2002 / 11

11/29

 楽しい夜も明けてしまえばいつもの日常が戻ってくるわけで、学校の授業があり、バイトがあり、その中や間にはいつもの風景がある。祭りの後は寂しいものですが、普段の何気ない日常と言うものも実はイベントなどより全然大切なものであって、そういったものがまた何事も無かったかのように戻ってきてくれるというのはすごい幸せなことなのではないかと思うのです。

 だからこそ、ドラえもんのテーマが気付かないうちにゆずの歌になってたりすると、日常とは無常なものでもあるのだ、という事実に気付かされて悲しくなるのです。


11/28

 ナンバーガールのライブ行ってきました!いや、もはや何も言うことはないです。楽しかった〜ぁ

 内容は序盤からI don't know、透明少女、ゼゲン、タトゥーと名曲目白押しで、二曲目あたりで早くも酸欠に近い状態に。ナムアミダブツにDelayed brainが始まったあたりで一緒に観に行っていた某T先輩が青い顔をして後ろに下がるのを確認、どうやら酸欠気味だったらしい。中盤からはマンガシック、性的少女とサードの曲が多かったような。 はじめはなんか音悪ー、とか思ってたけど途中からそんなことはどうでも良く、カオスと化した人波の一部として叫ぶばかりであった。Sentimental girl's violent jokeとかURBAN GUITAR SAYONARA とかトランポリンガールとかSAPPUKEIとか鉄風とかユーレイとかチビッコさんとかもやってたなあ。意外な曲もやってて本当にベスト盤みたいな選曲。サスユーやんなかったけど。
 前のツアーでぷんぷんしてたレゲエ臭もすっかりナリを潜め、終始純粋にロックな演奏だった。DESTRACTION BABYまでもオリジナルアレンジだったしなあ。
 終盤、Young girl 17 sexual knowingで激しく大きく頭を振るひさこと憲太郎28才。かっけー!そして日常に生きる少女とOmoide in my headがもう!たまらん!隣にいた人なんか泣きながらオモイデ〜を熱唱してたし。ありゃあ泣くよ。

 そして当然のようにかかるアンコールに再び登場するメンバー。アンコール一曲目がなんかカバーかもしんないけど英語の知らない曲やってて、そしてIggy pop funclub !!
 演奏を、長い演奏を終え、向井の「乾杯!」の一言を残し、ステージを去るメンバー。再び起こるアンコールコール。だって最後だもの。解散だもの!二回目があってもいいじゃん!
 しかし出てきたのはメンバー全員ではなくアサヒスーパードライを右手に持った田渕ひさこだった。右手を高く差し出し、言う。「ありがとうございました。乾杯!」ああ。駄目だ。感動した。素で泣きそうになった。もう一度「ありがとうございました」と言っておじぎをしてステージを去るひさこ・・。
 しかし観客は諦めない。向井コール、中尾コール、アヒトコール、そして「もう一回!」コール。だって、だって。最後だもの!
 そんな場をしめたのは向井の影アナだった。「おにいちゃん、おじょうちゃん。終電がなくなりますので出口へおむかい下さい」

 そして。

 「とっとと帰りやがれ!」

 ああ、ナンバーガール、大好きだ。会場でも叫んだけど、もう一度言おう。ありがとう。


11/25

 フリーザの必殺技(自由に操れる気円斬みたいなの)で右腕を肩から切り落とされる夢を見た。とりあえずくっついたけど、リハビリに時間がかかりそうでこれじゃー楽器弾けネーヨ、と嘆いていた。

 まあ、それだけなんですけど。


11/23

 デザインフェスタに行ってきました。なんだかコミケみたいな感じで(コミケ行ったこと無いけど)いろんな人がいました。服売ってる人、絵や写真を展示してる人、ヘンな機械でパフォーマンスしてる人、踊ってる人、人形展示してる人、あとステージではバンドとかもあったな。他者多様、いろんな人の自己主張の塊があの場所に集結してて、濃い感じがして面白かったです。アートっぽいものの集まりとはいえむしろあれだけたくさんの人が展示とかやってるとちょっといいな位の出来の奴では全く感動しなくなってしまって、感覚が麻痺するなと思った。

 夜、池袋でAKIRA観た。5.1chで復活、とはいえ「人がまさにそこにいるような」臨場感を期待していたらそうでもなかった。けど、話は面白かったあー。いや、内容は昔のと全然変わってないんだけど。改めてみると、今のアニメはすげーAKIRAの影響受けてんだなって思った。

 ちなみに。本当はこれのクリスなんとか(カニンガム、だったかな)のやつ観る予定だったんですけど、人がいっぱいで観れませんでした (>_<)


