第二話 ぼくのせつな
月を見て泣きたくなる事はない?
「花のようにいっそ散りたい」
「青島くん、ハイ、これ。うちの新人届けてくれてご苦労さま」
湾岸署に付き、取調室を借りると言おうとした先に、強い眼差しをした黒髪の女性に先を越された。
ちゃり、と彼女が青島と呼ばれた私が連れてきた被疑者に対し、銀色の鍵を手渡す。
「すみれさ〜ん!助かった〜v」
「全く…。銀座の高級レストランで食事。オッケイ?」
「なんでたかるの〜。ただにしてよ、連れてきたんだから」
「嘘ばっか。青島くんが捕まってるんデショ、どう見ても。それとも何?このままこの男に尋問受けたい?厳しいわよ〜。本店の本場の拷問やられるわよ〜」
「それだけは嫌〜!!」
「だったら奢りなさい」
何をやっているのかと、本気で思った。
そしてしばらくの間、私は本当に気を失っていたのではないかと不安になるほど、この会話が頭の中に入ってこなかった。
「…………君たち」
「………勘弁してよすみれさん、最近金ないのよ〜。張り込みでぇ〜」
「私立探偵に金があるだなんて、私だってこれっぽっちも思ってないわよ」
「分かってるのにしてるの!?非道い人っ」
「君たち…」
「ところで情報はとれたの?」
「ああ、K区二丁目で本人見かけてさ」
「なんですってえ!?なんで捕まえてくれなかったのよ!?」
「だって…悲鳴聞こえたんだもん」
「君た…」
「犯人捕まえてよ、青島くんなら簡単でしょ!?」
「ひっど〜!!俺だって頑張ったよ」
そうだ…誰だって、悲鳴が聞こえた方に助けに向かうと思うが…と、違う!!
「もう…まあ青島くんだから仕方ないか」
「なにその言い方〜」
「君たち!!!いい加減に黙ってくれ!!!」
不満そうな顔をした被疑者青島俊作から鍵を取り上げ、(この際すみれという女性も不満そうな顔をした)取調室に閉じこめると、真っ先に私はすみれという女性にむかって言った。
「君…どういうつもりだ」
「恩田すみれ。湾岸警察署 刑事課 盗犯係。今後ともよろしくキャリアさん」
すらりと言われ、逆にこっちが一瞬言葉につまった。
くちごもると、不満そうにしていた唇が少し楽しそうに上を向く。
耳で切りそろえられた髪は艶ややかで、こちらを見返す瞳には強い光があった。そう、本庁ではついに見ることのなかった意志のある瞳。
(……あの男と同じ瞳をしている。)
それが意外だった。
こほんとせきをして、私はもう一度恩田くんに言った。自己紹介がまだだった、と。
「本日付けで刑事課に研修生として来た、室井慎次だ」
彼女に聞いた質問の回答は、あっけないものだった。
「何故彼を尋問出来ない」
「出来ないから」
こんな理不尽な返事なんて、ありなのか。
くっと眉間に皺が更に寄った事を自覚しながら、通常業務と言い机でカップラーメンをすする彼女の横に立つ。
現行犯として捕まえてきたのに、尋問出来ないってそれはどういう事だ。
ここは日本という法治国家で、刑法というものが定められているはずで…。
そんなの、おかしい。
むっとした顔で立っている私に、恩田くんは右手にはし、左手にカップラーメンという状態で振り返った。
「わかんない?無駄よ、尋問なんて」
「何故」
「無駄だから」
「………恩田刑事…。私をからかってるのか?」
きりっとした眉を少し動かし、口の中に麺を入れた状態で肩をすくめる。全く分からず屋は、という反応だ。言葉がなくても、すぐに分かった。本庁でよくうけた反応だ。
「尋問は無駄。彼が犯人だなんてありえない」
「何故そんな事が言える」
「だって同僚だもの。や、違うか、同僚みたいなもんだから」
「同僚?彼は刑事なのか??」
ずるる、と麺をすすり終わり、恩田君はそれを机に置くと改めてこちらを振り向いて言った。
「違うわ。貧乏な私立探偵事務所の探偵兼社長」
「そう言えばそんな事をさっき…」
「青島俊作三十歳。警察官を目指すも能力足らず。しかし正義感溢れるミリタリーマニア。以上。」
戯けた様子で喋る。まるでこちらを攪乱させたがっているみたいに。
「彼を解放しなさい」
「何故君にそんな事を言われ…」
「言っておく、あたし貴方が大嫌い」
「…!」
私雨が大嫌い。だってお肌に悪いんだもの。そんなニュアンス。
