Fox & Mathematics 〜べんきょう、しよう〜 運動量のお話 トンネルを抜けるとそこは…… 「海だー」 きらきら輝く海が見える。 この辺りから海沿いを走ったり離れたりして隆山に近付いてゆく。 「静かにしろよ」 俺たち以外にも客はいるんだし。 「泳ぎたいなあ」 聞いちゃいねえ。 「また今度ね」 佐倉さんも普通に笑ってるし。 「うー……」 泳ぎ……ねえ。 水着着て、尻尾はどうするつもりなんだろう。 クーラーの効かない車内。 きらきらした海を見るのもいいが、たまに入るトンネルの方がどちらかというと嬉しい。若干涼しいから。 実ヶ池から電車に乗って20分。隆山までにはまだあと30分ぐらいかかるな…… 稲穂はまだまだ電車が嬉しいらしく、はしゃぐし…… って、 「稲穂?」 「…………」 妙に静かになった稲穂を見てみると、 「すう……」 佐倉さんの肩にもたれて眠っていた。 「寝ちゃってるね」 「全くこいつは……」 やかましいと思ったらぐーすか寝て……忙しい奴。 「ふふ、可愛い」 稲穂のほっぺたをふにふにする佐倉さん。 くすぐったそうな稲穂。 なんとも平和な光景だ…… なとなく席を立つと、ドアの上に張ってある路線図を見に行く。 駅の数じゃあ半分を過ぎてるんだが……駅間長いからな。時間的にはやっと半分ってとこか。 ま、稲穂がこのまま眠っててくれりゃあ静かでいいが。 でまあ、席に戻ってみると、 「……くぅ」 「……すう」 二人仲良く眠っていた。 「やれやれ……」 俺は寝るわけにいかないな。 隆山は終点じゃないし。 流れてゆく景色をのんびり眺める。 トンネルに入ったり、海が見えたり。たまにはこういう旅もいいかもしれないな。目的地が実家ってとこがアレだが。 電車で通学するようなとこに住んでる奴は別として、一人暮らしを始めるとまず電車に乗る機会がない。 電車に乗って他の駅まで行かなきゃいけないような買い物なんて、滅多にないし。普通に暮らすだけなら自転車で行動できる範囲で十分だ。 高校時代は電車通学だったが……混雑するから好きじゃない。 1駅、2駅…… 少し駅の間隔が長い。それでもまあ、確実に目的地へ近付いてるわけで。 「次は、隆山、隆山です」 ぼんやりしているといつの間にか隆山は目前だった。 「おっと……佐倉さん、佐倉さん」 終着駅じゃないからな。ちゃんと降りないとそのまま行ってしまう。肩をゆすって佐倉さんを起こす。 「ふえ……?」 「もう隆山ですよ」 「え……あ、そうなんだ」 小さなあくびを一つ。気持ち良さそうに寝てたからなあ。 「ほら、稲穂。起きろ」 ヘアバンドの真ん中、つまり耳と耳の間をどすどすつついて稲穂を起こす。 こうすればすぐ起きるんだと自分で言っていた。 「うん……?」 そして言葉通りきっちり起きた。 どんな構造なんだか。 「稲穂」 「達哉? どうしたの?」 「降りるぞ」 言うと同時にドアが開き、車内の乗客が流れ始めた。 さて、と。 運賃表を見上げる俺。 「っと、こっから瀬良まで……じゃないや。志乃上まで送るんだったよな」 はぁ、さすがにそれなりに運賃がかかる。多分時間も。 俺の横で同じように見上げる佐倉さん。 「1時間ぐらいかかるかなあ」 「ですね。急行で瀬良まで行って、普通に乗り換えて……」 面倒だが仕方ない。 「そうなるね」 この距離だと特急も意味ないからな……つくづく中途半端だ。 ここ隆山は始発駅ということもあり、あっさり座席に座ることができた。 幸運なことに、クロスシート車だ。 特急の多くと急行に使われている車両で、窓に背を向けるタイプじゃない車両。小さい頃はこれに乗るのが嬉しかったな……席に座って横を見たら外が見えるから。 窓際向かいで俺と稲穂。稲穂の横に佐倉さんが座る。 佐倉さんはまだ少し眠いのか、目を細めて小さなあくび。 稲穂はというと…… 「ねえ達哉」 「どうした?」 