九龍にある『飛翔亭』という酒場は外道士達の溜まり場である。
ここでは依頼に関する仲介や情報が交わされている。
外道士にも悪質な者ばかりではなく、自分の引き受けられる範囲の仕事を良心的に行っている者もいる。
例えば道士に頼むにはお金もコネもないという庶民の為に護符を書いたり符術を行ったりする者が。
店を開いて1週間経ったが客の来ないマルローネは飛翔亭を訪れてみる事にした。
顧客などいないのだから客が来ないのは当然なのだが、仕事をしないわけにはいかない。
ましてや間もなく孟蘭節なのだ、新米道士の自分にも引き受けられる仕事がきっとあるはずだと信じて。
飛翔亭の扉を開けてマルローネが入っていくと中で会話をしていた者達が一瞬黙る。
鋭い視線を投げかけられてもマルローネは平然と受け流し、店内をざっと見渡した。
そして徐に櫃台(カウンター)に向かい店主の前に立つ。
「何の用だい?道士のお嬢さん」
マリーは、店を開いてまだ1週間なのに既に自分の素性が知れ渡っている事に思わず苦笑してしまった。
流石に情報が流れるのは早い。
「ここで仕事を紹介してくれるって聞いてきたんだけど」
マルローネは店主に向かって平然と尋ねる。
店主はその度胸に内心感心しながらも憮然と
「アンタは何が出来るんだい?ウチじゃ相手に見合った仕事を紹介してるんでね」
マルローネを頭の上からジロジロと見詰めながら尋ねてくる。
出来る事・・・はったりを咬ましても失敗しては意味がない。
自信があるものなんて本当は無いに等しいんだけど、素直にそう言う訳にも行かないし・・・考え込んでいたマルローネに声が掛けられた。
「ねぇねぇ、道士のお姉さん」
「何ですって?もう一度言って下さい」
マルローネを問い質すクライスの表情は厳しい。
「やだなぁ、ちゃんと聞いてなかったの?ルーウェンって言う道士見習い・・・ていうか正確に言うと駆け出しの外道士の子から仕事を手伝って欲しいって言われたから引き受ける事にしたって言ったのよ」
マルローネはクライスの表情など気にもせずにあっけらかんと語った。
クライスは掛けていた眼鏡をスッと掛け直すように持ち上げると、こめかみをひくつかせて再び訊ねる。
「私の記憶が確かならば、貴女は外道士を毛嫌いしていたのではありませんか?」
彼等と張り合うためにこの危険な九龍にわざわざ店を出したのでは?と確認するように。
「ん〜そうだけどさ、外道士って言ったって、ぼったくっている悪い奴達ばっかりじゃないし、ルーウェンはわりと素直で良い子だったのよ。自分の実力の程をわきまえてるし・・・」
マルローネの言葉にクライスの眉がピクピクと動く。
「それではまるで貴女は一人前の道士のように聞こえますね」
マルローネはようやくクライスの言葉を気に留める。
「あたしが一人前じゃないとでも言いたいわけ?あんたは」
「おや、違うんですか?」
クライスの嘲笑を含んだ問い掛けにマルローネはムッとして
「ちゃんと院を卒業出来たんだもん、一人前に決まってるでしょ!」
内心ではちょっと自信はないけどウソじゃないもん、と思いながら啖呵をきる。
鼻息の荒いマルローネを一瞥するとクライスはくるりと背を向けて
「院を出たばかりで実績のない貴女を頼りにする未熟な外道士と一緒に果たしてどこまで依頼をこなせるのか結果を楽しみにしていますよ」
そう言い残して出て行った。
一人残されたマルローネは
「なによ!ちゃんとやれるわよ!」
クライスが静かに閉めていった戸に向かって舌を出しながら息巻いたが
「・・・なにも嫌味だけ言って帰る事ないのにさ・・・」
とポツリ呟いた。
先週、やや強引にクライスから押されて結ばれてからというもの、クライスは殆ど毎日のように店に訪れてはマルローネと口論をしながらも彼女を抱いていた。
あの日から2階に上がらずに帰ってしまったのは今日が初めてだ。
どんなに口論していても、クライスはマルローネの体を優しく包んで「マリー」と囁き、思いの外逞しい腕の力が強くなって抱き寄せられて、口付けは情熱的になり、彼の手が彼女の胸やお尻を撫でさすり、そして・・・。
マルローネはいつしかクライスの腕の温もりを求めるかのようにギュッと自分の体を抱きしめた。
「・・・クライスのバカァ・・・」
あたしが初めて受けた仕事なんだから、もうちょっと喜んでくれたっていいじゃないのよ!
