† 面影 †


 

カルネが、それに気がついたのは、もうだいぶ以前からになる。

海上レストラン「バラティエ」は、1階がレストラン、2階が荒くれコックどもの部屋、3階がオーナーと今はいない副料理長の部屋になっている。

翌日の食材の手配を全て終えたカルネは、厨房から勝手口を抜け、従業員用の階段を上がって自室に戻ろうとして、テラスに小さな灯りを見つけた。

ああ、今日もか。と思いつつ、テラスに出る。

 

そこには、テラスの柵にもたれ、タバコをふかしているパティの姿。

こんな彼を見かけるようになったのは、ここ最近だ。

そう…このレストランから、副料理長の姿が消えてから。

カルネの気配を察してか、パティがゆっくりとこちらを振り向いた。

「…おう。相棒。」

力なく、声をかけてくる。

「…タバコなんざやめな。舌が狂うぜ。」

わざとオーナーゼフの口調を真似して言うと、パティは、フッと力なく笑った。

「だよなぁ。何考えてたんだろうなあ。」

明らかに、ここにはいない誰か、に当てた言葉。

パティがタバコを吸うようになったのも、ここ最近の事だ。

きっかけは、キッチンに置き忘れられていたタバコの残りを何となく口に咥えてからだ。

正確に言うと、それは忘れられていたわけではなく、置かれていた、ものだ。

いわゆる置きタバコ、という奴。

チェーンスモーカーだった副料理長は、自分の上着のポケットのほかに、厨房の何箇所かにタバコを仕込んでいた。

吸いたい時にすぐ吸えるように。

それと、万が一手持ちがなくなったときのスペアに。

タバコが切れた時の絶望感といったら、グラマラスなレディに振られたとき並にこたえる、と常々豪語していた副料理長は、同時に、タバコが切れたどん底の状態で思わぬところからタバコを発見した時の悦びといったら、グラマラスな美女のバストの谷間に顔を埋めてぱふぱふしてもらった時に匹敵する、とも言っていた。

「バカだったよなぁ。」

ぷかりとタバコをふかして、パティはまだ呟いた。

「眉毛巻いてたもんなあ。」

そりゃもう見事なぐるぐるだった。

「頭ン中も巻いてたかもしんねぇなあ。」

それに関しちゃ、カルネにも異存はない。

「頭きんきらだったもんなあ。」

きらきら、さらさらと潮風になびいて、まったくうるさいほど眩しかった。

「…会いてぇなぁ。」

カルネは黙って頷いた。

 

彼がここを出て行ってから、まだいくらも経ってないのに。

何だかもう、何年も経ってしまったような気がする。

なのに、意識はまだ、彼がいない事についていってない。

コック達が集まれば無意識に目は金髪を探してしまうし、客と揉めればうっかり「サンジ呼んで来い」と言いそうになる。

女客がくれば「見ろよ、サンジ。」と振り返ってしまうし、毎朝のスープには文句をつけたくなってしまう。

オーナーゼフもそうだ。

コック達に指示を与えるとき、何度も「チビナス」と言いかける。

本物のナスを見てもため息をつく。

頻繁に、子供が食べるようなケーキを焼く。

たぶん、彼が子供の頃に良く作ってやっていたのだろう。

あれから、コックもウェイターも、金髪の人間は一切雇わなくなった。

 

サンジがこの船を去ってから、いったんがくんと客足が減った。

彼が、どれだけ客たちにも愛されていたか。

その後、客足は徐々に持ち直したが、厨房は火が消えたようだ。

いや、賑やかで荒々しいのは以前とまったく変わりない。

なのにコック達の胸には、大きな穴があいたようだ。

 

「寂しいなぁ。」

パティがまた呟いた。

まったくこの男は、ゼフやカルネが、口にはすまいと耐えているセリフを、何のてらいもなく吐く。

「パティ、てめェは…」

だからカルネも、今まで心の中に引っかかっていて、けれど聞けなかったことを聞いてしまおうと口を開いた。

 

「サンジに、惚れてたのか?」

 

彼を思って、パティは毎夜テラスで彼のタバコをふかす。

パティは喘息もちで本当はタバコが吸えない。

だからいつも口先でぷかぷかとふかしているだけだ。

それでもタバコの煙はしんどかろう。

サンジがいた頃も、パティはよく「俺の前でタバコ吸ってんじゃねぇ!この煙突野郎が!」「うるせぇ!喘息なんてのはなぁ、可憐な姫君特権の病気なんだよ!生意気にクソコックごときがかかってんじゃねぇ!」と言い争っていた。

 

パティがぽかんとした顔をカルネに向けた。

「なんだ、そりゃ…。妬いてんのか?相棒。」

「…どっちにだ。」

言外に、そんなんじゃねぇ、と言いながら、いや、やっぱ妬いてんのかな、と思う。

パティの唇からタバコを引き抜いて、海に放った。

小さなオレンジの光が、放物線を描いて夜の海に消えていく。

パティはぼうっとそれを目で追っている。

「こっち向け、パティ。」

そう言って、自分より上背の高い男の顔を、強引にこちらに振り向かせる。

その目が潤んでいるかどうか知りたくなくて、カルネは目を閉じてパティの唇に、自分のそれを重ねた。

無言のままお互いの唇を貪りあう。

お互いの髭が擦れ合う。

唇が離れると、パティは、はぁ、と息をついた。

「惚れてた、っつうかな。よくわかんねぇ。」

ぼそっと言う。

カルネの指がパティのいがぐり頭を撫でるように弄っても、抵抗もせずなすがままだ。

「別にサンジを抱きてぇとか抱かれてぇとか、そんなんは思わねぇけど…。」

ぼそぼそと言葉を紡ぐ。

「ただ無性に寂しい。心ン中に穴ァ開いたみたいだ。」

穴ん中ァ風が吹きぬけて、きゅうきゅう寒い。と、パティは、置いてかれた子供のような声で言った。

なんとかその穴ァ埋めようといろいろやってみてんだけどよ。と。

たまらず、カルネはパティの巨体をぎゅっと抱きしめた。

パティの胴回りは太すぎて、カルネの腕は廻りきらないが、カルネは腕を伸ばして力いっぱい抱きしめる。

「俺、じゃ埋めらんねぇか…?」

声が震えたのは、きっとカルネも同じ寒さを感じているからだ。

だからカルネは、「俺も寒い。」と言った。

「俺も、寒くて寒くて仕方ねぇ。だから、二人であっためあわねぇか…?」

もうほとんど泣きそうになりながらそう言うと、パティが身じろぎをした。

「そ、だな。あっためあうか。相棒。」

もうその声は涙声だったけれど、カルネはそれに気づかないふりをして、パティの体をゆっくりとそのまま押し倒した。

2004/10/15

 


何もかも全てきぬこさんのせい…(笑)


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