翠玉の季節の中で 番外編

everlasting love





メールで上がってきている報告書を確認しながら、16時からの戦略ミーティングの準備に追われていた。
時折カタカタとキーボードを叩く音がする以外にはその部屋はひっそりと静まり返っていた。
どのくらい時間がたっただろう。
コンコンとノックの音が響いた。
「はい。」
二階堂俊彰(にかいどう・としあき)は手にしている書類から目を外すことなく答えた。
重厚な木製のドアが開かれた。
「失礼します。」
バリトンが響きその男は部屋へ入ってきた。180cmほどの長身で限りなく黒に近いグレーのスーツに身を包みきちんと切り揃えられた黒髪と怜悧な顔立ち。姿勢正しいその立ち姿はファッションモデルのようであった。男はデスクの俊彰に歩み寄るとコトンとカップを置いた。
「休憩と思いまして、お茶をお持ちしました。」
「ああ。」
俊彰はようやく書類から目を離した。細いシルバーフレームの眼鏡を外すとデスクへ置き目の疲れを解すように右手の親指と人差し指を目元に持っていった。
カップからはダージリンの芳香が立ち上がっている。
「こちらは本日の郵便物です。それから、山田部長からお電話がありまして、客先での打ち合わせが長引いたとかでミーティングには少し遅れるそうです。」
「わかった。他のメンバーは大丈夫だな。」
眼鏡を掛けながら男に問うた。
「はい。他の方からはご連絡はありません。」
「そうか。」
「では、私はこれで。失礼します。」
静かな声で言うと、男は部屋から出て行った。
パタンとドアの閉まる音。
俊彰は紅茶を飲み干すと、再び仕事に戻った。



定例の戦略ミーティングは当初の予定どおり16時から行なわれた。
メンバーは専務である俊彰を中心に営業部門、プログラム開発を主とするテクニカル部門、ネットワーク部門の各部長及びグループマネージャーで総勢20名ほどであった。
グループマネージャーのほとんどは30代前半で若い。
このミーティングでは現在の案件の進捗と今後の方針を戦略的に分析し各部門との調整も合わせて行なうものだ。俊彰が専務に就任したときから行なっている定例のもので、このミーティングの実施により確実に受注率が伸びたのだ。このことで、俊彰は専務としてのリーダーシップの頭角を表し出した。
俊彰の傍らには先程の長身の男が佇んでいる。彼は専務秘書の箭内秀(やない・しゅう)。
各部門から現在の案件進捗の報告及びこれからアプローチするターゲット会社の内容が発表される。俊彰は配られた資料に目を落とし、時折何やら書き込みながら聞いていた。全部門の報告が終わると俊彰は口を開いた。言葉使いは丁寧にしてはいるが、そこには相手に有無を言わせない力があった。
「営業部門の受注数。このままのやり方では今月末までに予定額まで到達しません。ITビジネスグループのターゲット顧客のピックアップを再考慮して下さい。もう少し絞り込んだほうがいい。部長は来週の水曜までにメールで報告して下さい。その際各顧客についてどんな戦略で進めるのかコメントも書いて下さい。次に池田産業のアプローチの件、早い時期にトップコールをさせるように。部長は営業員と同行するよう図って下さい。テクニカル部門、阿部会社の生産管理システムはほんとに大丈夫ですね?来月末には検証まで持ち込めなければ納期が厳しいのではないですか?開発スケジュールの見直しをもう一度行なってください。それから、和田商事の給与システムも同様です。スケジュールを見直して効率を上げてください。それから、Bグループのメンバーにはスキルアップのため時期を見て研修を受けさせて下さい。ネットワーク部門は各メンバーのスキルアップをして下さい。阿部会社の生産管理システムのサーバー方は問題ありませんね。LANの再構築もありますのでテクニカルの担当チームとのコミュニケーションは密にして下さい。最後に皆さん共通ですが、報告を徹底するように。今回は以上。」



