「6月と7月ではどちらがいいですか?長期の休みを取るなら7月が取り易いですが、やはり6月がいいでしょうか?」
「ほぁ?」
クライスが手帳を見ながら質問をして来た時、あたしはチョコパのバナナを食べようと口を大きく開けていたので、もの凄く間抜けな声をあげる羽目になった。
6月と7月?長期の休み?って夏休みの事?
モグモグとバナナを咀嚼してゴクンと飲み込んでからあたしは答える。
「旅行に行くつもり?どこに?」
あ!
「でも、あたし有給かなり使っちゃってるから、あんまし残ってないんだけど」
旅行、いいなぁ・・・クライスと旅行かぁ・・・そーいえばまだ長期の旅行ってクライスとは行った事ないかも。
クライスはあたしより2つ年下なんだけど、いちおう恋人同士のお付き合いをしている人。
眼鏡をかけた真面目なサラリーマンなんだけど、自他共に認める破天荒なこのあたしと何故か学生時代から10年近い付き合いを続けている変った人だ。
「有給の残りなど関係ありませんよ。特別休暇を取るんですから」
特別休暇?それって冠婚葬祭で取る休暇の事でしょ?
「なんで?」
あたしの親はピンピンしてるわよ!
「鈍い人ですねぇ・・・私たちが結婚すれば1週間の特別休暇が貰える筈でしょう?」
ちょっと待て!
「あたし、プロポーズされた覚えはないんだけど」
承諾した覚えもないぞぉ!
「だから、今、してるんですよ」
あれがプロポーズのつもりなの?
「それで、日取りですが、やはり6月の方がいいですか?私としては7月の方が都合がつきやすいですが、世間で言うところのジューン・ブライドの方が良いですか?」
だ・か・ら!冷静にまた手帳を覗き込んで話を元に戻すな!
「あたし、まだ承知してないってば!」
ちょっと顔が赤くなっているかもしれないけど、ちょっぴり顔が笑っているかもしれないけど、あたしは精一杯怒った振りをして見せた。
ちゃんと手順ってモノを踏んでよ!
「嫌なんですか?」
そ、そーじゃないけどさぁ・・・
「日取りを決めるより前に、出すものがあるんじゃないの?その・・・指輪とか、さ」
そーよ、給料の3か月分を出しなさいよ!
「指輪はこれから買いに行こうと思ってますよ、自分で気に入ったものを選んだ方が良いでしょう?それよりも日取りを決める方が先ですよ。貴女も今年で30になるんだし、誕生日よりも前に式を挙げておいたほうがいいと思いまして」
ムカッ!人が密かに気にしている事を・・・そーよ、コイツってヤツは歯に絹を着せないタイプの男なのよ。
思っている事をズバズバと口にして、平気な顔して人を傷つけるような事言うんだから!
「余計なお世話よ!」
あたしはすっかりお冠だ!
「で?どうしますか?」
クライスは手帳を畳んで、じっとあたしを見ている。
どうするって・・・日取りの事?それとも・・・
「私と結婚してくれないんですか?」
うううっ・・・卑怯だなぁ・・・してくれないんですか?・・・だなんて優しく聞かれたら断りにくいよぉ。
そ、そりゃあ、断る理由もつもりもないんだけどぉ・・・
あたしにだってね、ちょっとは思い描いていた夢ってモンがあったのよぉ。
誕生日とかクリスマスとかの特別な日にオシャレなホテルのスィートとかで二人っきりでシャンパンとか飲みながら青いビロードの箱を渡されて・・・そのまま熱い一夜を過ごして・・・一生忘れられない日に永遠を誓い合う・・・みたいな。
それを、いつもの待ち合わせに使っている喫茶店でコーヒーとチョコパを前にして『日取りはいつが良いですか?』なんて・・・夢がなさ過ぎる!
「・・・クリスマスにホテルのスィートを取ったら、グデングデンに酔っ払ってグースカ眠ってしまったのは誰ですか?」
あたしが語る夢をクライスは呆れた声で粉々に砕いてくれた。
仰る通りですけどね。
「だってさ、あのカクテル、美味しかったのにあんなに強いなんて知らなかったんだもん」
やっぱり、ホテルのバーで腰が抜けるほど飲んだのは拙かったわ。
「こういう事は早いうちから準備をしておかないと進まないんですよ。会場の手配とか仕事の都合とか新居の事とか、決めなくてはならない事が山積みですからね」
クライスはまた手帳を開いて淡々と言い放つ。
ったく、ロマンの欠片も無い男よね!
「6月と7月、どちらにしますか?」
クライスは三度訊ねて来る。
「・・・6月」
やっぱし、ジューン・ブライドは外せないでしょ。
「そうすると・・・これからだと会場を抑えるのが大変になるかもしれませんね。戸籍役場と教会の予約も入れないといけないし・・・」
クライスは眉間に皺を寄せながら手帳と睨めっこをしている。
そーよね、結婚するにはまず、戸籍役場で事前に予約を入れてから入籍して、次に教会で式を挙げて、それから披露パーティをしなくちゃならない。
パーティ会場はレストランを借り切るのが一般的だけど、自分たちで考えた手作り風ってのも人気があるのよね。
どっちがいいのかなぁ?
