第一話 なにもしらなくても
彼の願い事はたった一つ。
「僕を、人間にして下さい」
ぐわしゃん!と大きな物音に、もう…と彼は小さく困ったように呟いた。
物音をたてたのは、少女…―――こちらを見て、鞄を胸に抱きしめるように抱え、可哀想に震えている…。
「……ねぇ」
「来ないでぇ!!」
激しい拒絶の声だった。
うわ…きついな、こういうの…。心の中で言って。
くすり、と笑ってみせた…。無駄とは分かっていたが。
「………何してるの?」
「…………来ないで」
「……もしかして、通報しようとか思っちゃ………てるのね」
静まり返った中、少女の手の中の携帯…聞こえるコール音。
「―――もしもし!?もしもし!!早く!!人殺しッ人殺しです!!」
通常の人間よりも聴覚が優れている彼は、その受話器の向こうの声も聞こえた。
―――もしもし?どうしました??そこは何処なんです??
のんびりとした声。興奮している少女の言葉は要領を得ない。余計に会話がこじれていく。
(これじゃ、来るのは…大体15分は掛かるかな。)
考えて、改めて彼…青島俊作は辺りを見回した。
ビルとビルの隙間。薄汚れて、掃除されていない排気口からの臭気。それに混じり合う血の匂い。
灰色の…否、正確にはどどめいろの…地面に伏しているのは5体。そのうち3体は息をもうしていない。仕事帰りのOL、会社員、そして頭をパープルに染めている青年…。全て死んでいる。
青島が駆けつけた時には、既に死んでいた。みるも無惨な姿で。
最初の犠牲者は、たぶん少女が立っている入り口から一番奥の…不良青年だったろう。
今彼が手に掛けている化け物に、ちょっかいを出したに違いない。
そして次はおそらくカップルの…会社員とOL。興奮している時…食事をしたい時によくある現象だった。抑制できずに血を欲する…。
OLは殺されながら犯されただろうし、会社員は両手両足を……いたぶられながら殺された。
青島が間に合ったのは、四人目の犠牲者になる少女だけだった。
今まさに食事をしようとしていた…目の前に倒れる…ヤツの首根っこを掴んで、壁に叩きつける。
襲われた少女は逃げたかと言えば、今は気を失っていた。危険だから、端に非難させておいてある。しかし傍目から見たら、首から血を流して倒れている彼女も、十分死人に見えるだろう…目の前で携帯に叫ぶこの娘には。
そしてこの惨劇の中、一人佇んでいるグリーンのコートを着た自分は、殺人者に見えているだろう、当然。
「―――……早く死んでよ、オマエ」
はぁ、とため息をついて、青島は言った。首に右手をかけている相手に。
華奢な体をした、十代の青年。格好は至ってラフ…そして普通だった。ただ、薄い唇からそっと…おぼろ月の光に反射する…その血に濡れた牙さえ無ければ。
「俺はね、本当なら別の犯人捕まえてる筈なの。それも連続殺人犯だよ??どうしてくれんの。この一週間の苦労は!」
「………ぐぅ・ふ!………ダレだ、キサマ…」
青年の右腕は完全に反対に曲がっていた。体の中央には、青島の後ろで白い煙をだしている排気管…太いパイプが後ろの壁に縫いつけられる程深くねじりこまれている。
両足はとっくに筋を切られていたし、身動きがとれる状態ではなかった。
パイプは心臓をひと突きしていたから。普通の人間なら、ショック死している、もう。
「ダレ……だ。…ワタシが…ふぁみりーの、一員ダト、知って……」
「―――知ってるよ、嫌ってくらいにね」
ぱっと手を離し、ずるずると座り込んだ青年に、青島は笑顔で言った。
