cold 01


Step by Step Heart to Heart
Left Right Left We are fall down…、
Like Toy Soldiers…


第一話『CRACKER』

 ひゅ!と、空気が薄く開かれた唇から漏れる。疲労を感じさせない動きで、黒の手袋をした右手を一閃させると、それにつられるように、彼の目の前にある数え切れないほどのからくり時計たちが粉々に砕けた。
 「たち」とは、正しく無いのかも知れない。
 彼が壊したかったのは、この中のたった一つだ。ここにある「すべてのからくり時計」が、意志をもつトイでは無い。
 トイであるわけがない。

「きゃぁああぁぁ―――――――ッ!!」

 絹を切り裂くような女の叫び声が、狭い部屋の中に響いた。どうやら、この中の「当たり」にぶち当たったらしい。
「カスミ…カスミっ…!!」
 女は悲壮な顔で、彼…――火村英生の姿すら見ずに、愛しき「我が娘」に走りよった。
 火村の立つ入り口から、そう遠くない棚の右端に置かれていた時計だった。小さな置き時計で、可愛らしい花柄が刻まれた木製のモノ。
 火村の放った不可視の一閃によって、ぱっくりと半分に裂けており、女は醜くすらあるそれを、何度も何度も愛おしそうに撫でている。さもすれば、「娘」が帰ってくるとでも思っているのだろうか。
(壊れた時計が、元に戻るとでも……――――?)
 可笑しくて、火村は笑った…くつり、くつり…と。
 すると、女は弾かれたように火村を睨んだ。
「………何が可笑しいの………」
 女の姿は、衰弱しきっていた。…そう、これほどに「衰弱」している女が、この部屋にある「すべてのからくり時計」を「相手」できる訳がない。「患者(パティエント)」の精神力は、さして強大なものではなかった。
 大きな、猫を思わせる目の下には隈が出来ている。褐色の、かつては血色の良かった肌は急激な衰弱によって皺が出来、殆ど皮と骨のみとなっていた。服はぶかぶかで、ズボンなどは腰のあたりが余っている。
「……失礼。」
「………なに、笑ってるの、あんた……!」
「いえ。情報部も、『クラッカー』も、大した事はないな、と思いまして…」
 あそこには、火村の知り合いが数人存在する。…が、どうやら今回の捜査には加われなかったのか…それとも管轄外だったのか…どちらにしろ、このような「患者」が放り出されていたのは、大変な事実だ。
「名を名乗りもせずに、失礼いたしました。俺の名は、火村英生…よろしければ、お名前を」
「………桐野、奈々江」
「桐野奈々江…様」
 口の中で、復唱する。名乗った名に、間違いはないらしい。最も、この状態で嘘をつけるとしたら、それは感嘆に値するが。
「では、桐野奈々江様、御手を」
「……………いや………っ」
 拒絶すら、火村には承知の事象である。それでも、彼はその手を差し伸べる。
 それが、彼の使命だから。
「手を、桐野奈々江様」
――――そして囁く。現実へ、お戻りなさいと。



