ゆるし 著者:七誌様

 甲板の風が、少し冷たい。普段と変わらぬ筈である波行く船のもつ空気が、否応なく張りつめていることに気付かされた。それは、傍らに立つ仲間達も、そしてこの船主となった友もまた、同じなのだろう。満天の星星を互いに仰ぎながら、「明日は頑張ろう」と励ましあった。

 良いのですか? と、ポーラがあたしに声を掛けて来たのは、船主たる友を見送り、再度夜空を仰いだ、そんな時のことだった。
「良いの……って、何が?」
 どことなく見透かされているような予感を覚えながらも、素知らぬ振りしてあたしは首を傾げてみせる。騎士団時代からの友は、そんなあたしをじっと見つめたまま、「明日は、エルイール要塞に、別働隊として移動します。しばらく、ここには戻れません」
「分かってるよ。でもそれはポーラも……タルやケネス達もそうじゃない。だから、武器も鍛えたし、道具も……」
「そうじゃありません」
 矢継ぎ早にあたしが出した言葉を、ぴたり、とポーラは封じ込める。ぐっと、詰まった。普段余り喋らず、言葉も慎む方だというのに、こういう時に限って、いつもポーラは留めなかった。
「本隊には、リーダーである彼と、あと、スノウも行きます。私たちも、無事に帰れるか分かりませんが、それは、彼らだってそうです」
 良いのですか? と、再度ポーラは問い掛けた。かっと、頬に熱が集まるのを覚え、俯いた。暗闇とはいえ、顔を見られたく無かった。と、そこで「そうだぜ」と、またまたいらぬところで気がつく仲間の声が掛かった。
「行っとけって。ここまで来れたのも奇跡に近いんだから。でねぇと、一生後悔するぞ、お前」

 手に触れている、船の欄干を握り締める。「や……やぁねぇ!」と、空を仰いだまま声を上げた。幾らか声が上ずってしまい、自分でもしまったと内心思った。
「あ……あたしがスノウに対して、何を後悔するって言うのよ? 色々あったけど、あいつもあたし達も、無事だったし……。それでいいじゃない?」
「でも、明日がどうなるか、それは誰にも分かりません。ジュエルだって、今回のことで良く分かってる筈です」
 攻撃の手は緩められない。こいつ、どうしてこういう時に限って饒舌なんだと、思わず睨みたくなってしまう。と、そこでまた、ゴホン。と、実にわざとらしい咳払いが響いた。ケネスだ。
「あー……決戦前夜だ。緊張が高まり、誰かと話をしたいと思うのは誰しも……思うことだろう。あいつだって、恐らくそうだからこそここに来たのだろうし、あいつの性格からして、起きている者全員と話をしようとするだろう。
 ――部屋の前で待てば、きっと捕まえられるだろう――」
 再度、あたしの手は欄干を握った。夜風に晒された欄干は、触れた場だけが暖かい。頭の中にはこの船に乗ってからの事と、騎士団時代での事とがごちゃごちゃになってグルグルとあたしの頭の中に流れていた。胸の奥からどうしようもない衝動が込み上げて来て、あたしは「あーっつ!」と、声を上げた。
「おくすり! ほら、さ。確か特効薬は買ったけど、あれは無くない? あたし、まだ店開いているか見てくるわ!」
 ぱっと振り返って、笑顔を浮かべる。我ながらかなり苦しい言い訳だなと思ったが、仲間は何にも言わなかった。どう考えたって、今のあたしたちには必要無い道具であろうし、道具屋だって、幾らなんでも開いてやしないだろうに。
 それでもポーラがただ「そうですね」といつもの無表情な面持ちを優しく崩して言うものだから、あたしはまたしても顔を伏せて、「行ってくる」と呟くと、そのまま皆の顔を見ずに駆け出した。
 頑張れよー! という、場を弁えているのかどうなのか良く分からないタルの声に、無事に帰ったらあいつ、釣りしている時に海に蹴落としてやろうと、あたしは心のうちで毒づいた。

 まさか待つといっても、軍主となった友の部屋のまん前で待つわけにはいかない。もし彼等が話しを終える前に、鉢合わせしたら、どう言い訳しようかと考えていた。だが幸いにもそれは杞憂で、時間帯が時間帯、明日が明日であるせいか、廊下や階段を渡る者は皆無に等しかった。それでも、時折響く足音には胸が縮む思いがし、こんなにも自分は臆病だったかと、何だか少し情けなかった。

