シオンさんの家を飛び出した私は、深い喪失感を抱えたまま帰途についていた。
人を好きになることなんて、想いが叶わなかったら辛いばかりで、良い事なんて何もない。
なのに何で人は、他人を好きになるんだろう・・・・。
傷つくことの方が、絶対に多いだろうのに・・・・・。
でも・・・・多分もう私は、誰かを好きになったりはしないだろう。
こんなに辛い思いは、2度としたくない。
身を分かたれるような苦しみが、いつまでも心から離れない。
私は自分でも知らないうちに、そのくらい深くシオンさんを好きになっていた。
シオンさんが、いつも笑っていられるのなら、それだけで充分。
もしもその傍らに自分がいられるのだったら、十二分・・・。
でも私は、そんな理想の自分の居場所を自分で破棄してしまったから・・・・。
もう、私が行きたい場所など無い。
「わぷっ・・・ごめんなさい」
鬱々として歩いていた私は、賑やかなダヌルフの町の人混みに反応しきれず、
前から歩いてきた戦士とぶつかってしまった。
謝罪し頭を下げてその場を去ろうとしたとき、その戦士が声を掛けてきた。
「ちょっと待て、サーレント」
「すみません。考え事をしていたものですから。今後は気をつけます」
戦士が、絡んできたのだと思って、もう一度丁寧に謝る。
途端に顎をつかまれ、戦士の方を向かされた。
「あ・・・・・・ソーク・・・・・・」
目の前には、どこかいつもと違う雰囲気のソークが立っている。
あぁ、いつもよりも軽装備だから・・・・・・というわけでもなさそうだ。
それならこの微妙な違和感は何だろう? 偽物・・・・とか?
聞いてみようか? 「本物のソークか?」って。
・・・だめだね、偽物はいつも本物って言うに決まっているもの。
あれ? これって、ソークが言ってたんじゃなかったっけ?
ソークが言ってたことをソークに聞こうとするなんて、おかしな話だ。
突然、頬をつねられた。
「いた・・・」
「当たり前だ。痛いようにしている」
「何か悪いコトしたかい?」
ようやく、ソークが、何か私に対して腹を立てていることに気付いた。
しかしソークは、私の問いに答えることなく、
私の腕を掴むとそのまま引きずるようにして船着き場へ行く。
「帰るぞ」
「あ・・・・・うん・・・」
言われるまま引きずられてオムパロスにつき、さらに引きずられてオリアブの船着き場を出る。
レギンの家にとめさせてもらっていた小舟に乗り、トール火山へ向かう。
カスタギア博士が、不思議そうな顔をして見送っていた。
確かに傍目から見たら、明らかにおかしな二人連れだ。
世紀末が終わって魔物の姿はほとんど無くなった。
私達は、もうそれぞれの専門分野に頼る必要はない。
だというのに、私はロングコートと羽付帽子を身につけていないとどうにも落ち着かなくて、
見れば一目で言霊師と分かる格好をしているままだ。
そして同様の理由で、ソークもまた、見るからに戦士然としている。
格好を見ただけでもおかしい二人が、一言も言葉を交わさず、一方が一方を引っ張っていく。
これを見ておかしいと思わない方がおかしい。
いつもはこんなふうに、人目を気にしない行動をとるソークじゃないのに・・・・。
一体何を怒っているんだろう?
「この数日間、連絡もせず何をしていたのか、聞かせてもらおうか」
「え・・・・? 2〜3日ここを開けることなんて、昔から良くあったじゃないか?」
「何をしていた!?」
息が出来なくなるくらい強く襟首を掴まれる。
ソークの刃のような瞳が、私を突き刺すように見ていた。
「ソーク?」
まるで投げ捨てるかのように突き飛ばされた。
突き放されたとき、一瞬だけ見えたソークの瞳が、侮蔑の色を帯びていたような気がしたのは、
思い過ごしだろうか?
それにしたって、いくら何でもこの扱いはひどい。
「何するんだ、ソーク!」
思わず抗議の言葉をぶつけながら、ソークをふり仰ぐ。
その姿を見た途端、身体が強張った。
目の前で、ソークが、まるでむしり取るように上着を脱ぎ捨てている。
「・・・・・ソーク・・・・? なにを・・・・?」
「今のお前のような顔をしているシオンを、ムリヤリ抱いたのか?」
「・・・・・・・・・・・・・!!」
何故ソークが知っているんだろう? サイゾウが言うとは思えない。
一体何故?