 この世が、トイに浸食され始めたのは、一体いつのことだったろう。「人類」が、「トイ」という名の「精神異常」を起こし始めたのは。

 「それ」は、トイの名の通りに、「玩具」とは限らない。それは、身近に身につけている腕時計であったり、携帯であったり。そうそう、六十歳の老夫妻の事例では、年代物の扇子であったりもしたか。
 とにかくも「患者」と呼ばれる人々は、その「無機物」に人間性を感じていると言うことだ。…否、それは正しくないか。「それ」を「人」として認識している。…それが、恐らくこの現象の的を射ている言葉だろう。
 大切な人を失った者は、希に(最近は例外なく)その身近な「無機物」に失った人物を思い描き、愛情を注ぐ。それが、人体に影響がなければ、社会現象になったとしても、大した問題にはならなかっただろう。
 しかし、そのトイは人の「感情」を、確実に「喰う」のである。それは、精力ともいえる。どんな仕組みでそれが人の精気を「喰う」のか。
 様々な研究者達が、「患者」の持つトイを調べた結果、彼らの体内には、決まって「核(コア)」が存在する事が確認された。これをさらに分析すると、恐ろしく精密に作られた、ナノマシンの結晶だという。これが、特殊なパルスを発し、人間の脳内にアドレナリンを分泌させ、興奮、快楽を促し、そして更に海馬中枢に至っては、記憶の混迷をもたらす。
 魅入られた人間は、だから決してトイを手放したりしない。
 居なくなって、または消えてしまった人が、常に側にいて、自分と接してくれる…。
 寂しさ故にトイを手に入れた人間が、それを手放すはずがない。しかし、その「核」のもたらす副作用によって、人は確実に衰弱していく。末期症状に至っては、食事をとる時間も、排泄する時間も、睡眠する時間も惜しくなってしまう。
 つまり人は、そのままではしまいには「衰弱死」してしまうと言うことだ。まるでタチの悪い麻薬のように。いや、それよりも最悪であったかもしれない。かつての麻薬よりも早く、それは急速に広まっていったのだから。被害は世界の半分と言えてしまうほどに。
 これは、自然現象で作られたモノではないことは、誰の目にも明らかであった。これは、確実に「誰か」の手によって作られた、「人工的」な「麻薬」なのだ。
 政府はこれに迅速な対応を強いられ、警察機構内部に、特殊な部隊を設置した。それが火村の呟いた、『クラッカー』という組織部隊である。
 「核」を破壊すれば、「患者」は元に戻る。それをいち早く感知し、破壊する者。そういう特殊な力を持った者が、『クラッカー』に、民間人だろうとなんだろうと、老若男女問わず関係なく組み込まれていった。

 彼…火村英生も。――――例外なく。




 差し伸べた手は、痩せきった脆弱な女に振り払われる。
「………――――人殺しッ!!」
 その弾き出された言葉に、火村はわずかに瞳を見開く。
「……あんた、自分を何様だと思ってる……!」
「なんとも。…しがいない、唯の男ですよ」
 ため息混じりに言った火村に、奈々江は少し怯んだ様子で更に叫ぶ。
「嘘だ……!」
「うそ?」
「嘘つき、嘘つき……!」
 狂ったように叫び続けるその姿は、とても妙齢の女性とは思えない行動。トイは、幼児化も促してしまうようだ。
「あんたは…あんたたちは、自分を強いと思ってるんだ…!」
 壊れたからくり時計を胸に抱いて、女は立ち上がった。のばし放題にされて、地面に届くくらいにのびだ髪が、激しい奈々江の動きにつられてあちこちに飛びはねている。
「独りでも生きていけるから!だから、トイを持ってる人間を馬鹿にして…!!」
「していません。…それよりも、それを早くこちらに」
 奈々江の持つトイの「核」は、壊れたわけではない。ただこの中のどれかがトイだと見当したから、とりあえず絞る為に仕掛けた攻撃だった。先程の傷も、致命傷には至っていないものなのだ。
「トイを、渡してください」
「カスミは渡さない…ッ!!」
 目を真っ赤に充血させて。必死の形相で。火村は、いつもこの瞬間を嫌悪する。
そしていつも思う。

(トイを、取り上げる時、この込み上げる罪悪感は、一体なんなのだろう)と。

そして…―――

「……致し方ない。ご無礼を、レディ」
 そう言って、右手を掲げる。
 ひっ、と奈々江が息を飲んだ瞬間と、火村がパチンと指を鳴らした瞬間は、同時だった。彼女の腕の中で、からくり時計が粉々に崩れ去る。こんこん…とむき出しの床に転がり落ちたそれを、しゃがんで拾った。

――――この、「核」を手にした瞬間に襲う、憎悪は。
 火村の手のひらに輝く「核」。パールブルーとでも言えばいいのか。光を当てると、青みがかった白銀にきらめく。真珠にも似た、歪みのない円を描く、この世で今や最も恐れられるモノ。
「やめて…!殺さないで……!!」
 焦点の合わない眼差しで、奈々江は火村に懇願する。
 きゅ、と「核」を握り込んだ。
「壊さないで……!!」

――――私の娘を、殺さないで…――――!!

