桜の下のソワレ・前編




 逢見ヶ丘に春が来る。
 あたし達の母校、逢見ヶ丘女子高等学校にも。特に変わったこともない庶民の女子高で、略称の『逢女』がなまって『お嬢』と呼ばれている。ちょうど「お嬢の生徒」とか「お嬢の丘」といった感じ。別に皮肉や揶揄が含まれているわけでもないようで、純粋な親しみから丘の周りに住む人たちにそう呼ばれているみたいだった。
 別段変わったこともない普通の女子高だけど、ただ一点だけこの学校にはちょっと変わっていることがある。
 それは、春祭と呼ばれる春の文化祭。


 一部を除き、テストから無事開放された我らが二年二組。
 まだまだ寒空な季節だけど、教室の中は平和に暖かく、まさに『寝ろ』と言わんばかりのぬるい空気……
「というわけで、春休み期間中、春期講習と春祭の準備があります……って、もう去年経験してるから分かるわよねえ」
 春期講習どうしたものか……義務じゃないとは言われていても、やっぱりほとんど皆出席するんだろう。どうせ春祭の準備もあるし。
 ……と、気を紛らわせようと試みるも、確実に睡魔が優勢に……
「まあ、あなたたちももう三年なわけだし、これが高校生活最後の思い出だと思って、力いっぱい楽しみなさいな」
 逢見ヶ丘女子の春休みは、大部分が春の文化祭こと、『春祭』の準備に費やされる。それは受験に挑む新三年生を送るお祭りであり、新一年生をにぎやかに迎えるお祭りでもある。
 断片的に意識をなくしつつも、滞りなく最後のホームルームが終了し、クラスメイトはそれぞれに教室を後にする。
「ふぁ……」
 静かになった教室に、自分のあくびがはっきり聞こえた。
 で、何ゆえあたしはまだ教室にいるのかというと……
「眠そうだね」
 この背後からかけられるのんびりした声。その主を待っていたわけだ。
「……眠そうというか、眠いよ。こまっちゃん」
 それを聞いた『こまっちゃん』こと、小松川初佳嬢はウェーブのかかった髪を少し揺らしてふふっと笑った。
「よりりんはいつも気持ち良さそうに寝るよね」
 この『よりりん』とは何を隠そうあたしのことである。本名は雲浦依子という立派な名前があるんだけど……ここ最近は本名で呼ばれた記憶がない。
「そりゃあもう。睡眠がなくなったら間違いなくあたしは死ぬね」
 最後に大きく伸びをすると、ひょいっと立ち上がってこまっちゃんを見た。
「じゃあ、行こうか」
「うん」
 並んで教室を出るあたしら。向かう先は、演劇部部室。

