その後の le BELLE et la BETE


【第九夜】のあらすじ

 

「…い、 おい、コック!」

 

耳元で愛しい恋人の声がして、サンジは緩く覚醒した。

目を開けると、ひどく心配そうな目が自分を覗き込んでいる。

 

─────どうしたんだよ、そんな顔して。てめェは人間に戻れたんだぜ…。これからはずっと一緒だろうが…。そんな目、すんな…。

 

寝ぼけた頭でそんなことを考えながら、サンジは目の前の緑頭に腕を回し、抱き寄せてキスをした。

 

その途端。

 

いきなり衝撃が来たかと思ったら、サンジの体は床に転がっていた。

「て、てめェ!ボケてんじゃねぇ!!」

焦りまくって裏返った声。

突き飛ばされた、と悟るのと、一気に覚醒するのとが、同時だった。

 

薄暗い、男部屋。

 

ゴーイングメリー号の中だ。

 

目の前で真っ赤な顔をして怒ってるのは、…毎日ケンカばっかりしてるクソ剣士。

…俺の、ゾロじゃない…

いとおしくて泣きたいほどせつない思いで抱きあった、あの魔獣じゃない。

 

「ああ、悪ィ。…間違えた。」

 

軽く頭を振って立ち上がる。

自分の目が濡れているのに気がついて、拳でぐいっと拭う。

夢見て泣くなんて、何年ぶりだろう。

 

完全に覚醒するに従って、サンジの中から、夢の残滓がさらさらと零れて、消えていく。

もう、夢の内容はなんとなくしか覚えてなかった。

でも、悲しくてせつなくて、いとしくて、ひどく幸せな、夢だった。

 

目の前のゾロを見上げる。

ゾロはまだ、自分の唇を抑えたまま呆然と固まっていた。

 

もう一度抱き寄せて、キスしたい衝動に駆られた。

夢だったのに、もうほとんど内容は覚えていないのに、目の前の男をいとおしいと思う気持ちだけが、サンジの中にいつまでも残っていた。

あの魂が震える程に欲した、愛しくせつなく激しい想いが、サンジの中に甘い疼きを残していた。

 

もしかしたら、この思いは、夢を見るずっと前から、この心の中にあったのかもしれない、と、そう思った。

 

もう一度軽く頭を振って思いを散らし、立ち尽くしているゾロのわきをすり抜けて、ラウンジに向かった。

 

クルー達の食事を作るために。

 

また新しい一日を迎えるために。

 

夢の内容が記憶からどんどん薄れていく。

それをサンジは、せつなく思った。

忘れたくない、と思った。

なのに、覚醒と同時に、夢は急激に、サンジの中から消えていく。

 

けれど、想いだけが消えなかった。

 

ゾロを、愛している、という想いだけが。

 

 

それだけで充分だ、とサンジは思った。

 

 

 

◇ ◇ ◇

 

 

 

目覚めたゾロは呆然としていた。

 

自分は何という夢を見てしまったんだろうと。

なんだ魔獣って。

そりゃコックも笑うわ。自分だって思い返せば笑うわ。確かに着ぐるみだった。もっふもふ。

コックだって何だありゃ。何で女装だ。そんで何で違和感もなく受け入れてた。明らかにおかしかったろう。

スカートはいてんのに、大股広げて煙草すってたぞ、あいつ。何でそんなのを可憐な娘とか思ってた、夢の中の自分。

そんでなんで……よりにもよって……あいつと・・・あんな…、いや、夢とは思えないほどに気持ちよかったけど。

 

その時、ゾロの耳に微かな声が聞こえた。

「ふ… う、 ぅう…っ…」

何だ? と訝しく思いながら辺りを見回し、その声の主に気がつく。

件のコックが、魘されている。

いつもなら、うるせぇなと思うだけで気にも留めない。

だが今朝は、夢の余韻のせいでその声を無視することが出来なかった。

起こそうかどうしようか逡巡していると、

 

「ゾロ…っ…!」

 

その寝言に、ゾロは目を見開いた。

思わず起き上がり、コックの傍に近づく。

 

「ん… っ… ぁ…」

何の夢を見ているのか、ひどく魘されている。

額には汗が浮いている。

その眉根は辛そうに寄せられている。

 

その顔がやけに扇情的で、ゾロは、今しがた見ていた夢の中でのサンジとの情交を思い出した。

相手がサンジだというのに、嫌悪感はない。ないことがやばい。

それに、サンジは今どうしてゾロの名を呼んだ?

ゾロの夢を見ているのか?

夢の中のゾロはお前に何をしているんだ?

 

サンジは苦しそうに魘され続けている。

起こした方がいいのだろうか、とゾロは逡巡する。

 

「ぁ… ぅぁ…、 ん… ォ… ゾ、ロ…」

また、名を呼ばれた。

薄く開いた唇から、切れ切れの声と共に、自分の名が紡がれる。

 

その声が、夢の中の記憶とだぶる。

目の前のサンジを見ているうちに、夢の中の映像は鮮やかに蘇ってきた。

 

苦しそうに顰められた眉。

のけぞった喉の白さ。

汗で額に張り付いた金の髪。

悩ましく響く声。

 

一瞬、ゾロは、サンジの体を自分が組みしいているかのような錯覚に囚われた。

 

そう、このしなやかな体を抱き込んで。

甘い匂いを嗅いで。

滑らかな肌を舐めしゃぶって。

狭い体を奥まで貫いて。

 

どくん、と下半身がいきなり反応した。

 

その事実に、剣士は盛大にうろたえた。

思わず辺りを見回して、他のクルーが起きていないかとあたふたする。

 

こんな自分も、こんなコックも、他の誰にも見せたくない。

 

待て待て待て待て!

