名馬メジロマックイーン,2006年4月3日17時15分頃,心不全にて天へと駆け上がった。奇しくも19回目の誕生日であった。
亡くなったからという動機で,この文章をつづっているというのは忸怩の極みであるが,つまらないことに忙しい現代人の悪影響で,かくのごとく相成った。
丸2日経った4月5日にこれを記しているが,だんだん失われたものの大きさというものを実感できてきているような気がしています。
私が知ったときはすでに彼は菊花賞馬だった。いや,名前と容姿が一致するようになったのは,3代目の天皇賞馬になってからのことだった。
スポーツニュースなどで親子3代の天皇賞制覇を知ったが,その頃は実はたいした興味も無かったので実感も無かった。
その頃,学生であった私は,周囲の友達が競馬の話をしているのにひかれて,競馬中継でも観てみようと思ったのだ。それ以前にもオグリキャップの引退レースなどは観ていたが,自ら興味を持ってはいなかった。
そして,1991年10月27日,第104回天皇賞(秋)が放送されていて,衝撃の降着と武豊騎手と故北野ミヤさんの青ざめた顔を見てしまった。
このレースは次の日の話題の主役になり,本当は馬券は買えないはずなのであるが,2着のカリブソングがメジロマックイーンと同枠であったため助かったとか,単勝1万円買っていたのにとか,聞こえてきてた。
思い起こすと,このレース,1番人気はメジロマックイーン,2番人気ホワイトストーン,3番人気が繰り上がり優勝のプレクラスニー。継承馬の独壇場じゃないですか。
でも,芦毛を意識するのは,まだまだ先のことであり,メジロマックイーンが芦毛と認識するのも有馬記念ぐらいになってからのことで,そもそも私の競馬知識はビギナークラスで(父)の意味もよく分かっていなかったのである。
まだ時は20世紀。学生は馬券を買うことは法律で認められていない。まあ,全国的に「ざる」だったんです。JRAも利益になるし。
さて,そんなこともあってか,「名刺」なるものがブームになっていた。
「名刺」とは,少なくても10千円以上の額面の単勝はずれ馬券のことである。学生の分際で10千円は大金で,ステータスシンボルになっていたねえ。
私は結局名刺を作ったのは就職してからになってしまったのだが,今思っても「つわもの」がたくさんいたわ。
で,悪夢の天皇賞(秋)の次はジャパンカップに進んだメジロマックイーン,今白状すると,外国馬に勝てるわけ無いと思っていたのだ。なんという俺だこと。
レースでは,直線でメジロマックイーンの両サイドをありえないスピードであっさりと交わしていくゴールデンフェザントとマジックナイト。
衝撃でしたねえ。この頃から,この馬に対しての想いが変わっていったように思う。
メジロマックイーンは秋の3冠ロードを行って,有馬記念に出走。
これについては,あんまり語りたくないねえ。非常に残念なものを感じました。
でも,ディープインパクトと違って,こういうレースもあるから,普通に応援できて,普通に悔しさを感じるのかも知れない。
ディープインパクトは,なんか負ける恐怖が付きまとっている感じがしてると思う。
1992年4月26日,WINS○○にて春の陽気を感じながら,馬柱を仲間3人と見ている私がいた。
第105回天皇賞(春)。4人中私を含む3人がメジロマックイーン本命。1人がトウカイテイオー本命。
メジロマックイーンが発走前に落鉄して,どうなることかと思いきや完勝。マック本命の3人は馬連的中!
私がはじめて自分で馬券を買ったのは確かミホノブルボンの皐月賞だったはず。名前だけで買った条件戦なんかでは的中経験ありだったが,GIは初めて当たった。
的中した金で,みんなでステーキを買って食べた。おいしかったねえ。
夜になって,スポーツニュースで天皇賞のハイライトの映像になると,テイオー本命だった人がテレビを消そうとするんだけど,無理やり見させて,みんなで満悦していたのを昨日のように思い出すねえ。
その後,メジロマックイーンは故障で秋戦線を棒に振った。
1993年4月25日,第107回天皇賞(春)。私はまたWINS○○にいた。仲間は4人くらいかな。覚えていない。
レース結果は言うまでも無く,ライスシャワー優勝。WINS全体にため息のようなものを感じました。
帰りの足取りは重く,帰ってからみんなでスーパーファミコンのゲームをやるのが精一杯だった。
同年6月13日,第34回宝塚記念。
もちろん居場所はWINS○○。仲間の数は不明。
メジロマックイーンファンではあるけど,馬券的に安すぎるとどうしても買いづらい。仕方ないので,メジロマックイーンとニシノフラワーの馬連1点。
そしたらさ,スーパー競馬の井○さんがニシノフラワーをご推奨。その瞬間,終わりました。
レースはメジロマックイーンが勝ったが,2着はもう1頭の牝馬イクノディクタスだった。
はからずも最後のレースとなった第28回京都大賞典。
私は,自分のアパートにいた。GIIまで財布が持たないから。
JRA史上初の10億円馬が誕生した瞬間は,普通にテレビ観戦でした。
引退の情報を,ある「つわもの」の人から聞いて,愕然としていたのを覚えています。そのころ,インターネットなんてないので。
メジロマックイーンは残念ながら,もうこの世にはいませんが,産駒はまだいます。
産駒がいる限りゲームセットにはなりません。
天皇賞で感動の涙を流せることを信じて・・・