翠玉の季節の中で 番外編 an auroral angel 1 |
口に出すことは決してないけれど。 いつも心で想っている。 愛に不器用で傷ついたこの人を、強がってはいるが本当は寂しいこの人を、喪うことを怖れる臆病なこの人を、私は一生護っていこう。変わることなく愛していこう。 私の全てを賭けたこの想いがあなたに届くことがないと知っていても。 それでも。 この想いは未来永劫。 決して死ぬことはないと―。 「じゃ、行ってくる。あとは頼んだぞ、箭内。」 空港のロビーに搭乗のアナウンスが流れた。箭内と呼ばれた長身の男は軽く頭を下げながら言った。 「はい、社長。お気をつけて。専務も。」 少し視線を右にずらす。 「ああ。」 専務の二階堂俊彰(にかいどう・としあき)はやれやれというような顔で答えた。 彼はこれから1週間の予定でアメリカで行われるITセミナーに父親である社長と共に出発するところなのだ。俊彰にしてみれば社長と2人でというのが気に入らないらしい。 箭内は不機嫌さを隠さない俊彰をおかしくもまた、そんな彼を愛しく思いながら見つめた。 「行ってらっしゃいませ。」 二人はくるりと背を向け歩き出した。箭内は彼らが見えなくなるまでその場所で見送る。視界から見えなくなると、彼は社に戻るべく踵を返した。 俺、箭内秀(やない・しゅう)は専務秘書としてこの会社で働いている。専務である俊彰が不在の為、その間のスケジュール管理が不要なので俺は自分の仕事を思ったより能率的にこなすことができた。 いつもは俊彰の気まぐれに振り回されたりするのだ。しかし、やれやれと言いながらもそれに振り回されている自分が決して嫌いではない。 今日の仕事を一段落させてさてそろそろ帰ろうかと思い席を立った。 いつものように無意識に専務室に向かおうとしていることに気がつき苦笑いを浮かべた。 そうだ、彼は出張中だった・・・・。 ついいつもの癖で退社の挨拶をしようとしたのだ。 あの人がいないと少し寂しい・・・かな? いつもより少し早めに帰社した俺が自宅マンションのほんの手前というところでうずくまる人物を発見した。 酔っ払いか?初めはそう思ったが、間もなく20:00になろうかといういう比較的早い時間にこんなに酔っ払っているのは少し不自然だった。 俺はその人物を放っても置けず、そばにしゃがみ込んで声をかけた。 「どうかしましたか?どこか具合でも・・・?」 俺の声に気付いたその人物は俯いていた顔を上げて俺の方を見た。 その瞬間、俺は心臓が止まるかと思った。 まだ20歳そこそこだろう綺麗な青年だった。蒼ざめた顔は明らかに体調の不良を物語っていた。しかし、俺が驚いたのは・・・ 専務・・・・。 その青年の容貌はアメリカへ出張中である俊彰にそっくりであった。 ドッペルゲンガー・・・・?(注意*) 青年はベットですやすやと静かに眠っている。俺は水で濡らしたタオルを額に乗せてやった。 そっくりだな。 さっきは暗がりだったので少し似てるくらいかと思ったが、似ているどころではなかった。それに随分と若い。まだ十代かも知れない。 『水・・・・』 青年は路上でそう言うと意識を失ってしまった。 額に手を当ててみるとやはり熱かった。 俺は気が動転していたのか、救急車を呼べばいいものを、彼を抱きかかえると自宅へと運んだのだ。 ふと窓を見やるといつの間にか雨が降り出したようだ。まるで潮騒のようなその音に耳を澄ます。しばらくそうしているとぎしっとベットの軋む音がした。 「・・・ん・・・・。」 おや、お目覚めのようだ。 「あ。あれ・・・・?」 「気がついたか?」 「あ、あの・・・・」 いまいち状況が飲み込めていない彼を無視して熱が下がったか確認することにした。もし下がっていないようであればすぐに病院へ連れて行ったほうがいい。俺はすっと手を伸ばし彼の額に当てた。その突然の行動に彼はびくっと驚いて身体を強張らせた。その大げさな反応を些か不信に思ったが気にしないことにした。先程のような熱さはなく微熱程度になったようだ。大したことなくてほっとした。 「随分下がったな。もう少し休めば大丈夫だろう。ほら、飲め。」 俺は水のグラスを差し出した。 後は薬を飲ませて寝せればいい。あ、その前に少し何か食わせないと・・・。 いつも俊彰のお守をさせられているせいかまるで保護者のようなその考え方が身についてしまった。 全く、あの人は俺の隅々にまで影響を及ぼしている。 青年は大人しく俺からグラスを受け取るとこくこくと飲んだ。熱のせいで喉が渇いていたのだろう。たちまち飲み干してしまった。 「もっと飲むか?」 「うん。」 俺は彼の手からグラスを取るとキッチンへ向かった。グラスに水を満たすと寝室へ戻り彼に差し出す。 2杯目を半分ほど飲んだところで、彼はグラスから口を離し俺を見上げた。 「そういえば・・・・僕なんでここに?」 くくくっ・・・俺は思わず笑い出してしまった。 俺の反応にムッとしたらしく、彼は不機嫌を露わにした。子供のように頬を膨らませて。 「なんで笑うんだよ?ムカツク」 「くく・・・ああ、すまない。あんまり君がのんびり屋さんなんでかわいくなったのさ。」 「は?」 「まあいい。すぐそこの道で君が倒れてたんでここに連れてきたんだ。で、気分は?」 「うん、平気。あ、あの・・・・助けてくれてありがとう。」 「別に構わん。君、名前は?家はこの辺なのか?」 彼はとても奇妙な表情をした。 「ぼ、僕は・・・・僕は・・・・」 そう言ったきり黙りこんでしまった。表情を硬くして。間もなくガタガタと震えだした。顔からは完全に血の気が引いてしまっていた。 「お、・・・おい?」 突然のことに一瞬頭が真っ白になった。一体どうしたんだ?何かいけないことを言ったのだろうか?しかし、俺が尋ねたのは名前とこの近所に住んでいるのかということだけだ。それだけでこの脅えようは何だ?? 俺は訳がわからず混乱した。 だか、彼の脅えようは異常だった。あまりにも痛ましいその姿に俺は思わず彼を抱きしめた。彼はまだぶるぶると震えている。 「大丈夫だ・・・・大丈夫・・・・」 一体何が大丈夫なんだ?、そう聞かれても困ってしまうが俺は彼を抱きしめ背中を擦ってやりながら彼の耳元でそう繰り返した。 どのくらいそうしていたのだろうか?彼は漸く震えもおさまり落ち着いてきたようだ。 俺は頭を撫でてやりながら言った。 「平気か?・・・・」 「・・・うん、あ、あの・・・・」 「なんだ?」 「・・・もう少しこのままで居てくれる?あんた、あったかい・・・」 「そうか・・・・」 俺達はしばらくの間、雨音を聞きながら静かに抱き合った―。 |
|
注意* ドッペルゲンガーとは主に「自分とそっくりの人物と遭遇する」ことのようです。従ってここでは使用が不適切の可能性がありますが、2002年9月22日放送の「特命リサーチ200X」で自分そっくりの人物を他の人が見かけるということもこの現象解明の中で出てきましたので、あえてこのまま記述しておきます。 誤りとわかった場合は直ちにここを修正致します。 |
Menu | Next |