Fox & Mathematics 〜べんきょう、しよう〜 対数のお話 晩飯を終え、勉強時間が始まるまでの間。 のんびり漫画を読んでいると、稲穂が話し掛けてきた。 「ねえねえ、達哉とゆかりちゃんって仲良いよね」 えらく唐突だな。漫画を置くと、稲穂のほうを向いた。 「そうか? まあ、そうだな……」 「すっと前から知り合いだったの?」 「いや、そうでもない」 まあ、2年半ぐらいだったら、ずっと前というほどでもないな。 ちなみに今日、佐倉さんは研究室に行っていて遅くなるらしい。 「初めて会った時って、どんなだったの?」 どんなもこんなも、余り変わってはいないんだが。 「んー、話してやろうか」 「うんうん」 楽しそうに笑う稲穂。 そして俺は、大学1年の4月のことを思い出していた。 引越しを終え、一息ついてから携帯に電話があった。 母だ。曰く『お隣に挨拶するように』と。 俺の部屋は201。隣といえば202。幸運なことに(?)一つだけだ。 こんなこともあろうかと、荷物に地元の名物の饅頭を仕込んでいたらしい。これを持っていけということか……相手が饅頭嫌いだったら、またその時に考えよう。 ピンポーンとインターホンを鳴らす。 「はーい」 表札には『佐倉』とだけ書いてあるが、中から聞こえてきたのは女性の声だった。 ほどなくしてドアが開き、中から温厚そうな女の人が顔を覗かせた。 「隣に越して来た都です。いろいろとご迷惑おかけするかもしれませんが、よろしくお願いします」 「あ、はいはい。これはご丁寧にー……と、うちの大学かな?」 うちの大学……がどこを指しているのかは知らないが、とりあえず近辺には大学は1つだ。 「えっと……平安大学ですが」 「あ、じゃあ一緒だね。私は文学部だけど。佐倉ゆかりです。よろしく」 そうか、この人も同じ大学か……なんというか、心強いな。 「理学部物理の都達哉です……と、そうだこれ、お近付きのしるしに」 そう言ってビニール袋に入ったそれを差し出す。 「なにかな……あっ、草神饅頭!」 どうやら知っている様子。そんなに有名だったっけ? 「一応地元なんで……こういうお土産の方がいいかと思って」 他に目立った名産がないというのもある。そもそも観光地じゃないしな…… それだけに、この人が知っているのが驚きだ。 とか思っていると、意外な言葉が飛び出した。 「というか、私も草神」 「え、本当ですか?」 ど、同郷の人に饅頭送ってしまったのか…… 「うん、御崎原高校だよ」 「あ、俺は志乃上高校なんですけど」 ちなみに、御崎原と志乃上は隣の駅同士だったりする…… 「へえ、近いね。実家は?」 「実家はですね……」 とまあ、こんな風にして話がはずんで行ったわけだ。 それにしてもこんなところで同郷の人に会うとは……いや、進学している人は過去に何人もいるわけだが。平安大ぐらい大きな総合大学は近場にあまりないし。 しかし隣の部屋とは…… 「ま、そんな感じだな」 話を聞き終えた稲穂が、何か言いたげだった。 「どうした?」 「……あのね、達哉」 意を決したように、口を開く稲穂。 「ん?」 そこからまた、思いもしない言葉が出てきた。 「私も前に草神に住んでた」 「まじか!」 な、なんてこった…… 稲穂まで同郷……あ、いや、住んでただけで出身は違うかもしれないか。 「うん、志乃上の商店街に、神社あるでしょ?」 「ああ……って、まさかあそこに」 良く知っていた。幾度か遊びに寄ったこともある。というか…… 予感は的中した。 「うん、いたときがあった。5年ぐらい前から2年間かな。修行みたいな感じで」 ガーン…… しかも俺の高校在籍時とちょっと、いや、割と重なってるじゃないか。 絶対15メートル以内まで近付いたことがある。お、恐ろしい…… 「なんてこった……」 草神から隆山まで電車で45分。