「勉強教えてよ」 とんでもないことを言い出した。 「ここでか?」 「うん」 進行方向に向かって座ってる稲穂はいいが、逆の俺は酔いそうだ。 「外見てたんじゃなかったのか」 「そうだけど……同じような景色じゃない?」 確かに、これから真っ直ぐ横切る隆山市はほとんど住宅街だが…… かといって全く変化がないかといえば、そんなわけないんだが。 「じゃーん」 取り出したるは稲穂ノート。 もうやる気満々ですよ、この娘は…… 「わかったわかった……」 仕方ないなあ。 静かに動き出す電車。 ちらっと佐倉さんの方を見ると、 「……くぅ」 もうすっかり眠っていた。 じゃ、復習から。 物体が移動した距離はどう表した? ![]() そうだな。これくらいは稲穂ノートなしで書けるようになってもらいたいとこだが。 じゃあ、速度は? ![]() だな。 じゃあ稲穂。xをtで微分してみたらどうなる? 「え、tで微分?」 「ああ。xで微分するのと同じように、tで微分するんだ」 「うん。えっと……」 ![]() 「あ、あれ?」 「そういうことだな。もう一回微分すると?」 ![]() 「あ、加速度……」 まあ、当然といえば当然だよな。 速度のグラフでの傾きは、もちろん加速度になる。 ![]() グラフだと、t0のところにおける加速度はaだろ? 速度がガンガン上がってるときは、傾きも大きくなってる。 それと同じように、位置のグラフでは傾きが速度になるんだ。 ![]() 位置があんまり変わってなかったら、傾きである速度は小さいってわけだ。 でまあ、この関係は逆も然りな。 「逆?」 「微分の逆演算は?」 「積分」 よくできました。 「つまり、加速度を積分してみると?」 ![]() 「あー、この場合のCが、最初の速度のv0なんだ」 「そうなる。これでまあ、積分定数Cの意味というか、必要なのがわかっただろ?」 「うん。えっと、じゃあもう一回やると……」 「ああ、積分定数は別の使えよ。Dとか」 ![]() 「ふんふん。合ってるね」 「そういうことだな。つまり、こういう関係」 ![]() 「グラフ上での面積がどうっていう話だよな。そりゃあ微積に関わってくるのも当然だ」 でまあ、これらのことから、運動方程式はこう表されたりする。 ![]() これはまあ、なんというか。 多くの場合力Fは位置xに依存してる。で、微分方程式になって解けるって話なんだが……まあ、それはまた今度。 で、今日は新しい物理量を教えようかと思うわけだ。 その名も「運動量」 「運動量?」 「大まかな概念としてはだな、破壊力ってとこかな」 「破壊力……」 運動量ってのは以下で定義される。 ![]() 質量と速度の積ってわけだな。 速度がベクトルなので、自動的に運動量もベクトルになる。 え、いや、なんでpなのかって言われてもな……英語では「Momentum」なんだが、質量のmとかぶるから先送りにしたんじゃないか? mの次はo……は、原点とかで使うからこれも却下。その次のpってわけだな。多分。 しかも圧力もPだな。だから小文字でpなのかもな。圧力と運動量は同時に扱うことってあんまないし。 と、本題。 まあ、普通に考えてわかると思うが、速度が大きい方が破壊力は大きいよな。あと、質量が大きい方も。 ゆっくり転がってきたボールに当たってもなんてことはないが、猛スピードで走ってきた車にはねられるとえらいことになる。 でまあ、割と重要な法則があってな。 外力の働かない系では、運動量は保存するんだ。 系ってのはつまり……なんといえばいいのか。難しいな。 うんとな……うーん、問題にしてる物体が2つあるとするだろ? その場合は3つ目の物体があっても問題には何の関係もないわけだ。 世の中にはまあ沢山物体が存在してるわけだが……その2つ以外眼中から外すわけだな。