【 肆 】

 

大変な事にゾロとサンジが気がついたのは、ゾロがサンジの屋敷に来て7日目の朝だった。

ここの家の食事は屋敷の者全員で取る。

屋敷の主人であるゼフ、それからサンジ、客人であるセンゴク、ミホーク、コウシロウ、ゾロ。

その他に元はゼフの組織の構成員だったと思われる者達が十数名。

ゼフは隠退し、ゼフの組織も解散したが、ゼフの人柄を慕ってその元から離れない者達がいるのだ。

それが一堂に会して食事を取るのだから、三度の食事は毎回二十人以上の大所帯になった。

その食事の席で、ミホークがゾロに事もなげに言ったのだ。

「今日の夕方には帰るから、荷物をまとめておくがよい。」

と。

言われたことを理解したとたん、ゾロは目の前が真っ暗になるのを感じた。

そうだった。

ゾロは夏休みにたまたまここに遊びにきただけなのだ。

いつかは帰らなければならないのだ。

帰ったら、その後は?

後、なんてあるのだろうか。

またサンジに会うことが出来るのだろうか。

呆然とサンジを見る。

サンジも同じように呆然としてゾロを見ていた。

二人とも、別れの日が来るなんて全く思っていなかったのだ。

どうしてだか、二人はこの後もずっといつまでも一緒にいると、思いこんでいた。

子供の思い込みをあっさりと打ち砕く、大人の現実の声。

 

がたん、とサンジがいきなり立ち上がった。

 

食事も途中で、ごちそうさまも言わないまま、食堂を飛び出す。

「サンジ!!!」

すぐさまゾロもその後を追う。

背後で誰かの食事中で席を立ったことを咎める声がしたが、そんなことはどうでもよかった。

ものすごい速さで駆けていくサンジを、見失わないように追いかける。

最初の日にした追いかけっこみたいだと思いながら。

でも今は、あの時のようなわくわくする高揚感はない。

ただただ胸が痛かった。

 

サンジの後を追いかけて、ゾロは屋敷から飛び出て海へ向かった。

浜に出たのかと思ったが、砂浜にサンジの姿はない。

磯の方だろうかとぐるりと岩場を回って、ゾロは信じられないものを見た。

 

サンジが見知らぬ男数人と揉みあいになっている。

その脇には黒塗りの車が横付けされ、サンジは今まさにその車に押し込められようとしていた。

「サンジ!!!」

ゾロが大声を出すと、男達がぎょっと振り返った。

「ゾロッッッ!!!」

サンジがゾロに向かって手を伸ばす。

「てめぇら、サンジに何しやがる!!!」

ゾロが一気に加速する。

突っ込んでくるゾロを見て、男達は焦った様子で乱暴にサンジの体を抱え上げた。

明らかに目的はサンジの拉致だ、と気がついた瞬間、ゾロの足は地面を蹴っていた。

ヘッドスライディングの要領で、閉じかける車のドアの隙間に頭っから突っ込む。

「ニュッ!? このガキ!!」

「放り出せ!!」

いきなり後部座席に突っ込んできた子供に、車内の男達が驚く。

構わず中にいたサンジを引きずり出そうとした瞬間、がつんと横っ面を誰かに殴られた。

「ゾロっっっ!!」

サンジの悲鳴。

「このガキがァ!!」

がつん、がつん、と続けざまに殴られる。

ぬるりとした液体が、口の中に流れ込んできた。

あ、鼻血出たな、と思った。

やばい、と咄嗟に思ったゾロは、最後の気力を振り絞って自分の耳からピアスをちぎり取って、それを車の床に投げた。

次の瞬間、がん、と強い衝撃が顔面を襲い、ゾロは車の外に投げ出されていた。

「ずらかるぞ! チュッ」

車が慌しく発進する。

「サン、ジっ…!」

顔面血まみれのゾロを置き去りにして、車は砂煙を上げて走り去って行った。

「ち、くしょうッ…!」

地面に倒れていたゾロが、必死で立ち上がる。

こんなところで気絶するわけには行かなかった。

下を向くと、地面にぼたぼたと血が落ちるのが見えた。

鼻からの出血は相当酷いようだ。

瞼の上を切ったらしく、片目の視界もやけに赤くて何も見えない。

強引にピアスをちぎった耳も、ピアスホールが裂けて血が出ている。

見えている片目で辺りを見回すと、屋敷の方からコウシロウが走ってくるのが見えた。

よかった、“作動”したな、とゾロはほっとした。

 

