蒼い囮


初夏の湖は風も少なく蒸し暑い気候だった。

その日はよく晴れていたので、ヤム・クーは一人で小舟を出して湖面に釣糸を垂れていた。

じっとしているだけで汗ばんでくる程に気温が上昇している。さしたる釣果も期待できず、そろそろ引き返そうかと思い始めた時、突然目の前に現れた人影にヤム・クーは心底驚いて釣竿を落としかけた。

「び・・・・・・っくりした、いきなり出てくるなよ・・・・・・。」

ヤム・クーは止まりかけた心臓を押さえて、真横に立つシドニアに文句を言う。

舟は岸からそう離れていない位置に留めておいたので、岸から呼べば聞こえただろう。

が、シドニアにとってはそちらの方が楽だと思ったのかもしれないが、わざわざ遠当ての術を使って現れる程の用があるとは珍しい。

「どうした?何か用か?」

ヤム・クーが座る様に促すと、シドニアは素直に舟縁に腰を下ろす。

体重が軽いせいか、それとも特殊な身のこなしをしているからか、小さな舟はその不安定な位置に加えられた重さに少しも動かなかった。

むしろ重さなど始めからないかの様に。

ヤム・クーが釣竿を引き、片付けるのをシドニアは黙って眺めている。糸の先に付けられた、きらきらと光る囮が気になるらしい。

放っておくと、このままここに来た理由を忘れるんじゃないか、とヤム・クーは思い、もう一度尋ねた。

「何かあったのか?」

シドニアはふっと顔を上げた。そして呟く様に言う。

「バルカスがいなくなった。」

相変わらず感情に乏しい声だ、とヤム・クーは思う。

表面だけ見ていれば常に冷静な奴だとか、そういった誤解を受ける類の喋り方だろう。

少々見方を変えれば、今のシドニアが、妙な不安感に追いかけられているのがヤム・クーの目には明白だった。

「まぁ、でかい戦争が近いからな。用意に忙しいんだろ。エルディンさんと一緒なんじゃないのかな。」

シドニアの表情からは、納得した感は得られなかった。

「・・・・・・アンジーは?」

続けて問われたヤム・クーはおや、と思う。シドニアの口からその名前が出たのは初めてだった。

「アンジーさんなら、レオとカナックと、うちのアニキとカクまで出てるよ。戦争の助けになりそうな奴に心当たりがあるんだとさ。

今に、くっだらねぇ事で大喧嘩しながら帰ってくるぜ。」

言いながらヤム・クーははた、と手を止めた。

バルカスと、アンジー達三人が出てしまえば、彼らに割り当てられたあの暗い洞穴はシドニア一人になる。

「・・・・・・目が覚めたらもう誰もいなかった?」

シドニアは小さく頷いた。

シドニアの性格から言って、あまり褒められた状況ではなかった様だ。

確かに、シドニアは交渉事に連れて行ける人物ではない。とはいえ、目覚めた時に突然一人になる不安を、彼らは理解し得なかったのだろうか。

普通はしねぇよな、とヤム・クーは内心苦笑した。

タイ・ホーが出かけた時間帯を考えると、恐らくバルカスの方が先に出たのだろう。とすれば、完全にアンジーの失念である。

「もう少し考えてやりゃいいのにねぇ。」

ヤム・クーの呟きにシドニアは瞬きする。何が、と言わんばかりの表情で。

ヤム・クーは櫂をに取り、シドニアに向かって言った。

「何も食ってないんだろ?何か食わないと身体壊すぜ。作ってやるから食って行けよ。魚しかねぇけど。」

シドニアは答えず、真上に登った太陽の光を反射している先程の囮を見つめている。

ヤム・クーは微笑んで、傍に置いてあった小さな袋の中身を舟底に開けて見せた。

ざらざらと、二十ばかりの囮がシドニアの足下に広がる。シドニアは僅かに目を見開いた。

「気にいったんなら、好きなの一つやるよ。一つだけだからよく選べよ。」

