U 呪われた腕輪
大陸への道程はけっして楽なものではなかった。
北の大国であるルスカ帝国から、船に乗ったまではよかったが・・・・・・。
――嵐に遭い、ひどい船酔いに悩まされた。海賊船らしきものに追い回されたこともあった。
やっと大陸にたどり着いたのは、出航より一カ月後のことだ。
(ここに来るまでに、体力と気力の全てを使い果たした気がする・・・・・)
久しぶりの地上だった。気候は涼しく、旅をするには好条件だ。
もはや苦難の日々は過ぎ去った、とリオグラーナは思った。 しかし。
本当に大変なのは、これからだったのだ。
大陸までの船旅など、まだまだ序の口にすぎなかったのである。
「さすがに魔法が生きている大陸だけあるよなー、すっごく自然が多いや」
リオグラーナは思わず感嘆の声を洩らす。
緑に覆われた山々。太陽の光を跳ね返す鏡のように澄んだ湖。深い森に、銀砂の砂漠。このやや険しい岩山から一望できる景色だ。
――父親の残した地図には、いくつか印がしてあった。聖宝のありかを示す手掛かりかもしれない。
そのポイントの一つであるこの岩山には大きな洞窟があった。
(うっわー、真っ暗。何か、いかにもって感じだなー)
伝説や物語によくある、魔物なんかが住んでいそうな洞窟だ。 リオグラーナはぎゅっと手を握りしめた。
その手首には、あのメビウスの腕輪をはめている。たとえ呪われていようと、大切な父親の形見には違いない。
(――とか言って、本当に呪われたらシャレになんないけど)
男物なのか、リオグラーナには少し大きかった。歩くたびに、細い手首から外れそうになる。
洞窟の奥から、得たいの知れない物音がした。
「何かいるのかなー。やだなー、まだ魔物には会ったことないけど・・・・・・できれば一生会いたくないな」
何か黒い生き物が微かな羽音とともに、頬の辺りをかすめるように飛んで行く。
「何だ、コウモリか」
手にしたランブで確認したリオグラーナはほっと息をついた。 ――だから気付かなかった。背後に忍び寄るもう一つの気配に。
「――おい」
呼びかけられた声を、リオグラーナは聞こえなかったことにする。
(空耳、空耳。こんな所に、人がいるはずないもん)
「・・・・・・」
しかし、ランプの灯が自分ともう一つの影を映し出していることに気付き、愕然とした。
現実逃避したがっている意識に、今度こそはっきりと影の声が届く。
「おいっ、って言ってんだろ」
「――ッ」
本当に怖い目にあったとき、人は悲鳴を上げるのも忘れるのだろうか。
投げ出されたランプの、ほのかな光は、影自身の正体を照らし出す。
――紫色の髪と瞳を持つ異形の青年。
リオグラーナの生まれた国は、自分も含めて茶色の髪や瞳の人間が多い。しかし周辺の国でも、紫の色彩を持つ民族の話は聞いたことがなかった。
――加えて赤い唇の合間から時折見えるのは・・・・・・。
「キ、牙・・・・・・」
もはや大陸に住む知られざる民族などという仮説も吹き飛んだ。
驚愕の表情を浮かべるリオグラーナに青年は鷹揚に構えている。
「何だ、お前。魔族も見たことねーのかよ」
「――魔族?」
「おう。この辺じゃ全然珍しくもねえ。まあ幻獣なんかの類はもっと内陸に行かなきゃ見れねーけどな」
「・・・・・・」
「そーかお前、人のメスだな。妖精かと思ったけど・・・・・・」
今までにリオグラーナの性別を正しく言い当てたものは珍しい。
(ご名答!)
