DAYS



彼はしばらくうろうろと部屋の中を歩き回っていたが、諦めたようにカウチにどかっと腰をおろした。そして、チッと舌打ちすると持っていたパイプに火をつけた、
・・・・そう。
彼は朝からすこぶる機嫌が悪い。
厳密に言えば、一昨日の夜から徐々に機嫌が悪くなっていったのだが-----。
普段はそれ程感情を表に出すことはない彼が、苛立ちのためそれを隠そうとしない。そんな彼の様子を不謹慎にも可愛いと思ってしまった。このことを知ったら、彼はますます不機嫌になるだろうけど。
本題に戻ろう。
彼の機嫌がなせ悪いか?------それは------「穏やかな日々が続いている」からだ。
このことが彼を不機嫌にさせている原因だ。世間一般、平穏さは望まれるもののはずだ。しかし、彼の場合は違う。なんて不謹慎な事を言うんだ、と言われそうだ。しかし、彼にとってはこの何事もない平凡で平穏なことがとてつもなく退屈なのだ。ありきたりな日々・・・健康な身体、温かい食事そういったものが普通に手に入ること・・・確かに少々退屈かもしれないが多くの人はこれらを「ささやかな幸せ」と呼ぶだろう。幸せとは実に身近なところにあるのだと。そういった人々から見れば、彼は実に不謹慎極まりない。


とうとう我慢ができなくなったらしい。彼がパイプを燻らせながら私に口を開いた。
「もう、いい加減うんざりだよ。こんな日々が明日以降も続くと考えると地獄だ。」
彼は苛立ちを隠さない声色で言った。私は読んでいた新聞から目を上げて彼を見た。そこに私の予想を外さない表情の彼を見つけ、思わず笑い出しそうになるのをなんとか堪えた。
「君の言いたいことはわかるがね、一般にはこんな平穏な日々が幸せなことなのだよ。みんな穏やかに楽しく暮らしたいと願っているのだから。それが分からないわけではないんだろうけど・・・・。全く困った人だね、君は。」
私の最後の言葉が気にくわなかったらしい。さっきよりも苛立ちを含んだ声で返事が返ってきた。
「僕は自分の幸せをもとめているのだよ。その幸せがどんなものかわかるだろう?ワトソン?」
「ああ、十分理解しているさ。君の頭脳を刺激する”厄介な事件”・・・・だろう?」
彼は何も言わず、私の言葉にニヤリと笑っただけだった。それは肯定の意思表示だ。
物騒なことを望んでいる彼は決して異常ではない。まあ、普通の人とは違っていることは間違いではないのだが。稀に見る天才的観察力と推理力を備えた彼を普通の人と同じ枠に当てはめようとすること自体が間違いなのだ。彼は、名探偵と呼ばれその名をイギリス中いや、ヨーロッパ中に馳せた”シャーロック・ホームズ”その人なのだから-------。



そう。この天才は全くもって常識の枠に当てはめることはできない。
知り合ってからずっと極めて近い場所で彼の人となりを見てきたが、まだまだ理解できないことが多すぎる。いや、他人をすべて理解することなどできるはずはない。しかし、普通の人間であれば”ある程度”は友人のことを理解できると思う。だが、私の友人、シャーロック・ホームズではそれはとてつもなく難しいのだ。私はそのことを不満と思っているわけでは決してない。凡人の私などが考えもつかないことをやってものけたり、周りの人間が顔を強張らせたり引きつったりするようなことをしゃあしゃあと言ってのけたりするが、結果的には彼は正しい。彼は恐ろしいほど整然とした論理で考え、行動している。感情を切り捨てることがありそれ故の冷徹な言動で敵を作ることがしばしばだが、そのような連中も最終的には彼の実力を認めざるえないのだ。
私はそんな彼の友人として、彼の傍でその天才ぶりを見ていられることを嬉しく思う。ふとしたきっかけでホームズと会わなければ、こんな貴重な体験をすることなど一生できなかっただろう。



