* Pure Blooded *


 

−9−

 

「俺はお前がもっと、怒るかと思った。」

ゾロが言った。

怒ればよかったのに、と思いながら。

あの時、傍で聞いていただけで、ゾロは、連れていた狼犬ごと噛み殺してやりたいと思うほどの憤怒に襲われていた。

人間の作ったくだらない価値観でサンジが測られ、見下される事が、どうしようもなく腹が立った。

あの人間はいったいサンジの何を見ていたのだろうと思う。

こんなにも綺麗で美しい犬の何を、そんなにも貶めたかったのだろうと思う。

プラチナブロンドの毛並みも、蒼い瞳も、こんなにもこんなにも綺麗なのに。

 

なのにサンジは、あれほど飼い主ごと踏みつけにされながら、ただ静かに立っていた。

その顔に何一つ表情を浮かべずに。

 

ガキのくせに鼻っ柱の強いサンジ。

そのプライドの高さも、ナミへの愛情も、この二日間でよく知った。

あんなふうに、ろくに知りもしない人間にナミと自分を侮辱されたら、さぞむきになって吠えるだろうと、思ったのに。

 

「吠えたりしたら、それこそあいつら大喜びだからな。」

 

ぽつんと、サンジが言った。

 

「“やっぱりLow%だ”、っつわれっかんな。」

 

その瞬間ゾロは得心した。

 

狼は、吠えない。

わんわんという、犬特有の吠え声は、人間とのコミュニケーションの為のものだといわれている。

人間と生きた長い歴史の中で、人間に自らの意志を伝えるために犬が身につけたものだと。

だから、人間と暮らした歴史を持たない狼は、吠えない。

狼だけではない。

他のどんなイヌ科の動物も、犬のように吠えたりしない。

サンジの中の狼の血の薄さを嘲笑う人間は、サンジが怒りのあまり吠えれば大喜びしただろう。

ほらやっぱりこいつは犬だと。

この吠え声がその証拠だと。

 

だからサンジは吠えもせず、ただ黙って立っていたのだ。

どれだけ辱められようとも。

 

「俺は自分が犬だろうと狼だろうとどっちでもいいんだけど、ナミさんに恥かかすわけにはいかねェからな。」

 

己の主人の為に。

 

何か言い知れない大きな感情のうねりがゾロの中を突き上げてきて、ゾロは声が出せなかった。

サンジはくちなしの植え込みに埋まるように寄りかかって、何を考えているのか遠くを見ている。

ただぼけーっとしているようにも見える。

そういう無防備な顔をすると、サンジはとても幼く見えた。

こんな子供のような顔をして、小さな頭で、サンジは、ゾロには予想だにもできない事を考えている。

 

「……犬だろうと…狼だろうと…、…お前は綺麗だ。」

 

何を言っていいのかわからなかったので、思ったことをそのまま言った。

 

「…………綺麗だ。」

 

サンジの顔が、きょとん、と、ゾロを見る。

それは、一瞬、泣き出しそうに歪み、けれどすぐに、ふわりと破顔した。

 

ゾロが息を呑む。

 

突き上げてきたのは、強烈な“欲”。

 

─────こいつが欲しい。

 

サンジが欲しい。

どうしても欲しい。

サンジじゃなくちゃ嫌だ。

俺のもんにしたい。

どうしたらいいんだ。

どうしたら俺のものになる?

無理やり乗っかったら、またこいつは「誰にでもしてるんだろう」とか言いやがんのか。

どうしたらお前だけだって信じやがるんだ。

どうしたらこいつを俺だけのもんに出来るんだ。

どうしたら。

 

頭の中がぐるぐるして、なかなか言葉が出てこない。

 

そんなゾロを、サンジはなぜか眩しそうな目で見ている。

「ゾロぉ…。」

サンジが小さく呼んだ。

ほんの少し、甘ったるい声で。

 

「俺…ゾロが好きだ…。」

 

