冷たい風吹く 5



飯でも食うか。そう言って誘った御木に、慎吾は奢りなら、と笑ってついて来た。
場末のホテルでしか会ったことのない自分たちが。
ましてその関係の土台となるものを思えば、
慎吾がそんな誘いに乗るとは到底思えなかったのに。
どこでも変り映えのしない、ただのファミレスだったが、
御木は初めて女とデートをした時のように、心が浮き立っていた。

話題は他愛ないくだらない無駄話。慎吾の好きな車の話は、自分にはわからなかったし、
かといって女の話などしたくはなかった。
こうして明るい店の照明の下で見る慎吾は、どこにでもいる普通の男だった。
深夜のファミレスで自分と2人飯を食っている姿は、ただの少し悪ぶった若者が
つるんでいるようにしか見えないだろう。
慎吾は御木の目の前で、サラサラと顔に落ちかかる髪を
時折うざったそうにかき上げながら、一心不乱に好物だと言うハンバーグを食べていた。
御木の話し掛けるのに、機嫌よく答え、時にはゲラゲラと子供っぽい笑い声さえ出す慎吾の素地は、本当はこうなのかもしれない。

バリケードのような鋭さを解き、自分との会話に興じている姿。
自分に心を向けてくれたのか。
それを思うと何だか胸の奥がむず痒いような嬉しさがこみ上げる。

誰かにそんなことを思うのは、一体何年ぶりのことだろう。
いつのまにか、自分は慎吾に惚れていた。

少し長めの前髪に、Tシャツを重ねて着た細い腕。
その腕がどれだけ細く、華奢なのか御木は知っていた。
筋肉が無いわけでもない、女のように白く滑らかなわけでもない。
でもその肌はきめ細やかで、男にしては薄い体毛は柔らかく心地よく御木の手に馴染んだ。
慎吾のその薄い唇から漏れる吐息。熱を帯び少し潤んだ、つり上がりぎみの瞳。
それを自分1人のものにしたい。
その唇から零れ落ちる喘ぎを独占して、熱っぽく自分の名だけを呼んで欲しい。
そう思うようになっていた。

たまたま地元のツレと共に向かった峠で、思わぬものを見た。

スポーツカーを手に入れ、ちょっとした話題づくりにと行ってみた夏の峠で、
自分たちは散々な目にあった。
その張本人の慎吾が、そこで同じ男に背後から圧し掛かられるようにして、
貫かれ、喘いでいた。
相手は真面目でデキた人間だと言われ、自分たちですら手を出しあぐねた中里毅。

これはいいネタを掴んだ。
自分たちが痛い目にあった分、屈辱を味あわせてをやるのも面白いし、
それがダメなら強請って金を搾り取ってやるのもいい。

だがそうやって始まった関係に、後悔し始めたのはそれからすぐだった。
もう一度、さらにもう一度と身体を重ねるごとに深まっていく、慎吾への執着。
自分でもわからないうちに、身体だけではなくその心まで手に入れたくて堪らなくなった。
慎吾の心があの日に見た中里に向けられているのはわかっていたが、
当の中里はその慎吾と関係はあっても、気持ちに興味は無いようだった。

だったら奪ってやる。
こちらを向かせてみせる。

そう思っていたものが、今実り始めた。と今日、慎吾の笑顔を見て確信した。



「なぁ…慎吾」
御木は口を開いた。



****




数日前の深夜の駐車場。
本来1人暮らし用ではないだろうこのマンションの駐車場は、
すでに帰って来る者もなく、ジーという切れかけの蛍光灯の音だけが響いていた。
慎吾は来客用スペースに車を止め、中里が帰ってくるのを待っていた。
名物の空っ風が吹くにはまだ少々早いが、他所の土地よりは数段冷たいに違いない
北風が吹きこみ、慎吾の指先から体温を奪っていく。

