■ innocent ■ GOLD FISH/きぬこさん
だって、仕方がなかったんだもの。
愛した人は、私を妻にはしてくれなかった。
子供を産めば結婚してくれるものだとばかり思っていたのに。
だったらこの子供はどうしたらいいの?
もう産んじゃったのに。
途方に暮れてそう言ったら、あの人は「義務教育終了までは」との限定でお金を振り込んでくれると約束してくれた。
あとで知り合いに「成人するまでは普通養育費ってくれるものだよ」と言われたけれど、知らなかったんだからしょうがない。
「認知」なんて言葉もしらなかった。
病院で子供を産んで、言われるままに届け出を出したらあの子には父親がいない事になっていた。
どうしてそうなってしまったのか、未だに私にはわからない。
綺麗だ綺麗だと、いつも人に褒めそやされて生きてきた。
大抵は男の人で、たまに女の人も言ってくれたけどその口調には妬みとか嫉みが滲んでいたから、純粋に男の人に言われるほうが好きだった。
真剣に言ってくれた人のうちの何人かとは、おつきあいもした。
最初の男との事で懲りた私は、絶対に子供だけはできないように気をつけていた。
少しは学ぶの、私も。
男の人とおつきあいをするのは、嫌いじゃない。
「綺麗だ」と体の上から降り注ぐ賛辞にまみれながら抱かれる事ほど、気持ちいいことはない。
両親なんて、記憶にない。
一番古い記憶は、親戚の家のおばさんの恐い顔。
何を言っているのかわからないけど、ひどく怒っていた。
「図々しい」「あつかましい」「あるかないかの血のつながり程度で」「どこの馬の骨とも」「女に騙されて」「馬鹿な兄さん」「あんたも同じだ」「淫乱」
ああ、結構いっぱい憶えているものなのね。
その家にいる間、ずっと怒鳴られてばっかりだったけど意味がわからないから気にならなかった。
おじさんは優しかったし。
色々な事を、私に教えてくれた。
綺麗だ綺麗だと言いながら、私に色々なことをしてくれた。
私の肌は白い。
私の髪は、明るい栗色。
私の瞳は明らかに色が薄い。
そういえば私の子供の瞳は蒼かった。
私の子供の髪は、綺麗な蜂蜜色だった。
肌は私より白いぐらいだった。
いま、どこにいるのかしら。
大きくなったでしょう、きっと。
男の子だから1人でも生きていけるだろうと思って、私はあのとき結婚を申し込んでくれた人とあの部屋を出て行ったから、あの子が今どこで何をしているのかを知らない。
あの部屋も、あの人からの振り込みがなくなったら住めるような家賃じゃなかったから、きっと出て行ってしまったでしょう。
アパートでも借りて、きっと幸せに生きていると思うのだけど。
だってあの子は男の子だもの。
結局あのとき結婚しようと言ってくれた人とは結ばれなかったけど、仕方がない。
だってもっと素敵な人と出会ったのだから。
でも、その人とつきあいはじめてからすぐにまたもっともっと素敵な人が声をかけてくれた。
私はいつでも大事にされて愛されている。
私もみんなを愛している。
□ □ □
渋谷は夜遅くなっても、人の流れが絶えない。
むしろ遅くなればなるほど、多くなるよう。
彼が駐車場から車を出して来る間、ここで待っているのだけれど、その間も若い男の子が私の声をかけてくる。
いいの?あなたたちから見たら、私なんておばさんじゃない。
そう言って笑うと、男の子たちは嬉しそうに笑って、遊びに行こうとか飲みに行こうとか言ってくれる。
幼いほど若くても、お年を召したロマンス・グレイでも、やっぱり私は男の人が好き。
「ねえ、行こうよ」
焦れたのか、1人が私の腕を掴んで引っ張る。
「待ってなきゃいけないのよ、ここで」
笑う。
「もったいつけねえでさあ。いいじゃん、どうせ処女じゃないんでしょ?おねえさん。」
にこにこと笑うその顔は、よくテレビで見るアイドルタレントによく似ている。
「ま、なんて事言うの」
若い男の子はやんちゃで可愛い。
「さっさと立ちなったら」
笑い顔に、少し苛立ちが混じってきたのがわかる。
「だから、行けないって言ってるでしょう?ごめんね、また今度。」
腕をひかれるのも、嬉しい。女として魅力があるのだと言われているようで。
「めんどくせぇな。おい、誰か車まわして来いよ。」
「車なら、いま私の婚約者が取りに行ってるから。すぐに来るわよ。大丈夫。」
駐車場の出入り口にあたる道路はいつも混んでいるから、少し遅くなっているのだろう。
「おねえさん、頭弱ぇのか?だったら好都合じゃん。」
男の子達は笑いあいながら、失礼な事を言っている。
「ひどいわ。」
私の気を引きたいのなら、もっと褒めてくれたらいいのに。まだ若いからわからないのね。
困った子供たち。
「何やってんだ」
低い声。
あら?まだお友達がいたの?と振り向くと、そこにはひときわ体格の良い男の子がいた。緑の髪の男の子。
男の子、というにはずいぶんと育っているように見えるけど、私にしてみれば年下の男性はみんな「男の子」。
