「で、どうしてこうなる訳?」
目の前には数々の調理器具、足もとには大量の、買ってきたばかりの材料。そしてとなりには。
「ええやん、気にせんとき」
…なぜか佐藤成樹。
「なにがええのか知らないけどね、邪魔なんだよ。ジャマ。それとも何、手伝ってくれる訳?」
翼はうんざりとした顔で彼の肩口を軽く押す。キッチンから出ていけ、というボディランゲージだ。
「いやぁ、せっかく姫さんが俺のために何か作ってくれるんやし…俺にはそれを見届ける義務がある!と思ぉて。な?」
――だめだこいつ、笑顔全開だ。
ぱああ、と擬音がつきそうなほどの笑顔を見せるシゲにあいまいな笑顔を向ける翼。
「わかった…じゃあそっちの…そう、そこ。その隅っこでおとなしくしてろ」
広くて清潔そうなキッチンの隅を指さして言いながら、隣の居間のテーブルに積まれていたジャンプやらマガジンやらをシゲの目の前に移動させてやった。ついでとばかりに戸棚から煎餅を出し、品の良い湯飲みに玉露を注いでやる。
「腹減ってんじゃないか？お茶漬けでも喰うか？」
言いながら、にっこりと完璧な微笑を向けてくる。―が、こめかみの辺りに青筋が浮いているように見えるのは気のせいだろうか。
とりあえず、一連のサービスは一切の関与を拒絶する意思のあらわれと見て間違いは無いだろう。
(しかし微妙なことすんなぁ、姫さん…。）
……京都では、お茶漬けを出されたら『帰れ』と言われたも同然だという。
すべて気のせい、ということにしておこうと思う。
「少しでも美味いもん食いたいんだったら邪魔すんなよ」
茶をすすめる優しげな態度とはうらはらに、翼は呪いでも唱えるかのように低くつぶやいた。
「…おおきに」
僅かに冷汗をたらし、シゲはゆったりと茶を啜った。
とにかくやるだけやってみよう。翼はそう思っていた。
はっきり言って成功したら奇跡だ。しかしやるからには美味いものを作る。椎名翼は完璧主義なのだ。
最初から失敗するつもりでは出来上がりだって失敗作と決まっている。予想をくつがえしてこそ、挑戦した意味が生まれる。
(ああ、やってやるとも！)
シゲのあずかり知らぬところで、ガッツとばかりに見えない炎を燃やす翼がいた。
（チョコを溶かす上で一番大事なのは温度調節・・・だったな。熱すぎたら油分が分離して食えたモンじゃなくなっちまう・・・なかなか難しそうだな）
ゆうべの予習を思い出しながら、これから始まる戦いに向けて足元の袋から材料を取り出す。
『"手作り"なんていっても、チョコレートを溶かして固めなおすだけじゃん』――そう豪語していたあの頃が懐かしい。
完璧を目指すからには、そのもののことを知るのは当然の過程と言って良い。きちんと作戦を立てていれば、自分に攻略できないものは無い。
(何せ大きく分類すれば『溶かして固める』しか工程は無いんだ。落ち着いてやれば簡単なはずだ）
翼は取り出した板チョコを握る手に力を込めた。
「・・・なぁ、姫さん」
そのとき、燃える翼の背中に遠慮がちに声がかかる。
「何」
興をそがれてむっとしたのか、返事は簡潔だった。
「ほんまにお約束やねんけど、コンロの鍋、水蒸発しきってカラカラになってへん？なんやカンカンゆうてるし・・・」
「わー！！」
見れば、湯せん用の湯を沸かそうと火にかけていた鍋が、いつの間にか不思議な煙をあげていた。慌てて火を消そうと、コンロに駆け寄・・・・・・ろうとしたのだが、踏み出した足がそれはもう勢い良く滑った。
「っと・・・！」
空になったまま放置されていた買い物袋に足をとられたのだと、バランスを崩しながら気づく。
（あー、家ん中で転ぶなんて幼稚園以来？）
大変勢いがよかったため、転ぶのは免れそうも無い。のんきに考えながら受身を取ろうとした瞬間、シゲの長い腕が視界の端に映った。
「・・・料理って結構危険なんだな」
唇に指を当てて、僅かに、翼は詰めていた息を吐いた。
そうか、何が起きるのかわからないっていうの、料理にもいえるのかもな、などとぶつぶつ言いながら、一緒に転んでくれたシゲの上から身を起こす。
「・・・姫さん、ちょっとはお礼とかねぎらいとか・・・」
「それはちゃんと転ぶのを防げた奴が言うセリフだろ？」
床にぶつけた腰を痛そうにさするシゲに、翼の言葉はどこまでも厳しい。
「・・・恥らってみせるとか・・・」
「なんで。」
「もぉええわ・・・」
シュンとしてしまったシゲを放置しつつ、翼は手早く火を止めた。
鍋に再度水を入れ、再度火にかける。
「えーと、そうそう、この隙にチョコを刻んでおくんだった」
明晰な頭脳からレシピを引っ張り出し、先程放り出したチョコを拾い上げてバンバン割っていく。『刻む』と言いながら、割っていく。チョコは銀紙にくるまれたまま、細かくなっていくのが見て取れた。
板チョコを３枚ばかり粉々にしたところで翼の動きが止まる。
どうやら次の工程に進むようだ。
