1600年9月15日、いよいよ天下分け目の関ヶ原の戦いが始まろうとしていた。
西軍の総大将は石田三成、東軍の総大将は徳川家康である。
徳川家康は今は亡き豊臣秀吉の遺言に次々とそむいた。
石田三成はその不届き者を倒すためにこの戦をしかけたのだ。
事実上、次の天下人を決める重要な戦いである。
ところで、家康は常に立った一人、自分にそっくりの影武者を置いていた。
その名を世良田二郎三郎と言う。元々は道々の者で戦場をあちらこちら渡り歩いていた。
「ふふっ、二郎三郎おねしは敵の陣どう見る?」
「・・・はははっ。この戦、家康様の負けにござる。敵の陣は完璧、勝ち目はありませぬな。」
まわりの家臣はギョッとする。いったいこの影武者は主君に対して何を言っているのか。
だが、家康は大笑いをしてこう受け答えるのだった。
「まさにその通り。この戦、陣形ならば(石田)三成の勝ちじゃな。だが・・・」
「さよう。方翼が折れては鶴は飛べぬ。」
そう、この時吉川広家と小早川秀秋が既に家康の裏切りに応じていたのである。
石田三成の実質的な兵力は総勢10万のうち半分にも満たない状況だった。
家康とその影武者二郎三郎が用を足していた。・・・二郎三郎は本当に家康にそっくり。
「しかし、小便の出る時間まで同じとはのう。」
影武者の任務に必要のない事まで似ているのだ。
なんと、最近ではどちらが本物か家臣も見分けがつかないありさま。
側室の女が二郎三郎を家康に間違えて夜に抱きついてしまった事もある。
陣を少し離れて人間の生理現象をすませる二人。
そこで、二人はまた妙な共通点を発見する。
「ん、ん、なんとあそこの大きさまで同じではないか。」
「いえいえ、家康様のものに比べれば、手前の方が遥かに立派でござる。」
「はははっ、二郎三郎何を申すか。」
家康に対してこれほど軽口を言える家臣は二郎三郎のみであった。
これは二郎三郎に家康が自分の影武者になってくれるよう強引に頼んだからだ。
実は家康の祖父と父は近臣に暗殺されている。
・・・2度ある事は3度あると言うわけで家康は自分の影武者を血眼になって探していたのである。
だが、その影武者は一向に見つかる事が無かった。理由は家康の体系にある。
・・・極端な短足なのだ。これに加え、顔もそっくり、武勇にもすぐれているとなるともはや絶望的だ。
そんな中、30年近くかかって、やっと家臣が見つけてくれた人材が世良田二郎三郎なのだ。
体系がそっくりなのはもちろん、ボディガードとしての腕も相当なものだ。
特に鉄砲の扱いに秀でて全国の戦場を渡り歩いた強者である。
・・・ただ、その戦のほとんどがなぜか負け戦なのだが。
もっともこれは、その負け戦でも生き延びる腕があった事を意味する。
家康は寝所で寝るとき以外はこの男をいつも側に置いていた。
「ところで、二郎三郎自由を愛するお前がよくわしに仕えてくれたな。」
「いえ、家康様の夢に俺も感激しましたから。」
民が平和に暮らせる国,それが家康の理想であった。
「この戦が終われば,お主も影武者を辞めて自由の身だな。約10年間、今思うと短かったな。」
「よく覚えてますよ,家康様とはじめてお会いした日のことは。」
家康と二郎三郎が始めて出会ったのは1590年の事である。
二郎三郎は家康の家臣で親友だった本田正信に強引に対面させられたのだ。
当時、二郎三郎は関東の北条家の道案内役となっていた。
それを忍びを使ってむりやり、捕らえたのである。
当然、家康に会見して二郎三郎は親友に裏切られた気持ちで完全に怒っていた。
顔にそれがよく現れていた。二郎三郎の見張りについていた本多忠勝が厳しく言う。
「この方が徳川家康様である。挨拶をいたせ。」
「・・・。」
「どうした礼をいたせ!・・・礼をせねば殺すぞ。・・・ぐふっ」
怒り爆発の二郎三郎が忠勝に強烈な右ストレートを炸裂させる。
歴戦の野武士である二郎三郎。・・・それは猛将の忠勝すらダウンさせた。
「忠勝様!この無礼者目が!」
忠勝直属の家臣が持っていた鉄砲を二郎三郎にいつでも発射できる構えを取ろうとした。
だが、二郎三郎はその家臣の左腕をつかみ、そのまま己の片腕で軽くひねる。
そしてそのまま、もう片方の腕で鉄砲を奪ってしまった。
呆然の家臣一同。二郎三郎は家康にその鉄砲をつきつける。
「俺は自由の身だ!・・・誰の指図も受けん。たとえ、それが徳川家康でもな!」