思わず状況も忘れて、そう口走りそうになる。
人間離れした美貌の青年は、何を思ったのかいきなりリオグラーナの頬をつまむ。
リオグラーナは思わず涙目になって、必死に青年の手から逃れようとした。
「ひゃ、ひゃへひゃいへ」
「『食べないで』だぁ?」
ぱっと手を離すと、青年はあきれ顔になる。
「ばーか、俺様を誰だと思ってやがんだ」
「魔族・・・・・・でしょ?」
青年は意地の悪い笑みを浮かべ、偉そうに腕を組む。
「いいか、よく聞け。魔族は魔族でも、俺様は大魔族ゲイル様だ。その辺の雑魚どもと一緒にしてんじゃねぇ」
ニィッと開いた唇に、またも牙があらわになる。思わず息を飲み、リオグラーナは後ずさった。
「だーかーら、食わねぇっつってんだろ。上級魔族は、んなもん食ったりしねーの」
とりあえず、命の心配はいらないようだ。リオグラーナはほっと息をついた。
「そ、それじゃあ、お邪魔しました」
さっさと引き返そうとしたが、その襟首をぐいっと掴まれる。
「おいおい。帰ろうってのか?」
「え?」
「俺様は少ーし機嫌悪ぃんだけどな。誰かさんが睡眠を妨げてくれたおかげでよぉ」
どうやら退屈していた魔族を、いたずらに刺激してしまったようだ。
――面白そうな獲物を逃してなるものか、という感情が見え隠れしている。
「ご、ごめんなさい・・・・・・」
謝罪だけで解放してくれる相手では、もちろんなかった。
「勝手に住かを荒らされるのも好きじゃねーしな」
「別に荒らすつもりは・・・・・・」
そのとき、ゲイルの眼が鋭く光った。
「おい。その腕にはめている物を見せてみな」
乱暴にリオグラーナの腕をつかむと、腕輪を食い入るように見つめた。
「こいつをよこすなら、許してやってもいいぜ」
ぎらぎらとした眼で、そう言い放つ。
「こ、これは渡せないよ」
リオグラーナは恐ろしいのを我慢して、首を横に振った。
――たとえ呪われていたとしても。
(たった一つの父さんの形見なんだ)
リオグラーナの態度に、ゲイルは魔族の本性をむき出し、残忍な笑みを浮かべた。
「ふん、人間というものを一度食ってみるのも悪くないがな・・・・・・」
急に声の調子まで変わった。冷たい、背中が凍りつきそうな声。じりじりと追い詰めるように、近づいてくる。
「く、来るなーっ」
思わず振りまわしたリオグラーナの手から、腕輪がはずれる。(・・・・・・最悪だ)
リオグラーナは観念して目を閉じた。
小さく響いた金属音に、ゲイルの動きが止まる。
「最初からおとなしく渡せばいいものを」
張り詰めていた気が緩み、リオグラーナは冷たい地面にしゃがみ込んだ。
「ほら、見てみろ。俺様の腕にぴったりだ。お前なんかが持っているより、ずっといいだろうが」
ゲイルの口調は元に戻ったが、腕輪は取られてしまった。
(・・・・・・父さん、ごめん)
心の中で、そう呟いた時。
「痛ッ」
急に小さく叫ぶと、ゲイルは左腕を押さえて苦痛に顔をゆがめた。リオグラーナは、メビウスの腕輪についている碧い石がわずかに光を放っているのに気付く。
「――何だよ、コレ」
ゲイルも気付いたのか、必死で腕輪を外そうとする。
「外れねーっ」
「・・・・・・」
これが腕輪の呪いなのだろうか。
腕輪が外れないと知ったゲイルは、すごい形相でリオグラーナに詰め寄った。
「お前、何かしやがったな」
「ぼ、ぼくは知らないよ」
「何とかしろよっ」
リオグラーナにつかみかかろうとしたが、ゲイルは腕を押さえて低くうめく。
「くっ、―急に痛みが強くなりやがった・・・・・・」
額にびっしょりと汗がにじんでいる。
何だか気の毒だな、とリオグラーナは先刻までの自分の立場も忘れて思う。
「大丈夫? ゲイル」
どう見ても大丈夫なわけないが、とっさに言葉が浮かばない。
「ゲイル様と呼べ、ゲイル様と」
苦痛にあえぎながら、そう言い返すゲイルもゲイルだが。
とりあえず腕を診てやろうと、リオグラーナはゲイルの腕をとった。
「うわー、変色してるや。これは痛いよね、うん」
「感心してねぇで、何とかしてくれよ」
ゲイルは情けない顔で言った。
「痛み止めを塗ってあげるよ。――そのかわり治っても、ぼくを襲わないでね」
ちゃんと念を押す。
「わかったよ、俺様は必ず約束は守る。安心して治しやがれ」
「変な頼み方・・・・・・」
リオグラーナは苦笑しながらも、荷物から薬を取り出す。早くしろ、とせかしていたゲイルが怪訝な表情を浮かべた。
「痛みが・・・・・・消えたぞ?」
「まだ塗ってないのに?」
腕輪は取れていないが、あんなにひどく腫れてたのが嘘のように引いている。
「どーゆーことだ?」
