“風の囁き”で、見事にガーゴイルを倒したクレス。
だが、今の彼はそんなことより、あるひとつの事実のほうが気にかかって仕方がなかった。
クレス『・・・・なんで・・魔法が・・・・? しかも、こんな大魔法を・・・・』
彼は自分が放った魔法の後を眺めながら言った。
−形を成さない、えぐりとられた床−
−すでに、雨風を防ぐこともままならなくなった、石造りの壁−
クレス『・・・・・こんな大魔法・・・・僕なんかが・・・本当に・・・?』
誰に聞くわけでもなく、つぶやいた。
フィーナ≪・・・それは、‘ウインディア’の影響ですよ。 クレスさん≫
ふと、傍らに持っていた魔導書から声がした。
クレス『ウインディアだけで、こんなに強い魔法を使えるように・・・?』
フィーナ≪・・・いえ、すべての人が使えるわけではありません。・・・・でも、あなたには素質があった。けれど
その素質は目覚めていなかった。だから、少し目覚めさせて・・・魔法を使えるようにしてあげただけです・・・≫
本の中の少女は、ゆっくりと・・・しとやかに言い聞かせるようにクレスに言う。
クレス『・・・・わかったよ・・・・・・・フィーナ・・・』
ようやく納得できたらしく、彼はうつむきがちに魔導書の中の少女に声をかける。
フィーナ≪・・・はい・・・?≫
クレス『・・・・ありがとう・・・僕を・・・“魔導士”にしてくれて・・・・魔法を、使えるようにしてくれて・・・・』
本当に嬉しいのだろう。 彼は涙を流しながら、少女に感謝を述べた。
フィーナ≪・・・・はい。 どういたしまして・・・≫
今、彼女の表情が見えたのならば、間違いなく満面に笑みを浮かべていたであろう。 その声が、そう思わせた。
『・・・クレス!!』
ふと、少女の叫び声がこだまする。
見れば、およそ手前からアルテナがこちらへ向かって走ってくるのが見えた。
クレス『アルテナ・・・・? どうしたんだよ、一体・・・』
何の気なしに、あっけらかんとした様子で彼はアルテナに声をかけた。
そして、その質問と同時ほどに彼女はクレスの近くへやってきた。
アルテナ『・・・・はぁはぁ・・・・どうしたもこうしたもないわよ・・・・』
心底疲れているらしく、息を切らせながら言う。
アルテナ『さっき、父上の個室で魔法の波動を感じて・・・・魔物たちが攻めてきて・・・・奴等の狙いは魔法庫
だって・・・・そしたらクレスの部屋の真下は魔法庫だから・・・・危ないと思って
一生懸命走ってきたんじゃない・・・・』
焦りと怒り混じりで、彼に説明するアルテナ。 だが
クレス『・・・・全っ然、わからないぞ。アルテナ・・・・』
苦笑混じりに彼は言った。 ぷちん。何かが切れたような音がしたような気がした。
アルテナ『・・・っ!! もう!心配してきてあげたらこれでしょ! 心配してあげてたんだから、
ありがとうの一言もないの!?』
どうやら、頭に血がのぼったらしくアルテナは怒号にも近い声で、クレスをなじった。
クレス『・・・やべっ・・・・・・ああ、すいません、すいませんでした!』
ようやく謝る気になったのか、彼はアルテナに対し謝罪を述べた。
アルテナ『・・・まったく・・・・・本当に心配してたのに・・・・・・・本当に・・・・』
涙をこらえているような面持ちで、彼女は言った。 そして、彼に抱きつこうとしたかもしれない・・・・が。
≪・・・・本当に・・・・・面白い・・・・・・≫
どこからとも取れないような場所からの声。
その声にクレスたちは緊張を走らせた。
それは、本当に一瞬の出来事。
アルテナの後ろに黒く映る影の中から、人が現れた。
そしてその現れた人は、アルテナの首を左腕で絞めるように、自分の体にたぐりよせた。
いわば、人質のような。 そんな格好であった。
クレス『・・・・・・・・な・・・・』
アルテナ『・・・ひっ!?』
あまりにも一瞬の出来事に、意味あいこそは違うであろうが、二人は驚愕の声をあげた。
ひとつは、何か不思議なことに直面したときのえもいわれぬ恐怖。
