■ 愛のけもの ■


 

白いキャブワゴンが、細い私道を走っている。

車一台がやっと通れるような細い私道を長い事走っていくと、急に道が開ける。

そこに、まるで老舗料亭のように整然と美しい竹垣に囲まれた、古い大きな日本家屋が現れる。

佇まいは古めかしいが、キャブワゴンが、ぴたりと閉ざされた門の前に着くと、それはひとりでに開いた。

キャブワゴンはその中に車を進める。

玉砂利の敷き詰められた中庭まで乗り入れて、キャブワゴンは停まる。

すると、どこからともなく使用人が現れて、運転席のドアを開けた。

「いらっしゃいませ、ゾロ様。」

黒手ぬぐいを頭に巻き、TシャツにGパンに長靴、という格好のゾロに、正装の使用人が恭しく頭を下げた。

車から降りながら、ゾロは、

「シャンクスはいるか?」

と聞くと、「本日は母屋のお部屋にいらっしゃると思います。」との答えが返ってきた。

ゾロは、「そうか」とだけ答えて、母屋の正面玄関をくぐる。

玄関を入ると、メイド達が「いらっしゃいませ、ゾロ様」と頭を下げる。

勝手知ったるなんとやらで、ゾロは、まっすぐに廊下を突っ切り、シャンクスの私室に向かった。

このバカみたいなだだっ広い家では、その気になりさえすれば、ゾロなど、家の中で遭難する事も可能だ。

だからゾロは、寄り道などせずまっすぐにシャンクスの部屋に向かう。

 

シャンクスの私室のドアをノックして、返事を待たずに開ける。

 

叔父のシャンクスは、ソファにどかっと座り、昼間から酒を飲んでいた。

「おう、坊主。リンゴは売れたか?」

からかうように聞いてくる。

「全部売れた。燃料代と差し引いて、まあとんとんってとこか。」

事も無げに答えるゾロに、シャンクスが、くっくっと笑う。

「とんとんか!それじゃあ、借金はいつまでたっても減らねぇなあ。」

人を食ったように愉快そうに笑うこの叔父を、それでもゾロは、嫌いではない。

叔父、といってはいるが、シャンクスは、ゾロの祖父の一番下の弟だから、本当は大叔父という事になる。

ゾロの曽祖父が晩年にどこだかの芸妓に生ませたとかいう出自のため、兄達よりも際立って年が若く、むしろゾロの父親とさほど年が変わらないシャンクスは、いまだ未婚のせいで年よりもずっと若く見え、ゾロの事も、兄の孫というよりは、まるで弟のように可愛がってくれていた。

「用はなんだ。リンゴの売り上げを知りたかったのか?」

それでもゾロは、ぶっきらぼうな態度でそう聞いた。

嫌いではない。が、無条件に懐くほど、もう子供でもない。

おまけにこの大叔父には少し困った性癖があって、可愛がっている者ほど難題を吹っかけたり、困らせるような真似をしたり、してみたがる。

「ん〜。」

ことり、と、シャンクスはグラスをテーブルに置いた。

ちらりと、目だけをゾロによこす。

「お前さあ、こないだ来た時、ここからなんか持ってったろ?」

問われて、ゾロの眉がわずかにびくりとする。

「…なんかって何だ。」

表情を変えずに聞き返すと、シャンクスがにやりと笑った。

「なんだろうなあ。手紙とか写真、とかかなあ。お前、どう思う?」

その人を食ったような返事に、ゾロがちっと舌打ちした。

Gパンの尻ポケットから封筒を取り出して、無造作にテーブルに放った。

「だめじゃん、勝手に持っていっちゃ。」

事も無げに言うシャンクスに、ゾロはまた、内心で舌打ちをした。

「良く言う。わざと俺の目に付くところに置いてあっただろ。」

ゾロの言葉に、シャンクスは、クックッと笑い出した。

「がんばってるゾロ君にご褒美あげようかと思ってさあ。」

笑いながら、シャンクスは封筒を手にする。

シャンクス宛の手紙。

 

ゾロがこの封書を初めて見た時、これはわざとらしく中身を広げられ、無造作にテーブルの上に投げ出してあった。

今日みたいにゾロを呼び出したシャンクスは、なぜか不在で、ゾロは無人の部屋で長々と待たされた。

見るつもりなど毛頭なかったその手紙を、それでも見てしまったのは、テーブルの上にやたら旨そうなヴィンテージ・バーボンが置いてあったからだ。

ゾロはそれを飲もうとテーブルに手を伸ばして、次の瞬間凍りついた。

 