 待つ間、あたしはどんな顔で、どう切り出そうか、どう話をもって行こうか、その時の彼の反応を想定しながら、何度も頭の中で組み立てていた。そして、程なくして彼は来た。今まで下男として扱っていた者であり、確執した者であり、漸く本当に――友となれたであろう者のもとに、ひとつの思いを告げに。階段の側でひっそりと隠れながら話しを聞く、あたしの存在には気付かぬまま。

(男相手に告白かよ……)
 と、あたしは呆れるような、けれども何だか嬉しいような、奇妙な気持ちに襲われた。あんな献身的な言葉、以前のスノウであれば、間違っても口から出なかったことだろう。かつての彼からすれば、信じられないくらい、情熱的な言葉だ。その言葉が、自分ではなく、友であるリーダーにかかったことが、どことなく悔しい。何だか、茶化してやりたくなる。だがそうした反面、彼等は友であって欲しいと願う気持ちがあった。今までそう、信じていたのだ。それが変わらず――否、真なるものとなれたことが見れて、嬉しかった。それは本当に、複雑なものであったけれども。

 相手の返事も聞かず、スノウがさっと踵を返す音が聴こえた。あたしは慌てて足音を殺しながら階段を幾らか下りた。そうして再度、今度はゆっくりと、登り始める。
「――ジュエル――」
「――あ、スノウ――どしたの? 奇遇だね」
 あたしは「今、偶然にも通りかかりましたよ」というちょっとした驚きを浮かべた後、にんまりといつものように笑んでみせた。

 うん、ちょっとね――と、スノウはやや顔を伏せた後、「言っておきたいことが、あったから――」と言い、ちらりと今下って来た階段を仰いだ。少し、意外だった。以前のスノウなら、きっと何も言わずに言葉を濁すか、多分、嘘を吐いた。

「――ジュエルも、彼に――?」
 そう言って、何だかすこし寂しげに笑んでみせた。完全に出鼻を挫かれ、あたしはどもりながら、「あー……」とか「えーと……」とか言って言葉を濁した。これじゃあ、どっちがどうだか分かりゃしない。少なくとも、こんなのは普段のあたしじゃない。スノウも何となく、それに勘付いたらしい。「どうかしたの?」と、先程のあたしの台詞を返して来た。頭の中では、さっきシュミレートしていた会話がグルグルと回っている。

 あたしを見下ろしている、スノウが凄く怪訝そうな顔を浮かべた。いやだ、あたし今、どんな顔をしているんだろう?
 なんだか顔をみせているのが怖くなって、思わず伏せた。それが一層拙かったらしい。声を掛けながら、階段を降りて来た。

「気分が、悪いのかい――? 良かったらユウ先生のところまで、一緒に行こうか?」
 他人を気遣えるようになるなんて、お坊ちゃまってば、本当に大した進歩。そこで医者に行こうかと言う辺りが、スノウだけども。って、そうではなくて。

 ああ駄目だ。本当に何言ったら良いのか分からない。舌が、からからする。唇が、乾く。階段がきしむ。足音が近付く。駄目だ。来ないで欲しい。あたしきっと、酷い顔してる。
「スノウに、言いたいことがあったの」
 歩み寄った足が、ぴたりと止まった。あたしはこそりと安堵した。顔はまだ、上げられなかったけれども。
 言葉から、悪い想像でもしたのだろうか。やや、覚悟でも決めたかのような硬い声で、「――なんだい?――」と返事が来た。ああ、またあたしの番だ。いっそ、スノウみたいにさっき一方的に捲くし立てて帰れば良かった。いや、はじめはあたしもそうするつもりだったんだ。計画、狂った。まぁ初めからかなり狂ってしまった気もするけれども。

 ごちゃごちゃとする頭であたしが考えていると、その沈黙をどう受け取ったのか、「分かってるよ」と声が掛かった。驚いてぱっと顔を上げると、スノウはやや顔を背けて、
「――ラズリルを売った、件のことだろ? ――分かってる」と、呟いた。

「――今でも、やっぱり上手く言えないけれど、僕は、怖かったんだ。騎士団が奴隷になるのも、嫌だったけれど、それ以上に、怖かったんだ。
 ――姑息だったのかも、知れない。
 君たちに謝っても、許してくれない気持ちも、分かるよ。
 ――ごめん」
 そう、言いたいことだけ告げると、そのまま下に降り、あたしと擦れ違った。階段を降りる、あたしから遠ざかる音が響く。違う。と、あたしは乾いた唇で呟いた。駄目だ。こんな大きさじゃ届かない。足音は、どんどん、遠ざかる。

