Fox & Mathematics 〜べんきょう、しよう〜 微分のお話3 今日もやっと授業が終わった。といってもまだ昼過ぎなんだが。 テスト前だからってペースが変わるわけじゃないが、少し疲れたな…… 学校近くのスーパーで買い物を済ませ、アパートへと足を向ける。 「ねえねえ、知ってる?」 前方から賑やかな声が聞こえる。近所の中学校の生徒だろう。 そういえば下校時間って、このくらいの時間だっけか……と、そこまで考えたところで短縮授業の存在を思い出す。 「あの家にね、なんていうの? 猫耳? つけてる女の子が住んでるんだって」 !? 彼女の指差す先に、うちのアパートがあった。 ま、まさか…… 「なにそれ。コスプレかなにか?」 「かもね。たまに見かけるらしいよ」 あの部屋だったかなと指差す先は、佐倉さんの部屋……確定した。 「へえ……変な人もいるもんね」 「ねえ」 歩くスピードを落とし、彼女らが見えなくなってからアパートへ駆け込んだ。 自分の部屋に荷物を放り込むと、すぐさま隣の部屋のドアを開ける。ノックは一瞬。 「稲穂!」 うちわを持って寝転がっていた。もちろん、耳と尻尾は出しっぱなしだ。 「へ、どうしたの?」 ふいっと上体を起こすと、稲穂は不思議そうな顔でこちらを見た。 「そうなんだ」 今聞いてきたことを話すと、稲穂は一言そう言った。 「そうなんだじゃないだろ……どうすんだよ」 のん気な奴だな、おい。 「うん、気をつけるよ」 「ほんとかよ……」 どうにも不安だ…… まあ大丈夫だとは思うんだが……変な噂が広がっても困る。 はぁ……とため息をつくと同時に、ドアの開く音がした。 「ただいまー、あ、都君」 「お帰りなさい、佐倉さん。ちょっと聞いてくださいよ……」 と、佐倉さんに言おうとしたその時、 「見て見て、これどうかな?」 佐倉さんがかばんから取り出したそれは、いわゆる猫耳…… 「佐倉さん……」 どうしてこう、この人は…… 「稲穂ちゃんとお揃い」 装着。ちょっと可愛かったりするから卑怯だ。 「ほんとだー。ちょっと違うけど」 はしゃぐ二人。取り残される俺。 なんだ……俺が間違ってるのか? 「そんなの、どっから仕入れて来るんですか……」 「あ、今度都君の分も」 「いりません!」 ……いろいろあったが、とりあえず自分の部屋に戻って勉強を始める。 「今日のテーマは偏微分だ」 「へ、変?」 「偏った偏。変なのは耳だけで充分だ」 「わ、酷いこと言ってる」 まったく、佐倉さんといい、稲穂といい…… 数学の問題ではともかく、物理ではいろんな変数が使われる。 温度然り、体積然り……まあそれは熱力学で説明するが。 ……いつになるんだろうな。 ともかく、変数は1個じゃない。 微分の考えを2変数に拡張してみるぞ。 書きづらいんだが、グラフはまあこんなのになる。 気持ちは分かってくれ。3次元だ。 これじゃあ微分の本来の目的……傾きを調べるってやつな。それがどの方向での傾きなのか決まらないよな。 例えば山の中腹にいるとする。頂上向かって前後はもちろん坂だよな。でも、左右はそんなに傾きがない。階段ならともかくハイキングコースは緩やかな傾斜の左右を選ぶよな。 今度ハイキングでも行こうか。 「うんうん。行こう行こう」 「いつになるか分からないけどな」 夏休みに行ってもいいんだが。 「草神でもいいんじゃない? 割と近いし」 どうも稲穂も同じ考えだったらしい。確かに、草神は山が割と近い。 「ああ、そうだな」 佐倉さんも誘って行ってみるか…… ……と、話はそれたが、えっと、なんだっけ。 ああ、つまりだ。傾きを調べるのにだな、軸と平行にぶった切るわけだ。 こんな感じ。 二次元のグラフに直してみると、 まあ、こんな感じか。気持ちだけ分かってくれ。 で、この二次元に直したグラフで傾きを見るわけだな。z(というかf(x,y)だな)をxで微分するわけだ。 これはy一定……変化を止めているわけだよな。xだけで微分しているわけだ。 でまあ、それをこう表す。 これが偏微分。この変な記号はラウンドとか呼ぶが、まあxの偏微分でいいだろう。 具体的な計算方法は、yが動かないんだから、yを定数と見てやればいい。 「定数……」 「じゃ、練習問題。