 狭い部室には、机とイスが二組。向かい合わせに置かれたそれに、どっかりと荷物を置く。冷えた部室を暖めるため、こまっちゃんがストーブをつけた。今日から活動を再開した運動部の声が、小さく聞こえてくる。
「それで、出来上がったの?」
 ストーブの上に手をかざしながら、こまっちゃんがあたしに聞いてきた。
「うん、まあなんとか」
 自分の荷物をごそごそと探る。あったあった。
「見せて見せて」
 取り出したるプリントの束は、
「どうぞ」
 昨日完成させた演劇の台本。
 春祭は、新入生を迎えると同時に、その新入生に対して部活のアピールをする場でもある。勧誘はほぼこの一日で決まるといっていい。だから部活動連中には最重要なイベントになっているわけで、それはあたしら演劇部も例外ではない。
「ふんふん……」
「へえ……」
 ぱらぱらと読み進めるこまっちゃん。あたしはぼんやりと外を見る。
 空を覆う雲に、一つため息をつく。雨、降らなきゃいいけど。
「大体一時間と少しぐらいかな」
「そうだね。元は二時間近くあったけど、なんとか削った」
 寒い寒い。窓の横にあるポットに手を伸ばすと、ぱちっと電源を入れた。
 今回上演するのは、既製の台本にちょいと手を加え品を加え、そしてざっと差っ引いた物。一から書く時間がないだけの話だけど。
「へえ……細かいところはもうちょっと直さないといけないかもね」
「そうですね」
 こまっちゃんに同意する声。
「そう。あと問題は裏方関係だけど……」
 カップとティーパックを用意っと、しかし体育系の連中はこの寒い中良くやるねえ……
「誰かに頼まないとね」
 と、こまっちゃん。
「あ、じゃあそれは私が」
 聞き慣れない声が聞こえた。
「うん。じゃあお願い……って、あんた誰よ」
 一瞬、部室が静まり返った。
「……え? よりりんの知り合いじゃなかったの?」
 こまっちゃんの後ろに立つ人物は、
「あたしにメイドの知り合いなんていない」
 メイドだった。
「私も……」
 あたしら二人の視線を受けた「メイド」は、目を細めてふふっと笑った。
「あ、私ですか?」
「……」
 まるで緊張感のない声。
 やっと思考が追いついた。このメイド、部外者だ。
「他に誰がいるっ」
「よりりん落ち着いて」
「こまっちゃんはもうちょっと慌てなさい」
 部室の中に、見知らぬメイドが一人。いや、意味が分からない。
 たった二人だけしかいないはずの演劇部に、三人目。しかもメイド。
「ミッキー・グリーンランドです。どうぞよろしく」
 深く頭を下げると、
「これはご丁寧に。小松川初佳です。はじめての『初』と、よいの『佳』と書いて『もとか』」
 つられて挨拶しているこまっちゃん。こらこらこら。
「なに和やかに挨拶してんのっ、メイドとっ」
 びしっとメイドを指をさして叫ぶ。
「え、メイドでもいい人そうだよ」
 いい人とか悪い人とかじゃなくてだ。
「そういう問題じゃなくて。第一あんた、どっからどう見ても日本人じゃないのっ」
 黒い瞳に少し白い肌。髪は烏の濡れ羽色。どうひいき目に見たって、どこからどう見てもこいつは日本人。それを日本語で外国人っぽい名前名乗られて、はいそうですかと頭を下げるこまっちゃんの神経が分からない。
「気のせいですよ」
「気のせいだって」
「だぁーっ、もう話にならん! なんでメイドがいる! 女子高に!」
 とりあえずこまっちゃんを諦め、メイドに向かって問い詰める。
「一応女ですし……」
「そうじゃない! 女とかそういう問題じゃなくて、メイドがいることがおかしい。おかしすぎる」
 ってかこれ、夢? 夢よね? 夢に決まってる! 部室にメイドってか、学校にメイドがいるわけない。いるわけないのよ……
 息をついて、目をこすって、頬をつまんで、眼鏡を拭いて……うわ、やっぱり目の前にいるっ!
「混乱してますね」
「よりりん落ち着きなよ。あ、こっちが雲浦依子。よりりんって呼んでいいよ」
「あんたが言うなあ!」
 ああ、どうもこれ、現実みたい……

 何を言ってるのか分からない運動部の声が小さく聞こえる部室。ストーブのお陰か、入ってきたときよりもずいぶんと室温が上がったように感じる。まあ、あたしが熱くなったというのもあるだろうけど。
 紅茶の香に包まれた空間に、演劇部二人とメイド一人。なんともコメントしづらい空間。
「落ち着いた?」
「……なんとか」
 こまっちゃんの入れてくれた紅茶をすする。まだちょっと熱い。
 ちなみに落ち着いたのはいいけど、状況に納得したわけではない。苦い苦い気持ちがするのは、砂糖の少ない紅茶のせいではない。
「それは良かったです」
 さてその原因であるこのメイド……なんだっけ、ミッキーだったっけ。その本人はなんとも涼しい顔をしているわけで。あたしらの向かい合わせの机に横付けて、舞台の道具である小さめのイスに腰掛けている。
「……で」
 半分紅茶の残ったカップを机に置くと、ゆっくりと切り出した。
「あんた一体なんなのよ」
 半ば睨みつけるようにして、ミッキーとやらに言った。
「メイドですけど」
「見れば分かるよね」
 不思議そうな顔をする二人。
「あんたらは……」
 思わず額を押さえ込む。打ち合わせをしていたかのような展開ではあるけど、困ったことにこまっちゃんが仕組んだことではないらしい。
 相変わらず信じられないような状況だったけど、とりあえず目の前にある事実を信じないわけにもいかないし……
「ミッキーでいいんだよね」
「はい、ミッキーです」
 あたしの葛藤など知りもしないというように、仲良くお茶する二人。
「じゃあ、照明と音響をお願いします」
「はい、わかりました」
 大きくうなずくミッキー。まずい。本格的に置いてけぼりじゃないのよ。
「こらこらこら。勝手に話を進めない」
 舞台を手伝わせる前に、根本的な問題があるでしょう。
「第一あんた、何年何組なわけ? そもそもこの学校の生徒じゃないでしょうに」
「それについては、ノーコメントで」
 人差し指を口に当てて、ミッキーが微笑んだ。客観的に見れば可愛らしいのかもしれないけど、とりあえずこの部室でんな風にされてもなんら心は動かされない。
「細かいこと気にしない」
 って、こまっちゃん真似するし。なんなのこの二人……
「気にするってのよ。円周率が三・一四ごときで表されていることぐらい気にする」
「細かいですね」
「円周率はπだからね」
 三桁ごときで円周率を表さないで欲しいわ……じゃなくて。曖昧だらけなこのメイドをこんなとこに置いておくわけには行かないし、春祭で使うなんてもってのほか。
「じゃあ、ミッキーは部員ってことで」
 一つ手を叩くと、髪を揺らしてこまっちゃんが笑った。
「どうしてそうなんのよ」
「円周率はπ。ミッキーは部員。ほら一緒」
 三秒天を仰いだあと、思いっきり否定した。
「一緒じゃない」
「一緒」
「一緒じゃないっ」
「一緒」
「一緒じゃないっ!」
 いたちごっこの言い合いが続くかと思いきや、
「部長権限」
 こまっちゃんの一言で決着が付いた。
「う……」
 負け。完敗。
 簡単に説明すると、全ては部長という面倒ごとを押し付けたあたしの負けなわけで……
 つまりはまあ、義務を果たすこまっちゃんの権利を否定できないというわけ。さらにあたしが押し付けたとなればなおさら。
「はい、決まり。よろしく、ミッキー」
「はいっ、よろしくお願いします」
 仕方ない……のか?
「はぁ」
 静かな部室に、二人の声と大きなため息。
 本当にこの三人でやっていけるのか……準備の始まったその日から、いきなり心配になってきたのだった。