マルローネは親指を噛んで、喧嘩をして帰ってしまった恋人をほんの少し恨んだ。
確かに自分とあのルーウェンだけでは少々の不安がないわけではない。
「で、でも、あたしはもう一人前の道士なんだから!」
マルローネは握り拳を目の前に突き出して自分を奮い立たせるように言い放った。
「きっと大丈夫!ううん、絶対に!」
依頼を成功させて、そしてクライスを見返してやる!
マルローネは心に誓った。
そして・・・
「ち、ちょっと〜ルーウェン〜話が違わない?」
マルローネは鬼を前にして少々腰が引けていた。
ルーウェンからの依頼は『孟蘭節のせいか、鬼の影が徘徊して困ってる八百屋の親父さんから頼まれてるから、お札でチョチョイと封印して欲しい』という事だったのだが、目の前にいる鬼はお札でチョチョイと封印出来るほどのものではない。
鬼には幾つか種類があって、はっきりと姿形を現して人を襲うものからぼんやりとした影のように薄い存在のものまで千差万別である。
聞いた話では影だと言っていた筈なのに、目の前の鬼はしっかりとした実体が目に見えて、しかもこちらを睨んでいるではないか。今にも襲って来そうなほどである。
「や〜まいったね〜孟蘭節のおかげで段々と強力になってきたみたいだね〜」
マルローネから問い詰められたルーウェンは気楽に笑って明るい。
「でも、道士のお姉さんなら大丈夫でしょ?このくらい」
ルーウェンは院を出た道士のマルローネに絶大なる信頼を寄せているらしい。
ここで『出来ない』と言ってその信頼を落とすわけにはいかないとマルローネは思った。
「ま、任せて!大丈夫よ」
胸を張って背筋を伸ばす。
そうよ、仮にもあたしは院を出た道士なんですもの、鬼の1匹や2匹、どうって事ないわ。
「急々如律令!破!!」
マルローネはスリットから伸びた白くてすらりとした足に潜ませていた札を取り出し、そう唱えて鬼に放った。
札は放つと同時に式に姿を変え、鬼に向かって・・・途中で消えた。
「あれ?」
鬼がマルローネに向かってゆっくりと歩き出す。
「ふっ、このマリー様に向かって来るとは命知らずな奴ね。あ、もう死んでるんだっけ?」
不適に笑ってからふと気付いたように付け足す。
スピードを上げて襲い掛かってくる鬼に形のよい右足が唸りを上げて宙を舞う。
「破!」
本来、捉えがたい鬼にダメージが与えられる。
マルローネの蹴りを喰らってよろめく一体の鬼。
更に拳や追加の蹴りを喰らってタコ殴りにされる。
「これでお終いよ!」
マルローネは更に一枚の札を出して鬼の額に向けて一枚の札を投じる。
鬼は額に張り付いた札によって動きを止め、札と共に砂のように崩れ落ちる。
「やったね!」
「鬼を相手に符術ではなく拳法で立ち向かうとは・・・まぁ導引が得意な貴女らしいといえばらしいですが」
クライスはやれやれといったように溜息を吐く。
「いーでしょ!方法はどうあれ退治できたんだから!」
マルローネは膨れながら反論するが、途中で消えてしまった式の札を眺めてぽそりと呟く。
「それにしても何で消えちゃったんだろ」
「マルローネさん、これは・・・」
後ろからマルローネの札を覗き込んだクライスは札を見て一瞬言葉に詰まる。
「字が違ってますよ」
「えっ?」
クライスに指摘されてまじまじと札を見直すマルローネに、ある一字を指差す。
「ほら、ここに点が抜けてます」
「あ、ホントだ!」
マルローネは指摘された過ちにアハハハハと笑ってしまった。
「笑って誤魔化そうとしても駄目ですよ。そんな事でこの孟蘭節を乗り切れると思っているんですか?」
