約束の
さあ行こう。木漏れ日さすその場所に。


第五章
〜その語る真偽を越えて〜



 青島の瞳が、きょとん、とした。

「え……認めたくないの?」
「え?」
 視線に耐えられなくて、コップに注いでいた眼差しをふいに上げると、青島の哀しそうな顔にぶつかった。
正座して、膝のあたりをきつく両手で握りしめながら、青島はすごくせっぱ詰まった顔で詰め寄ってきた。
「室井さん、子供キライなの……??」
「え。え?あ、青島??」
「室井さんって、嘘つくのキライな人だから…ううん、基本的に人を馬鹿にする事なんてしない人だから、これは冗談じゃないんでしょう?」
「ああ」
 青島の瞳に、室井は戸惑いながら頷いた。これは予想外の反応だった。もっと驚くかと思っていたのに。
 それとも何か?常識に捕らわれているのは自分だけなのか??
「分かりました、頭ン中じゃ、どっかでそんなの可笑しいって言ってるの聞こえるけど、分かりました。たった今理解しました。本当なんでしょ、俺父親なんでしょ?」
「ああ……」
「それで、室井さんが母親なんだね?」
「………………………たぶん」
「たぶんて何!?」
「Σえ、や、いや……そうだ」
「…それともなに?俺以外の誰かと性行為でもしたの??」
「調子に乗るな馬鹿者ッ!!」
 問われた事に一瞬我を忘れ、室井はコップをテーブルに叩きつけるように置いて、空いた手で目の前に座る青島の頭を叩いた。
「私がお前以外の男に体を許すだって!?本気で言ってるのか!?」
 怒鳴ってから、自分の精神がおかしくなっている事に気づいた。普段なら、こんなに激昂することも、感情を荒々しく表すなんて事もない。

「ご、ごめんなさい…―――!!」

 弾かれたように、青島が室井を抱きしめた。室井が自分で涙ぐんでいたことに気づいたのは、その数秒後である。ぼろぼろ泣いて、少したって気づいた。ホルモンの急激な変化で、精神的に不安定になっているのだ。
「ごめんなさい。俺、室井さん方がいろいろ不安なのに…」
 そうなのだ。告げられた自分は、結局何も出来ないのだ。これから大変な事は、すべて室井に掛かってくる。『男なのに妊娠』という、史上に希…というか、世界的に考えても前人未踏の事なのだ。不安にならない方がおかしい。
 ぎゅっ、と室井を抱きしめて、でも、と青島は囁いた。
「……お、俺ね…すんごく嬉しい」
「……っ、なんだ…やぶからぼうに」
「すんげぇ………嬉し……」
「っばか……」
「馬鹿だもん。馬鹿でいいよぅ。も……なんて言ったら…いいか…わかんないっすよ…」
「子供が欲しいのか、欲しくないのか、それだけでいい」
「欲しくないって言ったら、貴方子供どうするのさ」
「産んで一人で育てる。……脅す訳じゃないが、君が欲しくないと言った場合、別れたいな」
 きつく抱きしめていた室井の頬を両手で優しく包み、視線を合わせると、青島は微笑んで口づけした。
「やぁだ。絶対別れないよ。俺パパだも〜ん」
「出来れば…私も父親がいいんだが……」
「ええ〜?室井さんはママでしょ」
「でも、産んで薬を飲まなくなったら、完璧に男に戻るぞ?」
「……そっか……」
 ちゅ、と頬にキスして、にこにこと青島が言った。
「じゃ、生まれてくる子は、二人のパパがいるんですね〜」
 前途多難な子供だ…と思った事を、室井は告げなかった。


 青島が、おかしい。

 そう気付いているのはきっと自分だけでは無いと恩田すみれは思う。
 今朝から思えば変だった。
 いつも朝はぎりぎりに駆け込んでくる癖に、今日に限って一番に(流石に当直の真下と武は除くが)来て、鼻歌交じりに花なんか署内に飾って歩いたり、自ら進んでデスクに向かう日が来ようなどと、一体誰が予想できただろう。
 署内はヘンな緊張感が張り詰めていた。