やってみな」 「xの偏微分から」 「えっと……」 「これでいいの?」 「ああ。つぎ、yでの偏微分」 「yを含んでないところは定数だから消えちゃうよね」 「ああ、それでOKだ」 「じゃあ次、やってみろ」 「えっと……今の答えをもう1つの変数で偏微分するんだね」 「ああ、そうだ」 ちゃんと分かってるな。よしよし。 「えっと……」 「yがないところは消えちゃって、後ろの部分だけ微分だよね」 「よしOK。じゃあ次」 「xで微分だから……あれ、一緒になった」 少し驚く稲穂。 「そうだ。何が言いたいかというとだな、順番は関係ないぞと」 「うん、わかった」 さて、全微分というものがある。 まず変数1個のときから考える。 変数f(x)がちょこっと動くってのは、xがちょこっと動いて、その傾きをかけたものに等しい。つまり、 グラフを書くとこんな感じな。 黄緑は傾きがf'(x)ってことな。 「うんうん。そうだね」 でまあ、これは…… こうだわな。まあ、そもそもdf/dx=f'(x)だしな。 でまあ、これを2変数のときに当てはめてみる。 2変数のz(x,y)がちょこっと動くってのは、xもyもちょこっと動いてる。 「あー、ここで偏微分の出番なんだね」 「まあそういうことだな」 別にこれだけじゃないんだが。まあいいか。 「でまあこいつがだな、全微分なんて呼ばれる」 「偏微分と全微分……ややこしいなあ」 ややこしいって……響きが似てるだけじゃないか。 「でもやってることは全然違うだろ?」 「うん。まあね」 でだ。 偏微分は分数と同じように扱えないときもあるって言ったよな。自信ないけど。 それを証明する。 いきなりだがzの動きを止める。つまり、dz=0だ。 で、dxで割った。当然1項目の後ろは1だから、 で、さっきも言ったがzを固定してるってことはだ。yの関数に直したときのxの微分は偏微分と同じだ。yイコールの式にして、zを定数で扱うんだからな。 というわけで続き。 「ほんとだ。マイナス1になるんだね」 「ってことで、微妙に扱いが異なる。具体的には熱力学を使うときにならないと説明できないんだが、まあ稲穂ノートに書いておけ」 「うん。でも、最後って分数と同じように移項してない?」 「ああ、それは大丈夫」 全微分の式で、yを固定する。dy=0だ。 で、dy=0ってことは、y固定。定数として扱うから、偏微分と同じ。 「ふーん、これだけなら同じように使っていいんだ」 「ああ、重要なのは複数絡んだときの処理な」 さて、まあずっと微分をやってきたが、これで何がわかるかってのを教える。 微分したら傾きが出るってのは教えたよな。 でもまあこの傾きなんだが、正ならグラフは右上がり、負なら右下がりだよな。で、0なら平行。 ま、口で言うより実際やって見るか。 微分するとこうなるわけだ。 微分して0になるところは…… 「1だね」 「プラスマイナスな」 表にするとこうなる。 適当に間を埋める。 f'(0)=-2 ってことで、−1と1の間はマイナス。 あとxが1より大きいときは微分したら正。−1より小さくても、微分したら正。 「えっと……うん、そうだね。」 ってことで埋める。でまあ、微分したものが正か負かで、上がってるのか下がってるのか分かるから…… ということから、グラフの大体の形が分かる。 こんな感じな。かなり適当だが。 でまあ、微分したら0になるところを極値というんだ。 この場合、x=−1で極大値をとる。 x=1で極小値を取る。 「極値……」 「まあ深く考えなくてもいい。ただ、グラフの増減が分かるってだけだ」 でまあ、より詳しく知るためには、もう1度微分する。2回目だから2回微分と呼ばれる。2階とも書いたりするが、別にどっちでもいい。 まあ、簡単に言えば、減る勢い、増える勢いがわかるわけだ。 増え方、減り方はこの4種類な。 増え方が鈍くなっていく左と、増え方がどんどん酷くなっていく右。 減り方がどんどん酷くなっていく左と、鈍くなっていく右。 それぞれ左側が2階微分負。右側が2階微分正。 正なんだから減りが弱く、増えが酷くなってるのは分かるな。 負だったらもちろん減りが酷くなって、増え方は鈍くなる。 さっきのグラフで考えると、 ってことで、0が切り替わる地点ってわけだ。 