その他の馬の伝説
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戦績は8戦8勝だが,まだ持ち込み馬に出走制限があったために悲運を見た馬。中野渡騎手(当時)の「邪魔はしない。大外枠で賞金も要らないからダービーに出させてくれ」という言葉がそれを物語る。
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馬なのにトロント市の名誉市民。戦績は18戦14勝。ベルモントSが3着で惜しくも米3冠を逃す。種牡馬としてかなり成功を収めた。
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全戦績は4戦4勝。凱旋門賞を勝って引退。日本に輸入され,シンジケートが作られたのは,あまりにも有名。
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小柄な馬だが,怒涛の逃げするのでファンは多かった(と思う)。特にオールカマーでの逃げは語り継がれている。2番手のホワイトストーンに半ハロンは差がついて,場内は騒然。そして,最終的に2着に5馬身差をつけて優勝した。1998年1月15日亡くなる。
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典型的な善戦タイプ。特に1991〜1993年の有馬記念で3年連続3着であった。4年連続のチャンスがあったが,ライスシャワーに取られてしまった。
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戦績19戦15勝2着4回。2頭目の3冠馬。36歳という長寿を全うした。故大川慶次郎氏がこの馬に一度も◎を打たなかったという逸話は有名。
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戦績99戦11勝2着14回。14歳(数え15歳)まで走り,中央競馬の最高齢記録を塗り替え続けた。
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日本でも有名なペルーの民謡の原題を馬名に持つ。3歳(数え4歳)でジャパンC優勝。その翌年は,日本で1戦もせずに年度代表馬になる。
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1992〜3年ステイヤーズS(GII)を2連覇した。父は3冠馬。
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3歳(数え4歳)のナリタブライアンに先着した唯一の馬。
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引退レースにスプリンターズS(GI)を選び,優勝してレース後の引退式に臨むはずだったが,マイネルラヴに敗れてまさかの3着だった。
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有馬記念で武豊騎手がこの馬でミレニアム騎乗をするといい,最後方からの追い込みで勝ったと思いウィニングランもしたが,写真の結果2着だった。優勝は○外の栗毛の怪物。3着は○外でない栗毛の大怪物。
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横山典弘騎手がこの馬騎乗で天皇賞・秋を3着に敗れたとき,境勝太郎調教師は「俺が乗ったほうがましだ」と怒ったそうな。
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直前の成績が2戦2勝で,その勝ちが重賞でもなくTRでもない。それでいてダービーを勝ってしまった馬。
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父が未出走の無名馬であったが,日本馬として初の海外重賞を手にした。
ヒント1
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この馬によって重賞制覇という初勝利を,武幸四郎騎手にもたらした。
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地方所属馬で初めて中央のGIを制覇した馬。
ヒント1
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ヒント2
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マイルCSで実況の杉本清氏がこの馬を切っていたのか,ゴールイン後出た言葉は「やっぱり仕上がっていた」
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中央競馬に障害のグレード制が導入されてから,平地と両方の重賞を初めて制覇した馬。
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