驚く私に構うこともなく、ソークは私を押し伏せた。
炎のように、苛烈に揺らめく怒りを帯びた瞳が、間近に迫る。
この怒りは、私へのもの・・・・。私が、シオンさんに乱暴したから。
それをソークは怒っているんだね、きっと。
シオンさんに手を出したこと。それが、許せないんだね。
「ソークが怒っている理由は、それだったんだ・・・。
そうだね、ソークはシオンさんのこと、可愛がってたものね」
「どっちだ?!」
揶揄するように言った私の言葉など聞きもせず、ソークは叩き付けるように詰問してくる。
襟首を引きつかんでいる手の力は容赦ない。息が詰まり、意識が遠のきそうだった。
だが、私は無意味な矜持で意識を保つ。
「そんなに聞きたいなら、聞かせてあげるよ」
ソークを鋭く睨み付け、私の内側を染めていく暗く黒い色に逆らわず、
挑発するように傲然と言い放った。
「ソークの言うとおりさ。泣き叫ぶシオンさんを、意識を失うくらいまで何度も抱いたよ」
「・・・・・・・・何故だ!」
「シオンさんが妬ましかったから。
サイゾウさんのような、大きくて優しい人にあんなに深く愛されているん・・・っ!」
いきなり何の前戯もなく、ソークが押し入ってきた。
押しつぶされるような激痛に、肺が痙攣を起こしたように息が引きつった。
でも、負けたりしない。ソークの怒りなどに、屈したりはしてやらない。
喉を裂いて飛び出しそうになった声を押し殺し、飲み込んでソークを睨む。
ソークは、そんな私の瞳を、怒りと軽蔑に満ちた、細い月のような瞳でにらみ返した。
長い間無言で睨み付けた後、不意に体を離す。
脱ぎ捨てた上着を拾うと、着衣を乱して床に転がる私への興味など、
すべて失ったかのように背を向けた。
「俺が馬鹿だった」
「・・・・・・・え?」
戸口で呟かれた、感情を押し殺した言葉の意味が分からず、私は疑問符を返した。
ソークは、背を向けたまま答えを返してくる。
「所詮『仕事』のうち、ということだな」
言い残すと、ソークは出ていった。
この部屋からではなく、この火山から。
私はただ、修行場から遠ざかっていく小舟を見送るだけ。
「・・・・・・・ソーク?」
不思議な感覚だった。この目で見たというのに、
ソークがここにいないということに実感がわかない。
ここへ来ればソークは「いる」し、出ていけばソークは「いない」。
それだけのこと。
それだけのことのはず・・・・。
なのに、何故?
何故、私の心はソークがいないことを「分かろう」としないのか?
「・・・・・・・・・ソーク、分からないよ。何が言いたかったの?」
ソークは、私がシオンさんを傷つけたことに怒っていた。
そんな私を軽蔑して出ていった。
それなら、言い捨てていった言葉の意味は? あれはどういう意味だったのか?
何を言おうとしていたのか?
『仕事』・・・・って? 誰の?
ソークが『馬鹿』って? なんで?
何もかも分からない。
なんだか、考えるのが面倒になってきた。
もう、何もかもが面倒になってきた。
なんだか、生きているのも・・・・・・面倒。
ジェイド戦士は不死身なのだと、ハウゼンが言っていた。
では、私は死ぬことができないのだろうか? いやだなぁ・・・・・。
生きているのが面倒だというのに、死ねないのならずっと生きていなきゃいけない。
ホントに死ねないんだろうか?
・・・・・・ちょっと試してみようか・・・・・・?
少し痛いかもしれないけど・・・。
「馬鹿野郎!」
「?!」
突然突き飛ばされた。何が起きたのかよく分からず、顔を上げると、
出ていったはずのソークがいる。
どこか靄がかかったような意識で、何気なくソークの手を見た。
・・・・・赤い。
何でだろう?
それが血なのだと気づくのに、たっぷり5秒はかかった。
ソークの左手は、ナイフの刃を鷲掴みにしていた。とても強く掴んでいた。
刃が手のひらに食い込むくらいに・・・・。
そして、そのナイフの柄を持っているのは、私。
「何を考えている!」
左の頬が鳴って、目の前に火花が散った。そのはずみでナイフの柄から手が放れた。
ソークが投げ捨てたナイフが、弧を描く。
ソークの赤い手は、自分の傷を気にすることなく私につかみかかってきた。
「死ぬ気か!」
「・・・・・なんだか、生きているのが面倒になって・・・。
ジェイド戦士は不死身だと聞いていたから、死ねるかどうか試してみようかと・・・」
「・・・・・・・・!」
ソークの顔がゆがんだ。それは怒りではなく、悲しみの種類に入る顔だった。
「・・・・・俺のせいか?」
「え?」
「俺が心ないことを・・・」
「違う。ホントに、なんだか生きているのが面倒だっただけ」
私は、自分の感情をそのまま口にしただけだというのに、
ソークはそれを聞いてとても悲しそうな顔をした。
滅多に見たことのない、いたわるような優しい顔をしたソークが、
私の顔をのぞき込むようにしながら話しかけてくる。
「サーレント。お前、本当に誰も救ってくれないと思っているのか?」
「・・・・・え?」
「助けを待っていても仕方ないと思うのか?」
「ソーク?」
それは・・・・・・・・・私がサイゾウさんに言った言葉・・・・?