隆山からさらに電車で50分。この沼崎市のはずれでこんな出会いがあるなんて…… 世間は狭いというか、なんというか…… 少々驚きを引きずりながら、勉強時間になった。 「今日は対数」 1回極限をはさんでしまったが、指数とくれば対数だ。 「対数?」 「対数。今までなかった概念だと思う」 ![]() 「……ろぐ?」 「ログ」 「なにこれ?」 予想通り首をかしげる稲穂。 まあ、定義としてはこうなる。 ![]() 「? どういうこと?」 ログってのは、aをbにするためにa自身を掛けなければならない回数ってことだ。まあ、何乗すりゃいいのかって話だな。 ![]() 「あー、3の2乗は9で、2の4乗は16だね」 「ああそうだ。で、左の小さい数を対数の底と呼ぶ」 「てい」 「ああ、底だ」 ![]() これはわかるよな。3は1乗で3だ。 上の式から分かることは、 ![]() とまあ、こうなる。 何乗ってのは前に出せるわけだな。 「でまあ、この対数、他にもいろいろと決まり事はあるんだが……その前に一つ」 一応底の概念は教えたから、もういいか。 「うん?」 「3だの2だのを底に取ったが、ほとんどの場合そんなことはしない」 「そうなの?」 不思議そうな顔をする稲穂。残念ながら、それらの底を使う機会はない。大学に入って使った覚えもない。 「ああ、物理をやる場合は、底はeだ」 ネピアの定数。という名前があるらしい。 「eって……この前やったあれ?」 「そうだ。あれだ。不思議なことに、自然界はこれを元にして動いている場合が多い」 「そうなんだ……」 そうなんだよ。なぜかはしらないが。 だから、物理を学ぶ上では2だの3だの、そういう底はいらないわけだ……いや、いらなくもないかもしれないが、ほとんどeを使ってしまう。 「で、こう書き表す」 ![]() 「ずいぶん省略したね」 「ああ、で、これは自然対数というもので『ログナチュラル』と読む。この場合は『ログナチュラルx』だな」 もちろん、 ![]() であることには変わりない。 でまあ、lnxのグラフはこんな感じになる。 ![]() xが2.718あたりで1になってるだろ? あと、xはマイナスをとれない。なぜかというと、eを何乗かしてマイナスになるものはないからな。 それは次のグラフからもわかる。 eのx乗と並べてみたグラフだ。 ![]() lnxがマイナスのxを取れない。eのx乗はマイナスにならない。 「そうなの?」 「3を何乗すればマイナスになる?」 じっとグラフを見詰める稲穂。 「んー……ピンクの線だから、無理だね」 早めに結論にたどり着いた。 「だろ?」 「で、eの0乗が1になるから、ln1は0になる。と」 別にeに限ったことではないが。 「うんうん。なんでも0乗したら1だったよね。その逆なんだ……分かりにくい」 「まあ、あっさり分かられても困るんだが」 でもこれがないと不便なんだよな、いろいろと。 「あと、指数の性質から導かれることは」 ![]() 「この3つを覚えていればまあなんとかなるかな」 自然対数だけでなく、あらゆる底に関してこれは成り立つが。 「なんか適当だね」 「そういうわけじゃないんだが……」 底を変換する方法もあるんだが、自然対数しか使わないから別に教えなくても良いや。 あとは、イメージとして…… ![]() この3つぐらいはぱっと出てこないとな。 さて困った。これ以上教えることもないぞ。 時計を見るとまだ時間はある。 「どうしたの?」 稲穂が不思議そうにこちらを見る。 ふりふり揺れる尻尾が気になって仕方ない。 「いや、例題でもしてみるか」 「うん」 じゃあまず最初。 ![]() 「うーん……分解すればいいの?」 「ああ、とりあえずやってみな」 ![]() 「こんな感じ?」 「正解。