クライスに睨まれてマルローネは縮こまる。
「ただでさえ鬼が多いこの香港で最も鬼が出没しやすいこの期間にこんな初歩的な間違いに気付かないなど、もう一度院で学び直した方が良いのではありませんか?こんな店など畳んで」
クライスの言葉にマルローネはキッと睨み据えて反論する。
「イヤ!絶対店はやめない!」
眉をしかめるクライスから視線を手元に落としつつも
「そりゃあ、あたしはまだまだ未熟な道士だけどさ、こんなあたしでも頼りにしてくれる人はいるんだもん。困っている人達の役に立ちたいのよ。院で勉強ばかりしていたら人を救う事なんか出来ないでしょ?」
その為に道士になったんだし・・・と言うマルローネにクライスは溜息を吐いて。
「では、せめて無謀な鬼退治は止めて下さい。符呪の儀式だけにするとか外丹薬の調合だけにするとかして」
「う〜ん」
不満そうなマルローネの顔をクライスは両手で挟んで間直でじっと見詰める。
「あまり危険な事はしないで下さい。私は心配で気が気じゃありませんよ」
クライスの真剣な表情にマルローネは思わず赤くなって視線をちょっと逸らしてしまう。
「わ、わかったわよ」
「約束ですよ、マルローネさん」
クライスの腕はマルローネの体を滑るように抱きしめて耳元で低く囁く。
「危ない真似は止めて下さいね、私の為に」
耳朶を食むようにクライスの唇はマルローネの体に触れてくる。
腕は腰まで滑り落ちて、長い指が形の良いお尻を円を描くように撫でまわし、スリットから出ている白い太腿を上下に撫で回す。
快感の予感にマルローネは背筋がゾクっとなり、思わず声が漏れる。
「あっん・・・」
初めて結ばれてから幾度となく肌を重ねているが、本来の目的であるはずの房中はどこへやら、ひたすらお互いの快楽に溺れてしまっている。
道士としてではなく、1人の男と女として、恋人同士のように。
特に先日は険悪な雰囲気で別れてしまい連日体を重ねてきた二人にとっては久方ぶりとなる。
クライスに上体を卓に押し倒されるように横にされながらマルローネは彼の眼鏡を外す。
眼鏡を外した彼は覆い被さる様にマルローネに顔を近づけ唇を合わせる。
唇の感触だけでは物足りなく感じたマルローネが口を少し開くとすかさず入り込んでくるクライスの舌。
お互いの舌をなぞる様に回して絡めて行くと、呼吸は荒くなり、唾液が口の端から零れ落ちる。
クライスは太腿の外側と内側を撫で回しながら肝心の所に触れてこない。
マルローネの左足をグイと持ち上げて、折り曲げたまま卓の上に乗せる。
そして開いた脚の間に自分の体を入れてくる。
脚だけを甚振られているマルローネは触れられない胸の頂が疼いてくるのを感じていた。
顔だけを近づけて体を少し引いているクライスの背中に腕を回して引き寄せる。
胸に感じる彼の重み、でもこれだけでは物足りない。
「はぁ、クライス」
唇が離れて熱い息と共に催促の言葉が漏れる。
もっとちゃんと触って、ちゃんと抱いて欲しい。
マルローネの言葉にならない願いを知ってか知らずかクライスの手は彼女の脚から離れない。
折り曲げて露になっている左足に舌を這わせ始める。
舌が敏感になっている内太腿を滑ると体が震える。
マルローネは耐えられなくなって自分で服の上から両手で胸を潰すような勢いで握り締める。
「っやっ・・・」
クライスの舌は尚も焦らすように脚を上下して滑るだけ、マルローネは腰までが誘うように動いてしまう。
「クライス・・・」
再び催促の視線と共に名前を呼ぶと、クライスはマルローネをじっと見詰めている。