部屋へ戻ると俊彰は眼鏡を外し、接客用のソファーへ深々と腰を下ろした。長い足を気だるげに伸ばし、ふぅーと深い息をつき目を閉じる。
5分ほどそうしていたであろうか。また眼鏡を掛けると自分のデスクへ向かい仕事を再開した。
自社ビルの5階にある彼の部屋からは緋色に染まっていく街が見下ろせた。沈みゆく太陽が紅い光を放ち残されたわずかな時間で燃やし尽くすかのようだ。徐々に闇に侵食されていく様に目もくれず、彼は仕事に没頭していた。
すっかり辺りが闇に包まれ夜が全てを支配した頃、ノックの音と共にこの専務室に入ってきた男がいた。秘書の箭内である。
「専務、よろしいですか?」
「箭内か。なんだ?」
そう言って俊彰は箭内を見た。
「スケジュールの件ですが、来週金曜の夜は空けておいて下さい。社長からのご命令です。」
「親父の?お前が今その話をするってことはビジネスがらみじゃなさそうだな。どーせ見合いみたいなこと企んでんだろ。行かない。」
「それは困ります。社長から必ず来るようにと念を押されましたので。」
俊彰はキッと睨むように箭内に厳しい顔を向けて言い放った。
「そんなことは知ったこっちゃない。俺は行かない。それにお前は誰の秘書だ?」
箭内はそんな俊彰に少しも動じない。
「私は専務の秘書です。ですが、あなたにお会いできたのは社長のお陰ですから。社長のご命令も無視することはできません。」
「ふん。俺は絶対行かない。親父にはお前が適当な言い訳をして断れ。これは俺の命令だ!」
俊彰の傲慢な態度に呆れたような困ったような色をすこし浮かべた。俊彰は一度言い出したら梃でも動かない。それがわかっている箭内はため息をついて静かに答えた。
「・・・わかりました。何とかします。」
俊彰は満足げににやりと笑った。
「ところで、本日はお約束の日ではないのですか?もう20時になりますが。」
箭内は今日は秋月紘と会う日ではないのか、と心配してくれたらしい。
「いや。もう逢うことはないだろう。俺達はそういう付き合いだったからな。あいつはまだやり直せる。」
そう言って笑った俊彰が少し淋しそうに見えたのは気のせいだろうか?
あの少年は出逢ったのだろう。彼の本当の・・・。
「そうですか。」
「あいつはまだ若い。大丈夫さ。」
紘との最後の日。ホテルであの男を見かけた。
本人は気付いていたのだろうか?
俺を見ていた奴の眼。あの嫉妬に満ちた眼差しを―。
「お寂しいですか?」
「ちょっとな。結構気に入ってたし。お陰で暫く暇になった。そうだな・・・当分はお前が付き合え。」
そう言って俊彰は人を惑わすような魅惑の微笑みを浮かべた。
全くこの人は・・・。そう思いつつ箭内はせめてもの抵抗に何事もないかのようにさらっと答えてやる。
「了解しました。いつでもどうぞ。」
「へぇ〜。早速楽しめそうだ。」
二人はお互いを見つめると共犯者の笑みを浮かべた。



ベットヘッドに凭れかかりマルボロに火を点けた。サイドテーブルから灰皿を取り上げる。
カチリというライターの音に気付いたのか隣でうつ伏せていた彼が身体を起こし此方に向き直った。いつもはシルバーフレームの眼鏡の所為で冷たい印象を与えがちなその顔も、それがないだけでずっと幼く見える。
その表情はまだ先程の快楽の余韻から覚めていない。気だるい様子で動くそのしなやかな肢体は艶めかしかった。男は空いている左手を伸ばし汗で額に張り付いた前髪を直してやる。髪を梳いてやると気持ちよさげにうっとりと目を伏せた。
箭内は短くなったタバコを灰皿に押し付けると、目を閉じたままうっとりしている俊彰を抱き寄せた。彼はおとなしく箭内の腕の中に納まっている。
二人はこのホテルで食事をしそのままここに部屋を取ったのだった。
それまでおとなしく抱かれていた俊彰が少し掠れた声で言った。
「お前は大した男だな。自分の上司を戸惑いなく組み敷くんだからな。いくらお前の才能に目をつけた親父でさえ、これを知ったら腰抜かすぞ。」
くすくす。箭内はおかしそうに笑った。
「どうしたんです?あなたがそんなこと言うなんて。小心者の俺はいつもあなたの態度に一喜一憂しているんですよ。」
「何処が。勝手に言ってろ。」
俊彰はぷいと拗ねてしまった。
箭内は俊彰の顔を此方へ向かせるとその艶やかな唇にキスを落とした。
やさしく触れるようなキス。



口に出すことは決してないけれど。
いつも心で想っている。
愛に不器用で傷ついたこの人を、強がってはいるが本当は寂しいこの人を、喪うことを怖れる臆病なこの人を、私は一生護っていこう。変わることなく愛していこう。
私の全てを賭けたこの想いがあなたに届くことがないと知っていても。
それでも。
この想いは未来永劫。
決して死ぬことはないと―。








まずはここまで読んで下さいましてありがとうございます。
いや〜、いいですねぇ上司と秘書。私のツボでございます。
俊彰はどっちでもOKなんですね、攻めも受けも。
どちらにも対応できるなんてなんて幸せな子なんでしょうね。(笑)
書いていて箭内を受けにすることはできずに、器用な俊彰にがんばってもらいました。
さて、二人ともビジネスマンなので仕事のところもがんばって書きましたが。ふぅ、大変でした。俊彰はもっとバリバリにこなすはずなのに・・・・。



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