「やはり牧師さんの都合を伺ってから具体的な日取りを決めるしかありませんね。パーティ会場はいつも行くイタリア料理の店に都合をつけてもらいましょう。あそこの料理は貴女も好きでしょう?新居も決めておかないと・・・貴女と私の仕事場から便利が良くて静かなところが良いですね・・・そうそう、お互いの両親たちにも挨拶に行かないと」
え〜?手作りパーティはナシなの?
「マルローネさん、貴女は自分で手作りケーキとか料理とか招待客に食べさせられるだけのモノを造れる自信があるんですか?」
・・・ありません。
「レストランに見積もりを出してもらわなくてはならないでしょうね。招待客の数にあわせて・・・」
そ、そーだったわ、戸籍役場や教会の費用は大した事が無くても、ドレスやパーティの費用は自腹だもんね。
「あの・・・あたし、貯金・・・あんまり、ないんだけど・・・」
つーか、ほとんど無いに等しいかも・・・あればあるだけ使っちゃうし・・・
「貴女のお金をあてにしてはいませんよ。安心してください、私には準備が出来るだけの貯えが充分ありますから」
そ、そうですか、お見通しですか・・・伊達に付き合いが長い訳じゃないのね。
クライスはするべき事をちゃんと心得ているようで、次々と予定を立てていった。
はふぅ・・・結婚って、ホントやんなきゃならない事が多いのねぇ・・・籍を入れないカップルが多いのも頷けるわぁ。
クライスの行動力は大したもので、この日のうちに指輪を決めて、新聞の不動産広告を見て、終いにはあたしの親に挨拶まで済ませてしまった。
付き合いも長いし、あたしの年が年なもんで、両親は涙を流して喜んでいたけど。
こんなに急に話が進むとあたしの中では実感が涌いてこないよ〜
でもね、不動産広告を見ながらクライスがこう言ったの。
「とりあえず、賃貸のアパートでいいでしょう?子供が1人くらいまでなら育てられそうですし、まだ仕事場への便利がいいほうがいいでしょうから」
それを聞いた時に、『ああ、結婚するってクライスの子供を産む事にもなるんだぁ』って考えたら、ちょっと嬉しくて恥ずかしくなった。
今までクライスとの結婚を考えなかった訳じゃないし、彼との未来について思い描いた事だってある。
何しろ、長い付き合いだもんね。
ムカつく事や喧嘩する事も多いけど、彼とならずっと一緒に暮らしていけるかなぁって思ってた。
クライスと築いていく家庭・・・自分が育ったような・・・父親と母親が仲睦まじくて、元気な子供達に囲まれた暖かい家庭を作っていけるかも、って。
子供かぁ・・・最初は男の子がイイかな?女の子もイイよね〜ピンクの産着って可愛いし!
えへへ・・・クライスってば子供の前だとデレデレしそうな気がする〜
女の子が生まれたら、絶対!お嫁になんていかせません!とか言い出しそう!
「何をニタニタ笑っているんですか?」
実家からの帰り道、クライスが助手席のあたしを見ながら怪訝そうな顔をして聞いてくる。
「教えな〜い♪」
これはあたしだけの特権だもんね♪
「私はこれから仕事が忙しくなるので、貴女にも色々と動いていただかなくてはならなくなりますよ。ドレスの事とか、招待客のリストとか、ちゃんと考えておいて下さいね?」
判ってるわよぉ。
クライスはあたしのアパートの前で車を止めると、寄らないでそのまま帰ると言った。
もう夜も遅くて明日は仕事だからと言って。
チェッ、冷たいの!
「ああ、そうでした。マリー」
あたしが車を降りようとしたらクライスが思い出したようにあたしを呼び止めた。
そして、今日買ってもらったばかりの婚約指輪を嵌めている左手をそっと取って。
「ずっと貴女を私だけのものにする事を考えてきましたから、今日、貴女が結婚を承諾してくれて嬉しいですよ」
クライスは微笑んでそう言うと、あたしにキスをした。
「このまま、貴女を抱けない事だけが心残りですが」
キスの後、そう囁いてあたしを車から降ろして帰っていった。
そう思ってんならあたしの部屋に上がっていけばいいのにさ。
でも、あたしはクライスと婚約したんだ・・・左手の薬指に嵌められた指輪に軽くキスをする。
あと、4ヶ月すると、あたしはクライスの花嫁になる。
アパートの階段をテンポ良く鼻歌交じりで登る。
クライスったら、ちゃんとプロポーズっぽい言葉だって言えるじゃないの!
最初っからそう言ってくれてればいいのにさ。
うふふ・・・『ずっと私のものだけにする事を考えてきました』だって♪
あたしは部屋に入ると、思わず大声で叫んだ。
「い〜やったぁ〜!バンザ〜イ!」
既に10時を過ぎていたから、ご近所からの苦情がもの凄かったけど、あたしはヘラヘラと笑いながら謝り続けた。
次の日のランチタイムは職場で貰ったばかりの婚約指輪のお披露目会。
とーぜん、自慢しまくりよ!
だって、ちゃんとクライスにお給料の3か月分を出させて買わせたんだから。
「おめでとうございます!マリー先輩!」
「素敵な指輪ですね〜羨ましい〜!」
オホホホホ・・・思わず体が仰け反りそうになるくらい胸を張っちゃうわ!
