坊×カスミ 著者:ほっけ様

伽など、興味も無いし、したいとも思わなかった。
そういう行為を求めてくる女性も居ないというわけではないし、
なにより、“軍主”として女性を抱くということが嫌なのだ。
確かに父上のように立派な戦士になるのが自分の目標だけれど、
城の世話係が持ちかけてくる伽の話は、どうしても好きになれない。
貴族のたしなみとしては、そういうことも叩き込まれている。
無論、前途したように。都を出る前から関係を持った同年代の女性だって居るのだ。
行為自体は好きだ。一応男でもある。
…だけど、“伽”は好きになれない。殆ど人買いと同じではないか。
それが娼婦にとって名誉なのかは知らないが…。
抱くなら娼婦としてでなく一人の人間がいいし、
相手は軍主に抱かれるのではなく、ティル・マクドールという人間に抱かれる、という状況のほうがいい。

「わがままを言わないでください」
「じゃぁもう俺に伽の話を持ってくるなよ」
自室の机をはさんで、さっきから世話係とにらみ合いをしているのは、
解放軍軍主、ティル・マクドールその人であった。うらわかき、だが逞しき17歳である。
目つきの悪い彼の黄金の瞳はぎろっと眼前の世話係を睨みつけていた。
「…伽のための娼婦も居るのです。気持ちを汲んであげても」
「だから、嫌なんだ。そういうのは。…それに、性欲が邪魔になるほど煩悩は強くないよ」
再び沈黙が訪れ、暫くの後ため息が同時に漏れた。
「まぁ、気が変わりましたら。候補者の一覧はここに置いておきますので」
机の上にすっと一枚の、短い横文字の行がたくさん並んだ羊皮紙が置かれ、
世話係が立ち上がり、部屋を後にした。
流石にそれまで無碍にするとまたにらみ合いになってしまう。
もう既に夕方だ。後は食事と湯浴みと睡眠。休むのが遅くなってしまう。
最近は激務続きだ、少しでも体力を蓄えておきたいからこそ、これくらいは好きにさせる。

その羊皮紙を手にとって、あまり興味なさげに目を通した。
連なった名前を上から下まで流し読みしていく。恐らく20人ほどといったところだろうか。
ふと、最下近くの行でティルの目は止まり、ぴくりと眉がつりあがった。
聞きなれた名前。
「………」
深くため息をつくと、その羊皮紙を緩く投げた。ふわりと浮いて机に沈む。
ぐっと体を伸ばして頭を軽く振る。苛立ちやら何やらが、頭の中にこみ上げてきたので、
とっとと休むために、普段より早く食堂へ行った。

1その翌日の事。
ティルはいつものように軍事会議とハードな鍛錬を終えて、
朝より何倍も重くなったような体を引きずるようにしながら自室へ進んでいく。
“えれべーたー”とかいう胡散臭くてたまらなかった乗り物が最近大好きになっていた。
自動的にしまる扉の原理はよくわからないが、取り敢えず小さい個室の中に入ると壁にもたれた。
自室がある最上層を指定すると、その個室全体が押しあがっていくのがわかる。
「…便利になったな。うん」
そうごちた矢先、どこかから「ありがとッス」と屈強で野太い男の声が聞こえた気がしたが、恐らく気のせいだ。
再びよくわからない原理で自動で扉が開いて、奥へ進んでいく。
ふと、自室へ続く廊下の隅に、何かの気配を感じた。
いくつもの窓が並んで、全てから夕陽の橙の光が漏れている。
そのなかに、橙の光よりもまた炎に近い、少しばかり露出度の高い装束に身を包んだ少女が
壁越しに立っていた。…気配を断って。
一瞬暗殺者の類かと思ったが、それが見慣れた顔だとわかるとティルは肩の力を抜いた。
「…カスミ。」
その少女の名を呼ぶと、振り返って、すっとその場に跪いた。
困ったように眉を寄せると、ティルは両の掌を見せてカスミを制する。
「いいって、そういうのは」
「…そういうわけにもいきません」
「いいから、立ってくれ」
真面目だな、と思いながら、ティルはこった首をくきっと鳴らして、その姿勢を崩すようにカスミに命じた。
立ち上がるカスミの動きはとても綺麗だ。スタイルの良さもあるのだろうが、
彼女は忍として鍛えられているため、体のバランスがいいのだろう。
「…今日も、お疲れ様でした」
「お前も忙しい身だろ」
頭を下げてくるカスミに、今度はおかしくなって、困ったようにティルは笑った。
彼女も一部隊を任されている身だというのに。忙しさではそう変わらない筈だ。
いや、軍主に対しては当然の辞令なのだろうが、ティルはあまり好まないことだった。

「取り敢えず、部屋に行こう。立ち話も…今日は疲れたし」
「あ、いえ…そんな事は、恐れ多いです」
どうしても彼女は“軍主”の部屋に入ることを拒んでくる。
別にかまわないのに、とティルは苦笑したが、今度は別の方向で切り出す。
「友達の部屋に入るのが恐れ多いのか?」
「そんな…それとは話が違います。貴方は私の主なのですから」
「仕事中はな。ほら」
頑なに拒み続けるため、面倒くさくなったのか、カスミの細い腕を掴むと、ぐいぐいと部屋まで引っ張っていく。
「あッ…!ティル様!」
「うるさい」
また拒みそうなので、今度はその一言で押し切る。
しゅんとして黙ってしまうのは心が痛かったが、おとなしくなったので、緩く手を引きながら自室へ入った。