何を考えている、俺は。

なんで勃ってるんだ、このバカ息子!

たかが夢に引きずられすぎだ!

俺は人間だ。魔獣じゃない。あれは夢だ。

コックだぞ? 男だぞ? ぐるぐる眉毛だぞ?

違う。俺は勃ててねぇ。

こんなコック相手になんて勃ててねぇ。

これは朝立ちだ、朝立ち。

萎えろ、馬鹿。

治まれ。

 

激しく怒張している股間を、思わず叱り付ける。

 

いつしかサンジの寝言はやんでいて、それだけでゾロはほっとする。

これ以上こんな声を聞いていたら、完全におかしくなるところだった。

 

うなされていたサンジは、今は穏やかな寝息を立てている。

子供っぽくすら見える、寝顔。

 

その伏せた目から、不意に。

 

──────涙が零れ落ちた。

 

うわああああああああああああああああああああああああああああ!

 

ゾロは心の中で絶叫していた。

声を出さなかったのか奇跡に思えた。

 

サンジは、静かに涙を流し続ける。

その、静かで、犯しがたく、透明で… 途轍もなく胸を締め付けられる、光景。

 

やばい。

胸が痛い。

すげぇ痛い。

なんだ、この痛みは。

どっか悪いんじゃないか。

大剣豪になる前に心筋梗塞とかで死ぬんじゃねぇのか。

胸が、かきむしられる。

コックが、泣いてる。

 

うがああああああああああああああああああああああ!!!!

 

ゾロの心の中は、今度は獣の咆哮をあげる。

 

ダメだダメだダメだダメだダメだダメだダメだダメだダメだ

なんだかわかんないけどこれはダメだ。

絶対ダメだ。

コックがこんな風に泣くのはダメだ。

こんな風に、壊れてしまったみたいに、ただ静かに、涙を流すのはダメだ。

 

どんな夢なんだ。

泣くほど悲しい夢なのか?

俺が泣かせてるのか?

 

たまらず、ゾロはサンジの肩に手をかけた。

 

「おい、おい! コック!」

その肩を激しく揺さぶる。

 

ゆっくりと、サンジの双眸が開いた。

二、三度、まばたきをする。

まばたきのせいで、たまっていた涙が、瞳から零れ落ちた。

それでまたゾロは動揺する。

 

ぼんやりとゾロを見上げたサンジの目が、ゆるく、微笑した。

愛しいものを見る眼差しで。

驚きに目を見張ったゾロの首に、サンジの腕が回され、引き寄せられたかと思うと、柔らかな感触がゾロの唇を包んでいた。

薄い舌が、ゾロの口内に侵入し、ゾロの舌を、甘く絡めとる。

キスされてる、とわかったとたん、ゾロは思い切りサンジの体を突き飛ばしていた。

ハンモックからサンジの体が床に投げ出される。

「て、てめェ!ボケてんじゃねぇ!!」

怒鳴った声は、我ながら情けないほど動揺して、裏返っていた。

 

キスされた。

サンジにキスされた。

キスは、甘く、優しくて。

いくら鈍いゾロにでも、はっきりと分かった。

これは恋人にするキスだ。

愛しい者にするキスだ。

サンジは、自分を愛している。

ゾロは、自分の体温が一気に上がるのを感じた。

こめかみで脈が痛いほどに打っている。

心臓の音がサンジに聞こえるのではないかと思った。

顔が熱くなるのがわかった。

何故、自分はこの痩身を突き飛ばしたりしたのだろう。

何故、抱き返して甘い舌を吸い返してやらなかったのだろう。

ところが、突き飛ばされてのろのろと体を起こしたサンジは、怪訝そうな顔で室内を見回してから、事も無げに言い放った。

 

「ああ、悪ィ。…間違えた。」

 

───────間違えた。

 

あんなキスをしておきながら。

あんな声でゾロの名を呼んでおきながら。

あんな想いをゾロの中に残しておきながら。

 

“間違えた”。

 

───────誰、と。

 

ゾロの中に沸き起こる、奇妙な焦燥。

 

サンジは…、誰にキスをした?

誰を抱き寄せた?

誰に微笑んだ?

誰の夢を見ていた?

誰に想いをかけた?

誰の名を呼んだ?

 

サンジが、まだ濡れている目を、拳で拭った。

目を上げたそれが、ゾロの視線と、絡む。

 

しばし見詰め合った後、サンジは黙ったまま、ゾロの脇をすり抜けて、はしごをあがっていった。

もう、いつものコックの顔をして。

 

けれど、ゾロは見逃さなかった。

サンジの目が、誰を見ていたか。

 

一瞬、サンジの目は、ゾロの中に誰かを探すように、彷徨った。

それはすぐに、ゾロ自身を見つけて、そして、…安堵したように、微笑んだ。

ほんの、微かに。

気づかなければ見逃してしまうほど、微かに。

 

ゾロの口元に笑みが浮かんだ。

 

大丈夫。

間違ってない。

間違ってなんか、いない。

 

ゾロは男部屋のはしごを上り、ラウンジへの階段をかけあがった。

ラウンジに入ろうとする後姿に、躊躇わず、手を伸ばす。

 

あの甘い舌をおもうさま堪能するために。

 

END.

2015/05/17

 


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