「でも、これからが大変ですね〜ドレスはどうするんですか?レンタルですか?それともオーダーされるんですか?」
「戸籍役場で挙げる式と教会で挙げる式では衣装を変えるんですか?」
「やっぱり流行のコーディネーターに頼んでパーティーを演出してもらったりするんですか?」
「お祝いは何がいいか決めといて下さいね?どのデパートでプレゼントコーナー作られるおつもりなんですか?」
え?ええ?
ち、ちょっと待ってよ!
ドレスって役場と教会で変えなきゃいけないの?
コーディネーターってどこにいるのよ?
そーよ、結婚祝!貰わなくちゃ、今まであげてきたんだし・・・そーよね、デパートでプレゼントコーナー作ってもらうのが楽でいいわよね。
クライスと見に行かなくちゃ。
ドレスもなぁ・・・オーダーしてもレンタルと変わらないくらい安く出来るらしいけど、デザインを決めた後も、やれ仮縫いだとかアクセサリー選びだとか、面倒だよねぇ。
レンタルならドレスとアクセサリー一式、セットで借りられるから便利だよね。
クライスは仕事が忙しいから、ドレスは任せるって言ってたし・・・
ああ、後、招待客のリストも作らなきゃ・・・うわぁ、ホントに面倒くさいなぁ、結婚って。
やめちゃう?
いや・・・それは・・・やっぱ、マズイっしょ。
クライスは昨夜、あんなに喜んでくれたんだし、それにあたしも・・・待ってた事だし。
ああ・・・マリッジ・ブルーの意味が判って来た様な気がする・・・
でも、こんなのはまだ序の口だって事がこれから思い知らさせる事になった。
忙しいと言っていたクライスにメールでドレスの事やお祝いのプレゼントの事を聞くと、案の定、全部あたしに任せるからって言ってきた。
ええ〜!あたし一人でデパートに行ってプレゼントコーナー作れって言うの?
そりゃあ、食器とか台所用品を揃えるのは女性の役目かも知んないけど、あたしもクライスも一人暮らしだから、大抵のものは揃ってるし、あたしに選ばせて後で文句を言っても聞かないぞぉ〜
だってさ、クライスってばさ、あたしんちにあるモノを見るたびに「これはなんですか?」って顔を顰めて聞くんだもん。
あたしが決めた後で文句を言われて喧嘩になる様が手に取るように判るから、最後通告めいたメールを出した「ホントにあたし一人で決めていいのね」って。
すると、彼にも思い当たる節があったようで「次の週末に一緒に行きましょう」と返事が帰ってきたのよ。
「食器は要りませんよ。二人で持っているもので充分でしょう?それより新しい部屋の小物とかクッションとかにしておいたほうが無難でしょう?」
流石はクライス、てきぱきと進めていく。
「あ、このクッション可愛い〜これも!面白いと思わない?」
あたしが変った形のクッションやカウチに見入っていると、それにもクライスは容赦なくダメ出しをする。
「そんな場所ばかり取るモノはダメですよ。広い部屋を借りる訳ではないんですから。もっと実用的なものを選んで下さい」
ええ〜!そんな実用的なものばかりなんて詰まんないじゃないのよ〜
そう言えば、クライスの部屋は最初はシンプルでショールームのような部屋だったっけ。
あまりにも色気も遊び心も無いから、あたしが色々と持ち込んでやっちゃったけど。
「タオルとかクロスは幾つあっても構いませんから、そちらの方が無難でしょうか?」
クライスは疲れたような声でそう言った。
男の人って買い物が苦手なのかな?
でも、あたしが可愛い柄のタオルとかクロスとか選ぶと文句を言うのよ〜
「ケバケバし過ぎませんか?もっと落ち着いた色合いのものの方が」
「そんなにあたしが選ぶものが気に入らないなら自分で全部選べば!」
あたしだって我慢の限界ってモンがあんのよ!
なによ!あたしが選ぶものを片っ端からケチつけてくれちゃってさ!
プンプン!
どうして10年間も付き合って来れたのかしら?
あたしとクライスとでは好みが全然違うんだもの!水と油ってヤツよね!
「マリー・・・そんなに怒らないで下さい。私も言い過ぎました」
困ったようなクライスの声。
ああ、そうなのよ、この困ったような優しい声で『マリー』って呼ばれちゃうと、怒ったあたしが悪いみたいな気になっちゃうのよ。
あたしを怒らせるのは、いっつもクライスの方なのにさ。
「・・・クロスは譲っても、タオルは譲らないからね!」
ブスっとしたままでクライスをチラっと見上げながら呟くと、彼はホッとしたように微笑んでくれた。
「そうですね、二人で譲り合って決めていきましょうか?」
強引で頑固なところもあるけど、クライスはとっても優しいところがあるの。
普段はしかめっ面をしている彼があたしの前で笑ってくれるところがとっても好き。
お互いの趣味が違うから、選ぶものもかけ離れているけど、お互いを選んだ事を後悔してない。
だってね、喧嘩や諍いが多くたって、こうしてすぐに仲直りが出来るんだもの。
二人で色々と揉め合いながらも、二人で暮らしていくのに必要なものを選んでいると、結婚するって実感がひしひしと感じられるの。
でも、まだ後、4ヶ月もあるんだよ?