そしてもうひとつは、ただひたすらに得体の知れない・・・恐怖。
二人がそれぞれの恐怖を覚えている中。
フィーナ≪・・・・・・槍・・・・・・≫
魔導書の中の少女だけは、意味深な言葉をつぶやいていた・・・。
サンテオ『・・・・・ようやく・・・・・か』
ここは、“大魔導士(ハイウィザード)”の称号を冠する、サンテオ=フェ−リングの個室である。
彼はここで座っていながらにもかかわらず何かを見つけたのか、ふとつぶやきを漏らした。
サンテオ『風は目覚めた・・・・奴ごとき、物の数でもないだろうが・・・・』
いいながら、机の上の魔導書に手をかける。
サンテオ『・・・見に行くか・・・‘風’を、な・・・』
そうつぶやいた直後。
彼の姿は、部屋から消えていた。
クレス『・・・・槍?』
緊張のさなか、クレスはフィーナの言葉を聞き逃さなかった。
フィーナ≪・・・・槍・・・・かつて、魔族の中で五指に入ったと言われる、暗黒魔導士・・・・≫
少女は、記憶をたどるかのように語りだす。
すると、アルテナを捕らえた人物は興味を惹かれたのか。
『・・・・ほう・・・面白い・・・・』
あくまでアルテナを捕らえながら、少女の話に耳を傾けた。
フィーナ≪・・・その魔法力たるや、強大で・・・・・都市ひとつを壊滅させるほどの強い力だった・・・・≫
淡々と語る少女。 それを聞くクレスの額に冷や汗が浮かんでいた。
フィーナ≪・・・そして、その強大な魔法力、気性、風貌から・・・彼についた俗称が・・・・“黒き槍”・・・≫
語り終えた後。
“黒き槍”と呼ばれた男が口を開いた。
黒き槍『・・・・なるほど・・。 さすがは‘風’の魔導書・・・よく知っている・・・』
そう言う彼の風貌は、黒い衣服に身を包み、精悍な面構えをしていた。 人間でだいたい30代前半、
といったところか。
一方、クレスとアルテナは先程から覚えていた恐怖が、さらに強いものになるのを感じた。
アルテナ『・・・・そんな・・・・ことって・・・・』
彼女は恐怖に震えていた。先程の話からいってまず間違いなく、自分を羽交い絞めにしている男は敵である。
そして、どうしようもない力の差。・・・・まさに絶体絶命。そんな状況に追い込まれて、彼女は震えているのだ。
クレス『ぁ・・・・くっ・・・』
彼は、自分の前のあまりに強大すぎる敵に対し、えもいわれぬ恐怖を覚えていた。
そんな彼の表情を見て、黒き槍はにやりとしながら吐き捨てる。
黒き槍『・・・・・ふっ・・・恐怖に狂って、声も出ないか。・・・・まぁ仕方のないことだ。魔族のエリートたる
この私の前では・・・』
言いながら、その右手に魔力を集積させてゆく。
黒き槍『・・・・さらばだ、人間・・・・そして、‘風’の魔導書よ・・・』
言葉とともに、右手に蓄えられた魔力が彼の手を離れ、その先に立ち尽くすクレスに向かってゆく。
アルテナ『・・・・クレス!?・・・・・・・いやぁぁっ!!』
黒き槍に羽交い絞めにそれながら、彼女は叫んだ。 彼の死をほとんど確信してしまったのだろう。
だが、当の本人にはよける気はないのかただ立ち尽くすだけであった。
そしてその魔法が彼を直撃しようとした瞬間。
『この程度で・・・エリートだと・・・・ふざけるのもたいがいにしておけ・・・・槍・・・』
ふと、クレスの手前で凄まじいほどの魔力の反応が一瞬にしてかき消された。
クレス『・・・・・・え・・・?』
クレスは自分の後ろを見た。だが、黒き槍に羽交い絞めにされているアルテナのほうが、いち早く声を発した
人物を確認できた。
アルテナ『・・・・父・・・上・・・・』
少女は安堵の表情を見せた。自分の父親の魔法力の強大さを知っていたから。それは黒き槍が相手でも
ひけを取ることのないほどに。
そして、そんな父親が自分たちを救うべくここへ来た・・・そう、彼女は解釈し安堵の表情を浮かべて
いるのである。
一方、黒き槍はと言えば自分の魔法をかき消した人物に最初からあたりをつけていたらしく、特に動揺も