 本番まで二ヶ月と少し。その大部分を占める春休み中に、演劇部の練習は行われる。
 あたしらの所属する逢見ヶ丘女子の演劇部は、ほんの五年前に創設された新参の部活動。規模が小さいなりにもまあ毎年入部希望者がいて、少数ながらしっかりとした舞台活動を行っていた……いたんだけど、年を重ねる毎にその数は減っていき、ついに去年、入部希望者なし。残ったのはあたしら二人だけ。
 もしこの春に入部希望者がいなければ、確実に休部になってしまう。
 こまっちゃんも表には出さないけど、部長としてのプレッシャーを感じているみたいだった。
 打ち合わせもかなり進んだ。この分だと来週には読み稽古が始められそうだ。予想よりもずいぶん早かったわけだけど、その原因は分かっていた。
「意外と知識はあんのよね……」
 すでに暗くなった空を見上げながら、小さくつぶやいた。
「えっ?」
「あのメイド」
「あ、うん。そうだね……」
 どうもミッキーは演劇に関して素人と言うわけではなさそうだった。舞台用語も教える前に知っていたし、音響設備の使い方もある程度は知っている。他にも、道具の名前や置いてある場所なんかも、一度教えただけですぐに覚えていた。
 釈然としないものはあるけど、初日の心配が杞憂だったということだ。
「一体、何者なんだか……」
 初めて会ってからもう一週間か……いや、まだ一週間と言うべきかな。あたしは余り気を許してはいないけど、こまっちゃんはすっかり信頼している様子だった。
「でも、ミッキーがいて助かってるけどな」
 事実、活動以外にも部室の掃除や軽食の差し入れ等々、ミッキーは大いに働いてくれているわけだけど。いかんせん素性が謎過ぎる。
「それはまあ、そうだけど……」
 駅が見えてきた。電車の方向が逆のあたしらは、いつも駅まで一緒に帰っている。
「それにしてもあいつ、どこに住んでるんだか……」
 思い返せば毎日そうだ。どこからともなくふらっと現れては、どこへともなくふらっと消えていく。
「うん、それは気になるよね。いつも『あれ?』って思ったらいなくなっちゃって」
 本当、謎だらけなメイド……
 暗い空についた息は白い姿を一瞬見せ、冷たい風に溶けていった。


 狭い部室に三つの机。向かい合わせの二つに横付けされた一つ。今日は三人で細かい演出の打ち合わせ。
「えっと、結局ここの照明はどうするんだっけ」
「うーん……」
 こまっちゃんが指差す箇所を、ミッキーがなぞる。
「役者が二人ですからね。あまり頻繁に動かすのはどうかと思いますよ」
「そう?」
 首をかしげてミッキーを見ると、うんうんと小さくうなずいた。
「はい。それほど長くもないですし……もう少し場面転換も抑えたほうがいいかもしれません」
「ああ、そうかも。よりりん、この場面とか削ったほうがいいかもしれないよ」
 こまっちゃんが指す場面をじっと見る。まあ、進行上大して重要なところでもないけれど……
「セリフは前と後ろに分散させて、この場面を繋げるわけか……さて、そう上手くいくかな?」
「繋げなくても、挿入一回だと暗転二回になりますけど、それを暗転一回にすることはできるんじゃないかと」
 はあなるほど。じゃあこの辺の台詞は削れるってわけね……で、一回暗転させて時間が経過したことを示すっと。これなら照明の手間は半分で、道具の移動もしなくていい……と。まあ合理的といえるかな。
「……それもそうね。んじゃ、それ採用」
 ささっとペンで削除……っと。
「それで、さっきの照明のところですけど……」
 赤ペンと青ペンで書き足されていく台本。これは読み用にもう一冊作るべきだわ……
 この日の午前中は、こんな調子で打ち合わせが続いた。