 あの青島が物静かに嫌に真面目臭く報告書を書いている――天変地異の前触れか。地球はあと数時間後に消滅するのではないかとひそひそと周囲が囁く中、青島の走らせていたボールペンが止まる。
 びくっと周囲の動きも止まる。
 その直後。
 えへら、と青島の引き締まった顔が崩れた。
 隣で迷子になっていた子供は泣き出すし、横着なもの言いをしていた女子高校生が脅えて帰ると喚くは、昨夜酔っ払って喧嘩で暴れて留置所に拘留されていた中年は土下座するわで奇妙な空間へと変わり果てた。
「ななな、なんなのよ!いい加減にしなさいよ?!何か拾い食いでもしたんじゃないの!?」
 そういうすみれもイマイチ声が震えて、いつもは迫力満点のワイルド・キャットも台無しである。
「……お前ぇ…熱でもあるんじゃないのか?」
 流石に和久も心配になって来たのだろう。
「えへえへえへ……」
これでは全くただの変質者、である。
「………出来た……」
 更に笑顔になる青島。
 とん、と揃えて課長である袴田の机で満面の笑顔で歩いて行く。
 強面の同僚も短い悲鳴を発して、道を空けた。
「―――と言う訳で、宜しく課長」
 机の上に置かれたのは、束となった報告書と始末書と…何と有給届け。
 通常ならば、このクソ忙しい時期に堂々と有給なぞ取ろうものなら非難ごうごうは勿論、祟られても例え後ろから出刃包丁で腰骨の辺りを刺されたとしても文句は言えないであろう暴挙の筈だった。

―――なのだが、しかし。

「は……っ…はひっ」
 脂汗を滴らせて、押しつぶされたカエルのような声で悲鳴にも似た返事をしてそれを容認してしまった袴田に罪は無い。
 …さっさとこういう青島は大人しく帰って貰うに限る。そして平和な時間を取り戻したい。フロア全員の心は今、かつて無いほど一丸となっているに違いない。

「ごめんねえ、じゃあお先に〜」

 語尾にまるでハートでも飛びそうな勢いだ。
「――じゃあね…気を付けて帰ってね……」
 すみれの可愛らしい笑顔ももはや凍りついている。
「僕――先輩のかわりにまた当直やりますから……ご、ご心配なく」
 隈をつくった真下が倒れそうに微笑む。
「悪いねえ、真下。今度合コン成立させるから♪」
 一度フロアから立ち去って行こうとした青島が足を止めて、またもや万面の笑顔で戻って来ようとしている。
 声にならない声で全員が真下に罵詈雑言を浴びせたのは言うまでも無い。
「いいから、帰れ。急ぐんじゃねえのか?!」
 和久が慌てて声を掛ける。
「な――何だったらタクシー呼んであげようか??」
「そうそう、ええとねお台場タクシー、お台場タクシーは…と!!」
 その素晴らしいチームワークに、またもや青島は満面の笑顔で答える。
 その不気味な沈黙の裏に、涙を流しながらそのフロア―全員(拘束されている容疑者・被疑者・そして被害者の皆さんも含む)心は一つ、だった。

―――とっとと、帰ってくれ……、と。

「じゃあ、俺帰ります。待ってる人、居るんで」

 軽快な靴音が廊下に響き、そして消えていった。
 こうして湾岸署のアルマゲドンは去って行った……。
 やっと訪れた、平和な日常。
 人生って、素晴らしい。
 そう思わずには居られないとある日の朝はこうして始まった――