確かに彼女は、最初から友好的ではなかった。署内に入り、青島を連れてきて刑事課・盗犯係のドアをくぐって。…そう、彼女の瞳に”我々”が映った瞬間…彼女が話しかけたのは、青島という男の方。
まるで私の存在を無視した。
疎まれたことに経験が無いわけはないから、胸が痛む事はなかったが、めんとむかって言われたことには驚いた。
「何故…」
「今すぐここから叩き出したいわ。その上でその嫌みなくらいきちっとしたネクタイごと締め上げて、言ってやりたい」
「おん…」
「なんでアンタみたいな新人が青島くんを捕まえられるのよ!?」
「……?」
疑問符を思わず語尾につけてしまった。これは致し方ないだろう。彼女の言っているコトは支離滅裂だ。
その様子に気づいたようで、恩田くんは一度怒った眼差しで私を見つめた後、盛大なため息をついた。恩田君のデスクと通路を挟んだ向かい側は空いたデスクで、そこの椅子を乱暴に引き寄せると、顎で座れと指示してくる。
青島というあの男、逃げ出したりしないよな…。と一瞬不安にかられて閉じこめた取調室3のドアを見るが、開かれた様子はない。とりあえず大丈夫だろうと納得し、彼女の指示に従った。
ポポン、というオルゴールのメロディが鳴り出し、署内の人間が「ご苦労様」とかけ声を掛けながら段々と少なくなっていく。
すらりとした長い足を組んで、彼女はむっとした口のままで言った。
「あたしだって、話すのに三ヶ月かかったんだからね」
「………え?」
「あ〜もう。本当に青島くんの事何にも知らないのねぇ!」
その言いぐさに、少々私もかちんと来た。あの男の事を知らないという事が、一体彼女に何の迷惑を掛けた?そもそもあの男の事を知っているということが、当たり前な事なのか?そんなに有名な男だっただろうか。
「…一から説明してあげようか。」
「……………ああ」
「何その態度。言っておくけど、課長と違って私は貴方がキャリアだからとかで差別しないからね。前までは顔がよかったら玉の腰に…じゃなかった。とにかく今日会って、決めたわ。貴方の事虐める」
「虐めるって…」
「虐待してやる。手始めにこれ。『恩田刑事』なくて『恩田さん』アンダスタン?」
「………………」
「『説明して下さい。お願いします恩田様』いや、様はいいや。言って」
大した事ではない筈なのに、屈辱感を感じたのは何故だろう。まるで棒読みで言う。二三度応戦が続いたが、ついに根負けして彼女が話し始めた。湾岸署における青島俊作という男の存在について。
「『青島いる所に大事件あり』これ噂じゃなくて本当の事よ。何故か知らないけど、いつも彼は事件に巻き込まれてる。…違うかな。彼が事件につっこんでッてる。泣いてる人がいると、どうしようもなくなっちゃう人なの。自分が苦しくても辛くても、必ず泣いている人の所に行って助けようとする人なの。……嘘だと思う?でもね、本当なのよ」
この時だけ、恩田くんの表情が、ほんの少し和らいだ。まるでほっとしたみたいに。
「必ず事件があると、そこに青島君がいる。ちょっとした喧嘩でもよ?スゴイでしょ。だから知らずと顔見知りになるの。その上かなりの情報通。本庁には報告してないけど、この湾岸署の事件の一割は彼と合同で犯人逮捕してる。彼ほど警察官に向いてる人もいないと思うけど、彼ならないのよね…と。話がずれたわね」
もう、と天井を仰いでから、こちらに向き直った。
「無駄、と言ったのはね、彼が今回も例外なく事件に巻き込まれただけだからだと分かるからよ。通報をうけて行った連中も、青島くんに手錠掛けてる貴方に攻撃的じゃなかった?」
「……何してるんだと怒鳴られた」
「でしょ。当たり前よ。彼ここのヒーローだもの」
「だが彼は…」
「……被害者に危害でも加えてた?」
平坦な声に訪ねられ、素早く記憶を巡らせる。
思い出すと今でも少し鳥肌が立つ…あの光景。
コンクリートの灰色が、赤に塗り替えられて。まるで玩具みたいにばらばらにされた死体。無惨な姿の数々。その中で、すっと立っていたあの男―――青島俊作。
『…ごめんね、本当に』
聞いていたこちらの喉が、嗚咽に苦しみそうな程悲壮な声音で。
―――泣いて、いるんじゃないかと。
(――――…違う!!)
