・ maybe ・



 闇が満ちた室内の中、渇いた吐息が肌の上を滑っていくようで、啓介は目を細めた。顎を引いて、身体の上の彼を見る。
 藤原拓海は、苦しげに表情を歪めて、上ずった呼吸を繰り返していた。その様子を視界に映し、啓介は毒のような満足感を噛み締める。
「……啓介さん、集中してねーだろ」
 耳元で、低い声が唸った。
 自発的に意識を戻そうとする前に、実力行使だと言わんばかりに拓海がつよく腰を突き上げた。ガクンと体が崩れて、啓介は思わず拓海の肩にしがみつく。
 首筋を拓海の唇の表面が辿って行った。躰の内部に感じる拓海の存在、それがよりはげしく主張をはじめ、啓介は己の自尊心のために噛み殺していた声を少しだけ解放させることにした。
 ……何やってんだろうな、オレは。
 抱かれながらも、ふいに我に返って啓介は思う。
 バトルを明日に控えた現状では、こんなことをしている余裕などどこにもないはずだった。自分達ドライバーがより完璧なコンディションで明日のバトルに臨めるようにと、兄はこの宿を用意してくれた。自分は今、その期待を裏切っている。
「アニキに……バレたら……殴られるな……、っ」
「殴られるだけじゃすまねーと思うけど……」
 膝の上に抱き上げていた啓介の体を床にそっと横たえて、拓海はもう一度深く体を繋げた。圧迫を増した内部の質量に、啓介が軽く瞳を歪める。ゆっくりと体を動かす拓海に呼吸を合わせながら、啓介は吐息の間から尋ねた。
「……藤原、いい加減、脱げば?」
「ああ……忘れてました」
 なんでもないことのようにそう言って、拓海は肩に引っかかったままだった浴衣を畳の上に滑らせた。すでに浴衣は皺だらけになってしまっている。衣服を脱ぐことすら忘れて、行為に没頭していただなんて、彼らしくない色狂いぶりだ。しかも、人の浴衣はさっさと剥いでおきながら、だ。
 些か呆れた視線で拓海を見上げれば、彼は少し決まりの悪そうな顔つきになって、一度体を引いた。互いの深い呼吸を確かめた後、態勢を直して、啓介の肩口を畳の上に縫い止める。侵入による衝撃を覚悟して少しだけ身を固くした啓介だったが、いつまで経っても熱は訪れなかった。
「……なにしてんだよ」
 焦れて、肩越しに振り返った瞳で睨むと、拓海は笑っているようだった。もう一度何か言ってやろうと口を開いた時、軽く勃ち上がりかけた雄を愛撫され、罵声は嬌声と変化させられる羽目となった。拓海は、柔らかく何度も手の中の啓介に刺激を与えた。快楽を制限するような手つきに、次第に物足りなさを覚え始める。そんなことは、拓海もよく分かっているはずなのに。
「藤原、さっさと……っん、ァ!」
 言いかけたその瞬間。そのタイミングを狙っていたかのように、充分に湿ったそこに、熱い塊が突き入れられた。啓介は床に頬を押しつけて衝動をやりすごした。
 そのまま発情期の獣のように後ろから貪られる。
 畳の表面に立てた爪からいつの間にか力が抜けていく。指の先だけでなく、躰の全てから、力が抜け落ちていく。今、自分をコントロールできるのは拓海だけだと思うと、無性に悔しくなった。だから、せめてもの意趣返しとばかりに、切れ切れの声で啓介は言う。
「……せっかく……オレたちのこと考えてこの宿用意してくれたアニキに、っ……申し訳ねえとか……思わないわけ?」
「もういいでしょ、涼介さんの話は」
 拓海が、めずらしく怒ったような声を出した。彼がどんな顔をしているのか、もう後ろを振り返る余裕すらない。
 ……好きだなんて言った覚えはないし、言われた覚えもない。
 だったら、どうしてこんな奴に体まで許してしまってるんだろうか。
「……な……あ、お前さ……」
 拓海の腕が、啓介の脇腹を掠めていった。びくん、と体が跳ねあがる。
「こんなことして……気持ちいいのかよ……?」
 激しくなる躰の動きはそのままで、拓海が相変らずのぼんやりとした口調で答えた。
「キモチイイですよ」
 そして、一言付け加える。
「……多分」

 ……いい加減な奴。
 上り詰めていく衝動に身を預けながら、啓介は緩やかに瞳を閉じた。

 でも、だとしたら。
 多分、この胸を騒がせているのも、恋っていう生き物なんだろうなと思いながら。





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