そういう場合、問題の系は2つの物体が存在するだけになるわけだ。 ああ、もう説明し辛い。 とりあえず言いたいことは、外から力が働かなきゃ、系の運動量は保存するって話だ。 今、こうなってるとする。 ![]() 質量はそれぞれmとM、速度はそれぞれv0とV0な。 この系の運動量はこうなってる。 ![]() で、ぶつかった後は、 ![]() こうなったとして、 ![]() 運動量はこう変化する。 で、その時、 ![]() これが成立するってわけだな。 運動量保存則と呼ぶ。 例題してみるか。 1次元で考える。静止していた質量Mの物体に、質量mの物体がvでぶつかった。衝突後二つの物体は合体し、一緒になって運動したわけだが、さてその速度は? 「ややこしいなあ……」 「まあそう言うな」 口ではそう言うものの、さらさらとノートに書き出す稲穂。 「えっと、衝突前はこうだよねえ」 ![]() 「で、合体するから……衝突後は、えっと……」 質量はもちろん2つの和。 「速度をVでおいてみな」 「V? うん。えっと……」 ![]() 「これでいい?」 上目遣いの稲穂。どうにもまだ自信がない様子。 「そうだな。あとはこのVを求めるだけだから」 「えっと、保存するからイコールで……」 ![]() 「移項……かな?」 ![]() どうやら答えが出たようだ。 「これでいいの?」 「よしOKだ」 ま、これだけできれば大丈夫だろう。多分。 次に力積。 まあ、こういう式が成り立つんだよ。 ![]() 初めの速度はv0な。で、力をかけたあとの速度がv。 右辺の、力に時間を掛けたものが力積なんだが……まあ、次元を見ればわかるよな。 ![]() こういうこと。成立してるな。 でまあ、これはある大きさの力を掛けた時間によって、その運動量が変わるってことを言いたいわけだな。 例題。2kgの物体を、1m/sから5m/sにする。かける力は1Nだが、さて何秒間押せばいい? 「えっと……2キロで、1から5でしょ……」 ![]() 「こうよね。で、1N……」 ![]() 「これだけ?」 「まあ、そういうことだな。8秒」 で、まあ少し見方を変えてみる。 速度の変化ってのはつまりdvなわけだ。変化量としてな。で、微少な時間もdtと表せる。つまり、 ![]() で、dtを移項すると、 ![]() こうなる。 速度はつまり、位置の微分で表せるから、 ![]() 「1次元ならrはxなんだが。まあ、速度をベクトルで表してるから多次元にしてみた。気持ちはわかるだろ?」 「……」 答えない稲穂。 じっと式に見入っている。 「どうした?」 聞いてみても、稲穂はノートに釘付け。そして小さくつぶやいた。 「すごい……」 「え?」 「すごいすごい。運動方程式だ!」 いや、まあそりゃそうなんだが…… 「こうやって繋がるんだ……面白いね」 「まあ、そうだな」 物理なんてそんなもんだ。多分。 まあ、楽しんでくれるならそれに越したことはないが。 「次は……瀬良、瀬良でございます」 うお、もう瀬良か。 キリもいいしそろそろ終わるか。 「次か。今日はこの辺で終わりな」 「うん」 頷く稲穂。さて、一方…… 「……くぅ」 相変わらず幸せそうな寝顔の佐倉さん。 このままでも仕方ないし、起こさないと。 「佐倉さん、乗り換えですよ」 「ゆかりちゃん、ゆかりちゃん」 稲穂が佐倉さんをがくがくゆする。もう少し優しくてもいいだろうに…… 「……ん」 少しだけ目を開ける佐倉さん。 「ゆかりちゃん、次で乗り換えだよ」 「え……もう隆山?」 違う。 「瀬良ですよ」 「え、あ、あれ……?」 じわじわと状況が飲み込めてきたらしい。 「あっ、そ、そうだよね。どうしちゃったんだろ、私。あはは……」 ちょっと照れている様子。 どうしちゃったんだろって、寝ぼけてた以外の何物でもないと思うが……まあ、それは言わないことにする。 