「適当に座ってくれ」
とか言うと、本当にその場に跪いてしまうので、机についた椅子をすすめると、ティルはベッドに腰掛けた。
「…カスミ。聞きたいことがひとつ」
「…?…なんでしょうか」
ティルは腕を組んで、天井を仰ぐ。首をかしげるカスミは、少し不思議そうにその様子を見た。
何か言うのを溜めたティルの唇が、ゆっくり開く。
「忍っていうのは伽の術も学ぶのか」
本当に唐突に放たれた言葉にカスミは一瞬面食らったが、
自分のしたことを思い出したのか、哀しげに眉を寄せて、俯く。
「お前の名前があった。…伽待ちの中に。まさかとは思ったんだが、
 …ロッカクの里特有の名前を持つ奴はそう居ないからな」
天井を見つめたまま淡々と続けるティル。カスミの表情は見ない。
そのティルの真意はわからない。恐らく本人も。

「学ぶのは、一部だけです。 力量に応じて…下忍から、中忍と下忍の間の位にあたるものが、必修に会得を。
 才覚や、実力があるならばそこだけを磨き、確実に任務を達成できるように、術を磨いていくのです。」
「じゃぁ、何故だ」
ゆっくり、はっきりと紡がれていくカスミの言葉を黙って聞いていたティルは、
言葉が途切れるとすぐに、少しばかり冷たい声音で問い返した。
カスミは押し黙る。ぎゅっと、膝に置いた手を握り締めた。
今にも泣きそうになってしまっているが、ティルはその表情を見ようとはしない。
「…お前も、“軍主お付きの娼婦”の名誉がほしいのか?」
「ちが…ッ」
反射的に反論しそうになってしまい、カスミは慌てて乗り出した体を戻した。
もともと忠実な駒として働く忍びが、主に反論などしていいはずもない。
だけれど、彼女はそれをどうしても否定したかった。だから。
「…すいません」
「いいから、言ってくれ。…どうして」
彼女は答えない。その答えは彼女はわかっているのだ。
駒の身でありながら、彼女はティルに恋心を抱いている。
だがそれは実る筈のないもの。だから、せめて、身体だけでも重ねたかったのだ。
言葉も心も、恋人としての感情を取り合えないのなら、せめて、身体だけでもと。
そんなはしたない感情を、ティルに吐露できるわけがなかった。
「…私は…
 ……名誉を、望んでいます。」
かすれた声で、ティルに偽りの言葉を告げた。
嘘だと、普段の彼女を知っている人間なら見抜けるだろう。
そんなものに彼女の興味は微塵にも向かないということを。

沈黙は無かった。その言葉を聞いたティルは、天井を仰ぐ姿勢から、普通の座る姿勢に戻す。
「そうか」
カスミの言葉への返事はとても短く、そして、あまり熱の通ったものではなかった。
いつものように、だるい体をベッドから立ち上がって、ぐっと逸らしたり、間接を慣らしたりして、息を整える。
それが終わり、カスミはティルの足が自分へ向かってくるのを視認した。
俯いているから、表情はわからない。それが決してプラスの感情ではないことはわかっている。
ティルが伽を嫌うことも知っていてのことであったし、彼女はこれが罰なのだと、黙っていた。
だが、次の瞬間に彼女の予想だにしないことが起こった。
「ティ、ル…様…?」
俯いていた顔を、いつのまに手袋を取ったソウルイーターの宿る右手で顎を傾かせ、
少年と称するには高すぎる身長を見上げさせるような形にした。
黄金の瞳には殆ど温かみが宿っておらず、わずかに、カスミの心がびくついた。
恐怖、というモノに。
ティルは上ずった声で自分の名前を呼んだカスミの顔に、自分の顔を近づける。
静かな声色で、ティルはこう告げた。
「それじゃあ、望み通りにしてやる」
カスミはその声に、再び、一瞬だけ感じた恐怖の感情を認識した。
普段は、自他ともに厳しくも穏やかな彼が、刺々しく、奥深い闇のような何か、得たいの知れない恐怖を湛えていたから。
「…“軍主”として、お前を抱いてやる」
彼には似あわない台詞ではあったが、カスミは反射的に身を引こうとした。
だけれどそれすら制するように、ティルは左腕でカスミの右腕を掴み、ぐいっと高くまで引き上げた。
無理に腕が伸ばされる痛みに、カスミは眉を寄せた。
だが、それ以上抵抗することはしない。…そう、自分は“名誉のために”抱かれればいい。
彼の神経を逆撫でしたのも自分で、…思いも遂げられるのだから。
強い力でベッドに押し倒され、一瞬その反動でカスミの身体が跳ねるが、
すぐにティルがカスミを組敷いて、身体の自由を奪った。

僅かに感じるの背中の痛み。カスミは頭の中で、一言、言い聞かせるように言葉を作った。
…これはのぞんでいたこと。

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