デパートで物色した後に、教区の教会へ行って牧師さんに合う。
あたしは礼拝とかご無沙汰してるし、敷居が高い場所だけど、牧師さんは優しそうな人であたし達の事を色々と聞いてくれた。
お互いの親についてとか、馴れ初めとか、付き合ってどれくらいになるとか、二人の仕事の事とか。
ニコニコと笑って聞いてくれていた牧師さんは、流石にもう半分ほど埋まっている6月の空いている日を教えてくれた。
こうして日取りが決まった。
プロポーズされて1週間後に。
牧師さんは帰ろうとしていたあたし達二人に「神の祝福を」と言ってニッコリ笑ってくれた。
あたしはじ〜ん、としちゃって、礼拝に来ていない事を深く後悔した。
今度の日曜日には絶対礼拝に出るぞう!
クライスにそう言ったら「起きられるんですか?」だって!
失礼ね!・・・多分、大丈夫よ!
そして今度はクライスの家族に式の日取りが決まった報告をしに行く。
ちょっと緊張する。
だって、クライスの家族とは彼のお姉さんにしか会ったこと無いし、彼女とはウマが合ったけど、ご両親とはどうかな?
クライスの実家は、やっばりモデルハウスみたいに綺麗でピカピカのモダンなお家だった。
ひょえ〜、クライスのご両親も気難しそうで彼によく似てるよ〜ウチとは大違いだ〜!
でも、クライスがご両親に報告すると、二人は顔を見合わせてニッコリと笑ってくれたの。
あ、笑うと感じが変るのはクライスと同じだ。
「クライスをよろしくね、マルローネさん」
彼のママはあたしにそう言ってキスをしてくれた。
ヤダ、なんだか涙が出てきちゃいそう。
帰りの車の中であたしが鼻を啜っているとクライスが笑ってこう言った。
「貴女は意外と涙もろい人だったんですね、マルローネさん」
アンタが無感動なだけじゃないの?
あ〜あ、今日は一日、ジェットコースターみたいに感情が大きく揺さぶられる一日だったわ・・・疲れた。
だからクライスに「寄っていきませんか?」と聞かれた時、「ううん。帰る」って答えたの。
明日からまた仕事だもん。
「来週までに招待客のリストを作っておいて下さいね」
そーよ、リスト!それが残ってたんだわ。
やれやれ。
次の週は仕事もなんだか忙しくて、残業が多かったんだけど、一生懸命考えて何とか作り上げたのよ、リスト。
だって、日取りが決まったから、今度は出欠の確認を取らなくちゃ、レストランの予約もしなきゃいけないし。
あ〜ドレス、ど〜しよう?
シアに泣きついたら、レンタルしてくれるところをいくつか教えてくれた。
持つべきものは結婚経験者の友達♪
「いくつかちゃんと試着してみなきゃダメよ。実際に着てみて着心地や感触を確かめなきゃ」
って言われたけど・・・ウエディング・ドレスを脱いだり着たりを繰り返すのって大変!
だって着るのに一苦労なんだもん。
でも、一生に一度の事だから、やっぱり疎かに出来ないし、お陰で週末は見事にドレス選びで潰れた。
クライスはあたしがメールで送った招待客のリストを元に招待状を作りに出してくれた。
で、会えずじまい。
忙しかったから仕方ないんだけどさ、やっぱ寂しいな〜
今までは、大抵週末は一緒に過ごしていたんだモン。
お互いどちらかの部屋で過ごすのがアタリマエになってて・・・何度か一緒に暮らそうって話も出たけど、やっぱり喧嘩したりして延び延びになってたんだよね。
だから、クライスが急にあんなプロポーズしてきたのには驚いた。
こっちでは、籍を入れないで同棲だけする事実婚をする人が多いから、あたしも別に結婚に拘っていた事は無かった。
一緒に暮らしたいとは思ってたけど。
でも、やっぱり、ウエディング・ドレスを着て、(信心深く無くても)神様の前で二人の愛を誓って、みんなから祝福されて結婚するってのにも憧れてた。
やっぱ、女の子ならね、いくら年を取っててもね。
次の週末、出かける事が続いていたあたしは、ゆっくりと惰眠を貪っていた。
部屋も全然片付けてないから、掃除もしなきゃ、とは思ってたけど、眠かったんだもん。
すると、眠りを妨げるにっくきチャイムの音。
最初は無視していたけど、しつこいなぁ・・・
「だぁれ?」
ぼぉーっとしたまま起き上がると、クライスが立っていた。
「いつまで寝てるんですか?」
ええ〜いいじゃないのよぉ〜疲れてるんだからぁ。
「今日はパーティのメニューを決めないと・・・」
クライスが何やらブツブツ言ってるけど、あたしはドアを開けると欠伸をしながらベッドに戻って布団の中に潜り込んでしまった。
うう〜ん、やっぱりぬくぬくの中はサイコー!