ゲイルが何度も手首を動かしてみて言った。
「呪いでしょ、腕輪の」
「んなことは最初っから分かってる。どーゆー種類の呪いかを考えてんだよ」
呪いにもいろいろと種類があるらしい。
さっきの状況を思い出し、ふと何やら思いついたリオグラーナは、試しに言ってみた。
「ゲイルって大魔族だよね? ――そんな呪いにかかっちゃうなんて、大したことないんじゃないの?」
少々わざとらしい挑発だが。
「何だと、もいっぺん言ってみろっ」
単純なゲイルは、すぐに乗ってきた。今にもリオグラーナを殴りかねない勢いだ。
「痛っ。また痛みが」
「ふーん。やっぱり・・・・・・」
リオグラーナは自分の推測が正しかったことを知る。
「てめえっ、わざとやったなっ」
「ごめん・・・・・・。でも分かっただろ? 君はぼくに危害を加えようとすると、痛みに襲われるんだ」
――と言うよりは、リオグラーナの感情にも関係があるようだが。
「わかっても嬉しくねーよ・・・・・・」
「そ、それじゃあ、ぼくはもう行くから」
「あ?」
そのとたんゲイルが険悪な表情になる。
「貴様、この俺様に呪いをかけておいて、そのまま逃げる気かぁ?」
「じゃ、じゃどうしろって言うの?」
「決まってんじゃねぇか。――俺様も一緒に行く」
「えーッ」
思いきり嫌そうに言ったリオグラーナに、ゲイルは少し傷ついたような顔になる。
「俺様だって好きで一緒に行きたいわけじゃねぇよ・・・・・・」
「じゃあ来なけりゃいいじゃない」
「そうはいくかッ、呪いが解けるまで一生つきまとってやる」
どう考えても、腹いせの嫌がらせにしか思えない。
(嫌だって言っても、ついて来るんだろうな)
腕輪を利用して、ゲイルを追い払う方法もあるが、あまり気はすすまない。
(あの腕輪がある限り、ぼくに危害は加えられないんだし)
女の子の一人旅というのも危険なものだから、護衛にいいかもしれない。
(『旅は道連れ』とも言うし)
そんなふうに思い直し、リオグラーナはゲイルの同行を許可したのだった。
さて、成り行きで自称『大魔族』のゲイルと同行することになったリオグラーナ。
ゲイル曰く。
「別に俺様は腕輪の呪いが怖いわけじゃねぇよ。―ただ、リオといれば聖宝が手に入るかもしれねぇし・・・・・・」
―まったく懲りていないようである。
「別に何の理由でもいいけどさー」
リオグラーナはひどく不機嫌だった。結局ゲイルの洞窟で、聖宝の手掛かりが全くつかめなかったからである。
「まあ誰が悪いわけでもないし、しかたないけど」
ぶつぶつと、それでも何とか気をとりなおしかけたところへ。
「本当にあるのかよー。聞いたことねーぞ、聖宝なんてよー」
などとゲイルが言ったので、またもやリオグラーナは機嫌を損ねる。
「とにかくっ、次のポイントへ行くしかないよ!」
旅の目的がそれしかない・・・・・・。しっかり地図を頭の中にたたき込むと、リオグラーナは歩き出した。
「しっかし歩きにくい場所だよなー。岩がごろごろしてやがる」
近道をするには岩山を通らなければならない。
(自分が近道をしようって言ったくせに)
少しは黙るということを知らないのだろうか。リオグラーナは呆れるのを通り越して、感心すらしてしまう。
最もリオグラーナがどう思おうと、ゲイルの喋りが止まるわけではないが。
「今にも上から岩が落ちてきそうだな。―まてよ、俺様が直接リオに手を下すと腕輪に苦しめられる。が、偶然リオが事故か何かで死んでくれれば、俺様は自由の身になれるじゃねーか」 リオの上に岩が落ちてきますよーに、とゲイルは小声で呟く。
「ゲイル。さっきから考えてること全部口に出してるよ」
「はっ、しまった・・・・・・」
やれやれ、とリオグラーナはため息をつく。
―まあこういった具合に、やはり仲がいいとは言い難い。
しかも聖宝の実在も危ぶまれてきた。
まさに、前途多難である。
「リオ、ちょっと休憩しよーぜ」
「だめだよ。さっき休んだばかりじゃない」
「いーじゃねーか少しくらい。リオだって足擦りむいてるしよー」
さっきは人の死を願っていたくせに、ちいさな擦り傷を目ざとく見つけて、そんなことを言っている。
リオグラーナは知らず笑みを浮かべた。
「・・・・・・しょうがないな、少しだけだよ」
「おう。―あ、薬草があるぜ。リオ、これ塗っとけよ」
(こんな旅もいいかもしれない)
ゲイルの差し出した小さな白い花を受け取り、リオグラーナは思った。
「ありがとう。・・・・・・ってゲイル、これ毒草じゃないか!」
「ちっ、ばれたか」
(・・・・・・前言撤回!)
乾いた風が白い花びらを、よく晴れた大空へと吹き上げた。