「……室井さん?」
「あ…いや…。彼が、被害者に触れていた」
「それだけ?」
「……少々動かしても、いた」
「それだけで現行犯逮捕?手錠する程の事?」
「あ…いや…」
確かにそうだった。拳銃を突きつける程の暴挙をする理由は無かった。だが、怖かったのだ。
…無性に、怖かった、あの男が。
見つめていたら、囚われてしまいそうで。
「…新人がね、彼とまともに話出来る事なんてないのよ」
「なに?」
少々気をとられていたので、恩田君の話が耳から掠れて通り過ぎてしまいそうになった。慌てて取り戻す。
「あんなに人なつこそうにしてるけど、新人…初めての人に一人で会うなんて、滅多に…ううん。今までで皆無に近いわ。なかったのよ、こんな事」
「………そんなに珍しい事なのか」
「珍しいというより…逃げちゃうのよ。絶対に会ってくれないの。私の時もそうだった。犯人に襲われそうになった所を助けてもらって…お礼を言う前に立ち去っちゃった。課長に聞いたら青島くんていう一般人だって言う。仕事の合間みつけては探したのに…。声がした所に走っていっても、あっという間に逃げられちゃう」
「…………それは」
「私だけじゃなくて、湾岸署に来た新人はみんなよ。中にはバイクで追いかけた子もいたけど。結局屋根に登られて逃げられちゃったわ…ふふ。なのに貴方ときたら会ってその上話して。手錠掛けてここに連れて来ちゃうなんて。すごいったらないわ。彼手錠ぬけも特技だったわよ、確か。簡単に逃げられたのに」
「…どういう、事、なんだ?私にはさっぱり…」
「私にもよくわかんないわ。でも、たった一つだけ気にくわないけど事実がある」
ぴっとたった一差し指。それがくいっと私の鼻の頭をはじいて遠のいた。
「室井さん、貴方、青島くんに気に入られたのよ」
ばたん、と取調室のドアを開けてしめた。
中に入ると、青島俊作は机につっぷして大人しく座っていた。恩田くんの話が本当なら、とっくに逃げ出してもおかしくないのに。
(何故逃げなかった…)
「あ、ども。俺帰れるの?」
気配に気づいて青島が顔を上げて笑う。無邪気で、屈託のない笑顔。三十歳と聞いたが、この年でこれだけ汚れを…打算を感じさせない大人は珍しいのではないだろうか。まるで子供みたいに、にこにことこちらを見返してくる。
それを無言で見つめ返し、私は今日何度目かの皺を寄せる動作をした。思わず取り調べのファイルを握る手がに力が入る。
―――この笑顔じゃなかった。
私が見た、彼の初めの笑顔は。
あれは凄惨な現実にそぐわなかったと言って相違なかった。薄暗い光の中で、右手を真っ赤に染めたまま彼は笑ったのだ。無邪気に。私に向かって…!