「アイツはお前を見ちゃいねぇ…」
そんなことは御木に言われるまでもなく、わかっていた。
あれからも中里からの誘いは減るでもなく増えるでもなく、以前とまったく変らない。
それは喜ぶべきことなのかも知れなかったが、
慎吾はそのことが、中里の中で自分の存在価値がSEXにしかないことを、
反対に思い知らされているように思えた。
中里が欲しているのは自分の心ではなく、身体なのだと。

聞きなれたエンジン音を響かせ、待ちかねていた慎吾の目の前に、
漆黒の車が滑り込んでくる。
ゆっくりと降り立った中里は、黒く柔らかな一目で上質であることが見て取れる
長いコートを纏っていた。
車に乗ってその移動時間の大半を過ごすこの土地の人間は、
滅多にロングコートなど身に着けないというのに、会社帰りの中里はいつもそれを身に付けていた。

その様になった姿を見るだけで、慎吾は可笑しいほどに胸をかき乱される。
気持ちに気付いたのはいつだったか。もう覚えてもいない。
いつのまにか慎吾はこの真っ黒で男らしく優しげな中里に、たまらなく惹かれていた。


「珍しく早いな」
約束の時間に遅れることはあっても、先についていることなど、
人生に数えるほどしか経験したことがない慎吾に、からかうような視線を送り、
中里はエントランスへと歩き出した。
数週間前、1人で訪ねて虚しい思いにとらわれたエントランスを、
今日は中里と共に通りながら、慎吾は前を行く中里の綺麗に撫で付けられた髪を眺めた。
遅くまで仕事をして、少しばかり乱れた前髪が、幾筋か額に落ちていた。
その一本一本から、中里の男の色気とでもいうべきものが、漂ってくる気がして、
慎吾は息苦しいような痺れを感じるのだ。

その髪に触れたい。
衝動を、慎吾は自分の髪をかき上げることでようやく堪えた。

もう少し、もう少しの我慢。
それが許されるのは部屋に入り、自分と中里を隔てるすべてのものが、
消えてなくなるようなあの瞬間にだけ。



ベッドに入りながら、ふと触れ合った指先に中里が言った。
「手、冷たくなってるな。結構待ってたのか」
「そうでもねーよ」
本当は1時間も前についてしまって、冷たくなった手を擦りながらぼんやりしていた。
でもそんなことを言えるわけもなく、素っ気無く答えた。

服を脱ぎ去り、ぴたりと合わさった自分と中里の肌。
筋肉質の中里の身体は、筋肉特有の弾力で、しがみついた慎吾の指に、
力強い柔らかさを伝えてくる。

今「好きだ」と言えたらどんなに楽だろうか。

でもそうするには自分は汚れすぎていた。
今さら貞操観念の欠片も無く生きてきた過去を、悔やむつもりはないけれど、
そんな自分を本気で好きになってもらえるなどと、どうして思えるだろうか。
真面目で硬くて男相手なんて聞いただけでも嫌悪も露にしそうな中里に、
正面からぶつかる勇気はどうしても持てなかった。
これはほんの遊びなのだ。我がままで奔放な自分の気まぐれなのだと、
殊更に印象付けた。
堕ちることには少しの躊躇も感じない自分が、ただ中里の拒絶が怖かった。

その自分自身で作り上げた『慎吾』として出来上がってしまった関係。
そんな関係ですら、要らないと自分は言えずにいるのだ。

「あぁたけし…ッ」
「慎吾…」
熱に浮かされ互いの名を呼びながら達した後、
慎吾は中里の汗ばんだ額にかかる前髪に触れた。
まだ息の収まらないうちに。
そう。この幸せな時間が終わってしまう前に。
名残惜しげに慎吾は触れた。