『いやいやいや…貴方が青島さんですか!』
「ども。よろしく」
『いえいえ。こちらこそ。さ、そこに座って』
「あ、ありがとうございます」
 人間、言葉など不要だという現実を、目の前の二人がはっきりと表してくれていた。二人は全く異なる言語を喋っているにも関わらず、会話が成り立っているのである。どうやら意志の疎通も出来ているようだ。
(………何故………)
 むっと顔をしかめて自分を挟んで座った二人を見る。方や自分の愛しい恋人。方やこの体に命を宿す事になる原因をつくってくれた老人だ。なんという奇遇さでこの面々が出会う事になったのだろうか。
『ミスタムロイから、事情は聞いたのですか?』
「まあ…大体は…。で。俺はどうすればいいんでしょう…」
『………随分落ち着いてますね。嬉しくないのですか?』
 博士、青島は今必死に喜びを押さえてるんですよ、分からないんですか。
 と言いたかったが、やめた。言ったら青島が破顔して、博士に飛びついていきそうだったからだ。彼は老体である。……あんなにでかい男に抱きつかれ(半ば押しつぶされ)たら、体に怪我をしてしまう。国が総出で守るVIPが、恋人が妊娠した男の喜びの舞いによって怪我をして、人為的な天寿を全うされてはかなわないのである。
(言い聞かせて置いて正解だった…)
 実を言うと、室井にはもう分かっている。さっきから、座った青島の後ろにしっぽが生え、振り切れんばかりに左右に揺れているのが。現実にはそんなものはないのだが、室井の目にははっきり見えている。顔にも態度にも出していなくても、目が爛々と輝いているのだ、隠しようもない。
 これを喜びだと、なんの曲解もなく受け取れるのが室井慎次の凄さであろう。
 知り合い、同僚である他の面々には、例えようのない恐怖に見えるのだ。何故なら、その喜びに浸る彼に接触し、邪魔でもしようものなら、笑顔のまま悪魔も怯えるような恐怖に落とされるからだ。この男はやる、絶対にやる、という確信が持ててしまう。
(親馬鹿になりそうだな…青島は…)
 くすっと、口元を隠したまま笑う。
 きっと我が子を苛めるような者がいたり、理不尽な何かが襲いかかってきたなら、体じゅうを怒らせてそれに立ち向かうに違いない。難なく想像出来て困った。きっと自分の分も含めて怒ったりするだろう。
 室井慎次は知らないのである。この状態の青島が、一般市民にとってどれだけ恐ろしく不気味に見えているのか。恐らく自分には、全く被害が被る事がない事を本能で分かっているからだろう。

 そうして口元を隠しながら、室井は博士から説明を受けている青島を見ていた。

「ええ!?Hしちゃダメなの!?」
 げほっ。と室井はそのまま咳き込んだ。息を吸おうとしていた時に、驚きのあまりに喉がつまったのだ。けほけほっ、と軽く咳き込んで、顔を上げた瞬間に青島の頭を殴った。
「大声出すな!馬鹿!」
「だって〜!室井さぁ〜んッ俺我慢出来ないようっ」
「動物じゃないんだから、理性で押さえろ!」
「……俺にあると思う?」
「―――なかったんだったな。知っていたのに言って悪かった」
 はぁ〜……とこれみよがしに室井はため息をついた。博士は二人の会話を聞いていて驚き、そしてくすくすと笑った。言葉は分からずとも、雰囲気で察したらしい。
『まあ…年若い男の君には辛いかもしれないですね』
「………絶対、ダメっすか」
『………出来ない事もないですが、下手をすると流産しますよ』
「我慢します」
 即答だった。お?と室井は少し感心したのだが、少し体をずらして『しっぽ』を見ればしゅんと垂れているのが分かる。………ようするに、心情とは裏腹な答えを出した、という訳だ。馬鹿だなあ。と思わず笑みが漏れる。
「で、でもキスぐらいは……」
(………待て、青島。お前人間の構造がちゃんと分かってるのか。キスで流産するってどんな体だ…!?)
 冷静に無表情でツッコミを入れた室井に対し、博士はにこやかに答えた。
『あははは!もちろんキスは大丈夫ですよ、ミスタ・アオシマ。キスまでストップしたら、生きていけないでしょう!』
「ですよ!!よかった〜♪」
 こんな。こんな父親…。
(……ああ……生まれてくる子供の頭が心配になってきた…)


  幸あらんことを?




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01/3/13 真皓拝

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