しばらくの間物思いにふけっていたようだ。
はっとして顔を上げると、彼の視線とぶつかった。
びっくりした。さっきまではあまりの退屈さに苛立っていた彼が、今は真剣な瞳でじっと私を見ていたのだ。その瞳からは何の感情も読み取ることができない。綺麗なガラス玉のような輝きだ。あまりの美しさにその目に吸い込まれそうになる。すべてを見透かされる。そんな瞳に私は少しの恐怖を感じた。
今の私の顔は驚いて口をぽかんと開けているに違いない。なんとも情けない顔だ。彼のまっすぐな視線に咄嗟に言葉も出なかったが、反射的に首を少し傾げるようなジェスチャーで、ホームズに問いかけた。なんでそんなに私を見るのか、と。
しかし、ホームズから言葉が発せられるそぶりはない。彼なら私の今の行動がどういう意味なのかわからないはずないのに。
落ち着きを取り戻した私は彼に問いかけた。
「・・・何だい?」
「・・・・いや。君が突然黙り込んでしまったからちょっと見ていただけだよ。君こそどうかしたのかい?」
「あ、・・・いや・・・何でもないよ。・・・・それよりちょっとお茶にしないかい?喉が渇いたし、君もお茶でも飲んで気分転換でもしたほうがいいよ。」
ホームズに対して何の後ろめたいこともないのに、なぜか私は返答に焦ってしまった。ただ、この目の前の男のことを考えていただけなのだ。本人を目の前にして、僅かばかり気恥ずかしいが、それだけでこんなに緊張するだろうか?こんなざわざわするような何ともいえない感情を感じるものなのだろうか?
「・・・ああ」
短いが私の提案に同意した答えを聞いて、私は新聞を畳んで机に置くと椅子から立ち上がった。階下のハドソンさんにお茶の用意を頼むためだ。
しばらくするとノックの音とともに、ティーセットを持ったハドソン夫人がやってきた。さっき用意を頼みにいった時に、彼女は非常に忙しい様子だったことを思い出した。
「ああ!ありがとう、ハドソンさん。あとは私がやるからいいよ。」
「いえいえ。そういうわけには・・・・」
私の言葉に否定の返事をしようとした彼女を遮った。彼女の性格上、そうでもしなければ引き下がらないだろう。いつもなんだかんだと迷惑を掛けているのだ。今日くらいはこれ以上手間はかけさせたくない。彼女だって忙しいのだから。
「いや、いいんだよ。あとは私がやるから。私だってちゃんとホームズ好みの茶くらいは入れられるのだからね。」
「そうですか?・・・じゃあお願いしますね。」
私のその言葉に微笑みながら、セットを私に渡して部屋を出て行った。
かしゃんと小さな音を立ててティーセットをテーブルの上に置くと、それまでカウチに寝転がるようにしていたホームズが身体を起こした。そんな彼の態度に私もハドソン夫人もいつものことだと慣れているので、いまさらどーってことはない。特に今日のような機嫌が悪い日は。まだ、じっとしているだけでも良いほうなのだ。
ホームズが起き上がったのを目の端で確認しならがら、私はカップへ紅茶を注いだ。
「ホームズ。お茶が入ったよ。そっちへ持って・・・・」
そっちへ持って行こうかい?と続けようをしたが、彼がカウチから立ち上がってテープルのほうへやってきたので途中で止めた。私の正面の椅子に座った彼の前にカップを置き、自分の分も注いで腰を下ろした。
黙ってお茶を味わう。暖かい紅茶が喉を通っていくのを感じる。その暖かさになぜかほっとして思わず目を閉じた。
「ホームズ・・・やはり退屈で仕方がないと思うけど、こうやってお茶を楽しむのも良いとは思わないかい?・・・僕はこんな風に静かな時間を君とゆっくり過ごすのも嫌いじゃないのだけれども・・・。」
彼が退屈しているのがわかるから、“大好き”とは言えなかった。だからあえて“嫌いじゃない”と言った。彼はわかってくれるだろうか?
「まあ、確かに退屈だし先ほどとなんら変わりはないが・・・、珍しく君の入れたお茶が飲めた。この珍事も多少ではあるが僕の脳を刺激してくれたからね。」
「そうかい?それは良かった。」
ほっとして思わず笑みがこぼれた。
ホームズは相変わらず機嫌が直ったわけではないし仏頂面のままだが、さっきほどは苛ついていない。
事件がないのは平和な証拠で望ましいことだが、嬉々とした彼の姿や輝かしい活躍を見ることができないのはなにやら残念だ。そんな風に思っておかしくなった。
人のことをどうこう言えた義理か。
どうやら私も友人同様、充分「不謹慎な人間」のようだ。





とうとうやっちまいました・・・・。ホームズパロ。
ええ。確かにずーっと書きたくていたんですけどね。
この二人はまだデキていません。ワトソンはまだ自分の恋愛感情に気がついていない状態ですね。鈍いぞ彼は。ホームズのほうは・・・・どうでしょう・・・。なーんか分かっているようなそぶりですが、どこまではっきりしているか・・・・。なんか違うぞ。これはもしや・・・・ってくらいでしょうか。(笑)
第一弾は「日常」を題材にしてみました。
あ・・最後のほうはホームズちょっと甘っちょろくなっちゃった・・・・。とほほ。ホームズはもっとキツイほうがいいのかも。でも、もちろんワトソンには優しいのよvv




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