「何やってんだ、てめえら」
もう一度口を開く。
「うるせえな。てめえの出る幕じゃねえ。」
まあ、なんて口の悪い。本当に男の子ってやんちゃだわ。
「その女、どうする気だ。」
「どうしようが俺らの勝手だ。」
「あのよ…」
その子がにやにや笑いながら、心持ち声を低くする。
「さっきからどうすっかなって思ってたんだけどな。おめぇら、最近ちょっとやりすぎだろ。サツのおっさん、あそこにへばりついてんの、気づいてなかったのか?」
突然男の子が私の腕を突き放す。
「マジかよ。」
「マジ。」
「やべぇよ」
「ああ、やべぇな」
「んなおばさん1人ヤったぐれぇでパクられちゃ、わりにあわねえ。」
「だったらさっさと行けよ」
「うるせぇな」
「ああ、言い忘れてたけどよ」
緑の髪の男の子は、男臭い笑いを浮かべる。
悪い魅力のある子ね。
「ひとつ貸しな。今度なんかあったときは返せよ。」
男の子達は返事もせずに行ってしまった。
「てめえらごときにサツなんか張り付くかよ。」
けっ、と乱暴に言い捨てるのも、この子にはよく似合っていて素敵。
でも、さっきの子達も可愛くて、一緒にお茶を飲むぐらいならいいかしら、って思ってたからちょっとだけ残念。
若い男の子に声をかけてもらうのは、いつだって嬉しいもの。
「なあ、あんた」
「はい、何かしら」
よく見ればこの子もとても端正な顔をしているわ。
何かスポーツでもやっているのかしら。とても強そうな、厚みのある体。
抱かれたらさぞかしよくしてくれそうな、そんな男の人の体。
にこにこしている私の顔をしばらく見ていたその子は、ひとつ深い溜息をつくと、
「まあいい。連れがいるんだろ?」
「ええ。だけど少しお茶を飲むぐらいなら…」
「そうじゃねえ。その連れが来るまで、ここを動くんじゃねえよ。」
「あなたがそう言うなら、そうするわ」
こんな素敵な男の子の言う事なら、逆らいませんとも。
お茶を飲みに行くお誘いじゃなかったのは残念だけど。
その子は少し妙な顔をして私を見ていた。
何か思い出そうとしているような、そんな表情。
でもそのうち、道路の向こうから自分を呼ぶ声に気づいて顔を上げた。
「じゃあな。もう変なのにひっかかんなよ。」
「ありがとう」
にっこり笑って手を振る。
その子は、車にクラクションを鳴らされまくりながら道路を横断した。
見ている先で、友達と向かい合っているらしく、その緑の頭が立ち止まっている。
むこうの歩道は大きなデパートの入り口に面していて、とても人が多く、どんなお友達なのかは全く見えない。
人波が途切れたときに見えたのは、綺麗な金髪だった。
人と人の間に見え隠れする、蜂蜜色の髪。
とても痩せていて、背の高い男の子。
夜目にも肌が真っ白なのがわかる。
緑の髪の男の子は、その子に何か話しているように見えるけど。
線の細い、綺麗な子。
浮かべている表情は、なんだかとってもガラが悪いように見えるけど、それもまたあの子の魅力になっているみたい。ボーイッシュな女の子みたい。
ああ、あの子とお茶を飲むのでもよかったわ。
あの子だったら、色々と「教えてあげる」のが楽しかったでしょうに。
とっても残念。
見ていると、緑の髪の男の子が私のほうを指さした。
金色の髪の男の子が、ふいと顔を上げてこっちを見る。
つまらなさそうに私のほうを見て、一瞬驚いたような表情を浮かべたけれど、すぐに顔を背けてしまった。
まあ、失礼ね。
それからその子たちは少し口論するような感じで言い合っていたけれど、
「あら」
掴まれた腕をふりほどいて、金色の髪の男の子がこっちへ来る。
さっきの緑の髪の男の子がしたようにガードレールを乗り越え、やっぱり車にクラクションを鳴らされまくりながら、まっすぐに私に向かってやってくる。
そらされない視線に、にっこりと笑い返してあげる。
可愛い子ね。
「おねえさん」
「はい、何かしら」
外見から想像したよりも、ほんの少し大人びた声。
でも、甘くてとても良い感じ。
「…」
黙ってしまうのも、なんだか場慣れしていないみたいで逆に新鮮。
「お茶でも飲みに行く?」
だから私は年上の余裕で助け船を出してあげるの。
彼は驚いたように目を上げて、私を見る。
綺麗な綺麗な青い目。
じっと見つめられると、吸い込まれそうだわ。
海みたいな、青。
「や…お茶は…」
彼は何故だか、口元をきゅっと結んで眉をしかめた。
怒ったようでもない。
どうしたのかしら。
「どうしたの?」
私は聞いてみる。
「なんでもねえよ。」
突然背後から聞こえた声に驚いて振り向くと、さっきの緑の髪の男の子が立っていた。
「ああ驚かせないで。びっくりしたわ。」
それでも笑ってそう言うと、
「なあ、あんた。」
緑の髪の男の子が、私をじっと見た。
何かしら。
「あんたさ…」
さっき、あの男の子達を追い払ったときとは違って、何度も口ごもる。
どうしたの?