ゾロにとって幸いだったのは、ゾロが既に拉致という事態に対して免疫があったことだった。

去年の抗争の際、ミホークは自宅に発砲されただけでなく、息子ゾロを拉致されかけた。

ゾロを盾にとって抗争の取引の材料にしようとする敵方の策略だった。

それは失敗に終わり、ゾロも無事だったが、ミホークはすぐさまゾロに、連れ去られそうになったときの対処法を教え、ありとあらゆる準備をした。

その備えの一つが、ゾロの左耳につけられたピアスだった。

発信機が組み込まれていて、ゾロの居場所を特定できるようにするものだ。

また、ゾロの体からそれが離れると、コウシロウの持った受信機が緊急ブザーを鳴らす。

ゾロはそれを知っていたからこそ、蹴りだされる直前、ピアスを引きちぎって車内に放り込んだのだ。

コウシロウが屋敷から飛んできたのも、ピアスがゾロから離れたことをコウシロウが知ったからだった。

近づいてくるコウシロウが、ゾロの顔の異変に気がついて、血相を変えた。

「ゾロ君ッッッ!!??」

「先、生っ…、」

「どうしたんです、その顔は!!! 何があったんですっ!!??」

「サンジが、拉致られた…。早く追ってくれ…」

「何ですって!? ゾロ君っ!?」

 

コウシロウに抱えられるようにして、ゾロはすぐさま屋敷に運ばれた。

血まみれで戻ってきたゾロを見て、屋敷の全員が息を呑む。

だがゾロはそんな事には構っていられなかった。

ミホークに、「親父、発信機の場所をトクテイしてくれ。敵はジッコウハン二人、運転一人、バッジはつけてなかった。黒い車だ。」と言い置いてから、ゼフのところへ行き、その前で頭を下げる。

「ごめんなさい。サンジがラチられました。俺のせいです。すぐに追いかけて、必ず取り戻すから。」

拉致られた、と聞いて顔色を変えたゼフは、けれど、潔く頭を下げたゾロを責めはしなかった。

それどころか、ゾロの、子供とは思えない判断力と行動力に感心してすらいた。

ゾロの顔は、片目は倍に腫れ上がり、鼻血で胸元まで血まみれにして、耳たぶも裂けている。

大人の手で、容赦なく殴られたか蹴られたのだろう。

サンジを取り戻そうとして体を張ってくれたのだと容易にわかる。

裂けた耳たぶは、聞けば発信機のピアスを車に投げ込むために自分で裂いたという。

帰ってきてからすぐ的確な指示を父親に出し、サンジを取り戻せなかった事を自分の責任だとゼフに詫びる。

もはや小学生などではない、とゼフは思った。

ミホークは我が子を生粋の極道として育てているのだ。

これが鷹の目の後継。

思わず唸った。

 

ゼフが驚いたのはそれだけではなかった。

 