 パキィン…、といとも容易く「核」は砕け散った。握り込んだ手のひらを、ゆっくりと開く、粉々になったそれは、煌めいて空中に舞い散る。
「…桐野さん。「これ」は、元よりあなたの娘ではありません」
 力無く崩れ落ちた奈々江に、火村は語りかけた。瞬きをすることすら拒絶した瞳は、火村が破壊した「核」の欠片を見つめている。そのうちに、生理現象で涙がこぼれ落ちた。
「………桐野さん、」
 反応がない。火村は、しゃがみこんで奈々江をのぞき込んだ。
「…………う……」
「…桐野さん?」
「うああぁぁぁぁぁぁああ――――――――――!!」
 ばん!!と、思いがけない力で、火村は押し倒された。そのまま、馬乗りにのしかかってくると、全身全霊をかけた力で、火村の首を絞める。
「……――――ッ!?」
「………人殺し……っ!」
「っ」
 この世の悪を見つめるように。奈々江は火村の首を絞める。睨み付ける。その身体からわき起こる負の感情全てを、火村に叩きつける。
「……ヒト・殺しぃ……っ!」
 く、と火村は眉をひそめる。奈々江の力は、末期症状に近い「患者」としては、驚異だった。しかし、相手が女である以上、タイミングさえつかめれば反撃は可能だ。

タイミングさえ、つかめれば。
「……あ・なた…、」
「っ!?」
 火村の声に、奈々江はびくりと身体を痙攣させた。
「ひとの、こトは…ッ、イエ・ない…ッ」
「な、なんですって………!?」
 ぐ、と一層奈々江は手に力を込める。彼女は、今、例えようのな焦りに突き動かされていた。


今、いまこの男を殺さなければ。
殺さなければ……!


「…カスミ、サンを、コロし・たの……は、アナタ・だ……!」
「――――――ひッ!?」
 喉から音無き悲鳴を上げると、奈々江は火村から、まるで熱いものにでも触れたかのように飛び上がって逃げた。
「……げほッ……」
 全く、とんだ目に遭った…と、火村は吐き捨てる。服についた埃を落とし、ゆっくりと立ち上がった。そして、散らかった部屋の隅で身体を震わせている奈々江に、一言呟いて彼はその場を立ち去る。
「己の手で消しておきながら、他者を殺めてでも求める……。――――愚かな」
 それは、軽蔑ではない。

――――――憐憫、そして同情。

 火村英生が、「患者」に持ち得る、感情の全て。


 キィ、という木の軋みに、からんからん…と、取り付けられていた鈴が重く鳴る。小さな可愛らしい一軒家から出ると、火村は胸ポケットからキャメルを取り出して、火をつけ深く吸い込んだ。
 右の耳たぶにある、赤いピアスに、触れる程度に指を添える。ピ!と微かな電子音がして、ノイズ混じりの声が耳に届いた。
『…せ?……火村センセ?』
「…聞こえてますよ、朝井さん」
 疲れた、という雰囲気を絡ませて、火村は通信機の向こうに居るであろう、なじみの深い女性研究者に話しかける。
『……そう?ノイズは?』
「だいぶいいです。クリアですよ、結構」
『…そ?大丈夫?急に通信切るから、びっくりしたわ』
 語尾が、わずかに跳ね上がっている…どうやら、本当に焦ったらしい。くす、と苦笑混じりで、火村は続けた。
「すいません、任務中に。「患者」を見つけてしまったものですから」
『「患者」?』
「ええ」
 ぽん、と煙草を揺らすと、灰が茶色の地面に落ちる。目を細めて空を見上げると、どんよりとした、嫌な天気だった。
『…………そんなとこで?』
「ええ。そんなとこで」
『はぁ〜。随分と情報部も『クラッカー』もいい加減なんやなぁ〜』
 火村と同じ物言いだが、こちらは随分と呆れているようだった。声に妙にうわずったイントネーションが加わっている。
 ここは、本来、一般人の入れない「危険区域」に指定された一つだ。市町村の住民人口の三分の一が、トイに「汚染」された場合に発動する、比較的新しい条例によって行われる緊急避難。その避難の前には、当然、徹底的な調査が国によって行われ、「患者」は施設に移される。移されている筈なのだが……。
『しかし、「患者」を発見してもうたら、そりゃほっとけないな』
「…でしょう?」
『でもな、一言でええから、私に言って欲しかったんよ』
「………すみません」
『ま、ええけどな』
 朝井女史の勤める…『Dream Seeker』は、五年ほど前にいくつかの大手企業からのサポートで設立された民間研究所だ。そこでは、「核」や、トイの生態について主に研究されている。
 『クラッカー』から脱退した火村が、朝井女史にスカウトされたのは、つい最近だった。
『で、火村センセ、私が頼んだコトは、ちゃんと憶えてはるよね?』
「ご心配なく」
 ぽい、と短くなった煙草を投げ捨て、火村は一歩踏み出す。
「…このL市に、世界統一暦前12年8月4日付けで設立された娯楽施設『ワンダーランド』…そこから昨日反フェノミナ反応が計測され、原因を突き止めるために直接潜入。疑わしいと思われる場所には生体反応アリ。迅速に解明されたし…以上!」
『…ふむ、よろしい。まぁまぁ正解や。』
「まあまあ?」
『そや、センセ一つ忘れてるで。無事に帰還されたし、というトコ』
「……………あ、ああ。」
『いややなぁ、忘れてしもうたん?ダメやで、怪我でもしようもんなら、センセを送り込んだ私が、研究所内の女子社員にとり殺されてしまう』
「ははは、冗談がお上手だ」
 冗談やない、と少し慌て気味の朝井女史と二三言喋ると、火村はおもむろに通信を切った。これから潜入する所は、ノイズが多いから、どちらにしても通信は切れざるを得ないのだ。