シドニアは黙って選んでいる様だったが、なんとなくヤム・クーが予想した通り、濃い青色をしたそれをひょいと摘み上げた。

アンジーの瞳の色と良く似ている。

「これ、何に使うんだ?」

小さな魚の形を模した囮を、シドニアは指先で弄びながら言った。

「こいつで、魚を騙すんだ。魚は、針の先に付いたこいつを餌だと思って飲みこんじまうんだよ。針ごと、な。

そこをくいっと引いてやれば、もう逃げられねぇ。捌かれるのを待つだけさ。」

シドニアは興味を持った様にヤム・クーを見つめる。

ヤム・クーは釣糸を手に取ると、小刀で適当な長さに切り、自分の目の前の舟底を指した。

「ここに、座んな。」

シドニアは逆らわず、ふわりと羽毛の様にヤム・クーの正面に膝を立てて座った。

「それ、ちょっと貸して。」

シドニアは手の中の囮を黙って差し出す。

ヤム・クーは受け取ったそれに釣糸を通すと、シドニアの首にかけた。糸が長かったので、ヤム・クーはシドニアの首の後ろに腕を回して、糸の長さを縮めて行く。

「騙されて、食いついたら最期。糸を引かれて、捌かれるだけ。分かるな?」

糸はどんどん短くなって、もうシドニアの首にしっかり巻き付く長さだ。

シドニアの首は思っていた通り、細かった。額がくっつく程近くにあるその表情には、少しずつ糸に加えられて行く力に対する奇妙な期待感さえ宿っている。

このまま糸を引ききってやれば、シドニアはもっと喜ぶのだろうか。

ヤム・クーはくっくっと喉の奥で笑って手を放した。青い囮がシドニアの喉元できらりと光った。

シドニアはひゅうっと笛の様な溜息を漏らす。瞳が楽しげに笑っていた。

気配を感じて二人は同時に岸に目をやった。人影がある。

「アンジー。」

呟いたシドニアは、ふっとヤム・クーの目の前からかき消すようにいなくなった。そして、岸に突然現れたシドニアに、その人影が驚いて飛び上がるのが見えた。

それを見たヤム・クーは声を上げて笑う。

ゆっくりと舟を岸に付けると、丁度アンジーがシドニアの新しい首飾りに目を止めた所だった。

「綺麗だな。何だ、それ?」

囮と同じ色の青い瞳が笑っている。説明の必要があるだろうか、と見守るヤム・クーの前でシドニアは言う。

「俺を、騙して、引っ張って、捌く為の道具だ。」

アンジーは、はぁ?と訝しげな表情を浮かべた。困惑顔を向けられてヤム・クーは笑った。

「シドニアの言った通りです。囮に食いついたら、魚は最期なんですよ。」

ヤム・クーは舟からひょいと降りた。

シドニアは、さっぱり判らん、と言った表情のアンジーの肩越しに人影を見つけて、ヤム・クーを振り返って、言った。

「・・・・・・お前は、囮か?それとも魚か?」




初夏の湖は風も少なく、酷く蒸し暑かった。





                                               <完>



えー、まずは色々と申し訳ありませんでした(滝汗)
美月さんからのリクは、「アンジー×シドニア+ヤム・クー」だった筈なんですけれども。
なんか・・・・・・・・色々と間違ってます・・・・・・。
ウチのヤムは本当に暴走し易い人だなぁ・・・・・・。
もう私の思惑を他所に、勝手に暴走してました。いや、本当です(笑)
でも物凄い勢いで書いてました。書き終わった後も、
なんだかアンシドの妄想で頭がボケッとしてしまう勢いで(いつもの事だろうが)
次はまともにアンシドも書いてみたいと思います。是非。
美月さん、書かせて頂いて有難うございました!

                                            (鮎沢 祐理)








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