∞ やっぱり鮭が好き ∞

 

 

キスされるのかと、思った。

キスしたいなと、思った。

 

 

あの緑の目が、今まで見た事もないような真剣な眼差しで、自分を見ていたから。

あの蒼い目が、自分を見て、柔らかに微笑んでいたから。

 

 

真剣なくせに、やけに穏やかで、優しい目をしていたから。

やけに幸せそうに、自分だけを見て、微笑んでいたから。

 

 

 

 

 

息が、止まるかと思った。

 

 

 

 

 

どちらからともなく、唇が寄せられる。

 

 

 

ゆっくりと、瞳を閉じる。

 

 

 

眩暈がするほど、脳を痺れさせるような、甘い、濃密な、空気。

 

 

 

 

 

その空気に浮かされるように二人の唇は重なり合おうとして……、けれど、その空気は次の瞬間、跡形もなく掻き消えた。

 

がやがやと賑やかに帰還した、クルー達によって。

 

サンジは慌てて立ち上がり、コンロに駆け寄った。

やかんに水を入れ、火にかける。

同時にラウンジのドアが開けられた。

「ただいまー。あ、サンジ君、帰ってたのー。」

すぐさまサンジの目はハート形になる。

「おかえりなさいっ♪ ナミっすゎ〜ん♪ すぐお茶入れるねー♪」

「お、なんかいい匂いすんぞ。サンジ、腹減ったあああー!」

ナミに続いてラウンジに入ってきたルフィは、すぐに、漂う芳香に気がついた。

ついで、テーブルに座ったゾロと、その前に並べられた、完食直後と思しき皿に目をとめる。

「ゾロばっかサンジの飯食ってたのか、ずるいぞーーーー!」

そしてナミが、ラウンジの真ん中に置かれた七輪に気がつく。

「なぁに? これ。」

七輪、というシロモノが何なのかわからなくても、火が熾きてて上に網が乗せられていて、室内に香ばしい匂いが立ち込めているとくれば、ここで魚か何かを焼いたのだろうな、ということぐらいは見当がついた。

「お魚、焼いてたの? あたしも食べたいな。」

「俺も食べたいぞーーーー!」

 

一瞬、妙な間があった。

 

「…サンジくん?」

訝しげにナミが問いかけ、コックはすぐに我に返る。

「あっ…。はぁい♪おまかせー♪ すぐ焼くねー。」

 

自分は今、何を…考えた?

 

鮭はクルー全員が何日も食べていられるほど大量にあるのに、

コックが食材でクルーを、しかもレディを選ぶなんてことあってはならないのに、

 

一瞬……、ゾロ以外に、この鮭を食べさせる事に、抵抗を覚える、なんて。

 

 

一方のゾロもまた、内なる葛藤に戸惑っていた。

ナミが「私も食べたい」と言った瞬間の、なんともいえない、不快感。

 

鮭はゾロだけのものではないのに、

ましてや、コックはゾロだけのコックではないのに、

 

一瞬、「それは俺のだ」等と、口走りそうに、なった。

 

鮭も、コックも、俺のものだ。と。

 

そしてゾロはすぐに気づく。

自分に、そういう権利が何一つない事に。

 

何も、

伝えていない。

コックに。

 

鮭を焼いてくれてどれだけ嬉しかったかも、

どれだけ感動したかも、

どれだけ、コックを好きかも。

 

何一つ。

 

何一つ伝えていないゾロは、何一つ手にしていない。

 

俺の鮭なのに。

俺の鮭なのに。

俺の鮭なのに!

 

俺のコックなのに!

 

がたん!と、椅子が大きく鳴った。

全員の目がゾロを向いて、ゾロは、自分が思わず立ち上がったことを知る。

 

サンジは、最後の一皿をナミに出したところだった。

 

焼き鮭。

ほかほかの白いご飯。

ホウレンソウのおひたし。

ゴボウサラダ。

豆腐と油揚げのお味噌汁。

 

ここまではゾロに出された食事と一緒。

 

ルフィにはゴマミソがかかった冷奴。

ナミには刻んだ梅ザーサイが乗った冷奴。

 

ルフィにはふんわりオムレツ。ケチャップ付。

ナミの卵はトマトと炒めて中華風。お野菜たっぷり。

 

ルフィには冷たい麦茶。

ナミには冷たいジャスミンティー。

 

当たり前のように出されたそれらに、ゾロはなんだかもう泣きたくなった。

 

ほら、やっぱり。

ゾロに出された食事は、ゾロだけの食事だったのだ。

他の誰でもない、ゾロの為だけの。

ゾロに食べてもらうための。

今までゾロは、コックのそんな愛情に気づかず、どれだけの食事をただ何の感慨も抱かず、食べてきたんだろう。

コックの出してくれる食事には全部全部意味があったのに。

全部全部、コックのありったけの愛情が込められていたのに。

 

自分だけのものにしてぇ。

コックを。

この愛情を。

 

それが無理でも、伝えなければ、何も伝わらない。

 

「コック!」

意を決して、叫んだ。

それは思いのほか大声になってしまい、ナミは一瞬びくりと肩を震わせた。

きょとん、とした顔で、サンジが振り返る。

 

