■ 裏切りの代償 ■
§ 嵐の予感 §
郊外の静かなニュータウンに立つ公団住宅。
手前の道路脇に停車した白いキャブワゴンから、一人の男がその高層アパートを見上げていた。
その印象的な緑の髪を人目から隠すかのように、スモークフィルムを張った窓の中から、じっと。
朝の早い時間。
どこからか、子供のはしゃぐ声。
母親の急きたてる声。
朝食の匂い。
中央のエントランスからは、慌しく出勤姿の夫達が出てくる。
まるで、この建物そのものが幸せの象徴のようだ。
それらを、男は、感情のない目でじっと凝視している。
だが、公団の玄関ホールから見覚えのある男が出てきた瞬間、その目に光が走った。
エース、と、緑の髪の男は、記憶の中の名前を口の中で呟く。
ぼさぼさの黒髪は相変わらずだが、こざっぱりとしたスーツを着て、ずいぶんと落ち着いた風貌になった、懐かしいとさえいえるその姿。
あれからもう、5年近くも経つのだ。
その時だった。
「おい! 弁当忘れてっぞ! 弁当ー!」
頭上から、声がした。
エースが慌てて背後を振り仰ぐ。
レースのカーテンがふわりとはためいた窓から、輝くような金髪が見下ろしていた。
手に弁当箱を持って、揺らしている。
車の中の男の目が、刹那、ぎらりと強い光を放った。
────サンジ………………!
見つけた。
ついに。見つけた。
こんなところにいやがった。
5年近くもの間、ずっと探していた姿。
ベランダから覗いていた金髪頭はすぐに引っ込み、程なくしてエレベーターから、ピンクのエプロンをつけ、新妻然とした、その姿が出てきた。
「ほらよ、忘れもん。」
ぶっきらぼうに、エースに弁当箱を渡す。
受け取るエースの顔が、だらしなくやに下がった。
「あ〜♪ 愛妻弁当〜♪」
愛しそうに弁当箱に頬擦りする。
瞬く間に、サンジの顔が、真っ赤に染まる。
「愛妻弁当とか言ってんじゃねぇ!」
わめくサンジの金髪頭を、エースは笑いながら優しく撫でる。
拗ねたふりをしながら、それでもエースの後姿に手を振って見送るサンジ。
そして、ふわりと、微笑む。
幸せそうに。
とても幸せそうに。
絵に描いたような、平凡でシアワセな、光景。
ぎり、と、それを見ていた緑髪の男の、奥歯が鳴った。
その心の中に、堪えきれぬほどの憎悪が募る。
その笑顔はなんだ、サンジ。
幸せなのか?
俺を裏切っておいて。
行方すらくらませておいて。
エースとの幸せを築き上げているのか?
男の胸中で渦巻く、どす黒い憎悪。
「許さねぇ…」
男が小さく呟いた。
許すものか。サンジ。
お前が俺を絶望のどん底に叩き落したように。
俺もお前を、その幸せから引き摺り下ろして、汚してやる。