※ご注意※
このお話では、サンジが女装してメイドになっています。
女体化ではありません。
男のサンジがメイドのスカートをはいてメイドになっていて、誰もそれを疑問に思っていませんが、まあそういう世界なのだとご理解ください。
■ 追憶の憧憬 ■
その新しく来たメイドを見たとき、ゾロは、目も眩むような見事な金髪に、うっかり、
「…今度のメイドは顔で採ったのか?」
と、口走ってしまった。
「私が採用したのではありません。マリージョアからのご指示で。」
執事のクラハドールが、憮然とした顔で答えた。
「親父が?」
今マリージョアにいるゾロの父親は、仕事で世界中を飛びまわっていて、滅多にゾロのいるこの屋敷には帰ってこない。
家の事もゾロの事も、全て執事のクラハドールに任せっきりで、こんな風にメイドの人事に口を出すなど、ゾロの知っている限り、初めての事だ。
この家のメイドが長続きしない事が、父の耳にでも入ったか。
クラハドールが雇う歴代のメイド達は、お世辞にも美人とは言いがたい容姿の者が多かった。
それで、もしかしたら父は、美人のメイドならばクビにはすまいと思ったのかもしれない。
だが、メイドが不細工なのは、恐らくゾロがメイドに手をつけたりするのを懸念しての、クラハドールの配慮だと思うから、つまり、父のやった事はこの執事の矜持に障ったに違いない。
なるほど、それでさっきからなんか不機嫌なのか。
普段冷静で沈着な執事クラハドールは、自分の感情というものを滅多に表に出さない。
何を考えているのか、ゾロから見ても読み取れない事が多い。
そのクラハドールが、珍しく、苛立った様子を見せていた。
隣に立つ金髪のメイドに、ちらりとも目をやろうとしない。
再び金髪のメイドに目をやったゾロは、おや?と思った。
メイドは、その端整な顔に明らかな怒りを浮かべている。
無理もない。ゾロの今の言葉は、メイドの仕事は顔さえ良きゃいいってもんじゃねぇんだぞ、と言ったも同然だ。
それにしても、かりにも主人の前で怒りを露にして隠そうともしないとは。
可愛らしい顔をして、存外に気の強いタイプなのか。
怒らせてしまったかな。また辞められちまうか。惜しいな。
結構好みのタイプなんだが。
鮮やかな蜂蜜色の髪。
白磁の肌。
透き通ったアイスブルーの瞳。
ふくらんだ袖の黒いワンピースに、大きなフリルの白いエプロン、白いレースのヘアバンド、という昔からのロロノア家の古めかしいメイド服のせいもあって、どこか硬質なビスクドールを思わせる怜悧な容貌に、眉毛だけがくるりんと巻いていて、愛嬌がある。
この顔に辞められるのは惜しいが、まあ、メイドの代わりなどいくらでもいるわけだし、父不在の今、ゾロがロロノア家の当主なのだから、使用人風情に頭を下げる必要もない。
第一、そもそもそう言われても仕方ないと思えるほど、整った顔立ちをしているこいつが悪い。
ゾロがそう思っていると、そのメイドは優雅に身をかがめ、
「サンジです。初めまして、ゾロ様。」
と、にっこりと微笑んで見せた。
額に血管を浮かせたまま。
実に艶やかな華やかな笑顔で。
それは、ゾロが一瞬息を呑むほどに、美しかった。
* * *
翌日、金髪のメイド、サンジは五時に起床した。
気持ち早めだが、サンジはまだこの家の台所に慣れていない。
何しろ初日だ。時間には余裕を持ちたかった。
ロロノア家のメイドの仕事は多い。
まず、朝食の支度。
完璧なブリティッシュブレックファーストか、或いは完璧な朝の和膳を用意しなければならない。
用意する朝食は二人分。
この家の跡取り息子ゾロと、執事のクラハドールの分だ。
サンジ達メイドや使用人は、あるじと同じテーブルにつくことを許されていない。
使用人達は、あるじが食事を終えたあと、台所で食べる。
ゾロのマナーの教師も兼ねている執事のクラハドールだけが唯一、ゾロと同じテーブルで食事をとる事が許されている。
その執事クラハドールは、六時半には朝食の席につく。
だからサンジは、六時半までに朝食の準備をすっかり整えて、ゾロを起こしてテーブルにつかせなければならない。
この、「ゾロを起こす」という仕事こそが、今まで何人ものメイドが辞めさせられた原因でもあった。
ゾロは寝たらなかなか起きない。
放っておくと一日中でも寝てる。
ちょっとやそっと起こしたくらいでは起きやしない。
けれど、ゾロを起こすのは、メイドの職務だ。
今までいたメイド達は、皆、苦心惨憺してゾロを起こそうとし、結局できずに、職務怠慢としてクビになった。
それを、ロロノア家に入る前、ゾロの父親から聞かされていたサンジは、朝食の支度をすっかり整え、白いテーブルクロスの上に庭師に切ってもらった朝咲きのバラの一輪挿しを飾ると、「さて。」と気合を入れた。
バカ息子を起こさなければならない。
「おはようございます。ゾロ様。」
こんこん、とゾロの部屋のドアをノックする。
返事はない。
「ゾロ様。朝食のご用意が出来ました。」
再度、声をかけて、ドアを開ける。
「失礼いたします。ゾロ様。」
案の定、ゾロはベッドで高いびきだ。起きる気配はない。
「ゾロ様! 朝でございます!ゾーローさーまー!」
耳元で思い切り怒鳴ったが、ゾロは起きようともしない。
メイドはあるじのお体には手を触れてはいけない。
「手は触れてはいけない、ね…。」
サンジは呟くと、そのすらりとした足を高々と振り上げた。
次の瞬間、ゾロは腹部に恐ろしい衝撃を感じて飛び起きた。
目の前に、昨日雇い入れたばかりのメイドが、花がほころぶような笑顔で立っていた。
「おはようございます、ゾロ様。朝食の時間でございます。」
一瞬、面食らったゾロは、だがすぐに、怒りを露にした。
腹が尋常じゃないほどにずきずきと痛い。
「てめェ、今俺に何をした。」
すると、メイドは、ますますにっこりと笑ってこう言った。
「お蹴りいたしました。ゾロ様。」
「蹴った…だと?」
「お体に手で触れてはいけないと伺ったものですから。」
メイドの返答に、ゾロの顔は怒りにどす黒くなる。
「だからって主人を足蹴にする奴があるかぁ! てめェなんざクビだ!出ていけ!」
怒りに任せて、怒鳴り散らした。
「ふざけんなよ、バカ息子。」
すると、メイドは突然、がらりとその口調を変えた。
「俺の雇い主はてめェじゃねぇ。マリージョアにいるてめェの親父さんだ。てめェに俺をクビにする権利なんざねぇんだよ。」
昨日の楚々とした美しさもどこへやら、メイドは世にも恐ろしい形相でそう言い放った。
そしてすぐにまたにっこりと笑顔を作り、
「朝食は一日の基本です。とっとと起きやがって下さいませ。クソ坊ちゃま。」
と言った。
そして、すっかり呆気にとられて、ぽかんとしているゾロを尻目に、サンジはさっさと台所へ戻っていた。
5分後、我に返ったゾロが、怒髪天を衝いて台所に乗り込んできたのは言うまでもない。
それをサンジがきっちり蹴り倒して応戦するのが7分後。
しぶしぶ口にしたサンジの料理の美味しさに、ゾロが絶句するのが30分後。
そして、ゾロが身も心もすっかりサンジに陥落してしまうのは、更にそれから幾日もしないうちの事となる。
2004/10/21