「マルローネさん!」
クライスは散らかった部屋の中をガシャガシャと掻き分けて進んでいる、みたい。
「まったく、なんですか、この部屋の散らかり様は!」
うるさいなぁ・・・わかってるわよぉ。
「後で片すからぁ」
ほっといてよぉ・・・寝かせてぇ。
あたしはスヤスヤと眠りの国に旅立った。
リ〜ンゴ〜ン♪リ〜ンゴ〜ン♪
教会の鐘が鳴り響く中、あたしはみんなが作ってくれた道の中を幸せ一杯で歩いていく。
クライスと腕を組んで。
彼があたしの耳元で「綺麗ですよ」と囁く。
当然よ〜!何しろ選びに選び抜いたドレスなんだから!
「でも、何も着ていない貴女が一番素敵ですよ」
クライスがそう言うと、あたしのウエディングドレスは忽ち消えてなくなって、熱いキスをされてしまう。
やぁん!あたしのドレスぅ〜!
クライスのキスは息が止まるほど情熱的で・・・見た目と違ったそんなトコもギャップがあって好きなんだけど・・・忽ちあたしの身体に火をつける。
あん、ダメぇ・・・式が終わったばかりなのに・・・パーティが始まっちゃうよ〜
こんな事してたら・・・やぁん、胸に吸い付いちゃ・・・感じちゃう。
「どうしてです?もう、こんなになっているのに」
クライスが濡れた場所に指を滑らせる。
だからイヤなのよぉ・・・もう、スッゴク感じちゃってるから。
「嫌なら止めますか?」
どーしてアンタはそう意地悪な質問してくんのよ!
アンタだって我慢出来なくなってるクセに!
「止められるの?」
あたしはお腹に当たる熱い塊をそっと押し返す。
彼の背中に腕を回して、熱いキスを返して・・・そうすれば、彼のあたしを抱いている腕の力が強くなる事を知っている。
「ああ・・・マリー・・・」
熱いクライスの囁くように漏れるあたしを呼ぶ声。
ステキ・・・もっとあたしを求めて欲しい。
あたしにだけ見せる(見せている筈だと信じている)可愛い笑顔も好きだけど、抱きしめられて低く囁かれる呼び方も好き。
彼がどれだけあたしを欲しているか、胸が痛くなるほど判るから。
あたしもアンタが欲しいの、クライス。
初めて抱かれてから、あたしはずっとアンタだけのモノだったんだから。
あたしだって、ずっとアンタを自分だけのモノにしておきたかったんだよ?
知ってた?
「ああん・・・ああっ・・・クライス・・・」
ギュッてクライスの身体を抱きしめて揺れる。
ん・・・せっかちだね、久し振りだから?
へ?久し振りって?
あたしは目をパチって開けた。
夢なんかじゃなく、今現在、あたしはクライスに抱かれてて、それも自分の部屋で・・・教会は?式は?
・・・そー言えば、クライスが来てたっけ・・・
「・・・やっと目が覚めましたか?」
ちょっと息を切らしたクライスがあたしを可笑しそうに見ている。
アンタね!
「寝込みを襲うなんて、サイテー!」
酷いじゃないのよぉ〜
「何度も起こしたのに、起きない貴女が悪いんですよ。私に1ヶ月もお預けを食らわせるし」
だって、それは・・・準備が忙しかったからじゃないの!
それに!
「お預けを食らってたのはアンタだけじゃないのよ!」
あ、あたしだって・・・久し振りだったんだから・・・
「そうですね、スゴクいい反応でした」
クライスはニンマリと笑って、あたしにチュッとキスをした。
ムムムッ!それはお互い様でしょ?
「ねぇ・・・今日中にメニューを決めなきゃダメなの?」
あたしはベッドの中でクライスの身体に擦り寄る。
今日はこのままでいたいなぁ・・・なんて。
「・・・月曜日の帰りに寄る事にしましょう」
クライスはあたしの身体を抱きしめてそう言ってくれた。
ウレシ!
「あん・・・クライス・・・もう?」
彼の唇が首筋を擽って、彼の手が胸をゆっくりと揉み始める。
早くない?
「貴女も仰ってたでしょう?久し振りですからね」
そうだけど・・・そうね、いっか、たまには。
なんてったって、あたし達は結婚間近のラヴラヴカップルなんだし!
その週末、あたしとクライスはベッドから出る事は無かったし、服も着る事が無かったのはゆーまでもない。
月曜日、ちょっとばかり腰が痛かったけどね。
式まで3ヶ月を切った。
招待状の返事が届き始めて、クライスとあたしは集計とパーティ会場での席順を決めるのにまた一揉め。
「会社の上司と同僚を一緒のテーブルに、だなんて楽しんでもらえないじゃないの!」
「ですが、知らない人と一緒だと会話が出来ないでしょう?」
「あたしの友達はそんなに人見知りじゃないわよ」
ん、もう!出会いの場の大切さを判ってないわね。
「披露宴のパーティから始まる恋だってあんのよ!あたしだって・・・」
「あたしだって?」
ハッ!しまった!
「あたしだって・・・の続きは何ですか?」
ひぇ〜!クライスの顔が怖いですぅ〜
正直過ぎるあたしのバカ!
「あ、あたしだって、友達の披露宴パーティで恋、とまではいかなくたって、トキメク出会いはあったりしたのよ!」
ご、誤魔化せたかしら?