「・・・・・・・・・・聞いて・・・・・・・いたのか?」
ヴァドのはずれでのサイゾウさんとの会話。あのときソークも近くにいたのだ。
ソークは、申し訳なさそうに顔を曇らせる。
「立ち聞きなどするつもりはなかったが・・・・・・・」
「・・・・どこから?」
「ほとんど全てだ」
「なら、『仕事』って・・・・・・私の『昔の仕事』のこと?」
「・・・・・・・・・・・・」
「ソークが『馬鹿』だったっていうのは?」
「・・・・・・・・・・・・・・・・・・すまん。あまりにお前に対して、失礼だった」
「何を謝ってるの? 私に失礼って?」
「・・・・・・・・・・・・・・・・」
「ねぇ、ソーク。何か言ってよ」
「俺は、お前を全く理解していなかったのかも知れん。
事実、お前について知らないことの方が多い」
「?」
「お前が昔どれだけ苦労したかなど、少しも知らなかった」
「ええ、言ってなかったから」
「・・・・・・・・・」
「ソーク?」
「知りもしないくせに、分かった気になっていた」
「?」
ソークが何を言いたいのか分からない。困ったようにソークを見る。
ソークはそれに気づいたのか、じっと私を見返してきた。そしていつになく真剣な顔で聞いてきた。
「サーレント。俺のことをどう思っている?」
「え? どうって・・・」
答えようとして、急に返答に詰まった。簡単な問いかけのはずなのに、うまく言葉にできない。
「よく・・・・分からない。今まで考えたことがなかった」
「考えもせず、俺に・・・・・・・・・抱かれたのか?」
「え? 違うよ、ソークだから」
「俺だから・・・・なんだ?」
「ソークだから、かまわないんだ」
なんか変だ。
いつの間にか、私はソークに抱かれることを当然のことだと思っている。
それよりも前に、私とソークが一緒にいることを、当たり前のことだと思っている。
「ソーク、私とソークが一緒にいることは、普通のことかな?」
「・・・・・・・・?」
「なんだか、私はずっとそれを当たり前のことだと思っていたみたいなんだけど、
今考えてみると、それって本当にそうなんだろうか?」
「・・・・・・・・・・・・・サーレント、それが普通のことかどうかは、俺には分からん。
分かることは、俺がそれを望んでいることだけだ」
「ソークが望んでいる? では、私も望んでいるんだろうか?」
「そうかも知れんな」
「なぜ『かも』なの?」
「お前の気持ちはお前にしか分からん」
「・・・・・・・私にしか、分からない・・・・」
そういわれても、私にもよく分からないのだ。私は、私の気持ちをソークに教えてもらいたい。
ソークなら、私の気持ちを知っている気がする。
「今まで考えたことがないから分からない」
「それなら、そうでなくなったときのことを思えばいい」
「それはつまり、ソークがいなくなったときのことかい?」
「ああ」
「・・・・・・・・・・・そんなの思い浮かばない。ソークはいつもここにいるから」
「・・・・・・・・まるで子供だな」
「?」
「自分の気持ちを言葉にする術を知らん」
「私が? ・・・・そうかも知れない。いや、その通りかな?」
「全くだ。だが、俺も似たようなものだな」
「そうなのかい? 私は、ソークなら私の気持ちを知っていそうな気がしていた。
教えてもらおうと思っていたのに」
「残念だが、それは無理だ。だが、俺の気持ちなら教えられる」
「ソークの気持ち?」
ソークの顔が、なんだかいつもより赤いような気がする。
おかしな話だけど、まるで少年みたいだ。
でも、今までにも増して精悍で、頼り甲斐のある、そんな雰囲気だった。
このまま、全部ソークにゆだねてしまっても、何も心配ない気がする。
「サーレント。俺はお前を救いたい」
「え?」
「俺では無理か?」
「ソークが私を救う?」
「ああ」
「なぜ? どうしてそんなふうに思ってくれるの?」
「それは俺が・・・・・・・・・お前を・・・・・・・・」
「私を?」
うつむき加減になったソークの顔をのぞき込もうとしたら、
優しく、本当に優しく、抱き寄せられた。
私はいつも、愛されることばかりを望んでいた。
シオンさんは、そんな私が初めて愛した人。
そして、ソークは、そんな私を・・・・・・・・・・。
それは、危うく聞き逃してしまうくらいに小さい囁きだったけれど・・・・。
決して幻想ではない確かなものとして、私の耳に・・・・心に、はっきりと届けられた。
fin.
サーレント(とソーク)の「Love is the sin...」の後日談(?)です。
いうまでもなく「ソー×サレ」。しかもぶっ飛びなくらい優しいソークです。
(前半はそうでもなかったかな?)
サーレントの誤解は解けないまま終わりましたが、ソークが怒ってたのはサーレントが
「誰も救ってくれない」といった事=ソークのことをすっかり失念していた事と、
サイゾウさんに迫った事に対してです。ソークはヤキモチ妬きさんなんです。
シオン君に手ぇ出したことについては、そんなに怒ってないかも。
「その程度で現実から逃げるような、弱いやつではだめだ」くらいに思ってたりして。
ソークのシオンへの思い入れは、「子を千尋の谷に突き落とす」獅子のそれではないかと思います。
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