「だって、俺は君と同種だもの」
「――――――!」
青年の驚愕と言ったら、それは見事なものだった。見開かれた瞳に、それまで宿っていた嫌疑と屈辱と恐怖が消え去り、戸惑いと嬉しさの混じった光が宿る…。
「なら……ナゼ……っ、げほっ!」
がん!と蹴り込んだ一撃に、青年が呻いて血を吐く。そしてそれを見ていた少女の悲鳴。
「ほうら、早く死んで死んで!このままじゃ俺が悪者でしょ?」
「………ぐ、ぐふっ……」
もう、と呟いて叫ぶ…おそらく女子高生…をちらりと見る。そして目の前の青年も。
放っておけば間もなく死ぬ事は分かり切った事だったので、青島は少女の方を処理する事にした。
青島の足が一歩、自分に近づいたと知り少女は怯えていた。
「―――――――ひぃっ!」
震えて動けない少女に、青島は笑いかけた。
「ね、電話貸して?」
「い・いやあ!来ないでぇ!!」
「なんも悪い事しないって…救急車呼んで、早く。一人は助かるから」
一つは嘘で、一つは本当だった。奥にいる少女は、本当に早くすれば助かる。軽い失血にショックで気を失っているだけだからだ。
優しく言って諭しても、少女はぎゅっと握ったまま携帯を離さない。
もう一歩、近づく。少女が後ろに下がる…二三度繰り返した、そんな無意味な事を。
「もう……」
官能的な、ため息と共に一言呟くと…。
次の瞬間、青島は少女の背後にいた…。
突然目の前から消え、後ろに温もりを感じる……そして。
「ごめんね?」
囁かれ…―――殺される……!!
瞬間そう思い、逃れようとするのに出来ない。携帯を握っていた両手は、青島にゆっくりとはがされ、ようやく異変を察した警察との…電話が切られる…。
ぷっ、と。あっけないほど。
がたがたと震えながら、少女は青島の指を見ていた。
1・1・9…。コール音、固まって動けない少女から携帯を取り、青島が耳に当てる。
「あ…もしもし。××の8丁目52−3。そ、そこそこ。女の子一人気を失ってるから、すぐ来て」
ぷっ、と小さく…音がして。
少女の取られた形で固まってしまった手に、青島は再び携帯を戻す。
少女は怖かった…どうしようもなく。
耳元で、囁かれる声に惹かれて…怖いのに。
「大丈夫……すぐに忘れるから」
背後からくいっと顎を捕まれ、唇になにか暖かい…そんな感触がした次の瞬間には。
少女は気を失っていた。…恐らく目覚めた時は何も覚えていないだろう。
どさっと腕の中に倒れ込んだ少女…そして地面に落ちた鞄を拾い、青島はそっと抱き上げて路地近くに下ろした。うら若き少女がこんな無防備な姿でいたなら、とても危険だろが、もうすぐここには警察が来る。救急車も。大丈夫だろう。
「…………か……」
うめき声と共に、言葉を投げかけられた。
それは、あの青年から。
「………キサマ、『同族殺し』か……!」
「言葉が汚いな…やめてくれよ、それ」
ゆっくりと立ち上がり、青年に向き合う。否…人間ではない、下級の吸血鬼に。
「キラーじゃないよ、少なくとも。スイーパーって言ってってば」
「『掃除屋』…だ、と!?……狂っ…てる…!」
「どっちが〜??」
「裏切り……も・の……!コロ…」
ぐしゃ!っと生々しい音がした。青年の内臓…心臓を、完璧に壊したのだ。
ずる…と右手を抜き、滴り落ちる血を忌々しげに振り払った。完全に息の根を止められた青年は、次第にその形を失っていく…。
吸血鬼が死すると灰と化すというのは、史実である。それまで時を無理矢理に止めて生きてきた細胞は急速に老化し、風化する。