嘘じゃないモンね・・・ドキドキ。
「で、出会いだけよ、出会いだけ。その後、会ったりした事はないもん」
ホントだもん。
カッコいいなぁ〜って人と同じテーブルになった事はあったけどさ、それだけだもん。
だってさ
「あたしにはアンタがいたから」
10年も付き合ってたんだよ?
「付き合ってる間に浮気した事なんて無いんだから」
あたしはね。
「クライスは若い女の子にモテてたみたいだけど」
あたしが黙っているクライスにちらりと視線を投げ掛けると、クライスは呆れたような溜息を吐いた。
「あれは・・・モテるとかそう言う事ではなく、ただ単にからかわれただけですよ。何度も説明したじゃありませんか」
そおお?
大学の後輩に『キュール先輩!キュール先輩!』って腕を掴まれて鼻の下を伸ばしていたのは誰でしたっけね?
ジトッと冷たい視線を向けてるあたしにクライスはクスリと笑った。
「まだ覚えていたとは驚きですね。もう随分昔の話でしょう?」
だって、忘れられないんだもん!
クライスはさ、判り辛いけど優しいからさ、クライスのコト好きになった女の子は今までだって結構いた筈だと思うんだよね。
彼が気付いていないだけで。
これからも気づいて欲しくないから言わないけどさ。
「なんだか話をはぐらかされたような気がしますね」
クライスがあたしを腕の中に閉じ込めてそう呟く。
「あたし、嘘なんて言ってない」
ホントの事だけだよ。
「・・・そうですね。信じてますよ、マリー」
クライスがあたしの髪に顔を埋めてギュッて抱きしめる。
「・・・あたしも・・・」
アンタを信じてるから・・・クライス。
「欲しいと思ったのは貴女だけです。昔も今も」
クライスの手があたしの服の中に潜り込む。
あたしも・・・そりゃあ、ステキな人にトキメク事はあったって、欲しいと思ったのはアンタだけなんだよ?
だから、結婚しようと思ったんだし、こんな面倒な結婚の準備にだって耐えてるんだから。
「ああん・・・クライス・・・」
あたしはソファーに押し倒されて、身に着けている物が邪魔になって来た。
ところが、クライスは平然と起き上がって
「さあ、席順を決めてしまわないと」
そう言ったのよ!信じらんない!
唖然としているあたしに向ってクライスはニヤリと笑って
「余所見をしたバツですよ」
なんてヤツ!信じてますよ〜なんて言ってたクセに!
コイツはとんでもないヤキモチ焼きだわ!
・・・知ってたんだけどね。
結婚の準備は着々と進んでいく。
戸籍役場の予約も入れたし、教会での式のリハーサルも既に済ませた。
プライズ・メイトは会社の後輩のエルフィールとアイゼルに頼んだし(同じ年の友達は既に結婚している子ばかりだから)、ブーケの手配も済んだ。
パーティのメニューも決まったし、出席者の確認もテーブルの席順も決まった。
ハネムーンの場所も決まって予約も取れた。
会社に申し出て、特別休暇も取った。
新居も土曜の朝に一番に起きて、大家と掛け合って手頃な物件を手に入れた。
内装工事も完了して家具も入り、後は引っ越すだけ。
式まであと1週間・・・あたしは本当のマリッジ・ブルーにかかっていた。
このままクライスと結婚していいのかな?
準備している間だって喧嘩が絶えなかったし、クライスは本当にあたしでいいのかな?
後悔しないのかな?
この先ずっと・・・二人で添い遂げる事が出来るのかな?
そりゃ、ダメになったら離婚すればいいのかもしれないけど・・・今、止めたらお互いに傷つかなくても済むんじゃない?
「どうしました?マルローネさん」
久し振りの平日デート、レストランで食事をしている最中に食が進まないあたしに気づいたクライスが訊ねて来る。
「え?う〜ん・・・あのさ・・・」
なんて言うべき?
結婚やめましょうかって?
俯いたあたしは左手の薬指を見た。
なんだか、この指輪が重たいかも・・・貰った時は、あんなに自慢しまくったのに。
「結婚するのが嫌になりましたか?」
どうして判っちゃったの?
びっくりして目をパチクリしているあたしにクライスはクスクスと笑っている。
「もっと早く言い出すかと思ってましたよ。飽きっぽい貴女が面倒な式の準備に今まで我慢出来たのが不思議なくらいです」
なによ、ソレ。失礼なコト言ってない?
「それだけ私との事を真剣に考えてくれていると思って嬉しかったんですが、もう限界ですか?」
もう限界ってナニよ!
「あたしは別に・・・」
気持ちが変わった訳じゃない。
ただ、不安なだけで。
「マルローネさん、結婚は恋愛とは違いますよ。ただ好きなだけで生活していく事は難しい。ですが、愛してもいない人と一緒に暮らす事だって苦痛になります。私は貴女と喧嘩しながらもいっしょに家庭を築いていけると思ったからプロポーズしたんですよ?お互いに言いたい事を言い合えて、お互いを尊重して慈しみあえる。そんな存在になれると思ったんです。そうでなければすぐに別れていた筈でしょう?」
クライスは眼鏡の奥で優しそうな瞳をしてあたしを見詰めてそう言った。
そう・・・そうだよね、あたし達には10年間付き合ってきたっていう実績がある。
その間、何度も喧嘩したりしてきたけど、すぐに仲直りが出来たし、お互いを失いたくない存在だと確信してきたはず。
それなのに、どうして忘れちゃったんだろう?