正は0の右……ってことは、減りが弱くなって、増えが酷いだろ? 逆に0の左は負だから、増え方が弱くなってきて、減り方が酷い。 「……この点々2個は、2回微分?」 「あれ、教えてなかったか」 「こんな感じな。2乗みたいに書く」 「でも実際は、1回微分して、それをもう1回微分するんだね」 まあ単純だな。 じゃあ練習してみるか。 次の2つの関数の2階微分を求めてみろ。 適当に書いてみる。まあ、できるだろう。 「じゃあ最初からね……えっと、3はおいといて、ログの微分は……」 稲穂ノートをぱらぱらとめくる。まだはっきり覚えていないらしい。 「こう?」 「ん、次」 「うん。x分の1は、xのマイナス1乗だから……」 「そうだな」 少し微分にも慣れてきたかな。 次の問題に取り掛かる稲穂。 三角はノートなしでも大丈夫のようだ。 「こうだよね」 うん、大丈夫そうだ。 「ちゃんと忘れてないな」 「え?」 「2が前に出るってこと」 「うん。2xを微分したやつだよね……それから」 「こうかな」 「ん、OKだ。だいぶ慣れてきたか」 「うん」 じゃあ、1問目についてのみ、増減を求めてみろ。 「えっと……」 「こうだから……」 「ああ、ちなみにlnだから、xは0以下をとれないぞ」 「うん……えっと」 「って、じゃあずっと同じような増え方じゃない」 「だな」 まあ、lnxのグラフを思い出せばすぐわかると思うんだが。 ちなみにいつかは増えるのが止まりそうにも見えるが、x無限大のときはlnxも無限に飛ぶ。 今日はここまで。 自分で適当な関数作って増減調べる練習してもいいかもな。 「さて」 夏は日が長い。 日が沈むまであと1時間はあるな。 「うん?」 「自転車乗る練習するか」 「今から?」 稲穂ノートをしまいこむ。 そろそろ新しいノートが必要かもな…… 「まだ明るいだろ」 「んー、わかった」 隣の部屋へ戻って行く稲穂。 玄関脇に置いてあった自転車の鍵をポケットにしまう。 学校へは歩いて通ってるから、自転車乗るのは結構久しぶりだな…… 靴を履いて外へ出る。 昼に比べれば日差しはマシになったとはいえ、やっぱり暑い。緩やかに吹く風が、なんとも心地いい。 「都君」 「あ、佐倉さん」 と、稲穂。 「自転車の練習だよね。どこでするの?」 「うーん、前の道でもいいんですけど」 そんなに交通量もないし。 「ええっ、嫌だ。恥ずかしい」 いきなり文句が出た。 「他は……神社」 「もっとダメ!」 わがままな奴だな…… 「都君、実ヶ池公園はどうかな」 悩む俺に、佐倉さんがこう聞いてきた。 「実ヶ池公園……」 って、線路はさんで向こう側じゃなかったっけか。 ちょっと遠くないか? 「少し距離があるけど、思いつくのってそこしかないよ」 「そうですね」 確かにそうだな…… 「じゃ、けってーい!」 はしゃぐ稲穂。声が大きいって。 「まあ、とりあえず行きますか」 「うん」 もちろんそこまでは自転車。なのだが…… 「で」 「うん?」 首をかしげる稲穂。 「何で俺の自転車の後ろに乗ってるんだ。お前は」 当然の如く俺の自転車の後ろに座る稲穂。 最近の自転車にしては珍しく荷台がついているため、座りやすい。引っ越してきたてのときは荷物を運ぶのに活躍したものだが…… 「だって、ゆかりちゃん女の子だし」 それは理解できる。だが、 「歩け」 「えー、やだよ」 二人乗りなんて怖くてできるか。 万が一事故ったらどうするんだ。 「二人乗りは違反だ」 「細かいなあ、達哉」 そういう問題か。 ……そりゃあ、信号無視したことがないかと言われれば、あるんだが。 「第一、重いだろ」 「うわ、すっごく失礼だよ、それ!」 実際、普通の荷物よりは重いだろ。 と、外野から平和そうな声が聞こえてきた。 「二人ともー、早くしないと日が暮れちゃうよー?」 佐倉さんが自転車に乗って、前の道路でくるくる回っている。 言っちゃ悪いが、ちょっと間抜けだ。 ……まあ、言ってることはもっともなんだけど。 「ほらほら」 べしべし背中を叩く稲穂。 「はぁ……まったく」 そうつぶやくと、諦めてペダルを踏む。 少しずつ周りの空気が流れ始める。多少だが涼しい。 そして、俺の背中に体を預ける稲穂は、思っていたよりも軽かった。 戻る |