まるで洗礼を終えた修道士のような澄み切った気配を纏わせて…!
その癖彼の右手が滴らせていた血は、頭が痛くなるほど濃厚な匂いを漂わせていた。それが叩きつけられるように同時に襲ってきた。
魂が吸い込まれるような綺麗な笑みと。
体を束縛するような現実の生臭さが。
本当は、犯人、とすぐに判断した訳ではなかった。
殺される、とも思わなかった。
ただ、恐ろしいと思っただけだ、『自分が』!
ふらりと身を寄せてしまいそうになった自分を、引き留めたかっただけ。
そこに行き着いて、私はきつく瞼を閉じて静かに息を吐いた。
この男が犯人だという証拠はない。しかし違うという根拠もない。
皆が盲目的に信じ込むこの男の事を、私は全く知らないのだから当然だ。
尋問は確かに無駄だった。
「帰っていい」
「え…………」
てっきり大喜びするものと思っていた私は、少々肩すかしをくらった。青島の方が余程呆然としていたが。
「え。…俺、帰っていいの?ホントに?」
「ああ。何度言わせる。帰れ」
「ええ…。なんで。だって現行犯なんデショ。いいの?尋問しなくて」
「して欲しいのか」
「え!?や…!嫌だけど…。でもなんで急にしないなんて…」
「恩田くんに、尋問は無駄だと言われた」
はあ、とため息をしながら私は青島と向かい側の椅子に座った。…さりげない動作でそれをしたつもりだったのだが。青島には分かったらしい。私が少々怯えている事が。
それまで乗り出していた体を、少し後ろにひいた。あまりに自然だったから、気づいたのは少したってからだったが。
「…すみれさんが?めっずらし〜、俺の事助けるなんて。明日は雪だな。や、ステーキ奢らされるかも…こっわ〜」
「珍しいのは君の方だと聞いたぞ。新人の前には、絶対に現れないんだって?」
その話をふると、戯けていた瞳が、ほんの少し揺らいだ。一瞬光が閃いて、すぐに元戻る。微弱な動きだったが、そこは警察の人間だ。見逃す筈がない。
「そうだよ」
「何故」
「……俺って人見知りなの〜」
「嘘をつくな」
「…………今回だって逃げようとしてたよ?ちゃんと」
「手錠抜けが得意なんだってな。恩田くんから聞いた、バイクも振り切るくらいの人見知りか。だったら何故全く知らない他人を助けようとなんてするんだ?」
「……………………………」
機関銃の様に喋っていた口が、途端に閉じた。見つめられ、見つめ返すと、ふっと笑みが口に上る。
「さ、何ででしょ」
「はぐらかすな。何故私に黙って付いてきた」
「いくら逃げの達人の俺だって、拳銃つきつけられたら逃げられないし」
「…っ」
「………なんてね、別に責めてる訳じゃないよ」
「君…」
「君、なんて他人行儀な。これから一緒に仕事する仲デショ?名前でいいよ」
「名前?」
「そ、青島」
「青島…と?一緒に仕事?」
「あれ、すみれさんに聞かなかった?」
返答に困った私に対して、青島は心底嬉しそうに笑って言った。更に私が驚きで目眩がする事を。
「新人が一番最初に組まされる相手って、俺なんだよ、室井サン」
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新年あけましておめでとう!!「花よりも月よりも」の第二話「ぼくのせつな」!!
出来立てのほやほやですよ奥さん!!っておもしろくなかったね(汗)
毎日書かないと、やっぱり腕はおちます(泣)
その上室井さんてかきずら〜!!
次回は青島くん視点で。もう二度と室井さんの視点でなんかで書くもんかあ〜!!(><)<ダッシュ逃げ
「この鎖〜」ですか?次回、書きますから(泣)更新遅れてますが、書きますから(泣)
…という事で、今年もよろしくお願い致します。
2001/1/1 真皓拝