「俺、血、キライなんだよ………」
吐きそ…。うっと呻いて、空を仰ぐ。
空はとても澄んでいた。これまでに無いほど。くっきりと瞬く星に、少しばかり心が和む。
ふ、と力の入っていた肩を下ろし、改めて回りを見回す。
転がる、無惨な姿の死体……。
くっと眉が寄せられ、青島は苦しそうな顔をした…。
「……ごめんね、本当に」
もっと早く気づいていたなら、こんな事にはならなかったのに。
青島は吸血鬼だった。これは事実。どんなに自分でその出生を嫌がっても。
吸血鬼…処女の血を好み、喰らう…。
しかし、実際は生身の血などいらないのだ。
『感情』…それが青島の…ひいては一般的な――甚だ矛盾する言葉だが――吸血鬼の食事であり、生きる術だった。『感情』だけでいいのだ。特別人間を襲って殺す必要も、犯す必要もない。
人間の魂が放つ、生命エネルギーとは別の、過剰(余分)なエネルギー…それが『感情』だ。
彼らはそれを常に放っている。それを、かすめ取る形で食事する。とられた方は、少し疲れる程度だ。痛い思いも苦しい思いもしない。
吸血鬼によっては、やはり殺す方がいいという者もいる。殺される寸前の人間の『恐怖』がオイシイのだそうだ。青島には全く分からない『感情』だが。
青島はそんなものよりも、人間の放つ+の『感情』の方がスキだった。
落ちたハンカチを拾って、笑顔でありがとうと言われた…その刹那に僅かに放たれた『喜の感情』を少し頂く。一緒に捜し物をしたり、遊んだり。たわいないそれで笑ってくれたりするときの、あの甘い味が。
逆に泣かれたりするのは嫌だった。『哀』の味は美味しくない。すっぱくて。
ましてや恐がれる…その感情は。
苦い
コートが汚れるのも構わず、青島はしゃがんで…事切れたOLの…女性の髪の毛を優しくすいた。かっと見開かれた瞼を閉じさせ、必死に助けを求めた…相手の会社員の男と手を握らせた。
何故この二人がカップルだと断定したのか……それは、二人の左指にあるリング…結婚指輪の所為だ。
これから先、素晴らしい未来が開けていたのに…。
くっと唇を噛み、青島は立ち上がった。
遠く…そう、微かにパトカーのサイレンの音が聞こえる。
早く立ち去らねば。そして、ついさっきまで追っていた犯人を捜し出さねば。探偵としての自分の仕事を放棄した事になってしまう。
探偵といっても、ほとんど警察の情報屋に近い仕事だったのだが。
「やべ…とりあえずここはとんずらさせてもらわなきゃ……」
「動くな!!」
びくっと思わず青島は肩をすくませた…と、同時に、驚愕に体を振るわせた。
響く、凛とした声…―――。
「ここで何をしている!?」
詰問の声も、青島には意味がなかった。なんせ、見とれていたのだから。突然の闖入者に。
(何故分からなかった…―――?足音が全く聞こえなかった、こんなの変だ!!人間か、コイツ!?)
青島が横たわらせた少女を背に庇い、拳銃をつきつけながら、一人の男がそこにいた。
思わずすこまれそうな、黒い瞳。
すっと通った鼻筋。赤い……綺麗な唇…。
なであげた髪も艶やかで、華奢な…そう、先程倒したあの青年吸血鬼よりも細い体で。
俺と対峙している。
「あんた……だれ……」
「本日付けで湾岸署に研修に来た警察官だ!」
「…………名前は??」
「答える義務はないッ!!」
ぐっと眉をよせて。キツイ眼差しで自分を見ている……。
でも、構える腕が振るえている。
それを見て、思わず笑ってしまった。彼が人間でなくて、何だというのだ…??
