Sweet Poison 2






時折、夢に見る。
眩い光の中、彼があの真摯な瞳でじっと俺を見つめている。
彼の声が聴こえる。
低く優しいその声は俺の心に直接響き、身体の隅々まで細胞のひとつひとつにまで浸透する。
俺には彼への想いを断ち切ることなどできない。この恋は既に終わってしまったものだというのに。この想いは決して消え去ることはないのだ。
だが、もう逢えないと知りながら、もう愛し合うことなどできないと知りながら、この想いを抱えて生きていくのは思った以上に辛いことだった。
ずるくて臆病で最低な俺は、消し去れないこの想いを無理やり心の奥底に追いやって閉じ込めた。鍵を掛け決して暴れ出さないように。
少しでも自分が傷つくことのないように―。





間もなく、その時はやって来るだろう。
もう覚悟を決めるしかない。
あの時、津山の申し出を受けた時点ですっかり覚悟を決めたつもりだった。だが、いざとなると不安が翔を包み込んで、なけなしの勇気で決めたその覚悟さえもかき消してしまうのだ。
恐い・・・。
今、翔の中にあるのは恐怖だった。
彼と逢うのが恐い・・・。
今まで、翔は雅弥のぬくもりを思い出しては崩れそうになる自分を叱咤してきた。雅弥の姿を過去のものと既に終わったものと認識しようと必死に押さえつける。これは自分との戦いであった。その所為で己の心に弱い部分を抉られるような痛みが駆け抜けても、彼にできる方法はただただその痛みを甘んじて受け入れる以外になかったのだ。
この痛みに心が麻痺してしまえ!
そうすれば何も感じなくなる。この辛い苦しい思いから開放される。
そんな自虐的な考えに縋りつく浅ましい自分・・・。
翔は己の弱さを軽蔑した。





「久しぶりだな。よく来てくれた。」
差し出された浅黒い手は大きく暖かかった。四角く角張った少し恐そうな顔は柔和な笑顔に溢れていた。
本当にこんな自分を必要として迎えてくれるのだろうか?自分にそんな価値があるのだろうか?
半信半疑で関口との対面に臨んだ翔は、この暖かさに触れてありがたく思った。
握られたままの手が上下にぐいぐい振られる。
「2年ぶりかな?おー、結城君は相変わらずきれいだな。」
そう言ってガハハと笑う。
このおおらかさが父親のような包容力の現われに思える。どんな自分をも包み込み守ってくれるような・・・。
「お久しぶりです。・・・状況は津山部長から少しは伺っております。私などでお役に立てるかわかりませんが、精一杯やらせていただく所存です。」
「まぁまぁ、結城君。・・・座りたまえ。」
関口は翔に座るようすすめた。そして自分もどかっと腰を下ろす。
関口の表情は先程とはうってかわって少し厳しいものになる。
「津山に話した通り現状は差し迫ったものになりつつある。もちろん、技術員の全員がそうなっているわけではないがな。・・・ただサービスの質が低下すればそれは会社全体の問題に発展する。一度失ってしまったユーザーの信頼を回復するのは非常に難しいものだろう?
今回は急なことで君にはすまなかったが、時間がなくてこうせざるを得なかった。早速だが君には早急に技術員のスキルアップのための管理と教育を任せたい。・・・以前新人研修でここへ来てもらったろう?そのときすぐわかったよ。津山が自分の後継者として考えているのが君だということは。私も君の仕事振りを見て納得した。あの津山が惚れ込むくらいのことはあると。」
「津山部長には私が新人の時から指導いただいておりました。自分ではまだまだと感じますが、評価していただけるのは津山部長の指導のお陰です。」
関口は静かに首を横に振る。
「いや、君の才能と努力だよ。奴はそれに惚れ込んだだけだ。」
関口は先程の柔和な笑顔になって翔を見つめている。
「津山部長も今回のこと深刻な問題として捉えておられました。こんな私にまで支店行きを強く望んでおられて・・・・。関口部長を手伝って一刻も早くこの現状を打開して欲しいと・・・。」
「・・・そうか・・・・津山は相変わらずバリバリだろう?あいつは昔から仕事には人一倍厳しい奴だった。本当に真面目な奴でおおざっぱな俺とは大違いだったが、なんだか気が合うんだよ。不思議なもんだ。」
そう言って関口は笑った。
「お二人は同期だとか。お互い信頼し合える良いご関係だと思います。羨ましいですよ。」
翔は心底そう思った。互いを信頼し合い、固い絆を感じ取れるほどの友情を目の当たりにした。良きライバルとして長年互いを評価し合い認めてきたのだ。
近年はほとんど顔さえ合わせることなどなくなっているはずなのに、その友情に変わりはない。
ふっと翔の脳裏に彼の姿が浮かんだ。
友情であれば、信頼関係であれば、俺たちはいつまでも変わることなく互いを見つめ続けていくことができたのかもしれない。
だが、互いを強く求めることを”愛情”にしてしまった俺達は・・・・。
「では、早速みんなに紹介しよう。」
そう言って関口は立ち上がった。
翔は関口に気付かれないように諦めともとれるため息を静かについて、彼に続いて腰を上げた。その瞬間、立ち上がりつつあった関口の身体がぐらりと傾いた。気がついた翔が咄嗟に腕を差し出し倒れこむ関口を支えようとしたが間に合わない。だが、関口はテーブルとソファーの肘掛の部分に手をついてなんとか倒れこむのは免れた。
翔は関口を見て愕然とした。辛うじて身体を支えた両腕はがくがくと震え、顔面は蒼白だったのだ。
「せ、関口部長・・・?」
「平気だ。少しめまいがしただけだ。じき治まる・・・。」
関口は再び腰を下ろした。
「どこかお体が・・・・」
関口の様子はただのめまいにしてはひど過ぎる。
「部長!」
「結城君、続きは後ほど話そう・・・。」
そう静かに告げると関口は立ち上がった。
「ついて来てくれ。」
口調は穏やかだったがその裏になにか固い決意のようなただならぬ気配を感じ取った翔はそれ以上言うことはできなかった。





関口の後を歩きながら翔は思う。
もう戻れない・・・。もう引き返せない・・・。
湧き上がる恐怖を押さえ込んで無表情を装う。
再会の時が来た。
止まっていた二人の時間が再び動き出そうとしていた―。







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