『花の想い』
 

 地下深く、人目を避けるように作られた魔導研究所には
相応しくない温室で、その日もセリスはシド博士と一緒に
彼の大事な薔薇たちの世話を手伝っていた。
 大輪の花たちが咲き始め、小さなじょうろから水をあたえてやると、
緑の葉までが人工の太陽にきらきらと輝くようで、
とても美しい、穏やかな午後だった。
 「博士、この薔薇、今年もとてもきれい…」
 少女の声にシドが振り返った。セリスと彼が特に気に入っている品種だ。
こうやって花の中に埋もれていると、自分たちが研究所で
何を行っているか…この少女を使い、自分たちがどんな酷い
研究を行っているのかを、シドの心から一瞬でも忘れさせてくれた。
 「博士…?…どうかなさったのですか?」
 白衣の袖をつかみ、セリスはその賢そうな瞳でシドを見上げた。
 「……いや、何時かその薔薇の改良が進んで、お前の髪色に似た
花びらをつけるようになったらな、『セリス』と名前をつけような?」
 人工の陽の下で、少女の表情がぱぁっと明るくなった。
 「わぁ、すごく楽しみです!…博士、ありがとうございます」
 その後の言葉を二人は飲み込んでいた。
 『その年まで、セリスが生きていられるのなら』…

 「おやおや、また土弄りですかぁ、シド博士?」
 甲高い声が、温室の中に響き渡った。シドは声の主を見ずに、
セリスを自分の後ろに隠すようにした。
 「…ケフカ。この温室はわしの大事なものだ。ドアを閉めろ、と
言ってあったはずだがな?」
 「大事なお花ちゃんがここに居るからだっけねぇ」
 けらけらとケフカが笑った。この静かで美しい温室に相応しくない闖入者が
怖くて、セリスは博士の服につかまり、がたがた震えていた。
また、研究の成果を見せろと言われる事が辛かった。日々の研究は過酷で、
体内に注入される「魔導」の力は、少女の体を確実に蝕んでいたからだ。
器として耐え切れないほどの力を、注入されたら…
 「くく…っ、お前もボクちんみたいになるんだよ。…かわいい薔薇ちゃん?」
 隠れている少女に向かって、ケフカは猫なで声を出した。
 「やぁ……やぁよぅ…ッ…!」
 涙を目に湛えて、セリスが叫ぶのも無理はなかった。
ケフカは少女の目から見ても、常軌を逸しているからだ。
彼もまた、自分と同じ研究に使われていた「成果」なのだと知っていれば尚更だ。
 「止めんか!…もう今日は実験も終っておる。お前に見せるものなどないぞ?」
 シドが語気を強めて言うと、ケフカは首をすくめてみせた。
 「ボクの大事なオモチャを、あんたたちに見せてやろうと思ってね?
 …さぁ、おいで。ボクのお人形ちゃん?」
 