彼の意図が読めなくて肘をついて上半身を起こそうとすると
「・・・どうして下着を着けていないんですか?」
と尋ねられる。
「へ?下着?」
マルローネはぼんやりとした意識を問われた事に集中しようと反芻した。
鬼退治の時は完全武装で・・・あっそうそう。
「札を出す時に邪魔になるから、脱いじゃった」
あっけらかんと答えるマルローネにクライスはこめかみを押さえながら重い溜息を吐いた。
「下着もつけずに足技を繰り出したんですか?貴女には慎みまで足りないんですか?」
「慎みまでとは何よ!までとは!」
棘のあるクライスの物言いにマルローネも腹を立てる。
しばし、息を詰めて睨み合っていた二人だったが、クライスがフッと息を吐いて視線を逸らすと、マルローネはクライスがそのまま立ち去ってしまうのではないかと不安になって、思わず彼の衣衫の裾をそっと引いてしまった。
正しく袖を引かれて振り返ったクライスは真っ赤になったマルローネが気まずそうに「いや、あの、その」と慌てふためく様を見て苦笑した。
「私はどこにも行きませんよ、マルローネさん」
そして再びマルローネを卓の上に押し倒した。
「昨日、喧嘩をしたまま帰ってしまった事を後悔しましたからね。あんな事は二度とゴメンです」
あたしも、あたしもそうだよクライス、とマルローネは彼の背中を抱きしめる手の力を強めて心の中で呟いた。
クライスは中断した行為をややスピードを上げて再開した。
下着を着けていないマルローネの体の奥に指を伸ばし、彼女の体が震えて甘い声が漏れるほどに攻める。
花弁の淵を中心を、強く弱くその動きだけで蜜を搾り取るように。
「ああっ、クライス、クライスゥ・・・もうダメ・・・」
彼の肩に爪を立てながらマルローネは息も絶え絶えに音を上げる。
彼女の口元からは、彼に翻弄されて飲み込む事を忘れ去られた唾液が零れ落ちそうになっている。
クライスはそれを甘露な蜜を舐め取る様に舌で掬い上げた。
「ああ、マリー」
クライスの洩らした呟きと共に、二人の体の隅々までに暖かく感じるほどの熱が行き渡った。
いつもは力が抜けるだけにしか感じなかったものが、逆に力を溢れさせるようにすら感じられる。
「・・・クライス、今のもしかして・・・」
薄っすらと汗を滲ませたマルローネが尋ねると、クライスは心得たように一つ頷いた。
「そうですね、ようやく房中が成せたのかも知れません」
本来の目的だったはずの房中が漸く・・・マルローネは複雑な心境だった。
今では房中なんてすっかり忘れてしまっているのに、皮肉な事だ。
「今のものを確かにする為にはどうすればいいでしょうね?マルローネさん」
クライスの言葉に、呆然としていたマルローネは我に返った。
「どうすればって・・・アンタはどうしたいのよ?」
チラリと覗うように尋ねるとクライスはにっこりと笑った。
「それはもちろん、もう一度今のまま、繰り返すべきだと思いますが。貴女はどうなんですか?」
クライスと交わした気はマルローネの体に未だに熱を保ち続けている。
「一々聞き返すなんて無粋だと思わないの?」
彼の肩に顔を埋めるようにし赤い顔を隠しながらマルローネは答えた。
言葉は慣れたようでいても、態度は初々しい。
「では、こんな硬い卓の上でなく、寝台の上でじっくりと確かめましょうか」
クライスはマルローネを抱え上げて2階へと向かった。
継続
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