湖畔に吹く風
「ありがとうございました〜」

 よく晴れた午後。ゲフェン東門の外で、私はリンゴ売りの露店をしていた。
 転職のために修行中のノービスや、転職したてのマジシャンを対象とした、儲け一切なしの仕入れ値売り。もちろん、彼らにはまだまとまったお金がないので、収集品24%UPの買取りサービスつき。物々交換も可と、いたれりつくせり。
 儲けがないどころか、手間や仕入れのための移動費を考えればまったくの赤字。ハッキリ言って、ただの趣味だ。
 儲けることこそ商人の為すべきことだというのなら、彼らが冒険者として育つことで、また私に利益が帰ってくるのだとでも考えよう。
 もちろん、ライバルも増やすことになるんだろうけど、それはまたそれで。

 新米マジシャンが休憩のひと時に、私を雑談の相手に誘う。そこにノービスが、またお願いしますと、集めた収集品を持って声をかけてくる。
 変わらない日々。だが、私の店を訪れるのはいつも違う姿。違う声。
 初心者の期間は長いようで、とても短い。彼らは新たな地を求めて、この場所を去っていく。
 私はお別れの言葉を聴いたことさえない。
 いつの間にか、彼らは旅立っている。出会いから別れまでは、ほんの刹那の間しかない。
 それでいい。と、私は思う。
 ゲフェンの街を取り囲む湖から、少し冷たい風が吹く。それは、冒険者たちに遥かな世界を思い描かせる、不思議な風だ。
 目の前に大きな希望が広がっているのに、ここに留まる必要なんてない。いろんな世界に羽ばたいてこその、冒険者なのだから。

 今日も湖畔の草原には風が吹き、目の前を人々が通り過ぎる。ゆっくりと、けれど決して退屈ではない時間が過ぎていく。
 私がここで露店をしているのは、そんな日々を感じていたいから、なのかもしれない。



 売行きは少量ずつではあるけれど、人の出入りも多いので次第に店じまいの時は近づく。
 売り物のリンゴがあとわずかになったところで、いつもの口上。

「さぁ、閉店間近のサービスタイム。リンゴひとつ2z。早いもの勝ちだよー!」

 私の声で、周りの人々が一斉に集まってくる。あっという間に売り切れ。
 こんなことをしているとさらに赤字がかさむのだが、当然気にはしていない。本気で儲けようと思えば、プロンテラなら一日で何十万というお金が稼げる。
 もちろん、それなりのテクニックは必要なのだけれど。

「ごめんなさい。もう売り切れなんです。またのお越しをお待ちしておりますね」

 サービスタイムに間に合わなかった人たちに頭を下げ、替わりに笑顔のサービス。
 最後のひとりに手を振って見送ると、私はひとつ息を吐いた。
 そして、空になったカートに目をやると、

「へ?」

 そこに女の子がいた。

「こんにちは」
「こ……、こんにちは……」

 カートの中の女の子が、笑顔で挨拶をしてくる。私もそれに笑顔で……いや、きっと引きつった笑顔だったろうけど……挨拶を返した。
 なんか、すごく微妙な空気が流れている気がする……
 とりあえず、私は脳みそを高速回転させて、現状把握に努めることにした。
 私のカートに女の子が入っている。格好からしてマジシャン。
 狭いカートの中に、三角座りでちょこんとしている姿は、なぜか妙に似合っていて。首を少し傾けて、私を見上げる笑顔はだいぶ可愛い。
 そういえば、マジシャンの服装って布地が少なく肌が多く露出しているから、金属製のカートに直に座っていると寒そうな気がするけど、大丈夫なのだろうか。
 ……いけない。かなり冷静じゃないや、私……

「えっと……、何を、されているのですか?」

 一応、お客様の残りということも考えられるので、丁寧語で訊く。かなり間抜けな質問だというのは、この際気にしない方向で……
 私の質問に女の子は一瞬、きょとんした表情を見せ、それからまた笑顔で答えた。

「箱入り娘、なんちゃって」

 ……急に体中の力が抜ける感覚がして、ずんと肩に重いものが乗ってきた……

「そんなことを言いたいがために、私のカートの中に入った……と?」
「えへへ」

 女の子は変わらぬ笑顔で、私を見上げている。素直に、可愛いと思える笑顔。
 けれど、それに自分のペースを乱されてはいけない。

「とにかく」

 私は切り返しを図るために、また口を開いた。

「このカートは商品や預かり物など、大事な物を入れているものなんです。申し訳ありませんけど、すぐに出て頂けませんか」

 優しく諭す。
 だが、女の子から返ってきた言葉は

「それじゃあ、私のこと大切にしてくださいね」

 な……、そうくるか……。それなら、こっちだって。

「なるほど。つまりあなたは、私の持ち物ということですね?」
「はい」
「では……、本日最後の大売出し! こちらのマジシャンさんが、今ならたったの3z!」
「安っ!?」

 売られることについてはどうでもいいんだろうか。

「商品の値段をいくらにしようと、私の勝手ですよね?」
「けど、ゼロピーと同じ値段は……」
「ゼロピーは買うと6zですよ、ふふふ……」
「せ、せめてもう一声」
「では10z」
「OK♪」

 いいんだ。

「現品限りですよー」
「ぴっちぴちですよー☆」

「……――」

「……――」




 くだらないネタの出し合いをした後、私たちはなぜか意気投合し、今度は他愛もない話題で盛り上がった。
 周りの人たちはきっとあきれ返っていたんだろうけど、私たちは気にもならなかった。彼女とのおしゃべりは本当に楽しかったから。
 彼女はまだ、私のカートの中にいた。
 彼女は当たり前のようにそこに座っているし、私も、彼女がそこにいることに何の疑問も湧かなくなった。
 その姿が似合っているから? 可愛いから? ううん、それだけじゃなくて。

 カートの中から私を見上げる彼女。カートの中の彼女を見下ろす私。
 ふたりの関係は、なぜかそれが一番しっくりくるようで……

「明日は朝一でプロンテラに仕入れに行くんだけど、一緒に来る?」

「はい♪」


 草原に吹く風が、その向きを変え始めた。
 それは、やがて訪れる夜を感じさせるもの。
 それは、やがて訪れる変化を思い起こさせるもの。
 ひとりじゃなくなった私。広がっていく世界。

 私にも、湖の風に導かれる時が来たのかもしれない。

 夕凪の中、笑顔の彼女を見ながら、そんなことを思った。

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