやろう」

分数がお得意な稲穂には、分数の例で説明した方がわかりやすいな。
いい機会だから、代数に慣れてもらおう。
代数というのは数字の変わりにaやbなどのアルファベットを使って、一般的な計算方法を現すやり方だ。
例えば通分を表してみると、

となる。
このabcdにはまあ、何を入れても成り立つわけで、

となるわけだ。
これからは簡単な場合、途中計算は省くので、分からない場合は広告の裏にでも途中計算の式を書くように。

「達哉が買ってきたノートがあるけど……」
「お前に言ったんじゃない」
「?」

ということで、分数における四則演算を表してみる。




「最後のが良くわかんないんだけど……」
分数の割り算のところを指して、稲穂がうめいた。
「2番目までは分かるよな」
分数を分数で割る。それを分数で表した形だ。ちなみに斜めで引っ張っていようが、平行で引っ張っていようが、分数の性質には変わりない。
「うん。そっから3番目に行くときがちょっと」

解説。

今のところ、こうなっていることがわかる。
ここで、分母分子にaをかける。

両方に同じ数をかけるなら問題はない。

というわけで、1をかけるのと同じだからだ。3個に分けた3個分は、最初の1個と変わりない。
で、分子のa/aが消えてくれる。

次に、cで同じことをする。


で、下のc/cも消えて、

が成り立つ。

「とまあ、こういうわけだ。でも直感的に分子の1/aは分母のa、分母の1/aは分子のaって計算したほうが早いし便利だな」


「うん、なんとなくだけど分かった。」
本当か……
少々不安になる部分はあるが、分数はこのくらいでいいだろうか。
「でもこれ、『い』『ろ』『は』で表さないの?」
「そんなこと言われてもな……慣習なんだから仕方ないだろう」
「ふーん」
第一、掛け算が続いて変な単語になったらそっちにばかり気を取られてしまうじゃないか。
それにしても、稲穂の学力が分からん……
まあ、分数ぐらいは知っていても当然としてだ。
当然の疑問がわいてくる。
こいつ、学校に行かなくてもいいのか?
「お前さ、学校はどうしてるわけ?」
「学校? お母さん面倒臭がりだから……」
いやいや。義務教育だろ。義務の意味わかってんのか?
「従姉妹の京香ちゃんとかはちゃんと行ってたみたいなんだけど……お母さんが家庭教師してくれたんだけどね」
家庭教師って……
「それは……あまりにもおかしいだろ」
「そうかな? でも分数知ってたよ」
不思議そうな顔をする稲穂。
「そういう意味じゃなくて……」
「まあまあ、いいじゃないの、都君」
「うわっ!」
いつの間にか佐倉さんがいた。
「いつの間に入ってきたんですか!」
「ん、ついさっきね」
悪戯っぽく笑う佐倉さん。この人は……
「実はね、稲穂ちゃんにはすっごい秘密があるのよ」
「秘密? それが学校行ってないことと関係あるんですか?」
「うふふ……それは秘密なのでーす」
楽しそうな佐倉さん。この人ほんとに俺の年上か?
「あれだよ。それを知るには親密度が足りないの」
「変なパラメータ作らないで下さい!」
一晩一緒に過しただけの佐倉さんも、あまり変わらないでしょうが。
一晩……
いや、だいぶ違うか。
夜は長いんだしな。
「どうしたの?」
不思議そうに顔を覗きこんでくる稲穂。
「あ、いや……」
「今日の勉強は終わったのよね。稲穂ちゃん」
「うん」
笑顔で佐倉さんに答える稲穂。
「じゃあ帰る? ご飯作らないと」
「うん。帰る。じゃあね、達哉」
いって勉強道具を片付けると、稲穂は立ち上がった。
「あ、ああ……」
どうも、あの二人のペースにはついていけない部分があるな……
昨日に引き続き取り残された部屋で、一人そんなことを考えた。

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