ピアニシモ




少女は…ピアノの音にココロを乗せて遊んでいた
誰に聞かせるでもなく
ただ自由にならない身体のかわりに…心を流していた

雨上がりの午後は
ピアノの音が少し曇るけれど
それがまた湿った空気に溶け込んでしまうようで
少女は好きだった

少しだけ窓を開けて
いつものようにピアノを弾く
他にはなにも出来ない少女の

私はここに居る

小さな独り言にも似た旋律を奏でながら

そんな時少女の胸をよぎるのは
窓辺に見える風景に通り過ぎる一人の少年の姿

少し思いつめたような瞳と
肩まで届くくらいの髪
無気力に足を引きずるような独特の歩き方
ちょっと猫背で…ポケットに両手を突っ込んで…
少年はなぜかいつも一人で…
少女もいつも一人だったから
少女は聴いて貰いたいような気持ちで弾いていた
その少年の通る時間に合わせて…弾き始めてからは

ある時短い手紙が届いた

差出人の名もない
でも…少女の“音”を綺麗と言ってくれた

次の日
少女は待っていた
2階の自室から階下にピアノを下ろしてもらい
窓を大きく開いて塀の方を見つめて…
少年が少し前からそこに座って聞いていてくれることに気付いていたから
長く伸ばした髪を指先でもてあそび…
持て余すような焦燥を抑えて…
待っていた

ふいに塀の上に少年が顔を覗かせる
その瞳が少女の姿を捕らえると…転がるように落ちてきた
そして少女は弾き始める
静かに滑らかに…ピアニシモで始まる曲を

曲が終わると
驚いた顔で
怒ったような顔で
ひざについた汚れも払おうとせず
少年は窓辺に歩み寄る
少女は…大きく息を吸い込んで
胸の中の…フォルテシモで響く“音”のせいで
上擦りそうになる声を
確かめるように言葉にしていった

その日から少女は
時間になると小曲をいくつか弾く
塀の向こう側ではなく
窓枠の下の地面に座っている少年のために…
少年はいつもピアノの音が止むまでそこに居て
それから少しだけ怒ったような顔で
僅かな時間…窓枠越しに少女と話す
とりとめも無い会話を終えると
少年は逃げ出すように去っていく

そんな日々が続いたある日
少年がいつものように話さないことに気付いた少女は
そのことを問うた
少年は瞳を逸らしてボソボソと
これからはあまり来れないというような事を言った
少女は…
少しさみしそうに微笑み
これる時に来てくれればいいと…それだけを伝えた

少女は…病が自分を遠いところへ運ぼうとしていることに気付いていた
もう鍵盤を叩く指に力がなく
一日に一曲弾くと…疲れきってしまっていた
ピアニシモに近づいていく胸の“音”とともに
別れが近づいていることも知っていた

そして…
ほどなく
ピアノは運び出された
少女の胸の音が止んだその日に



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