「――違うわよッ! あたしが言いたいのは、そんなんじゃないッ!
 ――罪があんのは、アンタだけじゃないッ!!」
 振り返って、声を荒げる。スノウはぴたりと足を止めて、驚いた顔であたしを見た。

「――違うのよ。アンタひとりが、悪い、わけじゃない……。
 悪いのは、あたしもそうだわ。あたしは事件の時、ポーラやタルと違って、アイツの後を追い駆けなかった。あたしは、ラズリルに留まった。アイツが団長を殺したとは信じられなかったけど、それでも悪い噂が、凄く流れて――あたし、ほんの少しだけ、アイツのことを疑った。もう一度会った時、アイツの言葉を聞いて、それでそうした気持ちはすっぱり切ったけど、けれどあたしは、疑ったの。もしかしたら、そういうこともあるんじゃないかなって、ちらっと、思っちゃったのよ。

 そうした中、アイツを確実に信じて、流罪船に乗り込んだポーラ達が、凄いと思った。あたしも迷ったけれど、着いて行かなかった。行かなかったのよ」

 俯く。そうだ。あの、海賊が襲って来て、グレン団長が死んだ雨の日。アイツは倒れ、団長も消えて――騎士団は彼を罵る声が溢れ返った。酷い悪口だった。今まで一緒に学び、励んでいた者を、ある人は掌を返したように罵った。あたしはその声に歯噛みしながらも、声を大にして、アイツを庇うことは出来なかった。そうは言えない雰囲気だった。

 それでも悶々とした気持ちは収まらず、ケネスやフンギといった、特に信頼出来る仲間には、アイツがそんなことをするわけがないと、交し合った。ポーラにも同じように、ちらりと告げ――彼女とタルから、あいつの罪船に同船すると聞かされたのは、アイツの刑罰が決定して、すぐのことだった。

〈わたしは、行くつもりです。タルも、行くそうです。このまま彼を、見捨ててはおけません。ジュエルには、お願いがあります。罪船には食べ物だとか、道具が必要です。彼の刑罰が執行される前に、ばれないように、こっそりと運び込む、手伝いをして欲しいんです。〉

 一緒に行こうとは、言われなかった。少しでも負担や懸念の材料を掛けるのが、嫌だったのだろう。人数の問題も、あったのかも知れない。罪船にはそう何人も、潜めない。
 あたしは頷いて、同じく騎士団に留まることに決めたケネスと話をし、密かに彼の流される船を調べ上げ、荷をカモフラージュして最低限、必要だと思えるものを詰め込んだ。用意をしている時に、チープーまで乗り込んだのは計算外だったけれども。

 ひょっとしたら、あたしたちがやっていることを、薄々感じ取っている騎士団の仲間もいたかも知れない。何せ、街が警戒態勢を取っている状態でのことだ。混乱があり、先の合戦で死んだ仲間も多いとはいえ、生きている仲間が分からない程じゃあない。そこでふと二人も人が消え、時折あたしたちも別行動をしていれば、当然怪しまれるというものだ。行動には細心の注意を払ったけれども、ばれたのでは、と思う局面もあった。

 ――だが、誰一人、それを告げて出る人間は居なかった――。

〈黙認して、くれているのかもな――。声に出しては言わないけれど、同じように信じてくれている人間も、きっと居るんだ〉
 ケネスの呟きに、どうしてケネスは着いて行かなかったのかと、アイツ等が出た後あたしは聞いた。生きて戻って来た時、こっちの方でも迎えられるようにしておきたいから、というのがケネスの言葉だった。

〈ジュエルは、どうしてだ?――〉
〈あたしは――〉
 あの時、あたしは、何も言えなかった。ただ、出てゆく前に、〈こっちは見ていてやるから、アイツの方、気になるなら、ちゃんと見てろよ〉という言葉を残したタルの言葉が脳裏に浮んだ。ケネスは俯いてしまったあたしに、
〈――良いさ〉と、少し笑んで、返してくれた。

 そうしてあたしは本当に、見ていることしか出来なかった。

「ラズリルは支配され、ガイエンからも見捨てられた。街の皆は嘆いたし、怒ったの、皆、騎士団の皆も。自分の置かれている状況に、納得出来なかった。良く分からなかったのよ。だから、とにかく怒った。誰かになすりつけたい、気持ちもあったの。
 ――あたしたちは、確かに奴隷を免れ――アンタを、罵ったわ――」