「・・・ゴメン、クライス」
あたし・・・バカだね。
「貴女は忘れっぽい人ですからね。でも、大丈夫ですよ、忘れたら私がちゃんと思い出させて差し上げますから」
クライスの言葉にはイチイチ刺が刺さっている。
「そんな言い方するから腹が立つのよ!」
ここで怒るあたしって間違ってる?
いいえ、絶対に間違ってない!
「では、止めてしまいますか?結婚」
ズ・ル・イ!
ムゥっと剥れたあたしの顔を見てクライスはクスクスと笑う。
ここで『やめてやる!』と言えたら、どれだけスキッとする事だろうか。
一度、はっきり言って、クライスを慌てさせるのはどう?
あたしがそんな誘惑に駆られた時、クライスは笑いながらこう言った。
「そんな事は出来ませんよね?それでは今まで大変な思いをして準備してきた事が台無しですし、何より私は自分の子供を私生児にするつもりはありませんから」
はぁ?子供?何言って・・・ち、ちょっと待って・・・ええっと・・・そー言えば、あたし・・・この前は・・・あれ?
・・・来てない・・・忙しくて忘れてたけど・・・もう2ヶ月も来てないよ〜!
「ちゃんと病院に行って診て来て下さいね。貴女はピルを飲んでいないし、私がずっと避妊していない事に気付かなかったんですか?」
クライスはニッコリと笑ってそう言った。
確かに・・・あたしが最近、アレで断る事は無くって・・・だから気づいたの?
そ、それより、避妊してなかったってどーゆー事よ!
「貴女も今年で30になるんですから、早く出産しておかないと、高齢出産は危険が伴うといいますからね」
そしてあたしの目の前に置かれたワイングラスを遠ざけた。
妊婦にアルコールはいけませんから、とか言ってくれちゃって!
「もうヤダ!絶対にアンタとは結婚しない!」
あたしの堪忍袋の緒が切れた。
何が嫌ってね、あたしは出来ちゃった結婚ほど恥ずかしいものは無いと常々思ってきたんだから!
結婚式を挙げる時に、新郎妊婦だなんて恥ずかしい事この上ないでしょ?
そりゃ、プロポーズされてから出来ちゃったんだから、正確には出来ちゃった結婚じゃないにしても、恥ずかしい事には変わりないわよ!
もちろん、子供を堕ろしたり、そんな事をするつもりは無いけど、こんな男と結婚なんて絶対にヤだ!
「ダメですよ、もう準備は整っているんですから」
クライスはあたしの言葉に全く動じない。
「絶対に、絶対にやめてやる〜〜!」
あたしは絶叫した。
でも、そんな事を周りが納得してくれる筈も無く、病院で3ヶ月に入っていると宣言されてからは尚のこと、あたしの両親やクライスの家族、そして友人達までもが総手になってあたしを説き伏せた。
クライスだけは悠然と構えていたけど。
それが尚更、腹が立つ!
こうなったら、式の直前に逃げ出すしか道は無いのかも。
あたしはみんなに説得された振りをして、大人しくなった。
それに安心したのか、結婚式の前日にはあたしを一人にしてくれた。
妊婦だからと、独身最後のパーティもなし。
結構、楽しみにしてたんだけどな。
あたしは部屋に飾られたウエディング・ドレスを見ながらちょっとだけ躊躇った。
何着も試着して決めたドレス・・・レンタルだけど・・・気に入ってたんだから。
これを着て、クライスと一緒に祭壇の前に立つ事を楽しみにしていたのになぁ・・・
でも、ヤツが悪い!
こんな状況で流されて結婚なんて!真っ平ゴメンだわ!
必要最低限の荷物を持ってアパートを出たあたしを待っていたのは・・・クライスだった。
アンタ、友達が開いてくれる独身お別れパーティはどうしたのよ?
「・・・やっぱり・・・こんな事だろうと思いました。貴女は諦めが悪い人ですからね」
やっぱりってなによ?
判ってるんなら、結婚をやめにしてよ!
「言った筈ですよ、私は自分の子供を私生児にするつもりはないし、貴女をずっと私だけのものにするつもりだと」
クライスは怖い顔をしてあたしを睨んでくる。
フ、フン!負けないんだから!
「あたしだって言った筈よ!絶対に止めてやるって!」
クライスはスッとあたしの前に立つと、そっと頬を両手で挟んだ。
チッ、逃げ遅れたわ。
「このまま1人で出て行ってどうするつもりです?そんな身体で、遠くへ行って一人で子供を育てるとでも?それとも、堕ろすつもりなんですか?」
その言葉にあたしはカッとなった。
「そんな事する訳ないでしょ!」
あたしをどんな女だと思ってんのよ!