慣れた手つきで瞼の上と耳たぶに絆創膏を貼って簡単に止血だけしたゾロは、ゼフの用意した男達に続いて自分も出ようとしたのだ。

「どこへ行く、小僧。きちんと手当てをしてもらえ。」

そう言うゼフに、

「俺も行く。落とし前は俺がつける。」

と、ゾロはいっぱしの構成員のように言い切った。

「ここから先は大人が始末をつける。ガキは寝てろ。」

ゼフは止めたが、ゾロは聞き分けなかった。

驚いたことに、ミホークも止める素振りを見せない。

「ついてくるのなら足手まといにはなるな。」

平然と言い放つミホークに、どういう親子だ、とゼフは唖然とした。

いくら英才教育を施そうと、いくらその歳にしては豪胆だろうと、ゾロはまだ小学生だ。

身長だってゼフの胸元くらいまでしかない。

「おい、鷹の目…。」

「男が“俺の責任だ”と腹くくったのなら貫いてみよ。」

そう言いながら、ミホークは自身も同行するつもりらしく、身支度をしている。

ゼフはそれを慌てて制した。

「鷹の目よ、鷹の目の小僧よ。チビナスの事は此方の事。俺達で取り戻す。客人に力を貸してもらったとあっちゃ、いくらなんでも俺のメンツが立たねェ。」

だがミホークもゾロも身支度の手を休めない。

一人悠然と座ったままだったセンゴクが、ゆっくり口を開いた。

「赫足の、諦めろ。この親子は言い出したら聞かん。」

「センゴク…!」

「息子が腹くくってんのに親が出ねぇわけにはいかねェし、お前さんは隠退の身だ。今更メンツもねぇだろう。」

「だが、鷹の目の息子に万一のことがあったら…。」

「そうならぬように、鷹の目がついてる。」

「しかし…。」

ゼフが渋っていると、コウシロウが慌しく入ってきた。

「発信機の現在地、出ました。」

車は、幹線道路をひた走りに走っているようだ。

その方角にある敵対勢力の組織はどこだったか、という話し合いの最中、ゼフがふと眉を顰めた。

「鷹の目の息子、そいつらどんな顔だったか覚えているか?」

問われて、ゾロは思い出せる限りの男達の人相をゼフに伝える。

「なんか…、“ニュ”とか言ってたタコみてぇな変な奴と、頭の両端と後ろをおさげにした変な奴と、運転手はよく見えなかったが変な奴だ。」

それを聞きながら、ゼフの顔が徐々に険しくなっていく。

「あとは…ああ、運転席の奴は、しきりに舌打ちだかなんだか、チュッチュッ言ってたな。」

ゼフが唸った。

「その男達…、同じ刺青を入れてなかったか?」

「タコみてぇな奴は、でこに赤いスミ入れてたな。なんか…太陽のマークみたいなの。三本お下げも胸に赤いスミ入れてたけど、服着てたから形まではわかんねェ。運転の男はよく見えなかった。」

「太陽のマークだと!?」

反応したのはミホークだった。

「そいつぁ…まさか…。」

「………アーロンのところの奴らだ。」

ゼフが忌々しげに吐き捨てた。

「あの…痴れ者どもがっ…!」

全身を怒りに震わせるゼフを、ミホーク達は苦渋に満ちた目で見つめた。

ゾロだけがわけがわからず、父とゼフを何度も見返している。

「…アーロンは、隠退したゼフのシマを譲り受けた組織だ。」

ミホークが完結な言葉でゾロに説明した。

それを聞いて、ゾロは首をひねった。

奪った、のではなく、譲った、と言うのなら、それは友好的な取引であったはずだろう。

それが何故サンジを拉致しなければならないのか。

「味方のくせにサンジをラチったのか? ウラギリモノってことか?」

ゾロが傍らのコウシロウを見上げて聞くと、コウシロウはやや思案するように小首を傾げてから、

「裏切り…というより、アーロンには元からこちらと友好関係を築く気はなかった、というところでしょうね。」

と答えた。

「そんな奴にシマをやっちまったのか? なんでだ? そんなやな奴にやらなきゃよかったのに。」

「そもそも、本来の同盟関係はアーロンでなく、その上部のジンベエという男と結ばれたものなんです。ゼフ会長が隠退する際、ゼフ会長は自分のシマをジンベエ会長に譲られた。ジンベエ会長は譲られたそのシマを、自分の側近だったアーロンに任せて下部組織として暖簾分けしたんです。」

「んじゃ、ジンベエってのが全部悪いのか?」

ゾロがそう聞くと、そのやり取りを見ていたセンゴクが、

「いや、」

と言葉を継いだ。

「ジンベエは義に厚く、筋はきっちり通す男だ。こんな卑怯なやり口を好む男ではない。…恐らくはアーロンの独断だろうな。」

 

その向こうでは、ゼフが家の者に「ジンベエに連絡を」などと細々と指示をしている。

家人達も気色ばって慌しく動いている。

振り返ったゼフは、ミホークに、

「鷹の目の。やはりお前さんに出てもらうわけにはいかん。これは是が非でも俺がけりをつけねばならん。」

と、険しい目のまま言った。

「俺もジンベエも、正直、アーロンにシマをくれてやるのは不安だった。あの男の技量を考えれば、とっくにジンベエに後継指名されてもおかしくないのに、なかなかそれが叶わなかったのはあの男のそもそもの気性のせいだ。あの男が同盟破棄などなんとも思っておらんことなど百も承知だったのに油断した俺の非だ。ご子息を傷つけた責も俺が取るゆえ、ここは引いてもらえぬか、鷹の目。」

底知れぬ怒りを秘めた声で言うゼフを、

「いいや、赫足。だからこそここは我らに任せてはもらえんだろうか。」

と、やんわりと制したのはセンゴクだった。

「センゴク! 俺の不始末を客人につけさせるわけにはいかん!」

「とはいえ、ここで隠退したお前さんがジンベエと遺恨を残すことは得策ではないだろう。赫足よ。」

センゴクの言葉に、傍らのミホークも無言で頷く。

「お前さんの大切な宝は必ず取り戻す。うちのバカどもに任せてやっちゃあくれねぇか。」

そうまで言われては、ゼフにはこれ以上助力を拒む事はできなかった。

元より、こうして攫われたサンジを追う事ができるのは、ゾロの機転のおかげに他ならない。

しばしの逡巡の後、ゼフはセンゴク達に向かって頭を下げた。

 

2007/02/25

 


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