 彼の「お人形ちゃん」は、文字通り人形以外の何者でもなかった。
セリスとシドは息を飲んで、その少女を見つめた。
薔薇の葉に似た色の髪も、二人に向けられた、月の色の瞳も、
珍しいせいもあるあるだろうが、生気の感じられない表情のせいで、
ケフカの命令通りに動く、「お人形」にしか見えなかったのだ。
 「…っ、お前、その娘は…!ティナ!なんでこんな言うなりに!?」
 シドが狼狽するのも無理はなかった。確か研究所に連れてこられた時は
よく泣き、笑う赤子だったはずだ。少なくともシドがセリスを使う実験に没頭する
三年前までは、普通に「子供」だったはずなのだが…。それはセリスも同じ
気持ちだった。研究室が違うため、滅多に会わないが、年の近い少女が
耐えながらここで暮らしているという事は、辛い時には心の慰めになっていたからだ。
 「ふふふ…それはボクの躾がイイからに決まってるでしょう?
ティナ、目の前の花をむしるんだ…」
 ケフカの言葉どおりに、少女が手を伸ばし、咲き誇る薔薇の花びらを
むしゃむしゃと解き始めた。手で掴み、腕を振るうと葉が大きく揺れ、
花びらが撒き散らされた。
 「やめてぇ!!博士の薔薇なのよ?」
 セリスはたまらずに飛び出すと、ティナの手を掴んだ。小さな手の中に
赤い花びらを握ったまま、ティナの動きは止まった。花から遠ざけるつもりで
花たちとティナの間にセリスは立ちはだかったが、ふとつかんだ手の
生暖かい感触に、視線を移した。
 ティナの手の甲も、その細い腕も、薔薇の棘で掻き傷が出来、火ぶくれのように
膨らんでいた。セリスも日に当たらない生活を強いられているから、確かに肌は
白いのだが、ティナのそれは雪のように白くて、みみず腫れが異常に目だって見えるのだ。
 生暖かいのは、手の平が一番酷く傷ついていて、血が滲み出している、その血の
暖かさのせいなのだ。セリスは少女を気の毒に思い、労わるように話しかけた。
 「…ね、だめよ?薔薇には棘があるんだから、…こんなに傷ついて…」
 「………、……ン、……ぅ……」
 ティナの唇が微かに震え、何か話しかけたそうな、確かにそんな
表情をしていた、とセリスは思った。痛くて泣きそうな、1歩手前の表情だ。
 だが、そこまでだった。
 

 「何だ、そのザマは……ボクの命令に従わず、そんな小娘の説得を聞くのかぁ?」
 じれた子供のような言葉を吐きながら、ケフカが何か手元に持ったものに触れた。
すると、ティナの体がぶるっと震え、目を見開いて、何かに耐える表情になった。
頬は紅潮して、色素の薄い肌の下に、血管が脈打つのまでが見えるほどだった。
 「どしたの?…ティナ?!」
 手の傷を擦っていたセリスが、慌てて手を離してしまうほど、
何か強い力のようなものがティナの体に流れているのが感じられた。
ティナは何か抜けるのを恐れるかのように、
頭を強く押さえ、温室の床に倒れ、のたうちまわった。赤い服の裾が捲れ上がり、
同じように細く白い足が、床を何度も蹴った。
 「まさか、お前…『あやつりの輪』を使ったんじゃな?あれを、こんな少女に…!」
 転げまわるティナの額に光るサークレットを認め、シドは詰問した。
 「何の権利があって、意思を奪うのか?魔導の研究に、これが何か…」
 「…さて、あんたにとやかく言われたくないね、博士?…人を意のままに
実験動物にするのは、あんたもやってる事じゃないですかぁ?…」
 今更何を言うのやら、と言わんばかりにケフカは首を竦めてみせた。
 「今日は博士のお花ちゃんと、このお人形を対決させたら面白いと思ったんですけどネ?
まだ調整が足りないみたいだ。……さぁ、ティナ、おいで……ボクのとこへね?」
 ケフカの声が聞こえると、それまで跳ねまわっていた少女の体が、ぴたりと止まった。
震えの止まらない足で自分を支え、ようやく立ち上がり、1歩づつケフカに近寄るティナの
表情は、シドとセリスのところに来た時よりも、もっと無表情で、先ほどまでの
頬の明るみさえもう消えうせていた。
 「…ティ………ナ!だめぇ、…ッ!そっちへ行っちゃ…」
 シドに肩を掴まれたまま、セリスは目の前を通り過ぎるティナに呼びかけた。
月の瞳には、セリスの姿が映っているが、そこには意思の光りはなかった。

 ケフカに連れていかれてから、ティナがどんな実験を受け、育っていったのか、
そして自分の体に続けられた実験の結果を、
セリスが知るのはもう少し後になってからの事だった。
 帝国に仕える、魔導アーマー乗りと、ルーンナイトとしての…
 

【終】

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