テーブル上の調理器具から適当なボールを選ぶと、再び沸騰しはじめた鍋にボチャンと放りこみ―更にそのボールにチョコ片をザラザラとあけていく。
「ゴムベラ・・・なんて、そういえば無かったな、うち」
言うが早いか、たおやかな指が手近にあったしゃもじを握る。
そのままぐりぐりと力強く混ぜている様子に、うしろから覗き込んでいたシゲは感心していた。
実に見事な男の料理であると。
「えー、と・・・型か」
溶かしきったチョコをなみなみとたたえたボールを片手に、翼はチョコを固めるための型を探し始める。
早い。
あまりにも早い展開に、見守っていたシゲの目が丸くなっている。けれど翼のほうはそんな反応もお構いなしで、テーブル上をごちゃごちゃと探している。
「・・・あ〜、型もないや・・・」
がしがしと赤い髪を掻きまわして所在なさげにうろついてみても、型は見つからない。見れば、そうこうしているうちにボールの縁からチョコが固まり始めてしまっているようだ。
「・・・シゲ、おまえ形とか気にしないよな？」
振り返りざまの微笑みは非常に可愛らしかったが、翼がやたらと可愛い態度を取ってくるときは、シゲにとってあまりよくないことが起こる予告状のようなものである。
「四角くてもいいか？」
翼の視線は、真剣そのものであった。
たとえ弁当箱がその手に握られていても。
◇◆◇◆◇
「甘い。」
「チョコがすっぱかったらおかしいやん」
手の中のマグカップを転がすようにしながら眉をしかめる翼に、ぐびぐびと飲み干していくシゲ。
向かい合ってテーブルについた二人の中間点には、ほかほかと湯気を立てる鍋があった。その中では茶色い液体がゆれながら、蛍光灯の光を弾きかえしている。
「ココアなんて飲んだの凄い久し振りだ」
眉間にできた溝はそのままに、翼がぽつりともらす。
「『ホットチョコレート』。」
わざわざ言い直して、シゲはまたカップを傾ける。
「同じだろ」
「違います。」
「同じだろ！」
飽きてきた甘すぎる飲み物を手放すチャンスををようやく得た、と言わんばかりに、翼はシゲに突っかかった。嬉々としてカップをテーブルに置きながら。
「どこが違うのか言ってみろよ」
尊大に出てはいるものの・・・あまりにも幼稚っぽい言いがかりである。しかしシゲは笑うことも言い返すことをせず、ただ色素の薄い目を細めて言った。
「クイズです。今日は一体何の日でしょう？」
「・・・・・・。」
「・・・・・・。」
「・・・こだわってんの？」
「あんがい、な」
翼の溶かした板にして３枚分のチョコは、シゲの提案によってホットチョコレートへと生まれ変わっていた。・・・もう少しで、ボールのまま渡されてしまうところだったのだ。折衷案もやむを得ない。
フッ、と軽く息を吐いて、シゲは空になっていた自分のカップにホットチョコレートを注ぎ足した。
「そんなに飲んで飽きないか？」
もう自分で飲む気は無いらしい翼は、投げ出したカップの横に突っ伏しながら丸いものを口に運んでいる。
「あ〜苦くてうまい」
それはつい先程、シゲからもらった手作りのトリュフだった。
トリュフは文句なしに美味しい。適度なのは好きだけど甘すぎるものは苦手という、素晴らしく微妙な翼の嗜好を踏まえて作られたのだろう。
「コレほんとにお前の手作り？」
もぐもぐと咀嚼しながら訊いてくる翼に、シゲは口の端を吊り上げただけの笑みで答えた。
そして再びカップにホットチョコレートを注ぐ。
「なぁ、マジでもう止めといたほうがいいんじゃねぇの？」
腹壊すぞ、などと色気も何もない言葉は聞き流して、カップの中身をちびちび胃に収めていくことに専念する。
翼の見守るなか、シゲは無言で飲み続ける。
おかわり４杯目にして、ようやく鍋は空になった。
「う〜・・・」
さすがに苦しそうにしているシゲに、今度は純粋な親切心から茶を淹れてやりつつ空の鍋を見る。
翼にはなんだかわかってしまった。
だからばつが悪くなってしまって、なにも言うことができない。
（つまり、ぼくが作った『バレンタインチョコ』だから、残さず飲んだわけなんだろ？）
ありがとうって言うのも変だし、ごめんって言うのも違う気がするし。
結局何も言わずに、翼の手がぽんぽん、とシゲの背中を叩く。
おつかれさま。
それが一番しっくりくるかもしれない。
シゲが顔を上げそうになったので、慌てて鍋を持って席を立つ。
「ホワイトデーはもうちょっとマシなもん作ってやるよ」
湯沸かし器から流れる水音に紛れるように呟くと、うしろから腕がのびてきた。
転ぶときに見た腕だ。
当たり前だけどふいに嬉しくなって、胸の辺りにまわった腕に、濡れたままの自分の腕でぎゅっとしがみついた。
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終。ラブりきれないしょっぱいギャグ・・・しゅん。(02/14up)