末広フォルダ・グローバル

 末広フォルダ・グローバルがオリジナルかといえば,然に非らず。
 実は,地域限定の某友の会(実際のメンバーのほとんどは地域外で,メンバーも名誉会長の独断であったが)のサブ組織で,それがスピンアウトしたものである。

 末広はその地域名に由来する。某PCにウェブサーバを突っ込み,ディレクトリ名をsuehiroとしたことから,末広フォルダとなった。
 当時の末広フォルダはローカルマシンでしか閲覧できなかったため,「難解用語辞典」や「未読メールの山」など相当過激な内容であった。

 2001年3月23日金曜日,翌々日に控えた高松宮記念の出馬表を持ち歩く草加床ノ間
 怪人Y面相氏(現黒馬券師Y氏)に何気なく競馬談義をしようとして,それを持っていった。そこに偶然いた謎の下僕氏が加わり,各人思い思いの印を出馬表に書いた。
 そこで,草加床ノ間が突然の思いつきで,末広フォルダでやっていた点数付けをみんなでやってみてはと提案し,三人はよしやろうということになった。

 そのことを聞いた生命体SED氏(現クローSED氏)が,草加床ノ間のもとに印を持ってきた。
 それなら,夜田会長もメンバーにお誘いしようとしたのだが,物理的時間的な問題があり,見送られてしまった。結果,夜田会長が第2節以降の参戦となってしまったのは今でも申し訳ないです。

 開催決定は良かったのだが,草加床ノ間に与えられた準備期間は2日。
 怪人Y面相氏は本人と相談して名前決定したが,ほかの二人は草加床ノ間が適当に決めたのであった。最強位戦という名称も第一感で決定。

 末広フォルダでやっていた点数付けは,単勝オッズによって点数変動はしていたが印の数が決まっていたため,今のシステムは別物であった。
 かなり苦労して作った記憶があるよ。よく作ったわ,いま考えると。単勝を取ると60点程度になるようにしたのは,ローカル時代の名残りである。

 晴れある初戦は,得点アップ様式がまるで別物(敢えて直していない)で,草加床ノ間が継承馬であるビーチフラッグに印を付けていないという大チョンボ付きであった。印を付けていた出馬表が某スポーツ紙サイトの馬名,騎手,重量程度の単純なもので毛色が出ていなかったのと,何気ない競馬談義で深い考えも無く予想していたためであった。

 第2節からの様式が今でも使われているのは,自分でもびっくりである。
 そして,当時は第2回があるなんて夢にも思っていなかったので,第1回の文字はどこにもない。

 これを,インターネットサイトで公開することになったので,末広フォルダ・グローバルと改称し,ほとんどを占めていた過激な内容は抹殺された。
 だが,当時は誰もがインターネット接続があったわけではない。印の発表は,草加床ノ間に直接していたのである。よって,翌月(4月)に草加床ノ間がバシルーラされたら印の発表が困難になるため,継続不能の懸念があった。
 そしたら見事にバシルーラされた。最強位戦中止を提案したが,当時のメンバーのみなさんの努力で中止は免れたのである。

クラスメンバ種別解説値(プロパティ),引数設定・返り値(メソッド)
originプロパティ名前の由来地名から
sinceプロパティ初版日付2001/3/25
adminプロパティ管理者草加床ノ間
membersコレクション参加者それぞれの参加者を参照する
saikyoesコレクション最強位戦最強位戦のコレクション

○参考資料
 第1回第1節の高松宮記念と第2節の大阪杯の印を付けていた紙


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