「おねえさん、あのさ」
金色の髪の男の子が、ふいに私の前にしゃがみこんだ。
彼の後ろをたくさんの人が足早に通り過ぎてゆく。時々邪魔そうに足がぶつかるけど、この子は気にもとめずに私を見ている。
見下ろすような位置にある小さな白い顔。
「なあに?」
安心させてあげるように、笑う。
蒼い目がじっと私を見上げている。
しばらくそうやっていた彼は、やがて
「おねえさん、今、幸せに暮らしてる?」
そう言って、真剣な目で私を見た。
真正面からの問いに、私は一瞬目を見開いた。
それから、
「ええ」
浮かべた笑顔は、自分でも驚くほど甘やかだったと思う。
「とても幸せよ」
「そうか」
私の答えに、男の子は晴れやかに笑って立ち上がる。
「そうよ」
掌を頬にあてて、
「結婚したの。優しい人と。」
そう教えてあげる。
「そうか」
男の子はそう言って、また笑った。
でもそのまま少し口ごもる。
何か言い足そうに、何度か私を見るけれど言葉は出てこない。
ふと顔を上げた彼の視線の先にあったのは、飲み物の自動販売機。
軽い足取りで私から離れてゆくと、その自動販売機に硬貨を入れてなんだかボタンを押している。
「?」
私のところに戻ってきた彼の手には、飲み物のペットボトル。
無言で私にそれを差し出して来た彼の目を見上げる。
「私に?」
「…うん」
「ありがとう」
にっこりと笑う。
若い子だから、きっとお金がないのね。でも私に何かしてくれようとするその気持ちは、とても嬉しい。
「嬉しいわ」
だから、思った通りに口にして、ペットボトルを受け取った。
とろけるように甘い、ミルク・ティー。
「俺からの結婚祝い。」
ペットボトルを指さす。
「ごめんね。俺、まだ見習いだから貧乏なんだ。」
「ありがとう。でも、だったら余計に嬉しいものよ。お仕事してるのね。偉いわ。」
「ああ。レストランで働いてるんだ。」
「ギャルソンなの?」
「違うよ。俺はコックになるんだ。」
「凄いわね。私は料理なんか出来ないから羨ましいわ。」
青い目が笑う。何故かうなずきながら。
あら、お料理が出来ないっていうのはマイナスポイントだったかしら。
でもこの子は私を優しそうな目で見つめている。
「じゃあね、おねえさん。」
男の子は軽く手を振って、私に背を向ける。
「またね」
私がそう言うと、何故かその子の動きが止まる。
何か悪い事でも言ったかしらと思っていると、緑の髪の男の子が強引に腕を掴んでつれて行こうとする。
それに逆らう事はせずに、それでも振り向いた男の子が
「幸せにね」
と言ってくれた。
「あなたも」
そう返すと、凄い勢いで緑の髪の子に連れられてゆく彼の青い目が、今度こそ人混みに消えた。
最後まで、私をずっと見つめていた青い目。
さよなら、と小さく手を振った。
金色の髪の男の子の腕を掴んだ緑の髪の男の子の仕草はとても自然で、あの二人がもしも恋人同士なのだったら、羨ましいほどにお似合い。
性に偏見はないから、お互いが好き合っているのならいいと、私は思う。
愛以上に大事なものはないと、そう思っているから。
だから、私はいつでも人を愛していたい。
誰かを愛して、誰かに愛されていないと、生きている実感がない。
いま車を出して来てくれている人は、私を愛してくれている。
先週、籍を入れてくれた。
出会ってまだ半月だけど、こうしないと貴女はどこかにいってしまう、と苦笑いしながらプロポーズしてくれた。
心の底から、幸せだわ、と思う。
いままで私がおつきあいをしてきた男の人達も、みんな幸せになっているといい。
それから、いまどこにいるのかわからない、私のあの子も。
あの金色の髪をした子が私に笑いかける。
幸せに、と。
そして私は、胸の中でもう一度、あの青い目に答える。
幸せよ、と。
渋谷の街はたくさんの人が溢れていて、わたしはその中で一人微笑んでいる。
2006/05/04
END.
■ 最終回祭り ■
きりんさん作第23話に出てきたサンジの母親をおきぬが味付け。