「なら、どうして私と結婚して私と一緒に育てていくのが嫌なんですか?私と貴女の子供ですよ?妊婦として式を挙げるのがそんなに嫌なんですか?」
クライスの手がまだ何の兆候も無いお腹にそっと触れる。
その仕草に、あたしはドキッとするが、怒りが収まる訳でもない。
「この子はあたしの子供よ!あたし一人で育ててみせる!いい?クライス、あたしが腹を立てているのは妊婦で式を挙げる事じゃないわ。アンタが黙っていた事よ!」
そうよ、クライスには最後に良く言い聞かせておかなきゃ。
「いいこと?子供が産まれるって事は、父親と母親になる人間がそれなりの覚悟を背負う事になるのよ。だから、お互いに納得して話し合って決めるべき事でしょう?それを企むように黙って、なんて絶対に許せない。アンタにはアンタなりの考えがあってした事かもしれないけど、あたしに黙って、なんて許せないわ。お互いの信頼を裏切る行為じゃないの?」
興奮したあたしは涙が出てきてしまった。
コラ、泣いたら台無しでしょ!
クライスはあたしの言葉に少し俯いた。
「それは・・・申し訳なかったと思います。貴女に黙っていた事は・・・でも、このままあなたを行かせる訳にはいきませんよ!子供だけじゃない、貴女を手放すことは出来ませんから、絶対に!」
クライスはあたしをぎゅぅぅっと抱きしめた。
「愛しているんです・・・貴女を・・・二度と逢えなくなるなんて絶対に出来ない!」
あたしはクライスの言葉に涙が止まらない。
あたしだって・・・愛してるんだから。
だから許せない事だってある。
あたしは、持っていた荷物をその場に落として、クライスの身体を抱きしめ返した。
「結婚が嫌なら、式を挙げなくてもいい。傍に居てくれるだけでも構いませんから、一人でどこかへ行ってしまわないで下さい」
クライスがあたしの耳元で懇願する。
あたしは・・・あたしはどうして出て行こうとしたの?
子供が出来たのが嫌だった訳じゃない、出来れば早いうちに欲しかったんだし。
結婚する時に妊婦だって事も・・・恥ずかしいけど・・・そんな事より、クライスが一人で平然としている事に腹が立ったの。
平然と構えているクライスの顔色を変えさせてやりたかった。
だって、どんなにあたしが怒ったって、絶対にクライスから離れていかないだろうと思っている彼に思い知らせてやりたかった。
あたしはアンタなしだって生きていけるって!
そんな事、無理に決まってるのに、ね。
あたしはクライスの背中に回した腕に力を込めながら、零れる涙を彼の上着に染み込ませて答えた。
「・・・ドレスを着たあたしを見たくないの?」
これで彼には判るはず。
だってね、クライスはあたしを抱く手を緩めると、微笑んであたしの涙を拭ってくれて、震える唇でキスをしてくれたから。
それはまるで初めてキスした時を思い出させるような、そんなキスだった。
もの凄く、スッタモンダの末にあたし達は結婚式を挙げた。
午前中に戸籍役場に行って、役場の職員の前で書類にサインをして宣誓をする。
この時の服装は、あたしが白いワンピースでクライスは普段のスーツ姿。
家族の立会いの下に宣誓した時は少し声が震えた。
そしてお昼少し前に教会での挙式。
パイプオルガンの音楽に合わせて父親とバージン・ロードを歩く。
クライスは父親から譲られたあたしの手を取って囁く。
「綺麗ですよ、マリー」
夢と同じ台詞にあたしはちょっと顔を赤くする。
そして、このドレスを選んだ事に安堵する。
彼に気に入ってもらえてよかったと。
誓いのキスの時は、緊張しすぎて思わず涙が零れちゃった。
クライスは笑って拭いてくれたけど、笑わなくたっていいでしょ?
教会を出て、みんなから祝福の声を掛けられる。
家族は嬉しそう・・・と言うよりホッとしているのかも・・・ゴメンね。
そして昼過ぎからのパーティ。
もうお腹がペコペコだよ〜
「花嫁はあまり食べないものじゃないんですか?」
ってクライスは怪訝そうな顔をしてたけど、食べなきゃお腹の子供に栄養が行き渡らないよ?
折角、あたしが好きなメニューを揃えたんだから、お酒を我慢してるんだしいいでしょ?
ブーケトスはアニスが受取った。
ま、彼女はもうお相手が決まってるからね。
ホントならパーティは夜中の3時まで続くはずだったのに、あたしの身体の所為で10時にはオヒラキ。
新居に泊まって、明日からハネムーン。
クライスはちゃんとあたしを抱き上げて新居のドアを潜ってくれた。
でも、入るなり、溜息吐かないでよ!
あたしはまだそんなに重くなってないはず・・・なんだから。
「やれやれ・・・やっと終わりましたね」
流石にクライスも疲れた様子。
でもね
「結婚はゴールじゃなくてスタートでしょ?」
これからが大変なんだよ?
あたしの母親は悪阻が酷かったって聞いてるから、あたしもそろそろ始まる悪阻にちょっと覚悟を決めてる。
そんな中で、仕事と家事をあたしが両立出来るかどうか・・・甚だ怪しい。
クライスは綺麗好きだけど、料理がからきしダメだし、果たして二人で上手くやっていけるのか?
今日だって既に何度か険悪なムードにならなかった訳じゃない。
ホントに大丈夫かな〜?
眉間に皺を寄せて考え込んでいたあたしの頬にクライスがキスをした。
「二人で一緒ならばどんな困難も乗り越えていけるものでしょう?」
そうかな?
でも、クライスがそう言うなら・・・そうなのかもね。
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