見せなかった。
黒き槍『・・やはり貴様か、サンテオ・・・。 来ると思っていたぞ・・・・』
しかし、ここまで早く来るとはな。 そう彼は言い加えた。
クレス『・・・・あなたは・・・・・あの・・・・・!?』
その存在を確認したクレスは、慌てふためいていた。 なぜなら、自分の前にいる男が“大魔導士”を冠する
人だったから。
そして、彼こそ自らが魔道を志した原点でもあったから・・・。 感動と戸惑いにクレスは冷静さを欠いていた。
サンテオ『・・・・君がクレス・・・だな・・・・・・なるほど、確かに‘風’が選ぶだけのことはある・・・・』
クレスを見ながら、サンテオは感慨深く何かをつぶやいた。 そして、クレスに言った。
サンテオ『・・・・落ち着け。・・今のお前なら・・風に守られたお前ならば、黒き槍ごとき雑魚など敵ではない』
クレス『・・・・・風・・・・・』
クレスは無意識に自分の右手に持った魔導書を見つめる。
その言葉を聞き、黒き槍がなんでもないかのようにサンテオに吐き捨てるように言った。
黒き槍『・・・ごとき? この暗黒の大魔導士・・・黒き槍をつかまえて、何を世迷いごとを・・・・』
続けようとした黒き槍を、サンテオが言葉で遮る。
サンテオ『なるほど。・・過去の栄華にしがみついている・・・・か。 雑魚を通り越して、クズだな・・・槍よ』
冷静に、かつ強大な魔法力を四散させながら淡々と言葉を進める。
黒き槍『クズ・・・だと・・・・・サンテオ、貴様調子にのるのも・・・・』
少しばかり怒気を含んだ様子で言う。
サンテオ『・・・・暗黒の大魔導士・・・そういわれたのは20年も前のことだろう・・・今のお前は、魔物の一集団を
束ねることしか権限を、力を持たない・・・・・クズ・・・だ』
冷ややかな目で言い放つ。 その表情に黒き槍は一瞬動揺を覚えたが・・・。
それよりも、誇りを踏みにじられた怒りのほうが大きかった。
黒き槍『・・・・・サンテオ・・・貴様を殺してやる・・・・・・が、その前に・・・・・』
槍は、自分の左腕を強く締め上げる。
アルテナ『!?・・・・・ぁ・・・・ぐっ!?』
それによって気道を遮られたアルテナが苦しみの声をあげる。・・・いや、声にならない。 と言ったほうが
正確だろうか。
黒き槍『・・・・・貴様の娘を・・・・先に殺す・・・・』
左腕は締め上げたまま、右手に漆黒の刃を出現させる槍。
クレス『・・・・アルテナ・・・っ!?』
その情景を見、飛び出そうとするクレスをサンテオは目でいなす。
そして、槍を見やり一言。
サンテオ『・・・・もういい。 クズにはご退場願おう・・・・・』
直後。
アルテナを捕らえていた槍の体のに異変が起きた。
黒き槍『・・・な・・・・!? ・・・体が・・・・』
そう。 どんなに力をこめようが、どれだけ動こうともがいても指一本、眉一つ動かせなかったのだ。
サンテオ『・・・・・・無に帰れ・・・“リセクトラム”・・・・・・』
その台詞の後。 アルテナを羽交い絞めにしていた黒き槍の左腕が“消えた”。
クレス『なっ・・・・!?』
アルテナ『・・・きゃぁ・・・っ!? ・・・・ぅ・・・がはっ!!』
今まで首を絞められていたアルテナが弾かれるかのように倒れ込んだ。 そして、強くせきこんだ。
しかし、黒き槍の左腕からは血など一滴も出てはいなかった。 その本人にすら痛みさえもなかった。
黒き槍『・・・・・なんだ・・・・と!?』
自分の左腕が消えた。 その異常に気付いたのは今だった。 そして驚愕の表情を浮かべる。
だが、そんなことをサンテオは気になどとめず、次の行動に移す。
サンテオ『・・・・・彼の象形を我が手に・・・・“リグリップ”』
寸刻。 黒き槍の前で咳き込んでいたアルテナが、ふいにサンテオの後ろへと現れた。
黒き槍『・・・くっ・・・・リグリップ(遠隔物質転送魔法)か・・・もう・・・好きにはさせん!!』
いい終わりと同時ほどに。 著しく高まった彼の魔法力が、彼を捕らえていた“何か”を引きちぎった。