そんなこんなで見慣れた故郷へ到着。 瀬良である。 「ああ、帰ってきたなあ……」 クーラーの効いた車内から一歩踏み出すと、むせ返るような熱をもった空気。 その先には、見慣れた景色。 そして、空気の匂い。 18年間お世話になったわが故郷。 だが…… 「都君、乗らないの?」 「達哉、早くしないとドア閉まっちゃうよ」 感慨に浸る暇はなかった。 ああ、さようなら故郷…… 悲しみのうちに、目の前のドアが閉まった。 たった3分間の故郷を離れると、後は3年通った通学経路。 もうすっかり見慣れた景色だ。 低い家が多いところは空が広く見えたり、ちょっと急なカーブがあったり。あんまり変わってないなあと思いつつ、ぼんやりと外を眺める。 昼間ということもあって、乗客はそんなに多くない。座席の半分が埋まるくらいだ。 終始そんな状態のまま、気がつけば志乃上。 「到着……っと」 うん、やっぱ懐かしいなあ。 あっちに行けば我が母校があるわけだが…… 「で、その神社はどっちなの?」 稲穂の言う神社は反対方向なんだよなあ。 「なんとなくしか分かんない」 「ああ、こっち」 とりあえず商店街のほうへ進む。 正式名称があるのかどうか知らないが、志乃上高生の間では『神社』とか『稲荷神社』で通るはずである。 「しかし稲穂……駅からの道ぐらい覚えとけよ」 とはいえ、駅自体使わなかったのなら、知らなくても無理もない話だが。 「そんなこと言ったって、あんまり出てっちゃダメって言われてたもん」 「まあ、そうだろうな……」 何しでかすかわからんし。 しばらく歩くと、階段が見えてくる。 ここでは商店街のざわめきに消されてかすかにしか聞こえないが、上のほうではセミが大合唱しているようだ。 「あ、ここだね。ここ」 はー、やれやれ。 「ずいぶん階段登るんだね……」 階段を眺めて佐倉さんが息を吐く。 「それなりに眺めはいいよ」 「だなー」 元気良く駆け上がる稲穂。 遅れてゆっくり上がる、俺と佐倉さん。 「都君」 「はい?」 俺は紺のハンカチで。佐倉さんは白のハンカチで額の汗をぬぐう。 遮る物が何もない階段。 風の通りはいいが、もちろん陽の光も直に来る。 「稲穂ちゃんとは、どこで勉強するの?」 「あー、どうしましょう。特に何も考えてないんですけど」 「そうなんだ。ふーん……」 何か考えがありそうな佐倉さん。 でもすぐには言わないところがこの人なんだよなあ。 「そういえば、実家の電話番号知らないね。お互い」 携帯は知ってるんだが。近所なら実家の電話にかけたほうが安いだろうな。 「そうですね……交換しておきます?」 「んー、じゃあ一応」 そんなこんなですっかり遅くなってしまった。 上では予想通り、稲穂がすねていた。 「二人とも、遅すぎ」 まあまあとなだめ、改めて周りを見る。 やっぱり懐かしいな。 ま、3年やそこらじゃなかなか変わらないか。 境内に人の姿は無く、予想通りセミ達の声に包まれている。 「えっと、それじゃあ私はここで」 本殿の前で、稲穂が言った。 「ああ、お疲れ」 「またね、稲穂ちゃん」 小さく手を振る佐倉さん。 「それでえっと……私を呼ぶときなんだけど、柏手うってくれたら多分出てくると思うから」 不思議なやつだな……柏手ね。 「出てこなかったらどうするんだ?」 「うーん、あんまりないと思うんだけど、外出中かな」 「ん、わかった」 外出しても行き先があるとは思えないしな…… 「じゃ、またね」 そう言って笑う稲穂。 本殿の方へ身を翻すと同時に、その姿が消えた。 「え……」 「あら……」 佐倉さんと一緒に、呆然と立ち尽くす。 事態を把握するのに少々時間がかかったが……まあ、稲穂だからと言う結論で落ち着いた。 佐倉さんと駅で別れ、久しぶりの我が家へと向かう。 夏休み…… 勉強は、夏場が勝負だ。 戻る |