「――でも、騎士団の皆が怒るのも、もっともだ。
 僕は確かに、ラズリルを――僕らの故郷を売った。どちらかと言えば、己の保身から――」

「あたしたちは逆に、アンタ売った。怒ることで、アンタを――何か――『怖いもの』に対して売ったのよ。
 ――あたしは、見てただけだった。火矢を放つ、ラズリルの市民や、騎士団員を止めること、出来なかったのよ。あたしも、怖かったんだわ――」
 どうして、と、震えるような声が響いた。張りつめた色がある。

「どうしてそんなことを、今さら、僕に言うんだ。そんなの、君ひとりじゃない、他の人々だってやっていたことじゃないか。どうしてそれを、わざわざ僕の前で告げるんだ。
 どうして君は、そんな、黙っていればいいこと、僕に――」

 そんなの、と、息を止めた。顔を上げると、留めた水門を開くように一斉に、思いが吐露した。
「アンタが好きだからに、決まってんじゃないッ!!!」

 スノウは、豆鉄砲を食らったような顔をしていた。やっぱりこいつ、分かってなかった。ぱちくりと目を見開いたまま、唇をぱくぱくと開き、どもりながら、「ど……どうして?」と再度尋ねた。

「だって君、いつも僕をからかって――」
「――悪かったわね、ガキみたいで」

 押し殺した声でそう言うと、「い、いや別に……」と慌てたような声がかかった。しん、と沈黙が下りた。
「好きなのよ。アンタのこと。アイツと行かなかったのは、着いて行くのが怖かったのもあるけれど、アンタを見ていたのもあった。見ていて、本当に馬鹿だって、傷ついたり、怒ったりしたりもしたわ。勝手に、ね」

 駄目だ、全く。本当だったら、初めての告白は星空を見ながらロマンティックに、って思ってたのに。本当に、世の中ってうまくいかない。けれどもまぁ、ここで流れに任すのも、いいかなと思い、あたしはにっこりと笑んで見せた。スノウがやや、躊躇った。ひょっとしたら、やっぱりきちんと笑えてないのかも知れない。目尻が涙で何だか痛い。鼻も少し、つんとする。ポーラと違って、あたしは対して美人じゃないから、笑顔だけが魅力の筈なのに、何だかもう可愛く笑えなくても、いいかなと思った。笑いたいように、笑えれば、いいのかもしれない。

 そうすると、肩の力がすっと抜けて、言葉もすんなりついて出た。

「でも、好き。あたし、『ビビっちゃって』あんたを助ける力にはなれなかった。助けようとも、しなかった。止めることも、出来なかった。だから、本当にあんたが好きなのかなって、ちょっと思った。単なるうわっついた気持ちなんじゃないかなーって。でも、ね。
 アイツが、あんたを生かして、仲間にって言って、あんたもそれに、合意して――あたし、馬鹿みたいに嬉しかった。今更言っても、信じてくれないかも知れないけれど、本当に、嬉しかったの。生きててくれて、あんたにとって、これが本当に幸せなことなのかどうかは、やっぱりあたしには分からないけれど、嬉しかったの。また一緒に居れることになって、嬉しいの。
 ほんとうに――」

 あたしは、階段をひょいと降りて、スノウと並んだ。あたしよりも少し背の高い彼を見上げる。スノウは前よりも肌の傷ついた、けれども精悍さを幾らか備えた目と、以前と変わらぬとまどった様子を持ちながら、あたしを見下ろした。

「明日は、頑張ろ。そうして――生きましょ? あたしたち、今度は皆で、あのラズリルの夕焼けを見ましょ?」
 そう言って、あたしはふっと微笑むと、ぐいっと乱暴に彼の手を掴み、強引に彼の身を引き寄せ、すっと――彼の唇に、くちづけた。

 そうしてすぐに身を離し、タカタタタと、階段を駆け下りる。ぱっと上を見上げると、スノウはやや呆然とした様子で、こちらを見ていたので、やっぱりまた、笑ってしまった。

「きっとよ! 夕焼け、綺麗なんだから!
 今度はスノウも、揃って見るのよ!」

 告げて、翻して再度階段を駆け下りると、約束するよ! という声が僅かに響き、あたしは微笑みながら、さて、この後冷やかしてくるであろう仲間に対し、どうやって切り抜けようかと、満面の笑みを浮かべながら駆け下りた。

END

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