告げられた言葉に、ゾロが目を見張る。

ぐるる…と、ゾロが喉の奥で低く唸る。

「てめェ…。てめェのそれは…どういう意味だ。」

「意味…?」

 

「俺とつがいになってもいいって意味の“好き”か?」

 

今度はサンジが目を見張る番だった。

「つ、がい…?」

目をまん丸に見開いたサンジの顔は、食べてしまいたいくらい可愛らしかった。

 

「俺は。」

意を決して、ゾロは息を吸い込む。

 

「俺はお前が好きだ。お前とつがいになりてェ。お前とつがえないなら、一生誰ともつがいにならない。」

 

一気に言い放ったら、すごく早口になって、言い捨てたみたいに乱暴な口調になった。

けれど、言い直す事はできなかった。

恐ろしく恥ずかしかったからだ。

 

誰かに好きだと告げることが、こんなに恥ずかしいとは思ってもみなかった。

 

ぽかんとしてゾロを見ていたサンジの顔が、だんだん赤くなってくる。

 

「俺、と、つがえないなら…、一生…誰とも…?」

「ああ。一生誰ともつがわねェ。」

「…死ぬまで独りってことだぞ…?」

「かまわねェ。」

「俺…オスだぞ…?」

「ああ。」

「つがっても子供生めねェと思うぞ…?」

「問題ねェ。」

「…Low%だぞ…?」

「それこそ俺にゃあどうでもいい。」

 

「なんで…?」

ついに耐え切れなくなったように、蒼い瞳から涙が零れ落ちた。

「なんで俺を、そんなに…?」

ぽろぽろ、ぽろぽろ、と涙は後から後からサンジの頬を伝う。

 

「き、昨日会ったばっかの俺になんで…?」

 

「…………昨日会ったばっかじゃねェ。お前が生まれた時に会ってる。」

 

「え……?」

 

サンジの目が更に見開く。

 

「覚えてねェか……?」

「覚えてねェ…。けど、ここで生まれたってのは知ってる。」

 

「お前は…生まれて何ヶ月かは、ここで育ったんだ。」

 

ゾロの脳裏に、生まれたばかりのサンジの姿が蘇ってきて、ゾロは我知らず微笑んだ。

 

狼犬とホワイトシェパードの間に生まれた6匹の仔犬。

6匹の中で一匹だけ、やけに好奇心が強くやんちゃなのがいた。

兄弟達の誰も、母親から離れようとしなかったのに、その仔犬だけはよちよちと脱走しては、ゾロのところに来た。

何が気に入ったのか、ゾロが追い払っても追い払っても、仔犬は寄ってきた。

 

「それが…俺…?」

「ああ。しまいには俺も根負けして放っておいたら、俺の腹巻ン中もぐりこんで寝るようにまでなった。まァ、お前の母親にはしこたま怒られたけどよ。」

「俺が…、ゾロの腹巻の中で、寝…っ…!?」

見る見るうちにサンジの顔が赤く染まる。

「昨日、お前に会った時は驚いた。あんまり、き…綺麗に、なりやがってるし、俺の事も全然覚えてねェから、あのチビじゃないのかとも思った。でもケツ嗅いだらやっぱりお前だったし。」

「そ、れで、あんなにしつこく尻嗅いだのか…。」

サンジの顔がますます赤くなる。

それが不意に、はっと顔を上げた。

「え、じゃ、何…、お前、俺がそんなチビの頃から狙ってたのか?」

とんでもないことを言い出した。

「阿呆。いくらなんでも赤ん坊相手にそんなこと思うか。つがいにしてぇと思ったのは昨日だ。」

俺はどれだけお前の中でアブない奴認定なんだ。

 

「だけど。」

ゾロは続けた。

 

「だけど、お前のそのきんきらの毛並みを忘れた事は一度もなかったな。」

 

だってサンジだけだったのだ。

前の飼い主に捨てられたばかりの頃で、まだルフィにも馴染めず、動物達をも警戒していたゾロに、唯一触れてきた柔らかで温かな存在は。

 


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