「コック! お、お前…、お前…」

「何だ?」

 

いまだかつて、ロロノア・ゾロがこれほどの緊張に包まれたことがあっただろうか。

ゾロは唇を何度も舐めた。

 

 

「お前、俺の嫁になれ!」

 

 

次の瞬間、ゾロの体はそれはそれは美しい放物線を描いて、グランドラインへと飛んでいった。

 

 

 

 

 

ぽちゃん。

 

 

 

遠くの遠くの方で、何かが海に落ちる音がした。

何か、って、そりゃ未来の大剣豪の落ちる音以外のなにものでもないのだが。

 

近くで聞けば、どっぼーん、なのだろうが、よほど遠くへ飛んで行ったのか、その音はあっけないほどに、ぽちゃん、だ。

 

「サン…ジくん…。今の…なに?」

恐る恐る、ナミが聞いた。

振り返ったサンジの顔は異様なくらい満面の笑みで、それがまたナミの心を恐怖に凍らせる。

「今? 今何かありました? ああ、お茶のおかわりはいかがですか? それとも食後のデザートでもいかがですか?」

にーっこり♪

その額に青筋が浮かんでいるのを見逃すほど、ナミもバカではなかった。

 

「おー、ゾロ、すげェ勢いで泳いでくるぞ。早ェ!」

ルフィがのほほん、と外を見ながら言った。

 

すぐに、がぼんがぼんがぼんがぼんがぼん、という、水の入った靴音がラウンジに迫ってきた。

「コックーーーー!」

大音声とともにものすごい勢いでラウンジのドアが開かれる。

 

「俺の嫁になれえええええええ!」

 

 

再び、未来の大剣豪の体は、コック渾身のコリエシュートによって、美しい弧を描いてグランドラインの藻屑と化した。

 

 

けれどゾロは諦めなかった。

もともと思い込んだらしつこいのだ。

 

蹴り飛ばされた彼方から、ものすごい速度で船に泳ぎ追いつくと、滴る水をものともせずにラウンジを駆け上がり、ドアを開ける。

 

「嫁になれ!サンジ!」

 

どかーん。

ひゅー

ぽちゃん

 

クロールクロールクロールクロール

ざばあっ!

がぼんがぼんがぼんかぼん

ばたーん

 

「コックーーーー! 俺の嫁になれーーー!」

 

どかーん。

ひゅー

ぽちゃん

 

クロールクロールクロールクロール

ざばあっ!

がぼんがぼんがぼんかぼん

ばたーん

 

「俺の嫁になれってんだろうがあ!」

 

どかーん。

ひゅー

ぽちゃん

 

クロールクロールクロールクロール

ざばあっ!

がぼんがぼんがぼんかぼん

ばたーん

 

「俺のよ」

 

どかーん。

 

 

見ているナミは、なんだかもうばかばかしくなってきてしまった。

ばかばかしいことこの上ないのだが、ゾロは大マジメもマジメらしい。

対峙するサンジも、いちいち全力のシュートでもってゾロを蹴り返している。

しかもそのサンジの顔と言ったら。

額に太い青筋を立てているのに、顔は熟れたトマトよりも真っ赤なのだ。

あげく、蹴り返すたびに何故か一瞬泣きそうな顔すら、する。

いつもなら「何言ってやがるこのクソマリモがァ!」くらい言うはずなのに、何故か無言のままなのも、あきらかにおかしい。

まあ、いきなり「嫁になれ」と言われて動揺しない方がおかしいだろうが。

大体サンジ君、男の子だし。

 

船長は、と見れば、二人の様子を飽きもせずに、ししし、と笑いながら見ている。

 

なので、ナミも、おいしいデザートを頂きながら、事態を静観する事にした。

 

また外から、がぼんがぼんが上がってくるのが聞こえた。

さすがの筋肉だるまも明らかに疲弊している。

足音がよれよれだ。

がぼん、がぼん、がぼん、がっぼん、がっっっっっぼん、と、ようやく階段を上り終え、へろへろの剣豪がドアから顔を見せた。

そんなゾロを蹴り続けていたサンジも同様だ。

二人とも、ぜえはあと肩で息をしながら、見つめ合う。つか、睨み合う。

 

しばしの沈黙のあと、がくん、とゾロが片膝をついた。

そりゃそうだろう。

重い刀を三本抱えて、服のままこれだけ泳いだり階段駆け上がったりすれば、いくら筋肉だるまとはいえ、膝に来る。

 

それを見ていたサンジも、ふらり、とシンクにもたれかかる。

 

はあはあと荒い呼吸のまま、ゾロが口を開いた。

 

 

 

 

 

 

「………なってください。お願いします。」

 

 

 

 

 

 

 

 

長い長い長い沈黙が辺りを支配したあと、サンジも口を開いた。

 

 

 

 

 

 

 

 

「……………………なってやらぁ…」

 

 

 

 

 

 

 

 

 

その日、ゴーイングメリー号の航海士は、航海日誌の最後に、こうしたためた。

 

 

 

 

 

 

「ホモカップル誕生」

 

 

 

 

 

END.

2004/07/31


ほんとのほんとに「鮭」完結。


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