おそらく自分は、感傷にひたるあまりに回りに気を張るのを忘れていただけなのだ。彼は同族じゃない。
思考回路がもたらした答えは、意外な程青島自身をほっとさせた。それがなぜだか分からないが、彼が人間だと知って―――更に馴染みの深い湾岸署の警察官だと知って―――尚更嬉しかった。なぜだか分からないが。
そのほっとした気持ちが、青島に思わず笑みをもたらせてしまった。
それも、おそらくとっておきの……この凄惨な場に全く似合わない、綺麗な笑顔を。
思い違いに苦笑したそれとは、対極に位置するだろう……それ。
自分でも失敗したと思った。これはいけない。
人生で片手に入るほどの笑顔をしてしまった確信があった。
この場で微笑んではいけなかったのだ、自分は。
おそらくこの人間は自分が犯人だと思っているのだろうし……というより、疑われない筈がない……血だらけの男が、(しかも右手は真っ赤)にっこりと笑ったりなんてしたら。
気が狂ってるんじゃないかって思われる。
案の定、ぼうっと一瞬したのち(ホントに数秒)彼は怯えたような表情をした。
それに、失敗した、と思った。怖がらせてしまった、絶対。
「………な、何を笑って……!」
「わぁ!ごめんなさい!だからそれ向けないでよっ」
慌てて両手を上げた。ホールドアップ。いくら不死身の吸血鬼だって、痛いものは痛い。鉛をぶち込まれるのはごめんだ。
「………そこを動くな、動いたら撃つからな!!」
「はい……了解」
はう、と深いため息をついた。今更トンズラは無理だ。まさか男相手に、先程のようにキスして記憶を失わせるのははばかられるし。
何より。
(この人隙がないんだよね〜……。なんか武道でもやってんのかな)
拳銃を向けながら、彼はじりじりと近寄ってきた。内心青島は思う。そんなに怯えなくてもいいのに、と。
(でもな…仕方ないかぁ……この状況じゃ……)
「動くな!」
「はいはいっ」
地面に転がった死体を痛ましげな顔で見ながら、彼は青島の横に来て、身体検査をさっと行う。
腰あたりを探っていた手が、ふっと止まった。どうしたのかと思えば、彼は青島のすぐ横に倒れている女性と会社員の男性の死体を凝視している。
「…………あ、その。ごめんなさい、勝手に死体さわっちゃって。彼女らカップルだったみたいだから……」
「……手を握らせたのは君か…?」
「や…はい…その」
「動くな!」
「はいぃ!!」
「手を下ろせ」
「…………はい」
ぎっと怖い顔で見つめてくる彼。綺麗な顔しているのに、なんて暢気な事を考えていた……瞬間。
下ろした両手首に、冷たい感触と音。
がっしゃん!
「…………………へ」
「現行犯逮捕だ。署まで来て貰う!!!」
「ええええ!?ちょっ、待ってよ!俺違うよ!?第一発見者!!犯人じゃないよっ」
確かに犯人じゃない。犯人は青島が殺した。第一発見者というのも間違ってはいない…しかしいかんせん状況が状況だった。
段々大きくなるサイレンの音。…もうあきらめるしかないだろう。
「君、名前は」
「………あおしま」
「下の名は!」
「青島俊作です!!もう!!」
弁解しても無駄だと悟り、青島はヤケになって叫んだ。
「アンタの名前は!?教えてよ冥土の土産に」
冗談だった。臭いメシを食うつもりは毛頭ない。これは誤解なんだし…それに仕事だって山ずみだ。
なのに。彼ったら真顔で。
「室井慎次だ。……付いたらさっそく徹底的に事情聴取してやる、覚悟しろ」
最悪の出会いだった。
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きゃ〜♪の真皓ですぅ。
あ、いかがでしたでしょう、「花よりも月よりも」第一話「なにもしらなくても」は??
吸血鬼ネタ第一弾〜☆うう、まだまだ未熟。あとで書き加えておこう〜(><)
どうも最近勢いで書いてしまって…書き込みが…(汗)
真皓は今積さんのイラストに煩悩〜!!ありがとうございました!!今積さん!!
書くぞ〜(爆笑)
2000/11/29 真皓拝