手紙と一緒に散らばっていた写真の中に、まごうかたなき、サンジの姿を見たからだった。

 

5年間探し続けていた、ロロノア家のメイド。

別れも告げず、その素振りさえ見せず、ある日突然、忽然と姿を消した、ゾロの最愛の人。

どんなに手を尽くしても見つからなかった。

そのサンジの写真が何故、シャンクスの手元にある。

 

震える手で、ゾロは写真をかき集めた。

 

サンジは、幼稚園の制服を着た黒髪の子供と、笑顔で写っていた。

その若妻然とした幸せそうな笑顔を見た瞬間、脳が沸騰した。

怒りに目が眩んで、一瞬、自分がどこにいるのかさえもわからなくなった。

 

子供。

誰の。

サンジが産んだ?

父親は誰だ。

何故去った。

俺がいながら

他の男とも?

 

混乱した頭で、写真を次々に見た。

子供の笑顔は、サンジによく似ている。

どこをどう見ても、幸せそうな親子の写真だ。

バックには、幼稚園の園舎と、花飾りのついた「入園式」の看板。

写真は何枚かあったが、そのいずれも、サンジと子供の写真だった。

5年前と少しも変わらない、サンジの姿。

幾分髪が伸びて、少し痩せただろうか。

子供を見つめる、優しい笑顔。

サンジがどれだけこの子供を愛しているかわかる。

 

そして、何枚目かに、サンジとエースと子供の3人の写真があった。

 

 

──────エース………!!!

 

 

 

そこに、分家のポートガス家の放蕩嫡男の顔を認めた瞬間、ゾロは頭から冷水を浴びたような気がした。

胃の腑まで冷たく冷たく冷えたかと思った次の瞬間、それは凄まじいほどの灼熱のマグマに変わる。

 

エース。

エースが。

サンジを。

 

混乱と、怒り。

5年間探し続けていた、求め続けていたサンジが、自分ではない男の隣で幸せそうに笑っている。

その事実への、耐え難い嫉妬。

この場にエースがいたら、発作的に殺したかもしれないとさえ、思った。

 

同時にゾロの心を埋め尽くす、「どうして」。

 

サンジを幸せにするのは自分だったはずだ。

こうしてサンジの隣にいるのは自分だったはずだ。

この子供は自分との子であるべきだったはずだ。

 

何故。

何故その全てがエースに成り代わっている。

 

何故去った。

何故心変わりした。

いつからエースに心を移していた。

エースに心を移しながら俺に抱かれていたのか。

俺を愛していると言いながら、心の中ではエースを想っていたのか。

 

 

何故、俺ではない他の男の傍で、お前はこんなにも幸せそうに笑っていられる。

 

 

激情に震える指で、性急に同封された手紙を開いた。

もはや、他人宛の郵便物だ、等という理性はゾロの頭から消し飛んでいた。

 

手紙の書き主はエースだった。

時節の挨拶の後に、ルフィという名らしい子供への入園祝いの礼、ルフィがどれだけ張り切って幼稚園に通っているかという事、サンジが幼稚園児向けの弁当作りに目覚め、最近ではエースの弁当すら可愛くなりつつある事等が、エースらしい軽い文体で綴られている。

そこからは、シャンクスが随分以前から、エースとサンジの事を知っていたらしいのが読み取れた。

そして、

『今度、ルフィをつれて遊びにいく。サンジはまだこっちの縁者とは会えないと思うんで勘弁してくれな。』

という文章と、型どおりの挨拶で終わっていた。

全てを読み終えた後、ゾロは、それを黙って持ち帰った。

結局シャンクスには会わなかった。

そしてその足で、封筒に書かれた住所まで車を走らせたのだ。

 

 

「ああ、いい褒美になったぜ。」

朗らかに笑うシャンクスに、無表情を返して、ゾロはそう言った。

シャンクスがふと真顔になる。

「会ったのかい?」

「…あんたに言う義理はねェな。」

そっけなく返すと、シャンクスは「あら冷たい。」等とおどけたように言ったが、それ以上深くは追及しては来なかった。

 