 午後からは、設備のチェックが入っている。特に演劇部のためというわけではないけど、視聴覚室には備え付けの照明装置と音響設備がある。メイド姿のミッキーを連れて歩くのはどうかとも思ったけど……『演劇部ならありだよ』と、こまっちゃんが言うのでそのままにしておいた。
 何かあった時のために、ちょっと離れて歩こう……
「ねえ、ミッキー」
「はい?」
 視聴覚室がある隣の校舎への渡り廊下。二人の会話が聞こえてきた。
「あなたって、もしかして演劇経験者?」
「え? どうしてですか?」
 すっとぼけたことを言う……一体どこをどう見れば演劇未経験者だと言うのか。
「うーん、言うことが結構的を射ているし、初心者じゃないような気がしたから」
 なんとなくだけど、演技も素人ではないんだろうな思う。そもそも存在自体が舞台上の役のようなものだし。
「そうですね。素人というわけでは……ないと思います」
 妙な物言いをする。
 特に気にとめる様子のないこまっちゃんは、
「そっか。じゃあ頼りにしてるから」
 そう笑いながらミッキーの肩を軽く叩いた。
「あ……はいっ」
 やれやれ……
「さて、着きました……と」
 壁の色からして違う新校舎。視聴覚室は、この入り口から入ってすぐにある。

「照明、電源は通ってる?」
「うん、大丈夫みたい」
 軽く積もったほこりをティッシュで拭きながら、こまっちゃんが息をついた。
「良かった。しばらくぶりだから心配だったけど」
 ここまできて故障となれば、リハーサルもままならなくなってしまう。もっとも、それは演劇部だけの問題ではないけどね。
「落語と映画も使うらしいから丁寧に使わないとねえ」
「順番って決まってたっけ。まだだよね」
 一通りのチェックを済ませると、涼しい顔をしているミッキーの方を見た。
「扱い方は大丈夫?」
「はい、任せてください」
 胸を張るミッキー。頼もしいことで。
 まあ、不思議と不安はないわけだけど。
「さて」
 照明の足場をトントンと確かめると、ちょうど正面に見える小さな窓を見た。舞台の右前にある小さな部屋。音響室。
「照明から音響室までごそごそ動かないといけないわけだけど……」
 音響室は視聴覚準備室にあって、視聴覚室からは前の扉を通って行くしかない。教室後ろにある照明装置からはちょっとした距離がある。
「依子さんが間を持たせてくれたから、大丈夫だと思いますよ」
 一応そのことも考慮して、照明と音響の演出を同時に行わなくて良いような工夫はした。したけど……
「難関は最初と最後ね……」
「そうだねー」
 台本を思い出しながら、息をついた。その二箇所だけは、どうしても厳しいタイミングになる。
「特に最後がシビアかもね」
 早歩きでもいいんだけど、なにより裏方は観客に対して目立たないことが最重要だ。特に、劇中へと引き込みきっている終盤。
 ミッキーがどこまで静かに目立たないように動けるのか。それが問題だった。
「じゃあちょっとテープを編集した方がいいですね」
 心配するあたし達に対して、ミッキーが軽く微笑んだ。
「どういうこと?」
「テープに入っている音楽を、あらかじめきちんと切っておくんです。舞台が終わるのに合わせて」
 ああ、そういうこと。
「なるほど。それで音楽が終わってしばらく無音を流して……あとで止めると」
「なるほどねー」
 こまっちゃんもミッキーの意図を理解したようだった。
「再生を始めるタイミングと、進行のスピードが全てってわけね」
「そういうことです」
 うんうんうなずくミッキー。
 つまりは、終盤の連携とあたしら役者がとちらないことが前提なわけね。涼しい顔して厳しいこと言ってくれる。
 で、厳しいけど信頼されてるって思っていいのかしらね。
「ま、やってみるかな。普通の人間じゃ、音も立てずにこんな短時間で移動するのは無理だし」
「そうですね」
「しっかり練習しないとね」
 テープの編集はミッキー、演出の微調整はあたしがすることになった。この日から、本格的に練習が始まった。



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