簡単だよな」 うーん、センターの問題でもやってみるか…… 過去の新聞あったか……? 「ちょっと待ってな」 「うん」 あ、あれだ。確か下駄箱に敷いてたんだ。靴の匂いが取れるらしいから。なぜセンターの問題にしたかは、あてつけというか、過去の恨みと言うか…… 発見。 対数の問題は……お。あった。 ![]() d=0となる場合を求めよ。 「d=0かあ……えっと」 ![]() 「3分の1乗……」 「x=の式に直して、両辺3乗して、ルートを……」 と、ここまで言ったら答え教えてるようなもんか。 「あ、わかった」 ![]() 「OK。なかなかやるじゃないか」 「えへへ……」 照れる稲穂。ぱたぱた耳が動く。気になって仕方ない。 しかしまだまだこれからだ。 次に、abcd>0となる場合を考える。 a,b,c,d,全てが負となる場合は…… ![]() である。yを求めよ。 「全部負なんだよね……じゃあ、それぞれ……」 ![]() 「だよねえ」 「ま、そうだわな。引くほうがでかけりゃ負になる。次は、ログの中に入れてみな」 ![]() 「よし、じゃあ、底とxの関係式。1より小さくなるんだから……」 xの何乗ってのが底より小さくなれば、値は1より小さくなる。 ![]() よし、まあちなみに、 ![]() こうなる。 この中で一番小さいのは? 「えっと……2番目かな?」 「だな。2番目を満たしていれば、全部負になる……全部代入でやってみな」 ちなみに、 ![]() だ。一応な。 ![]() 「あ、おっけー、おっけー」 喜ぶ稲穂。 「だな。ってことで」 ![]() 「となるわけだ」 スピード勝負のセンター、本番はあんまりのんびりやってもいられないが。 「次。abcdのうち、2つが正で2つが負の場合のxの範囲」 「ええと……どれが早く正になるかな」 着眼点はなかなかいいな。 「2番目は決定として……あと1つ……」 「0になるのを考えてみろ」 「0……」 ![]() 「これで0だよねえ」 「だな。あとは、数値を比較してみると……」 ![]() 「ふんふん。じゃ、次に正になるのは4番目!」 正解。 「だな。で、この問題は範囲を求めろだから、上も当然決めなきゃならない」 「次は1番目の奴でしょ? だから……」 ![]() 「センターはここまで書くように」 稲穂が書いた1行目に、2行目を書き足す。 「はーい。普段はいいの?」 「まあ、高校のときはいるかもな」 大学では大体放置だが。 「ふうん……」 分かったのか分かってないのか。稲穂がうなずいた。 「最後の問題。全部が正になるとき」 「そんなの簡単だよ。残った奴でしょ?」 あさり答える稲穂。 ![]() 「えっと、9掛ける9掛ける3は……81かける3で……」 必死に筆算しているが、3に8掛けて1に3掛ければすぐだ。 「243な。終わり」 稲穂が筆算を終えると同時に、答えを言った。 これで大問1の半分を理解できたって訳だ。 「はー、結構長い道のりだねえ」 息をつく稲穂。 まあ、本格的な問題だしな…… 「まあ、こんなのは10分で済まさなきゃならないわけだが」 「ええっ! そうなの?」 尻尾を立てて驚く。気になって仕方ない。 「ああ」 多分。 多少オーバーかもしれないが、さっさと解くに越したことはない。 「はぁ、疲れたー」 カーペット敷きの床に、ばったり倒れこむ稲穂。 「ん、今回は良くやった」 と、誉めてやる。 「さて、次は三角だな」 それにしても物理やってないな…… 「え、この前やったんじゃないの?」 「応用編」 大体この前って概念やっただけじゃないか。三角は奥が深いんだぞ。 「ふーん……」 分かっているのか分かってないのか。 まあ、多分分かってないんだが。 その後はやっと微積……か。やれやれ。 まだまだ先は長そうだ。 戻る |