・・・しばらく周りには沈黙が続いた。それを打ち消したのは家康の言葉であった。
「自由の身か・・・。うらやましいのう。」
「えっ。」
「わしは2歳で今川の人質になった。それから18年間・・・
監視つきで外に出歩くことすら許されなかった。」
「・・・。」
「わしが鷹狩が好きなのはそのせいだろう。この自由に空を舞う鷹にわしはあこがれたのだ。」
椅子に座っていた家康が席を立つと二郎三郎の前に立ち腰を低くした。
慌てて止めようとする忠勝。二郎三郎も家康に鉄砲を構えながら呆然としている。
「二郎三郎・・・わしの力になってくれぬか。」
「なぜ、俺にそこまで?」
「二郎三郎。わしは民が安心して暮らせる自由な世を作りたいのじゃ。」
「・・・民が安心して暮らせる自由な世。」
「その日が来るまで二郎三郎殿の自由を捨ててくれ!わしに力を貸してくれ、お願い申す。」
家康は二郎三郎に深く土下座をするのであった。
この会見が後の日本史を大きく変えるのであった。
・・・関ヶ原では突然雨が激しく振り出してきた。
うっとおしい雨だと思いながら、家康は癖である爪噛みを始める。
・・・この癖が家康の命取りになるとは、この時誰も知る由は無い。
「しかし西軍ともう2時間ぐらい睨みあいっこだのう。・・・あやつさえいれば楽に勝てるのじゃが。」
「ああ、秀忠様(家康の三男)の事ですか。今だに真田に足止めをされてるとの情報・・・」
「あやつではない!信康の事だ。」
「!!」
信康・・・それは今から21年前に家康が自らの手で殺さなければいけなかった息子の事である。
当時、家康は織田信長の同盟者・・・と言うより半属国状態で信長に協力していた。
・・・それはまさに命賭けの強力であった。
だがそんな家康に信長は、家康の長男信康に謀反の疑いがあるとして処刑を命じたのである。
21年前の家康はこの時、どうすべきかと悩みに悩んでいた。
・・・器量の良い最愛の息子を殺したくはない。
だが、信長の命令に逆らえばあの織田家と戦わなければならない。
・・・当時、織田家はまさに全盛期にかなり近い時であった。
すでに近畿地方をほとんど勢力下において、武田家に長篠の戦いで大勝していたのだ。
・・・家康に勝ち目が無いのは明白であった。
とぼとぼと息子に事を説明に行く家康。当然、足元は非常に重かった。
「信康、この書状をみてくれ実はのう・・・。」
父のやけに苦しそうな顔に違和感を感じながらも、渡された書状を目に見やる信康。
「こ、これは!!」
今までどうすべきか迷っていた家康が信康の顔を見て腹は決まった。
信長にもう一度弁解をして、それがダメだったら戦うまでだ。
「信康、わしはこの書状に従う気は・・・。」
「父上、外を見てください。」
「!?」
奇妙に思いながら息子に言われていた通り、外に目を見る家康。
そこには畑仕事をやっている自分の家臣の姿があった。
「そう、父上の家臣です。彼らはいつも暇さえあれば、兵糧の足しにと畑仕事をやってます。」
「・・・知らなかった。」
「皆、父上を驚かすんだと大根の大きさを競い合ってるんです。」
「・・・。」
「父上。私はあの者達が好きです。三河の人達が好きです!」
次に信康が言おうとしている言葉が家康には容易に察しがついた。
・・・父親としてはあまりに寂しかった。
その時、家康と信康に気付いた畑仕事をしていた家臣が自慢の大根をもって来る。
「どうですか、信康様。わしの大根は? ・・・この中で一番大きいでしょう?」
「いや、みろ。この俺の大根の太さを!おねしのは細いだけじゃ。」
ニコッと、信康の顔が微笑む。
「ははは、みんなすごい大根ですよ。・・・みんな日本一の大根ですよ!」
大根を持ってきた男達が去ったあと、信康はあくまで明るく家康に接する。
「もし、私が死ななければ信長様はあの者を殺すでしょう。私はそれを見たくはありません。」
とぼとぼと息子に事を説明に行く家康。当然、足元は非常に重かった。
「信康、この書状をみてくれ実はのう・・・。」
父のやけに苦しそうな顔に違和感を感じながらも、渡された書状を目に見やる信康。
「こ、これは!!」
今までどうすべきか迷っていた家康が信康の顔を見て腹は決まった。
信長にもう一度弁解をして、それがダメだったら戦うまでだ。
「信康、わしはこの書状に従う気は・・・。」