11/19

 「ロックスター」観ました。「スティル・クレイジー」という映画と似てるんじゃないかと観る前は思ってたんですけど、当然ながらそれとはまた違った感じの話でした。しかし、ザックのギターはかっちょいい音出してますね。もっと全面的に話に参加したらいいのに、とか思いましたけど。
 音楽がいい映画は観ていて楽しいですね。というか、隣で観ていた母が音楽を妙に気に入ってしまったらしく「ボケたら、童謡なんか聴かせないでこういうの聴かせてね」とか言い出して、個人的にかなり面白かったです。なんか我が家は平和だな、という気がした。


11/18

 木枯らしが吹きすさぶ季節にも、女子高生は短いスカートを穿いている。それを狙ってのことかは知らないが、一陣の風がぴゅうと吹き抜けた。

 「あ、ス、スカート、スカートが、見えるッツ!」

 いや、スカートは見えてるけどもな。


11/15(2)

 どっかの海岸に300台のテレビが流れ着いたそうですね。 サイケだなあ。


11/15

 複数人でご飯を食べている時、自分が一番食べるのが遅いと気まずい。ある時点でハッと自分が一番遅れているという事実に気付きペースを速めるも追いつかず周りが先に食べ終わってしまった時の焦燥感。焦って皿の中身をかきこんでいると、いいよ別に急がなくて、という優しい周囲の声が聞こえてくる。そうは言われてもこちらは更に恐縮するばかりである。更に焦り、もはや飯の味などわからないに等しい状態になってしまう。
 しかし、だ。視点を転じて最後の人が食べ終わるのを待つ身になった時のことを思い出してみると、これが遅い人を責めるどころかむしろある種の優越感に似たものを持っているのが事実である。そんなに焦らなくていいよ、と言いながら、ああ、やっぱ俺は心が広いなあなどと思い込んでいるのだ。そして自分が最後にならなかった安心感を感じているのだ。但し、これはみんながそれほど急いでいない場合や最後の一人になってからあまり時間が経過していない場合に限る。
 更に言うと、先に食べ終わった人間は最後の一人が食べ終わるまでの時間を非常にリラックスした状態で(なにしろ優越感と満腹感のダブルパンチだ)過ごしている。そして、この時間がいつまで保てるのだろうかと、微かに期待と不安が入り混じった視線をそれとは気付かれないよう食べてる人にちらちらと注ぎ続けるのだ。
 つまり、先に食べ終わった人間の愉しいヒトトキがいつまで続くのかというのは全て最後に残った人にかかっているわけである。
 その事実に気付けばもうしめたものである。最後に残った人間は劣等感どころか支配的愉悦に浸りながら、残り少ないご飯をおいしく頂くことができる筈だ。なぜなら、その場にいる人間の全てのささやかな幸福の行方を握っているのは他ならぬ自分なのだ。一見普通に談笑しながら待っているように見えながらも、心の底では自分がいつ食べ終わるのかはらはらしている人々。こちらはそんな様子を内心ほくそえみながら静かに食事を続ける。コトッ、と音を立てて食器を置いてみる。何人かがチラとこちらを盗み見るのがわかる。本人たちは何気なくしたつもりだろうが、馬鹿め、こっちは全てお見通しだ。そんな周囲の様子を確認してから、ゆっくりと別の皿を手に取り箸を動かし始める。周囲は(当然、表には出さないが)ほっとした様子で会話の続きを始める。そんな具合に、僕はその場の空気を、時間を支配する。誰もはっきり自覚しているものはいないが、僕だけは気付いている。そう、今この小さな世界の支配者は僕なのだ。そう、貴様らはみんな、この僕の手の上で転がされてるだけなんだ。傀儡だ。哀れなマリオネットさ。その虚ろで空しく楽しげな笑顔も、全てはこの、この僕の、口の中に!


 昼時にカップラーメン食べながら考えていたのは、そんなようなことでした。


11/12

 うわあ〜、マリファナみたい!