そのままじっと見つめる自分に、中里は何を思ったのか、
突然、そっと唇に触れるだけのキスをした。
驚いて見たその目は優しくて、何だかいつもとは違っていた。

中里は身体を離し
「キスは嫌いなんだったな。悪い…」
そう言って背を向けた。

いつだったか、慎吾がいきがって吐いた嘘。
キスが嫌いなんて、嘘だ。
嬉しかった。こんなに優しいキスをもらえるとは思ってなかった。

「これ持って行け。今度の時は中で待ってろよ。
風邪なんてひかれちゃかなわねぇ」
その夜帰ろうとする慎吾に、中里は一本の鍵をくれた。

「ああ。悪ぃな」
何気なさを装い、その銀色に光るものを受け取り、ホルダーへとしまった。
部屋を後にする時、中里はいつも通り見送ってなどくれなかったけれど、
それでも慎吾は嬉しくて堪らなかった。
中里が部屋の鍵を、そして優しいキスをくれた。
それだけでも十分なように思えた。



****



ポケットに入れた鍵の感触。
時折意味もなく手をやり、あの時の中里のキスを思い出す。
こうして御木と食事を取りながら、思うのは中里のことだった。
いつか2人でこんな風に向かい合って、普通の会話を交わせたら、どんなに幸せだろう。
中里は何が好きなんだろう。何を注文して何を食べるんだろう。
現実にそんな日が来るなどと、本気で思っているわけではなかった。
でもそのことを考えると何だか嬉しくて、何もかもが楽しかった。
そんなきっと中里にとってはちょっとしたことだったに違いない出来事が、
慎吾を明るくさせていた。


「なぁ慎吾」
「なんだ?」
話し掛ける御木に、慎吾は機嫌よく答えた。
悪いヤツじゃない。と今では思っていた。
この男がやってきたことはきっと誉められたことではないだろうけれど、
それは自分も同じだ。
だが次の御木の言葉に、その慎吾の表情は凍りついた。

「付き合おうぜ。俺たち…」

「……は?」
慎吾は一瞬何を言われたのか、すぐには理解できなかった。
付き合う?それって恋人になるっつーことか?
御木の言葉がグルグルと頭を回る。
男同士でも付き合うという言葉を使うものなのかもわからなかったし、
そもそもなぜ急に御木がそんなことを言い出すのかも慎吾にはわからなかった。
だが御木は至極真面目な顔でそれを言った。
冗談を言っているわけではないらしい。

「何言ってんだ?お前ぇ?」
「少しはその気になったんだろう?俺に」
そう言いながら御木は嬉しそうに笑った。

慎吾は呆気に取られ、御木の顔を凝視したまま思った。
ガラが悪くて傲慢で、不遜な態度。
それでいて本気の恋愛には慣れてなくて、不器用で。
自分と同じだと思い、憐れむ気持ちを持ってしまったのが失敗だったか。

いや。自分もまったく絆されそうになっていなかった、と言えばそれは嘘だ。
中里にぶつけられない寂しさを、自分は御木で埋めていたのかもしれない。
執拗に求めてくる御木が鬱陶しいと思ったこともあるのに、
自分はいつからか、その腕に居心地の良ささえ感じてはいなかったか。

だがそれとこれとは別の話だ。
自分は御木に何の魅力も感じてはいない。

勘違いするなと、あれだけ牽制してやったのにどうして…。
慎吾は歯噛みしたい思いだった。
この思いが身勝手な物だと言うことはわかっている。
だが最初からこの関係は恋愛などとは程遠いところにあったはずだ。
自分と中里がそうであるように、その言葉を言えないからこそ、
成り立っていたはずの関係なのに。


「バカじゃねぇの?俺にはそんな気はねぇよ」

フンと鼻を鳴らし、慎吾はキッパリと言い切った。
冷たいかもしれないが、それが言ってはいけない言葉を言ってしまった御木に、
自分が返すべきものだった。

バシッ
そんな自分に御木は突然激昂し、叩いたテーブルの音に、
周りの人間が恐る恐るこちらを伺う。

「出るぞ…」
御木は気まずく辺りを見回すと、慎吾を苦しげに睨みつけ、搾り出すようにして言った。





6へ続く



この扱いのどこがシンデレラボーイだというんだ私!(笑)


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