黒き槍『・・・・消してやる・・・・・何もかも・・・・』
彼は自分に残る右腕に、自らの魔法力をすべて集めだした。 そう、誇り・名誉、あるゆるものを捨てて・・・
意地でもサンテオたちを倒そうという執念。
サンテオは彼のその姿を見て、自分の傍らでアルテナを見ているクレスに呟いた。
サンテオ『・・・クレス・・・・いまこそ‘風’の力を見せろ・・・・』
その言葉を聞いたクレスは。
クレス『そんな・・・・あんな魔導士相手に・・・・・』
だが、すべてを言い終わる前に彼が持っていた魔導書が、淡い緑色の光を放った。
それは強く、励まされているような暖かく、やわらかい光。 そして、彼は目の前の大魔導士にこう言った。
『はい』 と。
黒き槍『・・・・もうすぐだ・・・・もうすぐ・・・・すべてが・・・・・』
うつろな目でうわごとのようにつぶやきつづける槍。 無論その手には魔力が集積されている。
そんな彼をクレスは一度見て、そしてすぐに詠唱に取り掛かる。
それは彼へのはなむけだったのだろうか。 それとも敵意を高めるためのことであったのだろうか。
クレス『・・・・大地に住まう、生命のひとつが汝に力を願う・・・・・』
ぽうっ・・・! 彼の右手に携えられている風の魔導書が薄緑の光をさらに強める。
クレス『・・・我の生命と、我の住まう大地を守るために、今ここに汝の力を貸し与えたまえ・・・』
ぼうっ・・・! ついには、魔導書からの光は彼を包み込んでしまった。
クレス『・・・大地を包む、‘風の囁き’を・・・』
詠唱が最後の一説に差し掛かったとき。
黒き槍『・・・・遅い・・・のだ・・・・・消えろ・・・サンテオ、消えろ・・・人間・・・・そして風の魔導書!!』
最後の力を振り絞り、叫ぶ。
黒き槍『・・・・闇はすべてを包括し、すべてを破壊する力となれ・・・・闇の槍よ・・・・ドゥラーグランス!!』
それを皮切りに、彼の右手の宙でくすぶっていた魔力が黒い槍を形成し、クレスたち・・・すべてを破壊せんと
して向かってきた。
クレス『・・・・・・悲しい力・・・・悲しい心・・・・その体を・・・心を・・・・・包んであげる・・・・・・』
魔導書からの光で包まれたクレスが言う。 ただ、いつもの彼とは口調も声色も違った。
クレス『・・・・風の囁き・・・・“ウインディア・ブレイス”!!』
−それは、緑の嵐。 そう言うにふさわしいほどの強い風。
−それは、風の優しさ。 そう言うにふさわしいほどのやわらかな光を放ち。
−それは、包括。 そう言うにふさわしいほど穏やかに、闇の槍を消し去りながら。
−それは、母なる慈愛。 そう言うにふさわしいほど、安らかに。
黒き槍は、その生命を終えた。
その生命とともに生きてきた、五体をこの世に残さぬまま。
その後すぐに、彼らは学校の宿舎に避難した。
そこで、魔物たちはまるで恐れるかのように逃走した、と言う知らせをクレスとアルテナは聞いた。
しかし、彼らは何も答えなかったらしい。 いや、どう答えればいいのかが整理できていなかったのだろう。
とにかくにも、彼らは守り抜いたのである。 自分たちの力で。 この平穏な時間を。 空間を。
そして、守り抜いた人物の残る一人。
大魔導士を冠する男は私室にいた。 そこで椅子にもたれ、左手には魔導書を持ち、その顔にはうっすらと
笑みを浮かべていた。
そして、その魔導書には古代文字で“スティーリア”と書かれていた。
誰もいない部屋でぽつり、と。
サンテオ『・・・・風か・・・・やはり・・・待ち望んだだけある・・・・・』
席を立ち、部屋のドアに手をかけながら。
サンテオ『・・・・あれだけは・・・・・・・・私が・・・・・・・・・・』
そうつぶやきながら。
彼は、ドアの外へと出て行った。
自分が次にすべきことのために。 少年を“魔導士”のままにしておくために・・・。
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