どれだけゾロが無愛想を装ったとしても、実質、ゾロはシャンクスには恩義がある。

5年前のあれから、ゾロとゾロを取り巻く環境は、驚くほど変わった。

それでもゾロが、こうしてシャンクスの家の敷居をまたげるのは、シャンクスがあれこれと便宜を図ってくれたおかげだ。

だから、もし、本当に、シャンクスにいろいろと問い詰められたら、ゾロは正直に答えるしかない。

サンジと再会した事、その体を犯した事、今なお関係が続いている事。

ゾロが言わずとも、もしかしたら、シャンクスは気がついているかもしれないが。

 

「…あんたは…いつから知ってた。」

サンジがエースと共にいる事を。

エースと共にいる男が、かつてゾロが愛した唯一の人間だという事を。

 

「ルフィが生まれるちょっと前、かな。エースの就職先の世話をしたからな。」

 

シャンクスの言葉に、ゾロは僅かに瞠目する。

ゾロの知っているエースという男は、いいかげんでちゃらんぽらんで、享楽的な男だった。

ろくに勉強もせず、親が金を積んで大学に入れ、その大学にもろくに行かず、素行のよくない連中とも平気で付き合い、警察の厄介になったことも何度となくある、そういう男だった。

その男が、就職をしたいとシャンクスに…大本家の当主に頭を下げた。

 

それがサンジの為であろう事は、想像に難くない。

 

シャンクスは、きっと、ゾロにもそうしてやったように、エースとサンジの力になってやっていたのだろう。

エースの放蕩に甘いとは言え、ポートガスの家だってそれほど鷹揚ではない。

本家のロロノア家ほどではないにせよ、家督の息子が家も継がず、遠い町で家庭を持っていることに、諸手をあげて賛成しているとは思えない。

 

けれどエースはやってのけた。

悪い連中との付き合いを絶ち、大本家に頭を下げ、幸せな家庭を築き上げた。

サンジと。

 

本当は、ゾロこそがそうしたかったことの、全て。

 

「俺はこの5年…、サンジを探し続けてた。どうしてこんなにも見つからないんだろうと不思議だった。…あんたのせいだったんだな。」

ポートガスの嫡男の行方。

いくら遠い分家とはいえ、本来ならばロロノアの家督であるゾロの耳に入らないはずはないのだ。

 

「まあ、そういうこったな。…俺を恨むかい? ゾロ。」

 

ゾロは、静かに目を閉じ、首を振った。

「5年間探し続けていたサンジが、あんたのおかげで見つかったんだ。…礼を言う。」

 

その目がゆっくりと開き、シャンクスを見据える。

「だがこれから先、一切の口出しは無用に願う。」

 

そして、くるりと踵を返すと、ゾロはシャンクスの部屋を辞した。

 

シャンクスが何故、5年もたった今になって、サンジの居場所をゾロにばらしたのか、それはわからない。

なにか思惑があったのか、ただの気まぐれか。

 

けれど、ゾロの心の奔流はもう、サンジだけに向いている。

 

誰に邪魔させる気もなかった。

 

 

 

ゾロが出て行った後、シャンクスは天を仰いでため息をついた。

平然とした態度を崩さずにいたが、手の中に汗をかいていた事を悟り、思わず苦笑する。

「すげぇ目じゃねぇか。あのゾロ坊やがなあ。」

何よりも雄弁に、内なる激情を物語る、ぎらついた瞳。

まるで獣だ、とシャンクスは思った。

 

「それほど真剣だって事か…。」

 

5年もの間、思い人の消息は全く掴めなかったというのに、それにもまして、ゾロ自身、それどころではない状況に追い込まれていたというのに、一度としてあの瞳から輝きが失われた事はなかった。

一度たりとも、ゾロの心がサンジから離れた事などなかった。

 

あれほどに強く凄まじく、揺るぎない、想い。

 

シャンクスは、テーブルに放られた、エースからの封書を手に取った。

中から覗く、親子三人の写真。

人が違ったように、柔らかく、一家の主としての自信に溢れた笑顔で写る、エース。

 

「お前の言う通りにしてやったがよ。どうなっても俺ァしらねぇぞ。エース。」

 

写真の笑顔に、シャンクスはそう話しかけた。

 

2005/12/23

 


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