「父上、外を見てください。」
「!?」
奇妙に思いながら息子に言われていた通り、外に目を見る家康。
そこには畑仕事をやっている自分の家臣の姿があった。
「そう、父上の家臣です。彼らはいつも暇さえあれば、兵糧の足しにと畑仕事をやってます。」
「・・・知らなかった。」
「皆、父上を驚かすんだと大根の大きさを競い合ってるんです。」
「・・・。」
「父上。私はあの者達が好きです。三河の人達が好きです!」
次に信康が言おうとしている言葉が家康には容易に察しがついた。
・・・父親としてはあまりに寂しかった。
その時、家康と信康に気付いた畑仕事をしていた家臣が自慢の大根をもって来る。
「どうですか、信康様。わしの大根は? ・・・この中で一番大きいでしょう?」
「いや、みろ。この俺の大根の太さを!おぬしのは細いだけじゃ。」
ニコッと、信康の顔が微笑む。
「ははは、みんなすごい大根ですよ。・・・みんな日本一の大根ですよ!」
一方、こちらは石田三成の陣。
突然重臣の島左近に誘われ、なんと総大将の三成が陣を離れていた。
そこは、見晴らしの良い山であった。
「(島)左近、わしをこんなところに連れてきて・・・敵にばれたらどうするのじゃ。」
「まあ、これであちらの方面を見てください。」
そう言うと、左近は三成に遠眼鏡を渡す。
当時としては最新式のものだ。
周りには霧がたちこめているにもかかわらず、かなり鮮明に遠くを見ることができる。
左近の右手から遠眼鏡を受け取ると、左近の指差した方向を観察する。
・・・見えるのは憎き東軍の総大将徳川家康とその影武者だ。
「家康に刺客を送りました。家康さえいなくなればこの戦、勝てますよ。」
「なっ、左近わしはそう言う手段はせんとあれほど・・・。」
そう、当時の人間としては珍しく三成は潔癖症だった。
正義と言うものを非常に好むのだ。
この時代、暗殺など当たり前のようにばんばん行なわれていた。
・・・後世には病死として伝わっている者でも、実は暗殺だったケースも多い。
「はっきり言いましょう。この戦、家康の暗殺なくば三成様の負けにございます!」
「何を言うか!わが西軍は10万、それに比べ敵は八万!陣形の方もあきらかに有利だ!」
「殿、本当はもうお気づきのはずでございます。毛利も小早川も信用できぬ。裏切るかもしれぬと。」
そう、三成も自分に人気がない事はよく承知していた。
そこえ、あの徳川家康から内応の誘いが続々と西軍の武将に送られるのである。
・・・裏切る可能性があるのは当然だった。
「殿。家康を倒し、豊臣家を安泰させるためです。家康を暗殺せねば豊臣家に未来はありませね。」
実は家康は自分の陣営に入っている東軍武将に対して
これはあくまで三成を倒すための戦いである! ・・・豊臣家を倒すつもりなど毛頭ない!
と断言して、書状などで強くアピールしていた。
この事を福島正則などの豊臣恩顧の大名の多くが完全に信じ切っていた。
しかし、左近はそれが嘘であることを完全に見透かしていた。
「わかった、左近。家康の暗殺を許可する。」
「ははっ。」
関ヶ原の戦いの口火が下ろされる20分前の事であった。
トマトの後書き
この話しは「影武者徳川家康」と言う今は亡き隆慶一郎氏の作品を元に書いてます。
あの北斗の拳を書いている原哲夫さんにより漫画化もされました。
・・・予告にも書きましたが。
特に原先生の漫画版は非常に傑作かと思います。
しかし、少年ジャンプでは途中で連載が終了になってしまいましたが・・・。
その後、月間ジャンプで「島左近」と題名を変えて続編も出ました。
しかし、何故かこれは歴史物ではなく格闘漫画になってしまってました。
・・・原哲夫さんはこれ以上の続編を書くのは、他の作品もあるので断念されてしまったようです。
今はコミックバンチで「蒼天の拳」を書いておられます。
私個人としてはかなり不満。そこで自分で書いてみる事にしたのです。
しかし、私の文章力で隆慶一郎氏や原哲夫先生にかなうわけもありません。
と言うわけで不満も多いかと思いますが、これからもお付き合いしていただければ幸いです。
では、第2話もがんばります!
あっ、感想メールもください。よろしくお願いします。
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