 っていう反応を期待してるんでしょうね。


 「Brother」観ました。観てる間はそう思わなかったけど、えらいシンプルな映画だなと。ヤクザ(たけし)が弟を探してアメリカに渡る、そして・・というストーリーなわけですが、静かな始まりから話が進み途中からやけに痛々しいシーンが多いなあと思ってたらどんどん加速してしまいには死体とか血ばっかだみたいな感じになって。でもあそこまで徹底してやるのはテーマを引き立たせるためで、つまりは言いたいこと言う為の暴力表現なんだなと思った。勿論視覚的刺激としての意味もあるとして。殺し合いのシーンとかが物凄くあっけなく淡々と描かれてるせいで特に後半は終焉的な空気がよく出てた。最後のあの台詞はかっこつけすぎだろー、と引きかけたもののその後のシーンが「戦場のメリークリスマス」みたいにカラッとした物悲しさがあってすごいよかった。綺麗な映画だと思いました。


11/10

 最近、スニーカーの紐がやたらとよくほどけてしまうのです。あまりよくほどけるので病気かと疑うほどです(スニーカーが)。怪奇現象にしてもなんと地味な怪奇現象か。なんなんでしょう。

 今日、03のCD聴いてみました。「03」はとりあえずありがちな曲で、でもなんかヴォーカルがone minute silenceの人みたいだったです。女の人だけど。「応答セヨ」は聴き易い曲で割りと普通。「Helter Skelter」はビートルズのカヴァーで結構かっこよかったです。ビートルズぽくなくて。ただ、個人的にバンドものの曲はバンドらしいのがいいと思っているのでこーいう電子音とか入っているのを聴くと余計な音が多すぎるとか思ってしまうんですけど、まあ好みなんでしょうね。リズム隊に凄腕が揃ってるんだからもっと生っぽい音で勝負すればいいと思うんですけど。とはいえ、事前に予想していたのよりは全然生っぽい感じでしたが。しかし、このバンドはこれからどういうところを目指していくんだろうかな。


11/8

 結局まだコート出せてないです。思ったほど寒くもないみたいなんでいいんですけど。

 そのくせなんだか風邪気味で喉が痛いです。あと鼻水が。なんだか鼻水をずるずるいわせていたら小学校時代の会話が胸に蘇りました。

 友人「俺、鼻血が出てもティッシュは使わないよ」
 俺 「なんで?」
 友人「飲むから」

 あいつ、元気かな。


11/7 深夜

 翌朝早いのに寝付けないとやりきれない気持ちになりますね。身体のどこかにスイッチでも付いていたらいいのに。(押すと設定した時間だけ眠れる)

 暇なのでヤフーを覗いてみると、こんなニュースが。緑色じゃなきゃ抹茶じゃねーだろ!というプロ意識なんですかね。味は変わらないのに。

 まあそんなことはどうでもいいんですが。昔聞いた話によるとネットをやる時間が増えれば増えるほど人が孤独を感じる度合いは増すそうですね。だからこんな風にあー、どっか更新してるサイトないかなあ、みたいに夜中にネットを徘徊しているとどんどん寂しくなってきて、でもいつも見てるとこはそうしょっちゅう更新してるわけでもなくて、こうなったらどこか面白いサイトでも見つけなきゃ寝る気も起きねえ、いや寝てたまるかみたいな気分になってきたら既に悪循環にはまっているわけです。 そんな気分になる前に用件が済んだらさっさと接続を切って本でも読むのが一番健康的だと思うんですけど、なかなかそうもいかないのは人情というものでしょうか。(何を言ってるんだか)

 あ、そういえば。このサイトの表示がおかしい、みたいなことを言われたものの僕のPCだと普通に見れるのですが、他にもちゃんと見れないって人がいたら教えてください。


 というわけで寝ます。カチリ Zzz


11/6

 最近寒い。寒いからコートを出そうかと思うのだけど、周りを見回してもあまり着ている人がいないので着づらい感じがある。なにせ僕のコートはダッフルコートなのだ。いや、別にそれはいいのだけどとにかく着ている人が少ないのが問題なのだ。例年ではもうとっくにコートを着て外を歩いている時期だというのに、最近の人々は一体どうしてしまったのだろう。何も気にせずに着ればいいのだけど、なにせ僕のコートは中学生の時にお下がりで貰ったシロモノなのだ。いや、それは別にいいのだけどとりあえず一番乗りになるのが嫌なのだ。僕がコートを着ているのを見て、ああ私もコートを出そうかしら、などと思われるのは我慢がならないのだ。いや、別にそれもいいのだけど。よくわからなくなってきたがそうだ、明日コートを着ている大学生を3人見かけたら僕もコートを出すことにしよう。決めた。小心者なのかなんなのかよくわからないが、まあいいだろう、最近は特に寒いからな。



トップ

楽天モバイル[UNLIMITが今なら1円] ECナビでポインと Yahoo 楽天 LINEがデータ消費ゼロで月額500円〜!


無料ホームページ 無料のクレジットカード 海外格安航空券 解約手数料0円【あしたでんき】 海外旅行保険が無料! 海外ホテル