「…さて…」
 きゅ、と革製の手袋をつけ直して、火村は入場門を仰いだ。この娯楽施設に人が入らなくなってから、一体何年の年月が流れているのだろう。鮮やかなペンキで彩られていた壁は剥げ、容赦ない雨風に晒された柱は骨組みを露わにしている。
「……行くか」
 かつん、と一歩踏み出す。

――――入場券は、必要ない。
そして、行進曲(マーチ)もない。

 門を通過した瞬間、ガシャン!!と騒音をたてて、門が崩れ落ちた。
「…――――!?」
弾かれたように、すぐさま振り返るが、そこは埃に紛れて見えない。…ゆうに三メートルはあった鉄の塊だ。帰りは恐らく苦労することになるだろう。
ふかいため息をついて、火村は細く笑んだ。どうやら、『Dream Seeker』の研究員は信じてもいいらしい。確かにここには誰かがいるのだ。その誰は、火村の入園を嫌がっているのか、それとも歓迎しているのか。
「……後者かな」
 不敵に笑う。もしもここに入られたくないのならば、門をくぐる前に壊すはずだ。
「…出てこいよ、…君たち」
 静かに呼びかけると、微かに数人の気配の動きを感じ取れた。入場口の端に、生け垣に、ベンチの向こう側に。
(…一つ…六つ…いや、……これは……)
 全部で十三体、だ。
 どうやら、生身の人間は出てくる様子はない。この感じは、トイのモノだ。
(しかも、人型…!?なんてやつだ。こいつらの「親(マスター)」は人間じゃねぇな…)
ち、と思考の矛盾を己でけなす。
(馬鹿だな、「人」じゃなきゃ、「無機物」をトイになんてできやしねぇ)
 そんな簡単なコトすら忘れてしまうとは。相当、…自分で思ったよりも動揺していたらしい。
(らしくねぇな……)
 人差し指でしきりに唇を撫でると、火村は一度すとん、と肩の力を抜いた。両の瞼を閉じ、深く、ゆっくりと深呼吸…一回、二回……三回…!
 ひゅ!と火村は右手を振りかざす。すると一体のピエロが、左斜め後ろから火村に襲いかかる寸前で二つに分断された。
 続いて三体、「核」を確実に破壊する。
「どうせなら、一度にくるといい、坊や達。ソレくらいのハンデは与えてあげよう」
 余裕の微笑みで、トイ達を挑発する。トイにも、レヴェルがある。「親」の精神力が強ければ、しゃべりもするし、動きもする。この十三体の大小さまざまなピエロやかぶりモノのキャラクターたちがいい例だ。
『オマエのこと、ボくタチ、ハカイする。…ハカイする。…入場券(パスポート)モタナイ、にんげん。ハイジョ。ハイジョ・する』
 一体どこから声を発しているんだろう、と火村は思った。しかし表情は変わらない。しゃべりもするトイなんて、本当に久しぶりに見た。ここまで進化しているトイは、はっきり言って手強い。ようするに、常に「核」が学習しているために、戦闘能力が下手をすれば『クラッカー』の先鋭達を上回るのだ。
 先程始末した、「カスミ」程度とは、比べモノにならないくらいの強さ。

――――死ぬかも知れない。

『クラッカー』の一個隊でも、手強いかも知れない場所に、たった独りで来ているのだから。
それでも火村は不敵に笑うコトを止めなかった。
この感覚が、心地いい。

―――『クラッカー』に所属し、トイを感知・破壊する者達のことを、人々は畏怖と尊敬の意を込めて、こう呼ぶ…――――。

Toy Soldiers…と。



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2000/06/06 

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